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Back Number 86 令和2年
12月25日(金) |
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12/23、水。午前中は、1月に開催されるイベントのチラシを配っていただくのに、市内11の小学校を事務局長と回りました(終業式直前のお忙しいタイミングに申し訳なく思いながら)。わたしは運転手で、スマホのGoogleMapsフル稼働で、次から次へと、移動移動移動でした。改めて感じましたが、学校て、どこにあるかはすぐにわかるのですが、車でどこから入れるのかは、1校1校バラバラで、わかりにくいですねえ。午後は、県体育協会で、わたしの印鑑が必要なところがあり、ぽちっと押してきました。帰り際に所長にごあいさつ。玲美がこうして日本チャンピオンになれたのは、所長が保健体育課時代に立ち上げていただいた、アスリートの雇用マッチングシステムのおかげです、と。そのまま県P連事務局で決裁業務でした。
メリークリスマス。日曜日にかぼちゃを薄切りしていたときに、左手中指をざっくりと切ってしまいました。指先って何をするにも使いますし、パソコンのキーボード叩くのも使うし、いちいち痛かったのですが、ようやく痛みもとれてきました。せっかくなので、この深い傷がどのように治っていくのか、毎日観察しております。トレーニングの超回復理論、48時間から72時間はやはり妥当な数字だということも実感いたしました。 12/21、月。午後からオンライン研修。毎年、日本スポーツ協会が主催で全国各地で、この総合型地域スポーツクラブの研修会を開催しています。九州は8県輪番で開催をしていて、今年は長崎だったのですが、全ブロックで中止となり、その代替として、オンラインでの研修会が開催されました。13時半からスタートし、終了は18時前、外は真っ暗、今までで一番長いオンライン会議でした。
12/20、日。午前中は第3回目のトップアスリート陸上教室、今回は走幅跳の末永さんに講師を務めていただきました(ありがとうございます)。これで3回目となりましたが、改めて現役トップアスリートのアライメントの美しさ、何気ない1つ1つの洗練された動き、この辺りはSCCの教室とは違った雰囲気、良い事業だなと感じています(SCCのスタッフはスタッフで、プライドをもって指導をしております!)。トップアスリートにとっても、より身近に感じられて、人柄を知ると、ますます応援をしたくなるし、ファンになるし、みんなにとって、winwinな事業です。数年前にトップアスリートの好循環事業を当時の文科省から事業を受託して実施をしましたが、それを思い起こしながら、何かもっと良い形で事業化できないか、頭をぐるぐる悩ませています。 昼からは長男の学校へ。いよいよ大学受験本番を迎えますが、担任の先生と三者面談でした。楽観視はできない状況、ここから1ヵ月はみんな必死です。しかも受験問題は難化するらしく、でも、できる子は当然できるわけで。長男もなんとか食らいついていこうと必死です。
12/18、金。人間ドックでした。毎年夏から秋にかけて受けていたのですが、今年はなんとなく受ける気にもならず、そもそも人間ドックやっているのだろうかとも思ったのですが、やっているとのことで、このタイミングで受けました。例年なら忘年会だらけで、暴飲暴食な時期に受けたくない時期ですが、今年はそのようなこともなく日々マイペースです。身長が若い頃は170あったのですが、年々縮んできて、昨年169.0と示され、いよいよ今年は168台かと心配していましたが、169.2と、思いっきり背筋から首から伸ばし、169台を維持しました。相変わらず尿酸値が若干高め、よって腎臓の数値も少し悪いですが、少し悪いを維持しています。肝臓の数値が年々よくなっていて、先生からアルコールの摂り過ぎは指摘をされましたが、でも、肝臓はお強いですねと。心臓、胃と何も問題ありません、と、例年と同じ指摘でした。健康な身体に産んでくれた両親に感謝です。し、運動、食事、それなりに気をつけたライフスタイル過ごしています。
12/17、木。午前中は運営委員会、SCCの各事業について進捗状況を協議しました。午後は教育安全振興会の共済事業審査会でした。そのまま県P事務局で決裁を済ませ、長男と待ち合わせて帰宅しました。次男が腰が痛いといいます。わたしも腰痛がでるほうなので、疲れがたまると腰にくる、わたしと同じタイプなのだろうと思い込んで、いろいろなストレッチとか教えますが、いっこうに痛みがひかず、外科でMRIを撮りにいきました。夜8時過ぎに帰宅し、疲労骨折の一歩手前だということです。先日のシャフトをつかった補強練習の時に痛めたようです。わたしの勝手な思い込み、よくありません。大事に至らずよかったです。
12/14、月。午後から日本スポーツ協会の会議、オンライン。オンライン。なんでもかんでもオンライン。総合型地域スポーツクラブの中間支援組織、登録認証制度について。便利ですよ、便利ですけど、参加するためには、スマホやパソコンが必要、ネットワークも必要、大量の資料も自分で印刷、それらのコストってどう考えればいいのでしょうか。 12/16、水。午後から月次決算会議。11月の数字をチェックをしました。これで4月から8か月分の数字がはじき出され、今期2/3です。ある程度決算の数字も見えてきました。休会者数も一時の1/3まで減りました。まだまだ油断なりませんが、明るい兆しは見えています。夕方はクラブの練習を見ました、かなり冷え込みました。
12/13、日。午後、15時、長男、別室でリハーサルに入りました。ハイスクールマンザイ2020決勝です。1年時に九州代表として決勝に進出し、大阪のなんばグランド花月で決勝の舞台に挑みました。その時、敗れはしましたが、絶対に日本一になると決意しました。しかし昨年2年時は、まさかの準決勝(九州大会)敗退、そして今年はこのコロナ禍で大会自体が開催されるのかどうかもわからない中、受験勉強もあり、煮え切らない感じが続きました。が、リモート大会として開催されることが決まり、動画での予選会を勝ち抜き、再び九州代表として決勝の舞台に立つことが決まりました。リモート漫才という当然初の試みです。 18:00から本番、8組中5番目、1組目がスタートしました。当然見る側もリモート漫才というものをどのように評価してよいものかわからないのですが、だんだんこういう感じかとわかってきます。ほどよい頃に順番が回ってきました。親としてひいき目になったかもしれませんが、よくできていたし、テンポもよかったし、面白かったなと感じました。しかし結果1〜3位にも入れず、目指していた高校生日本一の夢はここで潰えました。終了後、しばらく吉本の方とのやりとり等が続いていたようで、30分ほどたってから、別室からでてきました。やりきたったような、悔しそうな表情、半々くらいでしょうか。3年かけてきた大きな目標がここで一区切りです。次は高校生としてではなく、どのような形で自分の夢と向き合っていくのか、親はただただ応援することしかできません。次の夢に向かってガンバレ!
12/13、日。午前中はトップアスリート陸上教室。県の補助事業として開催をしています。今年はかごしま国体開催予定でしたので、現在、県内には優秀なアスリートがたくさん活動をしていて、そのアスリートを講師として陸上教室をしようというものです。年度内5回開催予定で、その2回目でした。講師は女子走高跳の鐵丸さん、とってもチャーミングな笑顔で子どもたちがハートをぐっと掴み、また教え方もとっても上手で、何よりお手本の動き1つ1つが綺麗なので、子どもたちの動きが短い時間で、ぐっと変わりました。ありがとうございました。来週は走幅跳、末永さんです。
12/11、金。15:00から日本陸連の普及育成担当者の会議、例年、東京まで脚を運ぶのですが、今年はWEBです。会がスタートし、どうにも内容についていけないなあと感じていたら、わたしの手元にある資料が事前配布資料で、当日資料はまた別に配布をされていたということがわかり、改めて送っていただきました。追加の資料を印刷しながら、やっと会も終盤に差し掛かった頃に資料がそろい、またそのタイミングで発言を求められ、一人パニックに陥っておりました。WEB会議、恐ろしい。終了後すぐに外出をし、19時から市P連の理事会に出席をしました。市Pのいろいろな会も上半期はほぼ中止でしたが、ようやく理事会開催できました。 12/12、土。昼前に学校へ。今年はPTAで「消毒ボランティア隊」の活動をしています。学級PTAの時とツキイチで土曜授業終了後に、ご賛同いただいた保護者に集まっていただき校舎内を消毒作業をします。今年はPTAの忘年会もなし、年内に執行部の皆さんとも会うこともないので「良いお年を」とご挨拶でした。午後は鴨池へ、クラブのトレーニングの様子をみました。冬季練習、少しずつ強度があがってきています。にしても、まだまだなのに、すでにヘタれている様子も、笑。
12/10、木。午後から北方領土返還要求会議に出席をしました。県P会長がこの組織の副会長を務めています。初めて参加した時は怖い人たちの集まりかとビクビクしながら会が開かれるホテルに足を運んだのですが、まったくそういうことではなく、この問題を北海道だけの問題ではなく、国家の問題として国内各地で運動を展開していこうという公的な会です。特に鹿児島は戦後奄美群島がアメリカの軍政下におかれ、そして復帰を果たしたという歴史的経緯もあるところなので、特にこの運動には力を入れるべき県だと考えています。ですが、まだまだわたしも知らないことだらけで、今なお、勉強をさせていただいています。2年前くらいでしょうか、2島返還かと、世論が盛り上がりましたが、現在はトーンダウン、いろいろな交流事業もこのコロナ禍でほとんど開催できておらず、今は厳しい状況ということです。
12/7、月。午後から市内某小学校へ。シトラスリボンをお渡ししたい方に会いに行って参りました。お会いするだけで、元気がでるのです。 12/8、火。午前中は愛犬のトリミングへ。その隣に新たなお店が数か月前からオープンしていて、顔を出さなきゃと思いつつ、行けずにいました。天文館でお店をやっていた方で、わたしが22歳で大学を卒業し、東京から鹿児島に来た、その日かその翌日か、それからのお付き合の方です。このコロナで天文館から少し離れた場所にお店を引っ越しなされたのです。お昼でしたが、ドアが開いていて、中をのぞくといらっしゃって、ご無沙汰していますと、挨拶することができました。夜は、日Pの会議、ZOOM。21時半過ぎに終わり、それから食事、この日は結婚記念日でしたが、もうみんな食事は済んでいて、一人で乾杯。19年、来年は20周年だそうです。 12/9、水。午後から県教委の会議、今日の南日本新聞にでています。国のGIGAスクール構想を受け、鹿児島としてどのように進めていくか、協議が進みました。終了後、県P事務局に寄り、決裁等の業務を済ませ、帰宅をしました。夕方はクラブの練習の様子を見て、部活を終えた次男と鹿児島中央駅で待ち合わせして帰宅をしました。
