TOPPAGE>>

BACK NUMBER A

<4月7日〜5月4日>

 5月4日(木)

 「未来日記」。良かったっすねぇーーー。「しゃくわいぃぃっ!!」みたいなね。あの福山の歌もよかねー。うん。

 ・・・・・・・・・・・・。おほんっ。

 それはさておき、昨日も鹿児島で記録会があり、200Mに渡辺が出場したので見にいきました。結果は向かい風1・4M(だったっけ?)で21秒41でした。

ゴールの瞬間

 昨日は静岡でも春季サーキットシリーズ「静岡国際」という大会が行われました。実は城山からは江崎と渡辺が申し込みをして、江崎だけが出場可の返事がきて、渡辺は出場できなかったんですね。だから、渡辺はこのレースはかなり静岡を意識して走ったのかと思いきや、

 「2日前もウェートガンガンやったし、昨日も競技場休みだったから練習しなかったんですよ(笑)。」

 だって。でも、調整無しで向かい風でこの記録なら、20秒台も時間の問題だと思います。モーマンタイ。

 しかし、反対に静岡の江崎はボロボロだったみたいです。追い風参考記録ながら21秒8かかったみたいです。江崎は20秒75の自己ベストを持っているので、それより1秒以上も悪い記録だったということです。

 江崎に昼頃電話を入れたら、めずらしくかーーーーなり落ち込んでました。江崎はこのレースは一つ狙っていったレースでしたからね。じゃないと、自費で静岡まで行かないですよ。10万ぐらいの出費ですからね。どうでもいいようなレースでここまで自分のフトコロを痛めないでしょう。

 「もう仕事も辞めようかなぁ・・・・」って言ってました。いつも前向きな学ちゃんにとっては本当にめずらしく弱気でした。

 柴田にしろ江崎にしろただでさえ気持ちがきれそうな時なんだから、しっかり自分をもって、練習を続けて欲しいと思います。

 

  5月2日(火)

 高知行きの話です。

 最初から話をすると、23日に高知で試合に出場しました。その後24日に高知での部屋捜しをして、いったん鹿児島に戻って準備ができしだい高知に行くという予定でした。高知県が「早く高知に住みなさい。」ということだったので、とりあえず住むところを捜さなければ・・・と思っていました。

 そしたら23日に「仕事も住むところも決まっていないのなら、とりあえず○○高校の独身男子寮に入ればいい。そこなら家賃もいらないし、3食ただだし。」ということで、当初部屋捜しにあてていた24日はそこの学校見学にあてたのでした。

 が、鹿児島に帰ってきてから、その学校の寮に入るという話がボツになり、話がまたゼロに戻ったのです。もう一度高知に行く金などなく、他人任せになるけど、やむを得ず高知にいる友人にお願いして、部屋を捜してもらうことにしました・・・・。と、ここまでは前回書いたと思います。

 それから、また話が転々としてまして、今度は高知県のトップのほうから、その友人に部屋捜しのほうもストップがかかっていたのです(シャレじゃないよ)。「早く高知に来い」だとか「もうちょっと待っとけ」だとかで・・・・。しかもその話は全部他人づてで僕のとこに話が入ってきてて、全部「らしい」とか「多分」とかそういう感じなんですね。だから僕にはこの話がどういった方向に進んでるのかは全く見えてこないのです。

 その「もうちょっと待っとけ」の理由は、その僕の受け入れ企業が決まりそうだとのことです。だから、先に住むところを決めるよりも、働く場所が決まってから住むところを決めたがいいだろうということだったのです。近日中には返事がでるからということでした。僕は引越しの準備もだいぶ進んだダンボールだらけの部屋で待っていました。

 で、昨日電話がありました。

 そしたら、、、、、「採用は来年春からになるから、それまではバイトみたいな感じになるかもしれない。」

 『バ、バイト!?!?!?・・・・・・』

 28歳にして、バイトから始めろということなのか・・・・・。うーーーん、話が2転3転したあげく、バイトとは、、、、。

 僕のためにいろいろな方が動いてくださっている。それは分かってはいるのですが、うーーーん、、、バイトかぁ、、、、、。バイトとなると、もちろん働いた分しか給料が出ない。練習のために早く仕事をあがればその分給料がでない。遠征や合宿にいけば、その間の給料はでない。もちろん遠征費なども出るわけがなかろう。これでは競技に集中できる環境とはいえない。まぁ来年春からは正式採用となるとのことだったが・・・・。

 ((バイトでもなんでもすやればいい。走れる環境さえあればいいじゃないか。))

 ((なんで今さらバイトまでして走るんだよ。もう28歳だよ。もっと他の道もあるんじゃないか?))

