BACK NUMBER @
<3月23日〜4月5日>
4月5日(水) 実は、今、某県に来ています。○年後に国体を控えた県なんですが、そっちのほうで陸上をやらないかという話しがありまして、話しを伺いに来ております。 昨日、その県の体育協会のトップの方といろいろな話をさせていただいたのですが、待遇としては、今までと同じような感じでやれそうです。多分3時とか4時とかまで仕事をして、それから練習といった具合です。もう2度と企業という枠の中でやりたくない、現役も今年で最後にしようと言っていたのに皮肉なことです。 が、この県の場合は今までとはちょっと違って、県と企業が一体となってこの話しをすすめているのです。優秀な選手を県が連れてきて、それを各企業にふりわけるのです。だからチームとしての陸上部は存在しないのですが、県内企業のいたるところに、スポーツ選手がいるのです。いわゆる県が一つの陸上部を持っているといった感じでしょうか。 そして、国体前ということでマスコミも非常にもありあがっているようです。地域と企業とマスコミ。この3つが地域スポーツを盛り上げていけば、必ず文化としてのスポーツは成り立ちますよ。必ず。そしてその地域は必ず活性化すると僕は思います。 このような地域に根付いた「クラブチーム」のような活動を日本でもやっているところがあるとはびっくりしました。たいへん素晴らしいことだと思います。是非、国体が終わってからでもこういうシステムは続けていって、成功例を作っていただきたいと思います。 そして、僕にとても素晴らしい話です。陸上をやるという部分ではたいへん良い環境でやれそうです。しかし正直怖いです。先にも書きましたが、僕が「この県で陸上をやります。」と決めてから、それから受け入れ企業を探すということ。5年前、東京から鹿児島に行った時のように「陸上やれるんだったらどこにでも行くよ!」みたいな勢いは今はありません。もうちょっと先のことまで考えなければいけないかなとも思っています。あぁ、、、これを「守りに入る」とでも言うのでしょうか? 今回、モノの見事に僕らはきられました。とてもショックな出来事でした。自分にとっての「陸上」に対する価値観まで考えさせられました。この先陸上を続けていくことで自分にとってどんなメリットがあるのか、、、。そんなことまで考えて、果たして自分は本当に走ることが好きなのだろうか、、、。 だったら、スポーツインストラクターの勉強でもして、資格でも取って、手に職をつけて、これから重要になってくるであろう「フィットネス産業」に目を向けるのもいいんじゃないだろうか?そっちのほうが堅実ではあると思います。 これも何かの縁だからこの県に来ようか、それとも陸上はスパッとあきらめて次の道を進むか。頭の中がぶちきれそうなぐらい考えてます。でも、いくら考えたって答えは出ないんですよね。1年先のことさえ分からない世の中だから。 でも、そんなこんないろんな悩みを忘れ、本当に頭の中が真っ白になれる時って、走ってる時だけなんですよ。 あーーーどーしよ。無職になって、半年ぐらいかけて次の仕事を探せばいいやと思っていたのが、これまた後2、3日で返事をしないといけない、、、、えらいな選択をこの2週間で次々と、、、、ほんと世の中ってどこでどーなるか分からんですよ(笑)。
4月3日(月) しばらくごたごた続きで練習がほとんどできない状態が続いていたのですが、昨日からようやく再開しました。そして、それは今までとは違う独りでの練習の始まりです。 幸い昨日は渡辺が、今日は元気がちょうど同じ時間に練習していたし、今は春休みで高校生がたくさんグランドにいるので、昨日今日と別に寂しくはかったのですが、春休みが終わると、だだっ広いグランドで独りで練習する日々が続くことでしょう。今までがわいわいがやがや練習していただけに、まずはそのギャップに慣れないとだめですね。 ところで、休部発表があってから約10日が経ちました。なんだかいろいろなことがあり過ぎて1ヶ月ぐらいたったような感じです。 思えば幼い頃から「足が速い」ということは、それは素晴らしいことだと周りからもてはやされてきました。