12/3、木。南日本新聞朝刊にPTAで取り組んだシトラスリボンプロジェクトのことが掲載されていました。午後から県P連役員会、今年最後の役員会となりました。来年2月に開催予定だった70周年記念式典の開催をどう考えるか、中止、規模縮小、延期、皆さんと議論を交わしました。役員の皆さんにもシトラスリボン、プレゼントしました。 12/4、金。午前中は、次女の持久走大会、一人速くて勝てない子がいるんだと話をしていました。練習では、2〜5番くらいだそうです。最初のコーナーでトップに立つもバクッストレートでその速い子に抜かれ2位、その後は、3位になったり、抜きつ抜かれつを繰り返し、最後は2位でゴールしました。わたしと一緒で速筋タイプで、持久走は好きになれないらしく、数日前から本番がいやだいやだと言っていましたが、よくがんばりました。そのまま鹿児島中央駅に向かい、北九州へ出張でした。九州ブロックPTA協議会理事会、来年の九州大会は全国大会を兼ねます。しかしこのコロナ禍でどのような大会にするのか、難しい議論が続きました。 12/5、土。アサイチの新幹線で鹿児島に戻り、9時半から陸上競技協会の常務理事会、途中で退席をし、事務所に戻り、11時から全国高校PTAの理事会をWEBで開催しました。当初は大阪で開催予定で、わたしは北九州から大阪に移動をする予定でいました。12時過ぎ理事会終わり、ぶわーっとトレーニングをして、ハアハア言いながら、13時からは全国会長事務局長研修会、これもZOOMで47都道府県の会長と事務局長が参加です、各自自己紹介をします、と言われた時は、何時間かかる!?と少々くらっときましたが会は16時過ぎに無事終わり、その後、クラブの練習に少しだけ顔をだしました。みんな、元気に練習をしていました。
11/30、月。午後から幼稚園を運営する学校法人の理事会でした。幼稚園のいろいろな行事もたいへん苦労しています。ちょうどこの時期、踊り等のお遊戯発表会が開催されるのですが、これも参観もだいぶ絞って、人数を減らして開催がなされます。当然、わたしたちも来賓としての出席もナシです。 12/1、火。来年6月開催予定の九州高等学校PTAの鹿児島大会の役員会でした。このように、PTAの九州大会、全国大会は高校、小中、別々に開催がなされます。つまり、組織が別なのですが、鹿児島だけが全国で唯一、小中高特支、一緒に1つの連合会を形成しています。それはとっても良いことなのですが、ただ、こうして九州大会等を開催する立場になると、その組織づくりや参加スタイル等で細かい課題がたくさんでてきます。 12/2、水。アサイチで電話をして、来年の夏休みかけっこ塾の施設予約、今年の夏はマスク着用でやりましたが、来年はどうなりますでしょうか。11時から県PTA新聞の編集委員会、今年度の広報紙コンクールの審査の話がでました。ぶわーっと思い出しました。今年2月の広報紙コンクールの審査会は2月の最終金曜日、つまり、木曜日の夜に政府から一斉休校の要請がなされ、翌日金曜日は、この審査をしながらも、萩生田大臣の会見内容や、県内各自治体の休校の措置などの情報を収集するのに、もうそれこそ大童(オオワラワ)な状態でした。 昼を挟み、午後は県からの依頼で地域づくりの講習会でスピーカーとしてお招きいただき40分ほど講演をしました。機会をいただければこのような講演活動もしているのですが、コロナですっかりこのようなこともなくなってしまい、久しぶりに話をさせていただきました。長く続く活動、というテーマでした。
11/27、金。県北部のS中学校へ。体育授業の研修公開を見にいきました。SCC理事長として県の体力向上推進の委員を務めております。こうして毎年指定校の研究公開授業を見させていただくのですが、この日担当したのが、陸上関係者でわたしもよく知っている先生だったので、いつもより楽しみに参りました。車を停めると、早速、会って、緊張しているようでしたが、がんばってと声をかけました。授業はバスケットボールの授業でしたが、男女が一緒にチームをつくり、ゲームをやり、わたしの頃は、女子と一緒に体育をすることなんてなかったわけで、たいへん興味深く拝見いたしました。これからはこのように「男女共修」が一般的なスタイルになっていくのだそうです。授業の後は、引き続き体育館で、参加者と質疑応答や意見交換が続き、校長先生(校長先生も長年たいへんお世話になった方です)のご挨拶で閉められました。 11/29、日。今年度、県よりスポーツイベントの開催支援補助なるものがあり、申請をしましたところ、通りました。国体で今、鹿児島には優秀なアスリートが活動しているわけで、その選手を活用して陸上競技教室を開催することになりました。年度内5回を予定しています。その1回目はもちろん、鶴田玲美選手でした。ありがとうございました。ご参加いただいた皆様もありがとうございました、後、4回ありますので、宜しくお願いします。
11/24(火)、PTAの企画委員会。2学期の行事、バザーや運動会の反省等。終了後、シトラスリボンのワークショップを実施しまして、そのことが本日(12/3)の南日本新聞に掲載されています。午後は校外生活指導連絡会、地域の民生委員の皆様と保護者と地域での子どもたちの様子等について意見交換をいたしました。 11/25(水)、午前中から県P連の期中監査でした。監事の皆様から会計監査をいただきました。昼をはさみ、午後まで続きました。終了後、そのまま県P事務局で来年の総合保険制度について打ち合わせでした。 11/26(木)、午前中、かごしま国体の競技力向上対策本部。9年前に立ち上がった、2020に向けた強化9ヵ年計画、それが、国体延期でどのようになるのか、また、今年で解散予定だったこの委員会もどうなるのか、いろいろなことを気にしていたわけですが、概要明らかになりました。すべて仕切り直しですが、前を向くしかありません。午後は、県内の社会教育関係4団体と県教委社会教育課が集い意見交換会を行いました。話題の中心はやはりこのコロナ禍の中でそれぞれの活動がどうなっているか。
11/18、水。午前中は鹿児島大学キャンパスへ。来年6月に高校PTA九州大会を開催する方向で準備を進めていますが、基調講演をお願いする先生にご挨拶に伺いました。とっても良い試みになること間違いなしで、わたしもとっても楽しみですし、どのような内容、形にするか、アイディアがどんどん溢れてきます。午後は月次決算の会議、10月の売上、支出の中身をチェックしました。少し、上向いてきました。昨年のこの時期の数字と比較するとまだまだですが、明るい兆しは見えてきています。 11/19、木。アサイチで学校へ、PTAの三役会でした。24日の企画委員会に向けて協議をしました。すぐに事務所に戻り、NPOの運営委員会、ツキイチで各事業の報告でした。 午後は教育安全振興会の審査会、わたしのこのバザーで痛めた腰痛は申請してもよろしいでしょうかと、笑。夜は市P連の専門部委員会に出席をしました。たいへん興味深い議論が白熱しました。PTAはいじめの抑止力にはなるが、実際起った時にどう対応すべきか。各PTA会長の生の経験はなかなか、もし、自分だったら、んー。が、しかし、PTAも、もちろん学校も、基本は、いじめた側もいじめられた側も守らなければいけない組織ですよね、と。 11/20、金。手帳には、長崎の出張が書き込まれていますが、こちらも中止です。総合型クラブの九州の大会が毎年この時期に開催をされます。午後は来客が1名、その総合型クラブが今、過渡期を迎えていて、県の中間支援組織をどのように整えていくか等について、考え方を協議をしました。
11/14、土。バザー終了後、スーツに着替え、夕方から、県の青年団協議会の創立70周年の記念式典に来賓として出席をいたしました。 11/15、日。朝は激しい腰痛で目覚めました。バザーの準備、片付けで長机を出し入れした作業です。1日ヨタヨタ歩きでした。運動会、県小学生陸上、バザーと続きましたので、久しぶりにゆったりと過ごしました。 11/17、火。なんとかかんとか歩けるようになり、大切な日なので、ヨタヨタ歩きでは格好つきません。午前中は、県P連高校常任委員会、県教委高校教育課より、高大接続改革、大学入試改革についてご講義をいただきました。午後は常任委員会、部屋に入ると驚いたのはその出席率の高さでした。委員会活動が活性化してきたように感じます。この委員会活動の改革に努めてきました。その後、評議員会、2つの審議事項があり、どちらも大切な案件でした。1つは継続審議となりましたが、1つはご承認いただきました。ほっとします。その後、県教委、教育長もご臨席いただき、県P連との意見交換会でした。毎年たいへん緊張をする会です。例年なら終了後に食事をしながら懇談の場もあるのですが、今年はナシで、寂しい限りでしたが、良いディスカッションができました。
11/14、土。土曜授業開催の中、早めに集まり、準備を着々と。土曜授業を終え、子どもたちはいったん帰宅をした後、13時、PTAテイクアウトバザースタート! 今年はこのコロナ禍の中で、開催すべきかどうか、相当に悩みました。中止と決めたほうがどれだけラクだろうかと、何度思ったことでしょう。でも、外出を制限され、様々なイベントやお祭りも中止となった今年、子どもたちに楽しい思い出を1つでもつくってあげたい、そしてわたしたちもワクワクしたい、みんなでワクワクしたい、そのような場を今だからこそ創りたい!だから、どうやったら開催できるか、入場制限、時間短縮、食品はすべて持ち帰り、消毒、検温、みんなで知恵をだしあって、だしあって、なんとか開催することができました。まだ、開催終了後2週間は経過観察をしないといけませんので、開催してよかったとはまだ言い切れない時期ですが、とりあえず、開催できたことをほっとしています。バザーが終わるといっきに次年度に向けてという雰囲気になります。
11/12、木。午後から県学校保健会理事会。県保健体育課、県医師会、県歯科医師会、県薬剤師会、まさに、コロナ対応最前線にいらっしゃる方々の言葉はたいへん重く、ズシリと心に深くつきささります。テレビの中で外野からご意見仰られる方々とはまったく重みが違います。終わり次第、スーツからジャージに着替え、学校へ。土曜日に開催予定のバザーのテント設営でした。先生方にもたくさんお手伝いいただき、また、予め、6年生児童が倉庫からテント出してくれていました。皆さんありがとうございます。いよいよ週末となりました。 11/13、金。バザー前日準備、毎年やっているわたしの大仕事。「体育館ステージ横の小さい倉庫から長机をだす」とにかく狭いんです。この作業をしている間は、ずっと中腰、中腰のまま、あの長い机を引っ張りだし、かーなーり、腰にくるんです。わずか15分ほどの業務なのですが、もう汗びっしょり。特に今年は日曜日にぎっくり腰になったばかりで、やっと普通に動けるようになったばかりです。でもどうのこうの言ってられる情況ではなく、いやだいやだと言いながら毎年やっています、笑。そして午前中で係の方とある程度まで準備を進め、午後はもう力仕事でもなく、人の数もいらないということで、お任せして、わたしは午前で帰宅をしました。夕方は鴨池へ。クラブの練習をみました。腰がズンと重くなってきました。