 今、僕の頭の中は2つの思いが交錯してます・・・・・。

 

 5月1日(月)

 なんだかあっという間に5月です。昨日は鹿児島県の記録会の100Mに江崎、立山、渡辺の3人が出場したので、見に行きました。

スタート前、左から渡辺・江崎・立山。緊張感漂う時間帯です。

スタート直前です。分かりにくいですが、左から江崎・立山・渡辺です。

 10秒52(+1・4)。自己新で勝った渡辺。風こそいい追い風が吹きましたが、雨も降ってて、気温も11〜12度というコンディションの中でのこの記録は素晴らしいですね。ちなみに、江崎が次いで10秒61。タツが10秒69でした。みんな練習ができてないわりには好タイムです。

 夜はおでんを食べにいきました。左は鹿児島県庁の肥後さん。マスターズで今もばりばり走ってらっしゃる方です。右は宮崎さんです。なんやかんやで疲労度DXって感じでした・・・・。

 江崎と僕です。いつもの酔っ払っいです(笑)。

 江崎が明日から静岡国際出場のため静岡に行きます。「一人の遠征は寂しいぞ〜。」ってびびらせてあげました。でも是非がんばって欲しいものですね。

 

 4月29日(土)

 昨日の夜遅く、鹿児島に戻ってきました。葬儀も無事すみました。しかし、今回亡くなった祖父は大正生まれなのですが、身長182センチ!!そして、元ボクサー。若い頃はおとろしかったんだろーなー。

 棺桶ももちろん特注。火葬場もその大きさの棺桶が入るところが近くになく、わざわざ遠いところまで行きました。((でも、なんで俺は小さいんだ(涙)??・・・・・))

 ということで、今日は実家の久留米のほうで試合に出る予定だったんですが、とてもじゃないけど走れる状態ではないので棄権しました。

 高知行きもちょっといつになるか分からなくなってきました。昨日も電話があり、その部屋を捜してもらっている友人からだったんですが、なんだか僕の職がもうすぐ決まりそうだとかなんとかで、その部屋捜しもストップがかかっているそうです。なのでもうちょっと鹿児島で待機しといてくれだそうです。「今すぐ来い」だとか「鹿児島で待機」だとか、話が一転二転するので、早く落ち着いた生活がしたいっ!!

 それと、柴田から電話がありました。昨日の練習中にふくらはぎの肉離れを起こしたとのことです。サーキットを目前にしての怪我ですので、ちょっと精神的にまいっているようです。

 柴田は今は無職で走っています。今の柴田にとって「走る」っていうことは、将来の何の保証もないし、1銭の得にもならないことです。本当に自分の夢のためだけに走っています。「俺は何をやってるんだろう」っていう気持ちになることも多いだろうと思います。ただでさえそういう心理状態で競技にのぞんでいるのに、こういう時の怪我で気持ちがきれてしまわないかが心配です。

 怪我から復活することは本当にパワーが入ります。怪我しました。走れない。怪我が治りました。さー走ろう。ってそんな簡単なものではないのです。

 辛い時期かもしれないけど、是非乗り越えて、あせらず、じっくりと治してもらいたいものです。

 

4月26日(水)

  あー剃ってやりましたよ。髭。10分ぐらいかかりました。T字の髭剃りじゃ剃れなくて苦労しました。剃る前にはさみでカットしたほうが良かったです。

↓これが↓

こうなった!!