高校時代から陸上を始めた僕は、「速く走ること」で特別推薦で大学へ入ることができました。そして大学時代でも「速く走ること」で企業の陸上部に入部することができ、他の一般社員とは違う特別な扱いを受け、そして「速く走ること」が自分達の仕事だと信じてやってきました。いわば12年間、僕にとって「より速く走ること」が全て成功への道だったのです。 しかし、ある日突然「速く走ること」が何の意味ももたなくなりました。もし、これ以上僕が走り続けて、思うような結果を残せたとしてもその先には何があるのだろうか?それが将来への道に繋がる保証なんてどこにもないわけです。僕たちがやってきたことって一体なんだったんだろう。それともそれが「夢」というものなのでしょうか? これでいいのか?日本のスポーツ界。何年か前にオリンピックで銀メダルをとった有森さんがこう言ってました。 「オリンピックでメダルをとることを最大の目標に掲げてやってきた。が、実際とっても何にも変わらなかった。その先の道がなんにもなかった。」 これでいいのか?日本のスポーツ界。オリンピックでメダルをとって、それから普通のサラリーマンやるしかないような、こんなシステムで誰が20歳〜30歳という大事な時間を投げ捨てて全てをかけますか?全てをかけてきた結果が僕たちですよ。 僕の声がどこまで届くのだろうか・・・・。
4月1日(土) いえい。HPの題名変えました。洋風だな。掲示板も復活しました。また書き込み待ってますよ。僕と掲示板で遊んでくださいね。ぼちぼちこれからコンテンツも増やしていきますのでよろしゅう頼みます。 今日は会社に行って最後の挨拶周りをしてきました。毎月1日に全体朝礼というのがあるので、今日はほとんどの社員が出社してると思い今日行きました。 ホテルにはいろんな職種の人がいます。フロント、レストラン、ソムリエ、営業、予約センター、調理、調理の人も洋食から和食、中華、寿司、さつま揚げ、ベーカリーと様々です。 みんないい人達ばっかりでした。5年間勤めましたが、ほんとに合宿や試合でいないことが多くて仕事上では迷惑をかけっぱなしだったのに、ご理解をいただき、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。 僕の中でも気持ちはだいぶ落ち着いたつもりだったんですが、同期の社員とか会うと、まだまだ涙腺がゆるんでしまいます。 みなさんの激励のメッセージはしっかりと心にやきつけました。 ま、いつまでもうるうるしてたってなんも始まらないので「楽しむ心」を常に忘れずに、がんがん責めて行こう思います。
3月31日(金) 昨日は3時まで飲んでました・・・・。 でも、別に誰も泣きもせずわめきもせず、いつも通り楽しくばか言いながら飲んで終わりました。江崎と元気なんかみんなで2次会行くぞっつうのに別行動で他の店行きやがって・・・・・。後でこの2人とは僕だけ合流したんですが、みっちり説教してやりました。ったく・・・・。なんの悲壮感もない連中です。 そして、本日を持って城山観光陸上部は休部いたします。部としての活動は6年半、僕は5年間の在籍でした。それと、この「城山観光スプリントチーム」のホームページは1年半、皆様の支えがあったからこそここまで活動することができました。本当に有難うございました。 僕は昨日正式に辞表を出してきて、受理されました。もし、城山観光陸上部が活動再開したとしても、僕はそこにはもういません。 休部発表があってから1週間、みんな一生懸命考えて、会社に残るか残らないかを決めました。辞めることが決まったのは僕と柴田です。後はとりあえず残ります。またそれぞれの行き先が正式に決まりましたら逐次このHPで報告します。 って、このHPも名前を変えて再開せんといかんな〜。名前はなんにしようかな〜。うーん、、、、、「リストラスプリンターズ!!」ってのはどう?いいねー。決めた。 じゃ、明日からこのHPは「RESTRUCTURING SPRINTERS<リストラスプリンターズ>」で行きます((なんだかかっこいい名前だな〜))。よ・ろ・し・く♪
3月30日(木) いよいよ、明日が城山観光陸上部最後の日となってしまいました。そして、明日の集合練習は無しということなので、今日がみんなで集まってやる最後の練習でした。記念撮影をしました。