11/9、月。朝、起きて、腰は、ま、なんとか。治療にいくほどまでもない感じです。入念にストレッチ。午後から県教委の会議に出席しました。教職員の資質向上の取組みについてでした。わたしはこのような立場なので、こういう取組について理解をすることができるのですが、少しでも多くの保護者にもこのような取組を知っていただき、先生方個人の努力だけでなく、教育委員会や教育センターが悉皆研修、その他研修、システム等を活用し、県全体として資質向上に取り組んでいらしゃることを少しでも理解することが大切なのではないかと感じました。帰りに県P事務局に寄り、決裁をして帰りました。 11/10、火。午後から教育安全振興会の内部監査でした。振興会副理事長としての用務でした。それぞれ共済保険の適用、算出基準、それらの細かい計算が間違いがないかチェックをいたしました。監査をすることでわたしの中での理解も進みます。勉強になります。帰りに再び県P事務局で決裁をして帰りました。
11/8、日。朝は早めに起きて、軽くトレーニング。ダンベルを地面に降ろす時に腰に少し違和感を感じ、それがどんどん嫌な感じになってきて、はいー、ぎっくり腰、発症。よりによって今日かあ。もう15年前くらいでしょうか、50mダッシュ王選手権の当日に発症して1日を過ごし、おまけに夜は飲みにいって、翌朝、起き上がれなくなってしまったことを思い出します。なんとか無事で。。 県小学生陸上競技フェスタ、わたしが担当をする大会です。今年は小学生の県大会、全国大会、ことごとく中止でした。競技場につくと、まずは審判専用の駐車場開門をコントロールします。そして各スタンド等の入場口の開門をコントロール。8時から監督会議、各監督さんの顔を見て、今年のいろいろな思いがこみあげてきて、やっと大会が開催できる、少しぐっときてしまいました。いろいろな対応がこのコロナ仕様で、初めての試みばかりで、いろんな案件がわたしのところに舞い込んできますが、都度都度対応しながら、朝の準備作業が進みます。9:00、時間通りに競技がスタートすると、急にわたしがやることは何もなくなります。静かに各競技が進行する様子を見守ります。次女が2年女子50mに出場しました。全体で10番目、決勝進出なりませんでした。 午後を過ぎると、決勝種目も始まりだし、後は、各優勝の記録を比較をしながら、優秀選手や最優秀選手の選考をします。女子100mで県新記録がでました。昨年この大会で別の子が更新したのですが、更に更新をしました。初の12秒台です。小学生が12秒台です!玲美にきてもらい、最後のリレーの決勝の前に、スペシャルインタビューの時間をもうけました。忙しい中、駆け付けてくれて、ありがとう。17時過ぎ、無事、すべての業務が完了し、補助員をしてくれた次男と一緒に帰りました。なんとか腰はもって、でも、明日の朝が怖い。
11/7、土。午前中は、市のスポーツ推進審議員として、スポレクフェスタの開会式に出席をしました。 鹿児島アリーナで開催されましたが、ちょうど2年前はこの時期にここで九州PTA大会が開催されたんだなあと当時を懐かしく振り返りました。 午後は、クラブの練習をみて、そのまま陸上競技場へ。サッカーの試合が陸上競技場で開催されていて、終了と同時に翌日の小学生大会の準備を、県陸協の普及部のみんなでぶわーっと取り掛かりました。遅い時間でしたが、みんな県内各地から集まってきてくれて感謝です。
11/6、金。昼から市内ホテルで九州地区高等学校PTAの理事会、委員会が開催をされました。今年は輪番でわたしが会長、鹿児島が事務局です。本来ならば6月の総会でお会いしていた方々ですが、ようやくこのタイミングでお会いすることができました。そしてこれが最後ということです。最初で最後、笑。13時半から18時近くまで。主に来年開催の九州大会鹿児島大会についてご協議いただきました。例年なら終了後に全体で懇親の場もあるのですが、そちらは中止で、お泊りの方々はそれぞれ食事にいっていただきました。本来ならわたしが皆様をおもてなししないといけない立場なのですが、ご一緒できず残念でした。お見送りだけさせていただきました。本当になんにもコミュニケーションがとれなくて、せっかく九州各地からお集まりなのですが、つくづく残念です。
11/5、木。午後から県P実行委員会、役員+各委員会の委員長の皆様にお集まりいただき、今月下旬に開催される評議員会に上程する議案について協議をいたしました。いくつか意見をいただき、それを踏まえて、資料を作り込んでいきたいと思います。久しぶりに県Pの会議がすんなりと終わり、少し拍子抜けした感もありましたが、ここに至るまでしっかりと議論ができてきたということだと思います。終了後、事務局と今日(6日)開催される九州高等学校PTAの理事会についての打ち合わせと決裁でした。
11/2、月。次女が運動会の振休。わたしが留守番で、よめどのと二人ででかけ、一等賞のご褒美と文房具屋で筆箱を買ってもらったり、お昼はお寿司を食べてきて、ご機嫌でした。終日冷たい雨が降りました。 11/3、火。祝日でしたが、長男は試験、次男は部活と朝はいつもと変わらず、早い朝でした。 11/4、午前中、銀行の方から投資信託等の商品を進められましたが、どうにもこのあたりが疎くて。資産形成というやつなのでしょうけれども、なんだかやってみよう、という気持ちにならないのです。午後は日本スポーツ協会からの依頼事項に取り組みました。この総合型クラブの県組織も来年度からどうなるかまだわかりません。国が中間支援組織の整備を一体的にすすめています。病院にいきました。3か月に一度、尿酸値を下げる薬をもらうために病院に行くのですが、ふと、しばらく行っていないなあと思い、時間があったので、行ってきました。 すると、4月から一度も来ていなかったようで、看護師さんから、どうされたのですか、と聞かれました。わたし自身も、そんなに来てなかったんだと驚きで。で、なんで半年以上も来なかったのか、この半年を振り返り、正直に、 「んー。。この半年は、外出を控えないといけない、人との接触を避けないといけない時期があったり、そんな中で、いろいろな立場で、大切な判断をしないといけなかったり、正直、尿酸値がどうとかこうとか、どうでもいいみたいな、つまり、薬をもらうために病院にいかなきゃ、という気持ちが一度も湧き上がってこなかったってことだと思います」と申し上げましたら「ちゃんと薬飲んでください!」と叱られました。調剤薬局でも同様。正直に生きるって難しい。 晩酌にハイボールを飲むようになりましたが、最近はいろいろなウィスキーを買ってきては味の違いを楽しんでいます。焼酎より味の違いがはっきりしていて面白いです。はまりすぎないように、いたします、笑。
11/1、日。小学校の運動会です。例年ですと、朝の5時過ぎには学校に着き、朝の開門、場所取りの様子を、学校とおやじの会といっしょに安全にトラブルないように進める、ヒト仕事があるのですが、今年は、お弁当、場所取りもなしで例年よりはゆっくりと過ごしそれでも7時半頃には学校に到着をしました。子どもたちを迎えるのと同時に保護者に関しては今年は入場規制を設けることになりました。やはり、多少のトラブルはありましたが、これも想定内で、真摯に対応するしかないと執行部で協力しながら進めました。 運動会は2部制で、午前と午後、学年を2つにわけて開催をしました。来賓もわたしだけ。入場制限をもうけるかわりに、インターネットでのライブ中継が限定配信でなされ、専門の業者の方にきていただき、カメラ3台を使って、配信いたしました。うちの両親もその中継を見ることができて、嬉しかったようです。先生方、子どもたち、一生懸命競技に取り組む姿は胸を熱くするものがありました。開催できただけでよかった、心の底からそう思えました。 次女は、徒競走、かっちぎりました、笑。4人の子どもの中でアスリートとしての素養は一番かもしれません。今年は閉会式での万歳三唱もなく、たいへん心穏やかに過ごせました(こうみえても緊張するのです)。 夜、次男が競技会を終えて帰宅しました。競技会の終了がズレこみ、わたしが想定していたより、1時間半ほど遅れて帰ってきました。この日は三段跳に出場し、記録は全くベストにも届かない記録でしたが、ケガなく無事帰ってきて何よりです。
10/31、土。次男が鹿屋体育大学の記録会に出場するということで、まず、アサイチ集合に連れていきました。ちょうど朝日が昇る時間帯でした。良い天気になりそうです。いったん自宅に戻り、次男の競技開始時間に合わせてわたしも出発しました。行きは錦江湾をグルンと回り込んで高速で。1時間40分。着くとちょうど100mが始まった頃で、レースをみました。っつーか、鹿屋体育大学、すごく久しぶりに参りましたが、いつぶりかなと。わかりません。3.4年ぶり?次男は最後のほうの14組に出場をしました。自己記録より0.2秒ほど遅いタイムでした。少し調子を落としています。10月中盤の練習ではかなり良い感じで練習を積めていたのですが。昼過ぎに第2レース、今度はアップの様子も見て、少しアドバイスもして、午前よりは動けている感じがあります。自己ベストに近いタイムで走りましたが、追い風参考記録でした。最後にリレー1走を走りました。1年生だけでチームを編成しました。42秒5くらい。41秒台でていたら、おお、と思ったのですが。1日100m3本怪我無く走り終えて、合格でしょう。がんばりました。次男はそのまま翌日も出場で鹿屋市内に宿泊しました。わたしは帰りはフェリーで帰宅。1時間30分。ちょうど垂水の夕日が美しい時間帯で眺めながら帰ってきました。
10/29、木。学校評議員会でした、各教室をを回り、授業の様子を拝見いたしました。この日は鹿児島の教育県民週間といって、フリー参観が設定をされていましたが、1学期の授業参観が中止になった影響でしょうか、例年より参加している保護者が多かったようです。これはあるクラスで、今、話題の一人一台の授業の様子です。 このような様子が当たり前の風景に、今後なっていくのでしょう。しかし、手前の子なんかもパソコンが少し机からはみ出していて、お、落としそうだよ、って、声をかけましたが、壊れたりもするでしょうし、心配は尽きませんね。最後に校長室で意見交換をして終わりました。