 26日の早朝に祖父が亡くなりました。今日、明日と葬儀に行ってきます。こういう時っていろいろ重なるものですね。

 場所は佐賀県の「名護屋」というところです。歴史に強い人ならすぐ分かると思いますが、そうです。豊臣秀吉が朝鮮出兵した時に建てた「名護屋城」があるところです。要するに九州でも一番韓国に近いところ。九州のてっぺんです。そうですねぇ、車で行くとざっと5時間はかかるかな、、、。行ってきます。

 

 4月26日(水)

 昨日高知から帰ってきました。当初の予定では23日に試合に出て、高知県の方とお話をして、24日は住むところを捜して、25日にいったん鹿児島に帰ってきて、引越しの準備ができしだい高知に行くという予定でした。

 が、話をしたところまだ僕の受け入れ企業が決まっていないということでした。『そしたら住むところはどーすればいいんだろう』と考えていたら「じゃぁ、就職が決まるまでは某私立高校の独身男子寮に入ればいい。」ということになったんです。そこに入れば家賃もいらないし、3食ただで食べることもできる。「その変わりそこの陸上部を見てほしい。」ということになったんです。ですので、当初部屋捜しに当てていた24日は丸1日その学校見学で終わったのでした。

 が、昨日になってその話がなかったことになり、またゼロに戻ってしまいました。でも「とりあえず高知に来なさい。」と向こうはおっしゃるわけです。僕が住む部屋は結局高知にいる友人にまかせることになりました。

 なんだか振りまわされてるような気もしないこともないんですが(またこんなこと書いたら高知県の人に怒られるかなぁ)。ちょっと心配になってきました。でも、ま、なるようにしかならないか。もーどーにでもなって。でも金が続くかな・・・・。

 1日も早く落ち着いて、競技に集中できる環境を作りたいものです。

 

 4月23日(日)

  昨日から高知に来ています。「はりまや橋」の前で撮りました。おひげもだいぶん伸びてきました。ほとんど犯罪者です。これじゃー就職ないな(笑)。

 そして本日、高知デビューを飾りました。結果は順大卒で1ヶ月前から高知に来ている黒沢という選手に負けて11秒16(−2・5)。遅い(涙)、、、、。黒沢は10秒98でした。ま、でも無事怪我することなく走れたし、この1ヶ月間はほとんど練習らしい練習もできなかったので、あせらずやっていこうと思います。

立派な表彰状もいただきました。

 しかし、本当に一人で試合に出場したのは久しぶりでした。今までは会場までの移動から食事から何から何まで他人まかせだったし、誰かしらいっしょにいたのですが、今からは全て自分一人でやっていかなければなりません。

 今日も予選と決勝の間が4時間ぐらい空いてたんですが、知り合いがほとんどいなくて、サブトラックの隅っこで一人で座っていると、寂しくてたまりませんでした。

 そして、今日であの「休部発表」があってからちょうど1ヶ月が経ちました。うーーん、、、いまだに、城山観光陸上部が無くなったこと、自分が高知にいること、その他いろいろ、急激すぎて現実として受けとめることができません。

 でもこれも何かしらの「チャンス」なんだと言い聞かせて、楽しむ心を忘れずにやっていこうと思います。

 

 4月21日(金)


  先日、ある人とお話する機会がありました。ここではまだ「ある人」としか言えませんが・・・・。

  その話の内容とは、やはり「これからの企業スポーツはどうなっていくんだ」だとか「日本のスポーツシステムはどうあるべきか」だとかそういったことです。2時間半ぐらい話したかと思います。

  で、僕がその人にずばっと言われたことがありました。

  僕は常々「企業が悪い」だとか「行政が悪い」だとか、「こんなスポーツシステムしかない日本が悪い」だとか言い続けてきました?そしたら、その人にこう言われました。

 「それを分かっていて変えようとしない選手達も悪いんじゃないですか?」って。

 そう。選手達に全く主体性がないと。今、日本全国で企業スポーツがすたれていっている。一番の被害者である選手達が何のアクションも起こさない。問題意識ももたない。それで何が変わるっていうのかって。