左から宮崎監督、立山、江崎、元気、渡辺、柴田、そして一番前が僕です。みんなほんとうにもーこれが集まってやる練習は最後だなんて、まるでそんな雰囲気もなく普通に終わりました。いつも通りの僕らでした。ま、まだ誰も今後のことが決まってはいないので、しばらくはこのグランドでみんな練習するので「またどうせここに集まるんだろ。」ってな感じでしたけど(笑)。 今日はみんなで集まってうちわだけの飲み会です。荒れないように!おとなしく飲みます。
3月29日(水) いやはや、何はともあれ、まずは部屋捜しです。僕は大学の時が寮、社会人になってからは社宅で、実家を離れて10年になるけれど、なんと今回が生まれて初めての部屋捜しなんです。おとといから空いた時間を見つけては不動産屋を周ってます。 しかし、、、安くて良い物件。これって存在しないもんですね(笑)。 高いなら高いなりにわけがあるし、安いものには安いなりのわけがある。つくづくそう思うなー。駐車場も必要だし。何を優先させるか、何を妥協するか、それを決めないといつまでたっても決まらないような気がする。 僕はなんと言ってもまずは「安い」。無職になるわけだし。で、「広い」。モノが多いので。で、交通の便が良くて、でも静かで、、、、あれ、、、、やっぱこれじゃ見つかるわけないか、、、
3月28日(火) 僕の今後のことについてですが。 いろいろと考えました。このまま会社に残って一般社員となり陸上をあきらめたほうがいいのか。新たにチームを捜して走ったほうがいいのか。会社で働きながら走れないだろうか?でも、今の会社は一般社員で働くとなると時間が不規則になるうえに、土日はほぼ100%休めない。じゃー転職して走ろうか・・・・。 無い頭で一生懸命考えましたよ。 で、まず今思うのは、とりあえずもう「企業スポーツ」という枠の中では活動したくない。もうこれは、一言二言では言えません。誰が悪いんではないんです。この「企業スポーツ」というありかたそのものが問題なのだと思います。 そして、やっぱり走りたい。 自分がこの先どれだけやれるかは分かりません。もしかしたらもうピークは過ぎているのかもしれない。いやもっと速く走れるのかもしれない。でも、自分が12年間全てを注ぎ込んできたものです。3月31日の練習を持って終わりだなんて、それでいいのだろうかと思ったわけです。 退職いたします。で、「無職」で走ります(笑)。 そして今シーズン限りで一線を退きたいと思います。あくまでも僕らは「アマチュア」ですので「引退」という言い方はしません。その後も趣味程度では走ったりするかもしれませんし、とにかく、今から約半年間は僕の12年間の総決算です。陸上のみに集中できる環境を作って、最後悔いのないように飾りたいと思います。退職金と失業保険とわずかな貯金でやっていこうと思います。遠征もこれからは全部自費ですので、今までみたいに試合を見つけたらそれに出るってわかにもいかないと思いますが、なんとかやっていきたいと思います。
そして、できればその後は指導者として陸上競技に携わっていければいいなと思います。あいにく中央大学経済学部卒なので教員免許は持っていません(とれても社会科)。が、高校の事務や大学の職員などというような形で短距離のコーチとして採用してくださるところがありましたら、是非よろしくお願いいたします。 でも、これを高校の時の恩師に電話したら、えーーーらく怒られた・・・・。「どーげんすっとかぁ?」「仕事なんかあるもんかっ!」「男一生の仕事をそげん簡単に辞めてからーっ!」「おまえの同級生はみんな子供もおって落ちついとるぞっ!」etc・・・・。 そ、そんな言わなくても・・・・シュン(涙)。さて、とりあえずは住むところを捜さなければ・・・・・。 3月26日(日) 昨日はあれから皆で集まってファミレスでご飯を食べました。みんなで集まったのは、あの休部発表があって以来のことでした。 そしてやっぱり誰からともなく「これからどうする??」って話になりました。皆それぞれが思っていることを話し合いました。まだ決定ではないので、その内容に関してはまだふせておきます。