10/26、月。午前中はバザーの当日担当者の皆様にお集まりいただき、説明会でした。ハプニング発生。冒頭、あいさつをしないといけなかったのですが、マスクで眼鏡が曇らないようにと、曇り止めスプレーをシュッと吹きかけて出掛けたのですが、ふき取りが中途半端だったらしく、湿気がべたっとはりつくような感じになって、余計に曇るんです、あいさつをしている途中に、目の前が真っ白になってしまいました!前列の方、おそらく笑いをこらえるのに必死だったかもしれません。で、この説明会もなるべく人を集めないようにと、9:00開始組と10:30開始組と2部制で実施しました。第一部が終了して、時間があったので、自転車でさっと帰って、眼鏡をきれいにふき取り、2部スタートに間に合うように再び学校へ。今度は絶好のコンディションであいさつできました。説明会は順調に進み、今年はいろいろな配慮が必要で、来場時の検温だとか、初の試みもいくつかあって、その段取りなど、それぞれ真剣に打ち合わせをしていただきました。校庭では子どもたちが元気に運動会の練習をしていました。今週日曜開催です。 午後は安全振興会の理事会でした。次年度の取組みについていくつか提案があり、協議をしました。今後、児童生徒数が増える見込みはありません。したがって、本制度の加入者数が増える見込みもありません。事業も縮小で見直さないといけないところもでてきます。PTAもそうですね。終了後、決裁を済ませ、帰宅。印鑑、話題ですね。
10/25、日。日本スポーツ協会、鹿児島県体育協会より委託を受けて「1DAYかけっこ塾」を開催しました。これは「アクティブチャイルドプログラム」の普及啓発のために開催されるものです。定員80名に設定をしましたが、募集から1週間ほどで定員に達しました。お申込みいただいた皆様ありがとうございます、また、参加を希望されていらっしゃった方でご参加いただけなかった皆様、申し訳ありません。11月からまた新たな企画を進めていますので、ぜひ、そちらへご参加いただければと思います。メイン講師に「元実業団選手」も可、とあり、わたしメイン講師務めました。久しぶりに日曜日に働いて、天候もよく、気持ちがよかったです。
10/23、金。午前中取材でした。国体とスポーツ振興、いわゆる勝った負けただけではない(それも1つの価値ですが)、スポーツの多面的な価値というものを掘り下げていただけるような。期待をしています。 10/24、土。手帳には全国身体障害者スポーツ大会と記載されています。こちらも中止。例年10月は出張が多い月なのですが、こちらもゼロ。静かな10月となりました。人間ドックをどうすべきか、悩んでいました、例年夏から秋にかけて受診をしますが、12月に予約を入れました。今年は忘年会もほぼないでしょうから、健やかに12月を過ごせそうです。
10/22、木。午前中は運営委員会、各事業の進捗状況やコーチミーティングの内容の報告をいただきました。特にネガティブな意見はなく、若手スタッフをしっかりと育成をしながらコーチングできている様子が伺えました。気になるのは、3から5月は休校とか緊急事態宣言により様々な影響がでたのですが、その後、7月から現在に至るまで、新規入会者が大きく増えません。つまり、減ったまま、なのです。10月は昨年久しぶりに入会ラッシュに沸きました。今年はそのような気配がまるでないのです。事務局から「体験入会は多いのですが、入会につながりません」と。そこも何故なのかなあと思います。 午後は、ZOOMで、とある相談を受けました。クラブの運営についてです。いくつかわたしの持ち合わせている情報をお伝えしました。終日雨が続きました。夕方、次男から駅まで迎えにきてほしいと連絡が入ったのですが、通常10分ほどの道のりが渋滞で30分以上かかりました。
10/21、水。午後から安全振興会の共済事業の審査会でした。そのまま残り、11月に九高P連の理事会が開催されるのですが、そこへどのような形で議案を提案するか、前週に開催された会を受けて、打ち合わせが続きました。つまり、来年6月の九州大会鹿児島大会を具体的にどのような大会にするか、人数制限含め、もう提案をしないといけません。年が明けると、各県参加人員募集や調整に入ります。単Pにおいては、その要請や調整に応じで予算化が進められます。8月には全国大会が開催される予定です。その開催状況を参酌していこうと話を進めていたし、全高Pとしても地方大会の前に全国大会の在り方を示すと考えていたわけですが、10月に開催予定であった全国の会が12月になり、なので、九州の理事会の方が順番が先になってしまったのです。このようにいろいろな会が流れたり、延期になったり、それはその当時の情況でやむを得ずそのように判断をされるのですが、1つねじが狂うと、まわりまわっていろいろなところに影響がでてきます。たいへん難しい議論が続きました。終了後、決裁まで済ませて帰宅をしました。夜はクラブの練習の様子をみました。
10/19、月。午前は学校へ。児童クラブ運営委員会、わたしがPTA会長を務める小学校には5つの児童クラブがあります。放課後、長期休暇中のお預かりの場として指導員の先生方が様々な課題と向き合いながら一生懸命つとめてくださっています。もう来年度の募集のことが話題となりました。今年は年度の変わり目の時にコロナで大混乱となり、年度が変わって、さあ、という気持ちは一切なく、不安な気持ちしかありませんでしたね。来年度が始まる頃には「春」を感じながら穏やかに過ごしたいものです。お花見もやりたい、送別会、歓迎会もやりたい! 午後は幼稚園の理事会でした。子ども4人が通わせていただいた幼稚園の学校法人の理事に就任して2年目になりましたが、イチ保護者という立場ではわからないいろいろな課題や事情もあり、園長先生はじめ先生方、事務の方、子どもたちのために一生懸命務めていただいているということがわかります。陰ながらですが、何か力になれないか、いろいろと思案いたします。前夜遠征から帰ってきた次男がレストで、早く帰宅し、夕食時に久しぶりに家族揃いました。
10/17、土。長女からのリクエストで、今、話題の、アニメ映画を見にいきました。実は、単行本、わたしもすべて読んでます。3日間で観客動員342万人だそうです。1/3420000です、笑。午後はクラブのトレーニング、ちょうど雨もあがってよかったのですが、急に寒くなりました。練習時間帯に、次男が長崎で開催されている九州新人大会に出場していて、出場が決まった時は見にいく気満々でいたのですが、保護者はスタンドに入れないということです。ライブ配信もなく、どーなってかなあと想像するしかないのですが、ちょうど練習終わり頃に速報が入ってきて、13m03で15位とのことでした。まだ1年生、これを糧に強くなってほしいと思います。横浜で開催されている全国中学生大会男子800mで立迫くんが3位!また嬉しいニュースが入ってきました。優勝は舞鶴中の坂元くんで、こちらはライブ動画見ましたが、ワンツー惜しかったです。 10/18、日。午前中はトレーニング。午後から家族で買い物。夕食づくり。鶏ひき肉でつくったチキンナゲットが美味しくできました。21時をまわった頃、次男が、長崎から帰ってきました。
先日、久しぶりに天文館で知り合い3人で個室で食事をしました。どれくらい久しぶりなのか、自分でもさっぱりわからなくて、手帳を辿ると、天文館で食事をしたのは今年1月の末でした。なので9か月ぶりです。9か月も家族以外の人と食事をしない生活が続いたんだなあと。それまでは多い月で10回くらい会食の機会がありましたから。そのギャップ激しいですね。で、やっぱり、なんとなく、心のどこかに大丈夫なのかなあという気持ちが拭えないことは否めません。完全に副作用でてますね。劇薬を飲んだわけですから、しっかり時間をかけてリハビリをしていかないといけません。少しずつ、このようなことも増えてくるのでしょう。飲食店関係の皆様も頑張っていらっしゃいますので、応援してあげないとという気持ちもあります。夕刻の、お店の灯りがつき始める時間帯が好きです。
10/14、水。朝イチで動物病院へ。愛犬ラテ、1週間前に去勢手術を受け、ようやく抜糸の日です。傷を舐めないようにと、頭にプラスチックのものを被っていました。犬がよくやる耳元を後ろ足でかく仕草が、毎回ガサガサガサーとものすごい音を立てて家中に響きわたり、でも、足は届かないので、かゆいんだろうなあと、その音を1日なんかいも聞かされていたので、こちらもなかなかのストレスでした。まぁでも何より本人が一番でしょうから。あ、本人ではなく本犬ですね。抜糸はあっという間に終わり、プラスチックのも外れ、自宅に戻り庭にいくと、それはものすごい勢いで走り回り、うれしそうでした。1週間よくがんばりました。 午後は月次決算の会議、9月の数字をチェックしました。ようやく復活の兆しが少し見えてきました。これで4月から9月、半期の数字がでましたが、予算に対して、ちょうど200万ほどのロスで、持続化給付金とあわせるとトントンとなります。ただ、会員数の減、休会の多さから下半期にも影響はまだ残りそうなので、まだまだ我慢は続きそうです。 夜は市P連の会議、その前に次男から病院にいきたいと、連絡がありました。翌日から遠征にいくのですが、お腹の調子が悪いのが気になるとのこと。急遽、夜間診療を受診することになりました。会議は1時間ほどで先に退席をさせていただき、病院に向かいました。先生は大会出場は、んーという表情をされましたが、無理をしないようにと諭されました。 10/15、5時に起きて、次男はバッタバタしながら、5:50出発で遠征にいきました。長崎で九州新人大会です。前日の腹痛が心配で、昼過ぎに家内がLINEで「だいじょうぶ?」と送ったら「なにが?」と返ってきたそうです。ノーテンキな性質は、誰に似たのでしょう。午後から市内某ホテルで、高校PTAの九州各県連合会の事務局の研修会でした。わたしは今年は九州高等学校PTA連合会の会長で、鹿児島が事務局です。九州の会長として出席をしました。来年の九州大会のことや、今年は各会議のスケジュールが大幅に狂っていますので、それらをどう整理するか、議論が続きました。通常はそのまま懇談会をするのですが、中止をしました。なかなか会えない方々ですのが、夜は夜でいろいろなお話をしたいのですが、残念です。
10/12、月。午後から学校へ。11月に開催されるバザーについて打ち合わせでした。がっつり3時間ほどやりました。感染症対策、万全を期して、開催する方向で動いています。ただ、今後の状況ではまだわかりません。でも、もう何もかも中止というフェーズではなく、どうやったら開催できるかだと考えます。食品はすべてテイクアウト、つまりテイクアウトバザーです。 10/13、火。手帳には「国体閉会式」とあります。選手として国体の閉会式には何度か参加したことがあります。今はどうなのかわかりませんが、開会式はいろいろな種目の選手も集まりますが、閉会式は午前中に陸上競技の最終種目があり、その陸上の選手監督が中心となり、県選手団として閉会式に参加をします。男子リレーで4位に入った時は旗手を務めさせていただき、鹿児島県の旗を持ち、選手団の先頭で行進をし、たいへん誇らしく思ったことを覚えています。そしてまた今回は立場も変わり、どのような思いで閉会式を迎えたのでしょうね。すべて3年後となりました。3年後はまたわたしも立場は変わっていることでしょう。午後から県P連事務局で、15日に九州各県から鹿児島に集まる会がありますので、その打合せでした。