 まぁ、、、ぐさっときました。

 僕も分かっていながら、文句を言いながら、何一つ行動を起こせないでいました。このシステムを変えるなんて、とてもじゃないけど僕の力ではどうもできないと思っていました。だから「行政が悪い」だとか「システムが悪い」だとか他人のせいにして、誰かが動いてくれるのを待っていたような気がします。

 でも、誰かが始めないと、このまま僕たちみたいな犠牲者が増えるばかりです。

 よくよく考えたら、僕はこうやって今まで、そしてこれからも陸上をやることのできる環境が与えられてきました。

 しかし、例えば、高校生が3年間の部活動を終える。しかし、大学にも行けず、かといって実業団チームなんかには入れもせず、それで、なんとなく走ることのできる環境がなくなって、それでスポーツから離れていってしまったってそういう選手達ってたくさんいるんじゃないでしょうか?

 そういった人達もある意味僕らと同じことですよね。「いや、やろうと思えばどういった形ででもできるよ。」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、はっきり言って、そういう人達って周りから奇異の目で見られませんか?日本にはそういう気軽に生涯スポーツとして、スポーツを楽しむ土台がないんですね。

 小学校、中学校、高校、大学って、ちゃんと「体育」や「部活動」としてスポーツが認められているのに、働きだしたとたん「趣味」や「スポーツ」は余計なものじゃないですか?

 いかに自分を犠牲にして仕事に身をささげることができるか、それが日本の労働者の美徳だとされてますよね。

 生涯スポーツ。その地域の小学生から高校生から一般からマスターズまで、
皆が気軽に集まって楽しくやれるスポーツ。勝ち負けにこだわるもよし、グランドに来てお話するのが楽しくてやるのもよし。

 うちの母にこのことを言ったら「そーねー、歌のうまい歌手だけがステージでスポットライト浴びてるけど、わたしたちみたいな歌の下手な人だってカラオケが好きだし、スポットライト浴びて歌いたいもの。」って。

 スポーツってのもそういうものなのかもしれない。

 

  4月20日(木)


 今朝、立山が社宅を出ました。鹿児島の川内市(せんだいし)というところに行きました。

 昨日の夜「明日引っ越します。」とか突然電話してきたのでびっくりしました。新しい職場は『太陽スポーツセンター(だったと思う・・・)』というところで、幼稚園児や小学生にスポーツを教える仕事をするとのことです。

 立山は大学卒業後1年間ドイツに留学した経験があり、その時にドイツのクラブチームに所属していて、その小さい子供からお年寄りが集まって気軽にスポーツを楽しむ姿や、陸上の試合に関しても、ただ記録を出すための試合ではなく、一種のお祭りのような、その地域の人達が集まって見る側も楽しめるような、そんな雰囲気の中でやったスポーツを、是非この日本でも広めていって欲しいと思います。

 本当にがんばってほしいですね。ま、陸上も自分で時間を見つけて続けるみたいなので、まだまだライバルです。

 そういえば、真吾が実家のほうで、ソフトボールチームに入ったそうです。で、先日の試合で盗塁失敗でアウトになったとの情報が入ってきました、、、、情けない、、、、城山観光陸上部で5年間やってきたことはなんだったんだよ(笑)。

 

 4月19日(水)


 やっと「LINK」のコーナー復活しました。リンクを貼ってくださっていた皆さん失礼いたしました。これからもよろしくお願い致します。それとお手数ですが、このHPのタイトルを変更していただければ幸いでございます。

 で、僕が鹿児島にいた5年間とってもお世話になった「鹿児島のお母さん」という方がいるんですが、その人のお店のホームページを作ってみました。その「LINK」のコーナーにあります。一度ご覧ください。

 ということで、昨日はHP開設祝いで「鹿児島のお母さん」に焼肉を食べに連れて行ってもらい、その後は「お店で飲んでらっしゃーい。」と言われ、飲んでて、1時に閉店だったので帰ろうとしたら「もつ鍋食べにいくわよー。」って、、、、パワーがある人です。さすがの僕も今日は胃が重かったです。

 

 4月16日(日)


 今日は鹿児島県立鴨池陸上競技場で鹿児島県の記録会があり、110MHに上野元気が出場したので見にいきました。結果は14秒9?(+1・7)。

 遅いっ!!!