が、はっきりとそれぞれの今後のことが決まりましたら、またここで発表します。 でも、冗談も出るようになって、実は、春から新入部員になる予定だったやつがもうすでに鹿児島来てるんですが、みんなしてそいつに「なんしに来たんだ??」とか「おめーが一番悲惨だなー」とか言ったりして(笑)。そいつは、また僕らのホームグランドの鴨池陸上競技場で全員そろったところを見たことすらないらしいです。 飯を食った後、江崎の赤ちゃんを見にいきました。も〜〜〜、めちゃめちゃかわいかったぁぁ、、、。女の子で名前は「未侑(みう)」です。上野元気のとこの「ゆうか」とは同い年になります。赤ちゃんのけがれを知らない寝顔とかを見てると、本当に心が暖かくなりますね。 そんなこんなで、僕の気持ちもだいぶ落ち着いてきました。その後に、僕が尊敬する上司に時間をとってもらって、会って頂きました。この方は会社役員で、社内でもかなりの力を持った方なんですが、何故か気が合うというか、一般社員の僕をすごいかわいがってくださる方なんです。 その方と話しているうちに、僕の中にあった「人を恨む気持ち」だとか「人を憎む気持ち」だとか「なんで僕らがこんな目に会わなければ・・・」といった悲観的な考え方が無くなってきて、今ではそういった気持ちがほとんどなくなってしまいました。 今はもう第2の人生をどうしようか、どんな人生が待っているんだろうか、なんだか楽しみになってきました。 親にこのことを言ったら、なんだかあほなことを言って、あんたそれで本当に大丈夫なのってな感じで言われましたが(笑)。 ですので、下の23日分や25日分に書いたような会社に対して批判的なことはもう書きませんので、どうぞご安心ください。 いや、実は僕は会社からマスコミへのコメントもとめられてて、会社の通信機器も全部とりあげられたんですよ。僕がいろいろとるさいから。だから、もう大丈夫ですよ。
3月25日(土) 休部発表があってから2回目の朝を迎えました。なんとか気持ちも落ち着いてきました。食欲も出てきました。実はこのホームページも終わりにしようと思っていたのですが、是非これからも続けていこうと思います。僕の、いや、部員の皆の今度の身の振り方を見続けてててください。これからが本当の正念場です。 それと、励ましのメールが皆さんから届いております。本当に有難うございます。これから絶対一つ一つに返事を書きますので、もうしばらくお待ちください。 おとといの発表があった日。宮崎監督をはじめみんな大の男が声を出して泣いてしまいました。誰も一言も言葉を発しないまま、僕は一番に席を立ちました。本当にその場にいると、集団心理で何をしでかすか分からないと思ったので。 それから泣きながら車で帰り、部屋に帰っても泣き、下の文章(23日分)を書きながら泣き、皆さんへのお知らせメールを書きながら泣き、みなさんからの返事を読みながら泣き・・・・・で、いや、今までの人生でこんなに泣いたことあるかよってくらい泣きました。僕が大泣きした覚えがあるのは、小学校の卒業式と、大学を卒業して福岡に帰る日に4年間お世話になったバイト先の人に挨拶に行った時と、おばあちゃんが死んだ時ぐらいだったけど、そんなの比にならないくらい泣きました。 そして、昨日は通常通り会社に行って、周りの人たちにそれぞれこういうことになったこと、4月1日からは通常通りの一般社員としての扱いになることを説明して、そしてそれから、今までお世話になった外部の方々、メーカーの方、治療の先生、陸上部を応援してくださってた方々等に一言電話を入れました。 本当にそれぞれに同じことを説明するのが辛く辛くてしょうがなかったんだけど、でも、いろんな人と話をするうちに、自分の気持ちも落ち着いてきて、なんとか笑顔が出るまでにはなりました。本当にそれまでは人の顔を見ると涙がでてきて、人と話すと涙がでてきてって状態で『涙腺ぶっ壊れたんじゃないか?』とも思いました。ちょっと危ない人でした。まじで。 昨日もいつも通り3時には会社をあがりましたが、もちろん練習する意欲もなく一人でぼーっとしていると、隣の部屋の柴田が缶ビールを2本持ってやってきました。「誰かと話してないと落ち着かなくて・・・」って。