10/10、土。午前中は陸上競技協会の常務理事会、陸上競技場の会議室で開催しました。本来ならば、国体の陸上競技の開催の真っ只中で、グラウンドでは全国からあつまった選手が競い、スタンドも沸いているはずですが、シーンとしたスタジアムが不思議な感覚です。誰もそのことにふれず、会議も始まり、淡々と、協議が続きました。3年後となった国体に向けて強化プランの書き直しについて等。午後はクラブのトレーニング。1週間前の日本選手権で女子200mで優勝した玲美がメダルをもって、報告にきてくれました。 イチ指導者として、昨年から今年、彼女の中の走りの感覚がどう変わったのか、たいへん興味があります。改めていろいろと話をしましたが、わたしが持ち合わせている感覚とも全く違う話もでてきて、今年の冬練習のメニューはそういうところも取り入れていきたいと思います。
10/8、木。小学校で保護者対象の交通安全研修会が開催されました。このような研修会はいろいろな学校やPTAで開催されているのですが、うちは珍しい形で自動車学校から講師をお招きします。正門を挟んだ向かい側に自動車学校があるのです。交通安全の知識はもちろん、毎日のように校区内を車で回っていらっしゃるわけですから、どこが危ない、どこで事故が起こっている、相当な知識を持ち合わせていらっしゃいます。ただ今年はこのコロナ禍ですので、参加できる人数も制限し、時間も短くしました。でも会を開いて改めて、一人でも多くの保護者にこの研修会に参加をしていただきたい、時間ももっととりたいと感じました。 10/9、金。夜、市P連の会議に参加をしました。1つの後ろの席から「おーたさん!」と声をかけていただき、今、皆さんマスクをされていてぱっとはわからなかったのですが、某高校の会長さんで、全附連(附属学校のPTAの全国組織)の会長をお務めになられた方です。日Pの会とか、東京でお会いすることが多かったのですが、久しぶりに鹿児島でお会いしました。内容は先日参加したブロックの理事会とほぼ同じ内容でしたが、高等学校の部会ということで、来年開催の九州高等学校PTA大会の説明が丁寧になされ、質問もいくつか出ました。
10/7、水。午前、午後と県P連役員会。県P連にとってこの1年で最も鍵となる1日となりました。午前中は、平成30年度に立ち上がった特別委員会からの提言について、その回答をまだ出せずにいました。昨年も1年間協議をしてきたのですが、まとめることができず、そしてPTAというのは年度が変わるとメンバーが変わりますから、また新しいメンバーで再協議となるのです。そうなると、平成30年の特別委員会の議論を理解しているメンバーと全くそうではないメンバーとどんどん乖離が広がって、年が経てば経つほど、議論が難しくなるのです。わたしはこの件に関しては、今年度中に回答を出す、わたしの望みはその1点です、と申し上げてきました。そして午前中の議論で概ね一定の方向性としてまとまったなというところまでたどり着きました。また、午後は、今年度の予算の考え方、このコロナ禍で諸々執行残が出ることをどう考えるのか。その考え方について議論をしました。もう10を超える多様な意見が出て、それをどうまとめるか、ただ、わたしは真摯に役員の意見を聞こうと、それに徹して、意見がある程度、方向性が定まったなという時のみ発言をしましたが、それでもまとまらず、を繰り返し、3度目だったでしょうか、意見一致を見出すことができ、ふう〜っと大きく深呼吸をしました。良い議論ができました。ただ、これは役員会提案であって、今後、さらに多くの皆様にご理解をいただかないといけません。
10/5、月。午後から学校へ。11月に開催予定のバザーの打ち合わせです。今年はテイクアウトバザーです!家に持ち帰って、家族で美味しくお召し上がりください。発注数を決めるのですが、例年より弱気で、少な目でいきました。その後、カーディーラーで車のメンテナンスをしました。 10/6、火。朝イチで愛犬ラテを車に乗せて、動物病院へ。朝から水も飲ませてもらえない、ご飯ももらえない、何か変だと気がついていたのか、車の中ではブルブル震えていました。いろいろな方と相談した結果、去勢手術を受けることになりました。せっかく家族になったのだから、1日でも長く元気でいてほしいとの願いです。先生に託し、1日中、心配でした。大丈夫かなあ、お腹すいてないかなあとか。夕方お迎えにいくと、先生いきなり、摘出した〇ン玉を見せてくれて、グロいっす。同じオスとしてショッキング。で、全身麻酔でしたので、ぼーっとしたラテが現れて、でも、顔を近づけると、ぺろっと舐めてくれて、大丈夫だよ、と言っているようでした。傷口を舐めないために、フェイスシールドみたいなやつ、つけて。その日は、夜もおとなしい感じで、でもご飯をぺろっと食べてくれて、ほっとしました。がんばりました。来週の水曜日までコレ↓外せません、笑。
10/2、土。午後からクラブのトレーニング。少し早めにあがり、帰宅。テレビの前に正座で待機しました。日本選手権女子200m決勝。玲美、スタート、今まで見た中で最高の入り、外側の選手も100mの決勝に残った選手ですから、遅いわけではないのですが、すぐに追いつきます、内側から児玉さんがせまります、90m付近で一瞬ぐっときましたが、90〜120のスピードが玲美のほうが上でした、150m付近でわたしは勝利を確信しました、フィニッシュ、一瞬、22秒台でタイマーが表示されたときは、ここ数年で一番でかい声をだしてしまいました、ご近所さん、ごめんなさい、鳥肌どころか、全身が震えました。しかしそれは誤表示とすぐに訂正がなされましたが、23秒17。日本歴代3位の大記録。玲美、ついこの間、24秒前半で走った時も、なんだかいいタイムがでるようになった、とかそんな話をしたばかりでしたが、それよりまた1秒速くなるて、どういうことですか、とにかく完全にわたしも興奮しました。すごい、ため息しかでません。男子200mは大学の後輩の飯塚選手が優勝し、こちらも嬉しくて、良い日となりました。 10/3、日。起きてすぐに新聞を。1面に掲載を確認。全日本実業団で優勝した時は、そうではなく、国体や高校総体で優勝した選手は1面掲載なんですよね、何が違うんだと、誰に言うわけでもないのですが、釈然としないものを感じつつ、でも、今回は1面カラー写真記事。本当にすごいことを成し遂げたんだと改めて実感しました。
10/1、木。アサイチの便で種子島からトッピーで戻り、南ふ頭からそのまま自治会館へ。11時から県P新聞の編集委員会でした。昼過ぎに自宅に戻り、軽くトレーニングをしてシャワーを浴び、昼食をとり、心身ともにスッキリとしてパソコンの前にセッテイング。日本選手権女子100mのライブ配信です。玲美が出場します。まず、児玉さん、さすが、決勝に行きそうな選手と予選からあたりましたが、力の差をみせつけます。その後、玲美。あれ、高校生に負けます。もうちょっとラクにいく感じをイメージしていましたが、でも、向かい風で11秒7台なので、悪くはないのです。高校生が速いのです。そのほか、予選5組ありましたが、うち3組を高校生がトップで通過しました。 準決勝は、夜。19時過ぎから。今度はBSでみました。テレビの前で、ドキドキ。今度は、2位以下を置き去りにし、11秒5台、うん、強い。そして別の組で走った児玉さんも11秒5台。この2人が力は抜けています。翌日決戦です。 10/2、金。夕方、男女200mの予選、PCのライブ配信でみました。玲美は全体をトップタイムで通過。見終わってそのまま自転車で鴨池へ(夕方の時間帯は車が混むので自転車が一番時間をよめます)。クラブのトレーニングをみました。そして19:33の100mの決勝に合わせて帰宅。今度はテレビBS、画面をみつめます。スタートで児玉さんにぐっとでられ、でも、50m付近でクンといったん玲美も近づきます。しかし50→70付近のSPEEDが児玉さんのほうが上でした。児玉さん、再び11秒3台の好タイムで優勝。玲美は自己2番目の記録となる11秒53で2位でした。男子の決勝まで見て、風呂に入り、テラスでぐっとハイボールを飲み込み、ふう〜とため息をつきました。高まった心拍数が戻らない感じです。嬉しいのか、悔しいのか、自分でも自分の感情を言い表すことができません。まだ終わったわけではなく、翌日200m決勝です。
9/30、水。今年の2月はこの1か月だけで8回出張があって、時折、朝、目覚めた時に、自分がいったいどこにいるのかわからなくなるような1か月だったのですが、そこからこの7か月間、ほぼ出張もない日々となり、最初はどうにもリズムもつかめずにいたのですが、最近はすっかり慣れてしまって。わたしは慣れてしまってよいのかもしれませんが、家族が慣れないでしょうね。毎晩いるわけですから、笑。ということで久しぶりの出張でした。夕方の便でトッピーに乗り込み、種子島でした。まず、南ふ頭乗り場に着いた時の衝撃。平日なのに、人であふれています。この皆様、もしかして、同じ便?そのとおりでした。席は満席。平日です、なぜ?GOTOの影響でしょうか。着くと、雨でした。折りたたみ傘をさしながら徒歩でホテルへ。電話がなり、即、対応しないといけない案件で、チェックイン後、WIFIにつなぎメールのやりとりをしました。そしてすぐにホテルをでて、会議のある会場へ向かい、準備をして、18時半から会はスタートしました。安全振興会が実施している共済事業等の説明会でした。多くの会長さんはじめ関係の皆様にご出席をいただきました、ありがとうございます。
宿は、県P副会長がお勤めのホテルで、夕食はそこの8階のレストランで食事をとりましたら、サービスがでてまいりました! お刺身、盛り合わせ。右のトロ、この色。す、すごいです。ぜんぶたいへん美味しかったです。ありがとうございます。
9/26、土。アサイチで次男を競技場に送り、そのまま市内の某小学校へ。かけっこ教室の講師を依頼されていました。このような依頼についてわたしが直接受けることはほとんどないのですが、この学校の校長先生、PTA会長、とってもお世話になっている方々で、やらせていただいています。 30名弱の子どもたちと、お休みなのに、勉強したい!とこられた熱心な先生方と楽しく時間を過ごすことができました。 昼からは、クラブの練習へ。大会が終わり、すべての日程を終えた次男と合流して、競技場に入ると、次男の陸上部の顧問の先生がいらっしゃって、次男、急遽練習することになりました。苦笑いをしていましたが、貴重なマンツーマン指導を受けました、笑。玲美が日本選手権前、最後の調整練習でした。久しぶりにスタートじっくり見ました。まだまだ無駄な動きは多いですが、さすがの動きです。この日、自宅→鴨池2往復、4日間で11往復いたしました。