  今日は「14秒3台」を目指して走ったというのに・・・・。天候も晴れで、1・7Mの追い風は絶好の条件。気温はちょっとその風のせいで肌寒いかったけど、この条件で14秒9台は・・・・・

 遅いっ(笑)!!!

 実は昨日の夕方、3月5日に結婚した元気の「結婚しましたハガキ」を僕がボランティアで作っていたのですが、出来上がったのでそれを元気が取りに来ました。そしてそれを受け取り、お礼を言って帰るかと思いきや、

 「太田さん、明日試合に出るんですけど、僕ユニフォームが無いんですよ。ください

 って、さらにモノまでねだってきて、しかも「ください」ですよ。「ください」。「貸してください。」じゃないのよ。僕が「しょーがねーなー」とか言ってアシックスのユニフォームをあげました。

 そしたら、今日のレースが終わって僕に何て言ったと思います?

 「あぁ、このユニフォームが悪かったんだぁ。」だと・・・・。

 殺す!!!元気!!!

レース後がっくり肩を落とす元気

 今日は審判員団の方や教員の方とかにたくさんお会いすることができたので良かったです。皆さん一様に長距離の京セラ(6月で男子は同好会へ降格、女子は京都移転)、短距離の城山がいっきにいなくなるのが、本当に寂しくて、鹿児島県の陸上界の活気が無くなることを心配されていました。

 本当にイチ企業が運動部を丸抱えする時代ではないですね。小学生から中学生、高校生、大学生、一般、マスターズと、皆で集まって陸上を楽しくやっていけるような、そんな地域に根差したクラブチームのような組織はできないものでしょうかね?

 

 4月15日(土)


 昨日、柴田が実家のある福岡に帰っていきました。しばらくはバイトをしながら走って、将来的には学校の先生を目指すらしいです。

 いやいや・・・・、うるさい奴だっただけに寂しいです(笑)。

 まぁ冗談はともかく、今まではみんな鹿児島にいて、いつでも会えたし、いつでも集まれるっていう状態だったので、いまいち『陸上部がなくなったんだ』という実感が無かったんですが、昨日は『あぁ、こうやってみんながばらばらになっていくのかぁ』と思いました。それぞれが新しい仕事を持ったり、もちろん距離の問題もあるし、またみんなで集まってというのはなかなか難しいでしょう。

 柴田も3年間過ごした鹿児島を離れるとのことで、様々な思いがあったと思います。

 陸上部の休部が発表になってから、柴田はけっこう早い段階で福岡に帰ることを決意していました。その時は「俺は陸上をやりに鹿児島に来たから、陸上をやれないのなら鹿児島にいる必要はない」と言っていて、僕は『けっこうあっさりしてんなー』とか思っていました。

 が、鹿児島を離れる日が近づくと「あぁ、寂しいなぁ」って連発してました。13日の晩は飲みに行きましたが、その時も「寂しい、寂しい」を連発してました。

 昨日は柴田が帰る前に僕の部屋に来ました。3年間隣で生活してた奴だし、遠征でもよくいっしょの部屋になってました。

 辛いね。

 ま、実家が同じ福岡だし、これからも陸上を続けていくので、近いうちにまた逢うことでしょう。その日まで・・・・。

 

 4月12日(水)


 送別会の日々が続いております。いろんな人と送別会をやるたびに「あぁ本当にもうすぐ鹿児島を離れるんだなぁ」と実感してしまい寂しくなります。

 昨日は「中央大学学員会鹿児島支部」の定例会にお別れの挨拶を兼ねて出席したんですが、花束までいただき、本当に感激いたしました。

 そこで、ちょっと(だいぶん)話はそれますが、初めて「生スプーン曲げ」を見てしまいました。いやいや、あれはトリックじゃないんですねー。まじで普通のスプーンを曲げるんですよ。そのお方は。気持ち悪いですよー。

 僕も決めました。スプーンを曲げれるようになってやる(真剣)。

 ところで、高知での第1試合目が決定いたしました。23日にある「春野オープン」という大会です。ということは、それまでには高知に行くってことですが、住むとこも何も決まってないんですよねぇ。じゃぁ、この部屋の荷物はどこに預ければいいんだろう??