そこで始めて陸上部の人間と、休部発表があってから話しをしました。 柴田もちょっと頭がおかしくなってて「UFOやきそば食ってやりましたよぉ!がはは」だそうです。どういうことかというと、僕らの種目って体重1キロがタイムに大きく影響してくるスポーツです。もちろん食事も自己管理で摂生してきました。特にここ1ヶ月ぐらいはシーズンイン前ということで体を絞り込むために自分の好きなものをほとんど口に入れてない状態だったんでしょう。「UFOやきそばうめぇーーー。」だそうです(笑)。 ま、とにかく、今はいろんな人と話しをして、ゆっくりゆっくり自分の考えを落ち着かせないといけない、今の精神状態は普通じゃないから、今、決断を下すのは危険だなということを話しました。 そんなこんなで話しをしていたところ、7時過ぎ、宮崎監督から電話が入りました。とにかく今から僕の部屋に来るということ。そして、部屋に来てこう言いました。 「敬介、、、社長が怒ってるぞ。」と・・・・。 いきさつはこうです。実は、僕はイントラネット(城山グループ内のインターネット)上の社内ホームページの中に「陸上部員のひとりごと」というコーナーを持っているんですが、内容は陸上部は普段こんなことやってるんですよ、こういうふうにものを考えてるんですよといったものです。そして、そこに昨日「城山グループの皆様へ」といった題で、下にある23日分のような文章を載せたのです。 それを見て社長が怒ったらしいのです。「廃部ではない休部だ」「経営状態の悪化ではなく経営再構築だ」そしてその他会社批判的な部分もあるということで、すぐに削除されました。「太田くんもっと大人になりなさい。」だそうです。 そもそも会社側から何の説明もないのがそもそもの発端だと思うのですが。 僕は宮崎監督がおっしゃられたことをそのまま載せただけです。だから宮崎さんの口から出た言葉が「会社の意見」なのか「宮崎さんの意見」なのか判断できなかったのです。判断できるわけないでしょう。 だからこのホームページに関しても多分このまま書き続けていくならば、またお上の怒りにふれることになるでしょう(苦笑)。 ま、そういうことです。でも宮崎監督が「けいすけ、おまえの気持ちも分かるけど、頼むからしばらくおとなしくしといてくれ。」とおっしゃったので、このくらいにしときます。 そして、そのまま部屋で飲んでいると、江崎もやってきました。子供が22日に産まれたばかりなので、病院からそのままやってきました。 赤ちゃんが産まれる時のこと、そして、その赤ちゃんのこと、いっぱい話しました。まるで今回のことなど何もなかったかのように・・・・。 そういえば「こうやってみんなぼちぼち結婚とかしだしたし、将来みんなの子供が小学生ぐらいになったら『城山ジュニアズ』でも作ってリレーの大会とか出そう」だとかそんな話しを先日したばかりでした。 また寂しくなってきましたね・・・・。 昨日はこっちのローカルニュースですが、僕らの休部のニュースが流れました。今日の朝刊のスポーツ面には「貴闘力ついに土」と同じくらいの大きさで「城山観光陸上部休部」という見出しで今回のことが記事になっていました。実は昨日コメントを求められたので、記事になることは知っていたんですが『短距離主将太田敬介(27)』って年齢は載せなくてもいいんじゃない(笑)? でも、ちょうどその3人で飲んでる時にテレビのニュースで今回のことがながれ、3人で「うぉー俺らのことやんっ!」って叫んで、喜んでいるのか俺たち??みたいななんだか、ほんとアホやなぁ〜〜、やっぱ精神状態おかしいわって思いました。 いや、しかし、そのニュースで流れた映像がたい、宮崎監督が走りよるところやもん・・・・「なんで監督ぅぅ??」みたいなね。基本的にみんな出たがりなんですかね>アホ。 とにかく、今日は昼みんなで集まることにしました。監督は忙しくて顔出せないらしいですが、ゆっくり話し合ってきます。