9/25、金。アサイチで次男を競技場へ。がんばれよーと。いったん自宅に戻り、朝の用務を済ませ、再び競技場へ。11時から男子三段跳スタートしました。1本目、チョコチョコ脚をあわせ13m12で始まり、5本目にこの日もっともよい記録の13m96(+3.3)で2位となりました。優勝は同じ学校の1つ上の先輩でした。表彰もなく、終了後すぐに会場を後にし、13時半からは県P連の臨時役員会を開催しました。臨時といいましても緊急に集まらないといけない要件があったのではなく、今年どうしても整理をしておかないといけない事案について、通常の役員会だと他にも協議事項がありじっくり話し合うということができないので、今回、特別に招集をかけさせていただきました。たっぷり3時間話し合うことができました。
夕方、次男を待って、そのまま一緒に帰宅。喜んでいるor悔しがっている、どっちかなと表情をみましたが、スッキリした顔をしていました。もうすでに九州大会に気持ちは向かっていました。再び競技場に向かい、夕方のクラブの練習をみました。この日も自宅→鴨池、三往復。
9/23、水。次男が、高校新人大会の会場準備と前日練習で、朝、送っていきました。昼から、来年開催の高校PTA九州大会の実行委員会、各分科会の趣旨等について委員の皆様からご意見をいただきました。終わってそのまま事務局で決済業務でした。 いったん帰り、夕方からクラブの練習をみました。着くと、玲美が練習をしていて、女子100m県記録樹立、全日本実業団優勝、諸々、おめでとう、とがっちり握手をしました。その他、いろいろな話もできました。改めて、ここ数年の走りと、どう変わったかなあとみましたが、確かに30mくらいからのピッチがすごく高まっているように感じました。翌週、日本選手権を控えています。本日、自宅→鴨池、三往復。 9/24、木。次男、高校新人大会初日、大雨でしたが、出番はなく、リレーの補欠でした。そのリレーは優勝をしました。1年生3人、2年生1人というオーダーですので、来年は大会新記録くらい当然目指すでしょう。午後から安全振興会の審査会。共済保険の申請も増えてきました。各事故、怪我については心からお見舞い申し上げるところですが、イコール、いろいろなPTAの活動も始まってきているんだなとほっとします。いったん戻り夕方、大会を終えた次男を迎えにいきました。寒い、寒いと暖房MAXかけました。帰ったらすぐに湯船に入りなさいと、翌日が本番なので、体調崩してはいけません。夜は市PTA連合会の会議に出席をしました。この日も、自宅→鴨池、三往復。
9/21、月。次男が部活があり、朝、競技場まで送っていきました。その他は、外出等の予定はなく、終日デスクワークでした。夕方、夕食の買い物にためにスーパーにでかけました。牛のコマ肉が半額になっていたのを買って、すき焼きつくりました!すき焼きとハイボールは合わないですね。この甘いタレは、ツンとくる辛い芋焼酎がベストマッチです。台風発生とのニュースが入りました。水、木、あたりのスクールの開催、事務局長が、だいじょうぶでしょう、というので、油断をしてはいけないと。最悪を想定し、行動はポジティブに。 9/22、火。連休中も、誰かが早く起きないといけないので、わたしも同じく早起きをしてきましたが、この日だけは誰の予定もなく、朝は、ゆっくりと過ごしました。ちなみに大学受験を控える長男は、平日、夜ももちろん勉強していますが、朝も4時半頃に起きて勉強をしています。もともと朝は強いほうではないのですが、がんばっています。昼、買い物のために外出しようとすると、長女が欲しいものがあるということで、急遽、いっしょに電化製品のお店へ。スマホで絵を描くためのタッチペン?よくわかりませんが、買いました。今年は全国高等学校PTA連合会の理事をやっているのですが、メールで70ページくらいある資料が3部送られてきて、文科省の初等中等教育分野について、意見を欲しいと、おっそろしい宿題をいただいています。目を通すだけで頭がクラクラしてきます。
9/20、日。長女、中学校の体育大会です。朝、でかけていきました。次男が部活、長男が模試でそれぞれ車で送っていきました。体育大会は、応援は保護者は1名のみということで、午前は家内が、午後は交替でわたしがいきました。徒競走は組で3番。小学生の頃はわたしの娘ですから、陸上のスクールにも通っていましたし、小2くらいまでは速かったんです。おそらくそこからほとんど、あし、速くなっていません。レアケースですね、笑。で、彼女は現在、美術部に入っています。絵を描いたりすることが好きです。それもすべて自分で決めたことです。スマホで器用に絵を描きます。夕方から料理を3品ほどつくって過ごしました。とり天、酢豚、プルコギ。みんな綺麗に食べてくれます。
秋分の日です。外は爽やかな秋晴れが広がっています。天高く馬肥える秋。 9/19、土。手帳には全国小学生陸上とあります。毎年県選手団の総監督として引率をします。今年は中止です。毎年、大切な子どもたちを2泊お預かりするわけで、大なり小なりハプニングもあり、ひーひー言いながら、帰ってくるのですあ、なければ、それは寂しい限りです。昨年秋の大会で5年男子100mでワンツーを果たし、なので、今年はリレーで全国大会に行けるのではないかと期待をしていましたが、残念ながら、県大会も中止となってしまいました。全日本実業団陸上のインターネットライブ、女子100m予選が午前。玲美、思いっきり、前半出遅れます。先日、県記録をだした福井でのレースのようなイメージではなく、ん、と思いました。午後は決勝、予選よりはまだ良かったですが、前半が少しもたつく感じはありましたが、後半、ズンと前にでて、優勝。全日本チャンピオンとなりました。立派です。これで次は日本選手権、大学チャンピオン児玉さんと実業団チャンピオンの玲美の勝負ですね。
9/17、木。午前中は運営委員会、法人の各事業について、協議をしました。午後は、夏休みのイベントの報告書を作成、申請をしていた補助事業の申請が通ったので、その内容について、業務分担をしたり、チラシの作成にとりかかったりしました。この日、次男は宿泊学習にいっており、一人いないだけで、家の中の雰囲気も違います。
9/16、水。ほぼ終日デスクワーク、週に一度は、県Pの事務局に行って、決裁やいろいろな書類に目を通したりするのですが、それ以外でもほぼ毎日、事務局のどなたからかメールが届き、様々な案件に対応をします。昨日も1つ、月末の会議に向けての資料の内容について、やりとりをしました。入会者、退会者の情報を整理。こういったルーティーンな業務はわたしがやる必要はないわけですが、この業務だけは昔から今もわたしがやり続けています。どんな方が入会で、どなたが退会でと、書類をずーっと目を通しながら、それらファイルを見るだけでも、数字だけではない入会退会の傾向が掴めますし、だいたいの各スクールの状況が把握できます。午後は支所に印鑑証明書を発行のために訪れました。わたしが役員を務める法人の代表が代わり、書面決議の案内が届き、その書類が必要とのことでした。夕方から各スクールを回りました。
9/15、火。午後は、来年開催、高校PTA九州大会鹿児島大会の役員会でした。今月末に開催される実行委員会に上程する議案について協議をいたしました。終了後、決裁、机の上にはたっくさんの決裁待ちの書類がたまっていました。夜は市P連の特別委員会に出席をしました。情報端末機器に関する取組について。これは前々会長時代に始まった案件で、6年前から、ですね。始まった当時のことを思い、またそれから6年経って、当時は、子どもたちにスマホを持たせる必要はない、と、連合会としても力強く謳っていましたが、どんどん時代の雰囲気も変わっています。我が家も高校生2人には持たせていますし、機種交換で、使わなくったWIFIには繋がる機種を、小中学生ももって、youtubeをみたりしています。みんながリビングにいながら、それぞれスマホを覗き込んで、同じ場所にいんがら、違う世界をを視ている光景を時にぞっと感じることもあります。とはいえ、知識不足、情報不足により、被害者、加害者どちらにもなり得ることもあるわけですから、親子で正しく学ぶ姿勢は忘れてはいけません。
9/13、日。お昼から全高Pの理事会、WEB開催。日曜の午後に一人、ipad片手に事務所にこもり。14時から終わったのは17時過ぎました。WEBもいいですが、やはりコミュニケーションの取り方は難しいですね。 9/14、月。前日の理事会の要旨をまとめ、九州の会長の皆さんへLINEで、鹿児島の事務局をとおして各県の事務局にも内容をお送りしました。夕方、1時間ほどかけて庭の芝生を整えました。少し放置していました。やはりこまめに手を入れることが一番です。夕方の作業が涼しくなり、だいぶやりやすくなりました。
9/11、金。午後から月次の決算会議、7月の数字のチェックでした。4月から7月で今期の1/3ですから、予算に対して、収入支出ともに1/3くらいの状況であればよいわけです。コロナの影響はまだまだ残っていて、急に増えた休会は事務局長によると、9月頃からだいぶ複会なされます、とのことです。ほっとします。新潟で開催されている日本インカレがyotubeで生配信されて、いやいやこれだけのカメラワークで、リプレイもあり、競技と競技の合間の、ただぼーっとスタジアムを映す様子なんかも、そちらのほうが生々しくて、変にプロの方がやるより、久しぶりにインカレの空気感に触れられているなあと感じました。福岡大の児玉さんの女子100mの向かい風の中、余裕をもって11秒6台の圧倒的な強さにビビりました。おそらく日本選手権は玲美と児玉さんの一騎打ちになるのではないかと。 9/12、土。朝は、次男が部活で競技場まで送っていきました。長男は、学校で小論文のテストとのこと。長女、次女は土曜授業でした。次女が通う小学校でPTA会長を務めているのですが、今年はPTA活動もできないことが多いのですが、こんな時だからこそ、できることがある、何ができるだろうか、今、先生方の業務負担になっているのが消毒作業です。それを少しでもお手伝いできないかと、消毒ボランティア隊を発足いたしました。ということで、10:45集合で、お集まりいただいた方と一気に消毒作業を実施しました。本当にすぐに終わってしまって、物足りないくらいでした、笑。これからも継続していきます。次男の跳躍用スパイクが壊れ、試合もあるので、購入にいきました。次男は今、短距離と跳躍とやっていて、それぞれスパイク違います。また三段跳と幅跳も違いますから、それぞれスパイク購入しないといけません。嫌味に聞こえたらすみません、わたし、高校2年くらいからスパイクはじめ、競技用品はすべてメーカーさんから頂いていましたので、今思えば、親孝行だったなと思います。早くそうなってよ。夜はyoutubeをテレビ画面で、4×100mリレー決勝、100m決勝、みました。児玉さん歴代3位。金曜日に2本、この日4本目のレースで、しかも200予選、リレー決勝、100決勝はすべて夕方、かなり疲労度高い中でのこの記録。ポテンシャルの高さ感じます。男子100は城西大の子が勝ちましたが、宮崎の子だということで、インカレ100は男女九州人チャンピオンです!