 なんだか面倒臭いなぁ。引越しって。金かかるし、、、

 

 4月9日(日)


 今日は鹿屋体育大学の記録会でした。走りました。自分は今年から登録陸協が鹿児島から高知に急遽変わるということ、ここ2週間ほとんど練習ができていない状況だったということ、この2点で今回の試合には出場しないほうがいいのではないかと思っていたのですが、昨日練習していたら宮崎監督から「敬介、明日の試合の出場は大丈夫だよ。出る?」と聞かれ、思わず「じゃ、出ます。」と言ってしまい、急遽出ることにしました。練習のつもりで。

 そしたら案の定ちょびっとハムストリングが痛くなりました。ま、ちょびっとですけど・・・・。なめたらいけないんですが、3日から1週間ぐらいで完治しそうな、そんな感じの怪我です。ご心配なく。

 やっぱろくに練習していないのに「全力疾走」したらいかんですな。

 結果は11秒01(−0・3)。いっしょに走った柴田が10秒74でした。ナベも昨日200Mを走って最後脚がつりそうになって21秒4台(向かい風)で走ったらしいです。ナベは調子良いですよ。今年は。

 そして、多分このレースが鹿児島での最後のレースになることでしょう。

 昨日、鹿児島県立鴨池陸上競技場で練習していたら、鹿児島県陸上競技強化部会の会議があっていたので、会議中でしたが、お世話になった方々ばかりだったので、御挨拶に行きました。

 鹿児島県陸上競技協会の方々にはとてもお世話になりました。よそ者の僕に国体の閉会式で「旗手」をやらせてくれたり・・・・。今後なんらかの形でお返しができればいいなと思います。本当に5年間ありがとうございました。

 

 4月7日(金)


 まー、いろいろな人にこのHPの色使いに関して「暗い、暗い、読んでるほうまでが暗くなる。」と言われてましたので、変えました。春らしく「ピンク」で♪♪

 そして、僕も決意を固めました。高知に行きます。

 2002年の国体へ向けて、自分のためにも、そして高知県のためにも、思いっきりやろうと思います。2002年といったら僕は「30歳」になっていますが、宮崎監督が北海道の国体で年齢別日本記録「10秒48」を出して優勝して引退した年齢も30歳です。負けられないっすねー。今から2年半、神が与えてくれたチャンスだと思って、悔いの残らないようにやろうと思います。高知の人でこれを見てらっしゃる方がいれば、なにとぞよろしくお願いします。

 本当にこんなご時世にお声がかかるなんてラッキーです。いつもいつも僕は周りの人間に恵まれています。感謝です。感謝。

 この2週間は人生最大悩みました。初めて食事すら喉を通らないって状態にもなりました。1ヶ月前はこんなことになるだなんて、かけらも思っていませんでした。まさに人生どこでどうなるか分からないもんです。明日の保証がある人間なんて誰一人としていないわけです。それだったらやりたいこと、今できることを精一杯やったらいいんじゃないでしょうか?

 とはいえ、僕意外の陸上部のみんなは以前として行き先が決まっていません。陸上部をまるごと受け入れてくれる企業はもちろん、移籍を希望している江崎、立山もまるで話しがありません。もし、このHPを見てる方で何かそのへんでよい話があれば、なんでもよいのでメールをください。ほんのちょっとのことでいいですから。

 なにはともあれ、5年間住んだ鹿児島ともお別れです。地域に密着した活動を心がけてきました。鹿児島にも愛着があります。とっても良いところです。素晴らしい出会いもたっくさんありました。寂しいですよ・・・・。

 でも男が決めたことです。僕は高知の人間になります。「〜〜しちゅう」とか言うったいね。あっちの言葉は。あぁ、俺のきれいな標準語が土佐弁になっていくのかぁ。

 また、高知でも素晴らしい出会いがありますように。

TOPPAGE>>