3月23日(木) 突然ですが、本日城山観光陸上部の休部が発表されました。 本当に突然ですが今月いっぱいです。理由は会社の経営状態の悪化ということです。ですので活動を再開するのは、経営状態が復活してからとのことなので、休部と言っても事実上の廃部です。 平成12年3月31日をもって「城山観光陸上部」は無くなります。 午後3時頃、江崎、柴田、立山、渡辺、上野、そして僕の6人全員が集めれられ、宮崎監督から説明を受けました。監督は僕らに「俺の力が足りなかった。みんなを誘ったのは俺なのにこういうことになってすまん。」と手をついて僕らに謝られました。会社からの説明は何もありません。 実は1週間ほど前から、突然「陸上部が危ない」という情報が入ってきていました。しかし、辛い冬季練習をやっと終え「さー今からシーズンインだ」という時期に、まさに降って湧いたような話で、実感もなく、そしてそのまま今日決定が下されてしまいました。みんな最後の最後まで存続の可能性を信じていました。 しかも今月いっぱいです。4月1日からはみんな一般社員となります。今から1週間のうちに一般社員として会社に残るか、それとも辞めるかを選択しろとのことです。 本当に頭の中が真っ白になるとはこんなことを言うのかという思いですが、一所懸命頭を使って、1週間のうちに考えを整理しなければなりません。 「まじめに」のコーナーで言いつづけてきましたが、これが今の日本の企業スポーツの現状です。まずリストラの対象となるのは僕らなのです。それが社員には「本当に会社は危ないんだ。しっかり引き締めろ。」というかっこうの「見せしめ」になるからです。 会社にはいつも「結果を残せ」としつこく言われ続けてきました。そして僕らも「結果を残すこと」が僕らの仕事だと思ってきました。そしてきちんと「結果」を残してきたつもりです。 でもこのようにリストラ対象の一番手にあがるのです。じゃぁ僕らがやってきたことはなんだったんでしょう?陸上部長には「辞めるものはひきとめない。」と言われました。また別の会社顧問からは「まーこういう時代だから。」と言われました。この顧問は元県議員です。 なんなんだ・・・・。俺らってなんだったんだ?? 今後、多分、景気が良くなってくると、企業スポーツはまた盛り上がってくるでしょう。しかし、それはまた同じことを繰り返しているにすぎないのです。 まだ頭の中がぼーっとしているのですが、僕は多分もう陸上を辞めます。このような企業スポーツの現状にはうんざりです。高校から始めた陸上競技。大学も陸上で選んだし、就職も陸上ができるところということで城山観光株式会社を選びました。たぶん年をとっておじいちゃんになっても「俺の青春は陸上だった」と胸をはって言うことでしょう。 そして、陸上を始めてから12年間、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと思い描いてきた「日の丸のユニフォームを着る」という僕の夢もここでおしまいにします。 今まで陸上を通じて得た財産はとてもじゃないけど計りしれないものです。こういう終わりかたになってしまったけれども、僕は今の道を選んだことに悔いはありません。 江崎、柴田、立山、渡辺、上野、真吾、三浦、その他にもいる陸上部OB・OGの皆と出会えて本当に良かったです。いつもバカ言いながら練習やったり、でも大会ではお互いライバルで全然口を聞かなかったり、あっという間の5年間でした。みんな一生の友達です。いや、もう兄弟です。 そして宮崎監督。僕はあなたという人間に惚れて城山観光陸上部に入りました。5年間有難うございました。監督と主将として、ある時は反発したり、またある時はベロベロになるまで酒を飲んだり、何から何までお世話になりました。最後の最後まで部を存続させるために走り回って頂いて有難うございました。そして、お疲れ様でした。 僕自身は、このホームページを開設してからはなかなか思うように結果を残すことはできませんでしたが、そんな時に皆さんの励ましの声をいただきまして、何度も何度も助けられました。ほんとうに有難うございました。 そして創部以来7年と短い活動期間でしたが、どうぞ「城山観光陸上部」というチームがあったこと、忘れないでください。またどこかで皆さんとお会いできることを楽しみにしています。ありがとうございました。 城山観光陸上部短距離 主将 太田敬介 otk@d1.dion.ne |