9/8、火。県P会長として、月曜日に予定していた用事が台風の影響で火曜日に延期になり、午前、午後とも終日その業務にあたりました。 9/9、水。午前は1週間前に開催を予定していた県P役員会が台風9号の影響でこの日になりました。午後からは昨年初めて開催をした「市郡P連会長の会」を昨年に引き続き2回目の開催となりました。県内に27ある市郡P連の会長の皆様に集まりいただき、それぞれの会の状況や課題等について意見交換をしていただきます。昨年は1回目でしたので、手探りで開催したわけですが、今年は昨年の反省を踏まえ更に充実した会となりました。年に2回くらいは開催したいなあとも思います。わたしはこの会でPTAの任意加入についてわたしの見解を話をしました。また県Pの役員もみんな一生懸命進行役等に取り組んでくれて、仕事ができる仲間です! 9/10、木。この2日間、ほぼデスクに座ることもなく、なので1日ゆっくりとデスクワークに取り組みました。そしてようやく、3月、4月くらいの退会、休会の届けに目を通しました。このコロナ禍の影響もあり、これでも経営者の端くれですから、この大量の書類に目を通す、心のゆとりがありませんでした。第2波もヤマを越えて、テレビの報道もコロナ一辺倒ではなくなり、ようやくこのことに向き合おうという気持ちになれました。退会の届けにはいろいろなコメントいただきますので、それらもしっかりと読み込み、中には涙がでるような嬉しいコメントもあります、あしが遅くて悩んでいた子が自信をもてました、とか。その反対もあります。そんなことここに書かなくても、とか。いろいろですが、すべてを受け止めて、それでも前に進むしかありません。
9/5、土。次男、高校の体育祭で朝5時半にでていきました。早過ぎ。で、わたしはPTA会長として、、でしたが、今年は来賓招待なし、観覧も3年生の保護者のみということで、予定が空きました。なので、台風に備えて買っておきたいもの、近所のDIYショップに行ったら、レジが長蛇の列で50分ほど並びました。夜、次男から体育祭の様子をつまみに、美味しいお酒をのみました。楽しかったようです。 9/6、日。台風接近。本格的に雨風が強くなるのは夕方からということで、午前中にスーパー、本屋で買い物を済ませ、午後からは本を読んだりしながらゆっくりと過しました。 9/7、月。心配な一夜を過ごし、朝にはだいぶ雨風もおさまっていました。家は被害はなくほっとします。テレビをつけると、まぁ報道とはそういうものなのでしょうが、最も被害が大きなところを報道しますから、そうすると、全国から鹿児島全体がそのようになっていると思われますので、いろいろな方から電話やメールやら大丈夫かとご連絡いただきます。ご心配いただきありがたいことです。午前中には台風対応の諸々処理を終えました。午後は夕方開催予定のスクールの実施会場の様子を見にいきました。木々、枝葉が散乱しているような状況はないか、着くと、ちょうど業者さんが清掃をしてくださっていて、トラックに散乱した枝葉が山積みになっていました。ありがとうございます、と心の中で申し上げました。15時半からスカッと晴れてきて、夕方のスクールは絶好のコンディションとなりました。
9/4、金。長男が高校体育祭、最後の体育祭でした。朝、体操服で出かける様子を見て、幼稚園からずっと見続けてきた、この体操服姿も最後になるのかなあと少し寂しくなりました。縮小開催ということで、午前中のみ、出る種目はおはら踊りのみということで、わたしも家内も見にいくのはやめました。小学校、中学校と運動会、体育祭、吹奏楽、リレー、かけっこ、応援団、長男にはとっても感動させてもらいました。最後の体育祭がこのような形で少し寂しそうに感じました。 午後から九州ブロックPTA協議会のWEB理事会が開催されました。14:00から17:00まで。今年開催の予定だった九州大会熊本大会のことや、7月の豪雨の被害状況について、また、支援についてどのように考えるか等、協議をしました。もう数度このようにWEB方式で会議をやっていますが、当然万能ではなく、メリット、デメリット、両面感じています。今回参加された方の中に回線状況があまりよくない方がいて、その方がご発言なされても、途切れ途切れで聞き取り辛い状況があり、でもその回線の状況だとか使う機器についても個人任せなわけです。とっても大切な会議なのに何も担保されていません。 終了後、学校へ。前日に続き、学級PTAが開催され、終了後、消毒ボランティア隊発動でした、が、わたしが着いた頃にはすべて終わっていました、2日続けて、戦力外でした。次回は必ず。
8/31、月。市のスポーツ推進審議会、これはSCC理事長として出席している委員会です。委員を拝命し、もう10年ほどになりますが、市は総合型地域スポーツクラブをどうしたいのか、なかなか具体的なビジョンが見えないと感じています。 9/2、水。台風接近、午後から予定をしていた県P連の役員会は、数日前に延期を決めました。役員が県内全域から集まること、特に島の方々の都合を考えた場合、船がでないことはわかっていましたので、延期といたしました。夕方は2つの教室の開催について判断がわかれました。1つはお休み、もう1つは施設が閉場にならないことから実施をしました。途中強い雨風も吹きましたが、安全に実施することができ、終わるとほっとしました。 9/3、木。アサイチで県P連会長として用務だったのですが、なんと遅刻をしてしまいました。通勤ラッシュの時間帯ではあったのですが、郊外にある施設で朝の渋滞とはほぼ無縁だと思い込んでいたら、突然渋滞にはまってしまい、5分ほど遅刻しました。後から聞くと、事故があったのだそうです。にしろ、遅刻したのはわたしだけですので、事故のせいにしてはいけません。皆様にたいへんご迷惑をおかけしました。用務は午前午後と続き16時過ぎに戻りました。すぐに学校に向かい、この日は、学級PTAが開催をされていました。初の試みとして消毒ボランティア部隊結成しましたが、もう着いた頃には作業も終わっていて、スムーズに進みました、とのことでした。
9月になりました、2学期がスタートしました。今年の夏は、ほんと異例の夏で、例年8月はほとんど鹿児島にいません。今年はずっと鹿児島にいました。半年ほど、テレビをつければコロナコロナと、いやになるくらいでしたが、ここにきて、次期総理のことが話題の中心になり、なんだかほっとしています。というか、それが狙いだったのでは、と思ったり。 8/27、木。午前中、運営委員会、各事業の進捗状況について。3月からコロナで苦しんだところもあり、会員数も減り、休会も増え、その影響はまだ残っていますが、でも、こうして事業継続していけていることに感謝です。また各補助、助成制度も活用でき、今期のメドはある程度立つようになりました。まだまだ油断はできませんが、最大の配慮をしつつ、これからも着実に事業を進めていきます。 8/28、金。午後から日本PTA臨時総会が東京で開催をされましたが、わたしは鹿児島からリモート参加となりました。このリモートでの会議も何度か経験をしてきて、こういうものかということが理解できてきましたが、確かにできますけど、やはり顔を合わせて、議論はしたいですね。
8/25、火。午前中は県P連、母親委員研修会でした。講師に上村先生にお越しいただきました。3月まで子どもたちが通う小学校で校長をお務めになられていらっしゃいました。久しぶりにお会いできることたいへん嬉しくドキドキしました。そういえば、先般、塩田知事にお会いした時に、わたしはこの方とどこかでお会いしたことがあると感じたのですが、あ、上村先生の目とよく似ていると似ていらっしゃると思ったのですが、ご本人もマスクをしていると街中で間違われるとのことでした、笑。 現在は新規採用の先生を研修する職務に就かれていらっしゃいます。その職をとおしてお感じになられていること、このコロナ禍のこと、ビシバシするどい視点で、ユーモアを交えながら、もう1時間経ったの?というくらいお話に引き込まれました。上村先生、ますますパワーアップしています。わたしもとっても元気がでました。ありがとうございました! 午後は、高校生の歯科治療に関する会議に出席をしました。
8/24、月。午前中、学校PTAの企画委員会、意図して、話し合いの時間を多くとるようにしています。昨日も書きましたが、不要不急の外出やコンタクトを控えるようになってしまった今、圧倒的に足りていないのは雑談だと思います。せっかくこうして集まっていただいているので、当然、マスク着用、換気、消毒等徹底しながらも、しっかりと会話をしていただき、コミュニケーションを深める機会にして頂きたいと思います。今年のバザーいついても新たなスタイルをご提案いたしました。会はスムーズに進み、時間もあり、校長先生、教頭先生にもたくさんお話をしていただきました。良い時間となりました。
8/21、金。長女、次女は出校日、高校生の長男は補習、次男は部活、で、それぞれ出かけていきました。午前中、県P事務局から、県教委、市教委を訪問をいたしました。来年6月に開催される高等学校PTAの九州大会鹿児島大会について、大会の概要についてのご説明と協力依頼をお願いいたしました。午後は学校へ、11月に開催予定のバザーについて、打ち合わせでした。自宅に戻ると、次女が、やっぱり学校楽しかった〜、と。その一言、何よりです。さあ夏休みラストスパートです。 8/22、土。夜9時集合で、市P連の補導活動に参加をしました。指定のコースを1時間ほどかけてグループに分かれて、歩き回ります。この時間帯に子どもたちだけで遊んでいる様子等ないか、見て回るのですが、ただ黙々と歩くわけではなく、グループの他のPTA仲間の皆さんと、お互いの近況だとか、それぞれPTA行事や学校行事どうしているか等、いろいろなことを話しながら歩くのです。そして1時間の補導が終わった後、なんだかスッキリしているんです。ああ、そっか、こうした雑談が大事なんだと。いろいろな会議とかは開催していますが、食事会等はまだ開催できないし、目的もなく、ただ雑談し、悩んでいることは一緒なんだ、お互いに共感し、たいへんだけど、がんばりましょうね、と。こういうことが今、わたしたちに圧倒的に欠けているのではないか、そういうことを改めて感じました。
8/19、水。午前、午後共に、県P連会長としての終日業務でした。手帳には「全高P島根大会」と記載されています。島根で高校PTAの全国大会の予定でした。今年は全校Pの理事をしていますので、何かしらの役があったはずです。この時期は、全国小学生だったり、全中だったり、陸上の全国大会の時期ですし、また、PTAも全国大会の時期で、暑い暑い日本を飛び回る時期ですが、毎日家にいるwithコロナな生活です。 8/20、木。午前はかけっこ塾後期4日目、広報担当として、笑、写真の撮影をいたしました。午後から、安全振興会の会議でした。終了後、県Pの事務局で決裁をして帰りました。キッズ体操教室を実施している会場の前に救急車が止まり、瞬間、胸がぎゅーっとしめつけられます。いたずらの通報ということで、ほっとしました。また、夜、1日を終えてほっとするタイミングで電話がなり、小学生が教室に行ったんだけど、帰ってこないということで、結果、大丈夫でした、という電話だったのですが、こちらもまた瞬間、胸がぎゅっとしめつけられるようになります。とにかく、どちらも無事でよかったです。父の誕生日でした。今年はこの状況であまり会えていませんし、秋の運動会、体育祭も孫たちの様子、見にこれないと思いますが、しばしのガマンで、いつまでも元気でいてほしいと思います。
お盆前後はさすがに、用務も少なく、主にデスクワークでした。かけっこ塾期間中(3日〜7日)が連日午前午後共に業務が入っていたため、新聞も読めず、たまった新聞をしっかりと読みました。8/12に教育安全振興会の理事会が入りました。 8/17、月。かけっこ塾後期がスタート、後期はスタッフに任せています。スタッフ数が足りない時は補助にでも入るよとは申し上げていましたが、すべて人も足りていたようで、なので、途中様子だけ見にいきました。気温が心配ですが、日陰のスペースで実施されていて、暑いは暑いですが、その中でもコンディションは良さそうでした。 8/18、火。午後から県P連役員会でした。PTAというのは年度で人が変わる組織で、従って、役員会も昨年は昨年で雰囲気があって、今年は今年の雰囲気があります。そしてこのコロナという状況をどうやって乗り越えていくか。またわたしのリーダーとしての力を試されているように思います。
8/9、日。次男が記録会に出場、100mと400mに出場しました。100mはスタートがうまい選手の隣のレーンで、前半かなりおいていかれるだろうなと思い、見ていましたが、かなりおいていかれました。後で話すと、自分のスタートも浮いてしまって、前半で力を使ってしまったようなレースでした。実は100mは力の配分がとても需要な競技なのです。ただただ全力で走ればいいというわけではありません。当然、記録もそれほどよくなく。初めて走った400mは、笑、がんばりました。↓左端です。
8/8、土。午前中は陸上競技協会の会議でした。本来なら、東京五輪や秋の国体に向けて活発な議論がなされる時期だっただろうと思うのですが、7月から恐る恐る開催し始めた各競技会の課題、反省等が中心となりました。わたしが担当をしていた、小学生の県大会はその直前に急激に県内に感染が広がったことを受けて中止といたしました。夜は前日できなかった、妻の誕生日のお祝いの会を開催しました。もちろん料理担当はわたしです。手前から酢豚、エビマヨ、鶏つくね。
8/7、金曜日。かけっこ塾、最終日。この最終日を迎えるのが本当に苦手で、というのも、初日と最終日に50mのタイム測定をするのですが、ほとんどの子はタイムを更新します。でも、中には数人、タイムが縮まらなかったり、逆に遅くなってしまう子もいて、その子たちの表情を見るのが、本当にたまらなくせつなくて、申し訳なくて。自分の指導者としての力のなさを感じて凹むんです。毎年。 そして今回も最後のタイム測定を終え、迎えた閉講式。一人一人に直接記録証をわたします。わたしも最後の結果を知るのはこの時なので、一人一人確認をしながら、ドキドキしながら渡します。 ラスト3人くらいになった頃でしょうか「え、え、もしかして」と。最後の一人に記録証を渡し終えた後、思わず、ぐっと、涙腺が緩んでしまいました。 今回は、参加してくれた子たち全員が、記録更新達成したんです。「19年かかったなあ」「今日は全員で喜んでいいんだ」と思うと涙があふれてきて。なんでこのおじさん、こんなに泣いてんだろうって思われたかもしれませんが、19年間の想いが叶いました。19年間、かけっこ塾に参加してくれた子どもたち、みんながわたしを指導者として成長させてくれました。心から感謝いたします。 午後は県P連、委嘱公開活動の担当者会でした。2年間にわたるPTA活動の研究について県P連、県教委から担当の皆様に委嘱をするのですが、たいへん重たい空気になる会です。当然、委嘱される側からすると、重たいバトンなわけで、加えてこのコロナの状況ですから、今、PTA活動まともにやれていないのに、となります。しかし冒頭あいさつでも申し上げさせていただきましたが、県P連70年にわたり続けてきた活動です。一緒にがんばりましょう。 この日は、妻の誕生日であり、入籍をした日でもあります。夜はお祝いをと思っていたのですが、長男と長女の帰りが遅く、翌日にいたしました。
8/4、火曜日。かけっこ塾2日目、いよいよ本格的なトレーニングが始まります。スタートの構えから飛び出し、ラダーを使った速い脚の動きetc。午後は助成事業、補助事業、それぞれ書類を書き上げたものを2か所届けました。1か所は早速修正の指摘があり、夕方事務所に戻り、修正をし、メールで再送いたしました。 8/5、水曜日。かけっこ塾3日目、スタートのところから、もっとも大事な中間走、つまりトップスピードをどうやってあげるか、脚の速さは、要はここで決まりです。午後は来年6月に開催予定の高等学校のPTA九州大会鹿児島大会の第1回の実行委員会が開催されました。ここまで準備委員会を6回重ね、いよいよ実行委員会です。が、今年の宮崎大会が開催されなかったこと、加えて、このコロナの影響がどこまで及ぶのかまったく見えず、つまり、スタートでこけて、ゴールも見えない中、ただただ、不安な気持ちのまま、疾走している状態です。各委員の皆様のお知恵とお力をたくさんいただきますように、本当にお願いいたします。 8/6、木曜日。かけっこ塾4日目、最終日は記録測定ですから、いよいよ最後の仕上げとなりました。全員が記録更新、一人ひとりと約束をして終わりました。午後は、久しぶりにデスクにゆっくり座りましたが、机の上はたまった新聞や会議の書類でひっちゃかめっちゃかになっています。今週は仕方ないとあきらめています。とりあえず急ぎの用件やメールの返事を書きました。
7/31、金。午後から県内総合型地域スポーツクラブ有志で、WEBで情報交換会をしました。このコロナ禍でそれぞれどうしているのか、また、補助金、助成金の情報もやりとりした中で、え?と思うのがあって、わたしの勘違いから申請を見落としていたものがあり、会議終了後、早速、申請にとりかかりました。 8/3、月。夏休み!小学生かけっこ塾がスタートしました。5日間、午前中、会場の青少年研修センターに通います。センターの方ともいろいろとお話をさせていただきましたが、ここの施設利用者もめっきり減ってしまい、困っています、とのことでした。1日目は記録測定がメインで、残り時間がスタートの構えのポイントを行いました。1日目が終わると、ほっとします。今年は開催するかどうか、当然、悩みましたし、開催しても、参加していただけるのだろうか、不安もたくさんありました。なので、申込みが定員まで達したとき(定員に達した後、7月の感染増で10名ほどキャンセルがでました)はとても嬉しかったし、こんな時だからこそ、長期休み中の子どもたちの運動機会をわたしたちが創らないといけないんだと改めて感じました。午後は県P新聞編集委員会でした。こんな時だからこそできるPTA活動、広報誌の発行に力を入れる!もよいのではないでしょうか。
7/30、木。県P連事務局のある自治会館へ。建物1階に入ると、面識のある元校長先生方がたくさんロビーの椅子に座っていらっしゃいます。え、え、え、と慌てていると、県内各市町村教育長の皆さんの会議なのだそうです。県P事務局から県庁へ。毎年行っていることですが、知事、教育長へ、県内就職に関する支援要請活動を行います。特に知事は就任3日目ということで、面会は難しいだろうという話もあったのですが、時間をとって頂けることになり、県P連を大切に思っていただいている、そのお気持ちじゅうぶんに感じました。県庁で働いていても、知事室に入ることは稀なことだそうです。わたしも数度入ったことありますが、未だにたいへん緊張をいたします。前知事は、こちらが話をしなくても、よくお話になられる方でしたが、現知事は、あまり口数は多くなく、従いまして、静寂の時間にいっそう緊張感が高まり、冷たい汗をかきました。しかし、県内生徒のために、県内保護者、教職員の代表として、しっかりと要請をしてまいりました(県P連WEBサイト)。 この日は「忘れない日」、として、毎年、目を閉じて、手を合わせることにしています。わたしがPTA会長を務める小学校の2年生男子が幼い命を事故で失った日です。あの、時が止まったような日々を思い出します。今と同じように、目を閉じると、ただただ、セミの鳴き声だけが聞こえてきました。忘れないことが、あなたのことを想うことが、一番の供養だと信じています。どうか安らかに。
しばらく更新できずにいました。先週は、夏休み!小学生かけっこ塾が開催をされ、何年ぶりでしょうか。5日間フルに参加をし、塾長を務めました。ここ数年、どこかで予定が入ってしまったり、ここ2年くらいは完全にスタッフに任せていましたが、このコロナ禍でわたしの出張、現在もほぼ中止で、従いまして、かけっこ塾、本当に久しぶりにがっつりやりました。なので、アサイチにここを出て、午後は会議等が続いた1週間でした。新聞もまったく読めず、机の上に10日分ほどの新聞がたまっています。新聞も読まない、テレビも見ない、SNSもやらないと、不思議とコロナのことも気にならなくなって、良いですよ、笑。
7/29、水。コロナ禍による、各種助成制度や補助制度があり、いくつか申請をしています。今回また申請できそうな情報をいただき、ざっと内容読んで、頭の中でイメージをつくり、とりあえず、申請書つくってみようかな、くらいの感じでとりかかりました。わたしはこういう作業を一気にやるのは苦手で時間をかけて毎日少しずつ仕上げていきます(夏休みの宿題も計画的にコツコツとやるタイプでした!)。なので、申請書類をダウンロードして、申請要綱の中身と読み比べながらまずはとっかかりのところだけでも、と思っていたのですが、どうやら、いつもの申請方法とは違っていて、すべてブラウザ上に書き込んでいくものだと。そして、途中保存ができなくて、つまり、80項目ほどある申請の内容をうっかりブラウザを閉じてしまえば、すべてイチからやり直しという恐ろしいシステムだということがわかり、途中まで進めていけばいくほど、もう後には引けなくなりました。しかも、定款だとか、過去の予算書、報告書、その他、いろいろなファイルをドキュメントから引っ張りだして、数字や文言を書き込んで、ファイルを閉じてを繰り返し。ブラウザだけは絶対に閉じてはいけなくて。途中インターネットで調べることもあり、検索をかけたりもしますが、その画面を閉じるのも、申請画面だけは閉じてはダメで、めちゃくちゃ神経張りつめながら、作業をしました。途中何度も投げだしそうになりましたが、昼過ぎまで丸まる4時間くらい、めちゃくちゃ集中して、終わったらぐったり疲れましたー。申請通りますように。
7/28、火曜日。県P連が毎年行っている県内高校生等の就職支援要請活動へ、経済団体を4つ回りました。これは就職内定率が低迷をしていた平成14年から毎年行われてきたことですが、しかしここ数年は、非常に高い就職内定率が示されていました。お願いにいっても、逆に「人手不足です」というような声もあったり、つまりあまり危機感のない、要請活動であったわけですが、今年は一転、県内中小企業の皆様の現状、生の声、あまりに悲惨なお話もありました。売上減少ではなく、なくなった、とも。わたしも経営者の一人であり、PTA活動も、自分の会社、自分の家庭あってやれることですから。また、先が見通せないことへの苦しさ。当初、2週間くらいという話でしたから、ガマンできたけど、もうここまで長引いて、そしてそれが一向に収束の兆しが見えないこと、閉塞感、疲弊感、これが実態、経済への打撃、深刻です。
先日の話ですが、長男の三者面談に行ってきました。校舎に入るのは、入学式以来、PTAでもやらなければ、男親なんてそんなものです、笑。高校3年生、いよいよ受験モードということで、今まで受けてきた模試は、同じ学年の中での競い合いだったのですが、今回から浪人生も入ってきて、競争が激しくなっています。そこも踏まえ、今後の対策を担任の先生からアドバイスをいただきました。来春、どこに行くことになるのでしょうか。帰り際、校長先生とばったりお会いして、市P役員時代からちょくちょくいろいろな会でお会いしており(当時は教頭先生)、ご挨拶をさせていただいていました。
7/23、木。40を過ぎたあたりからでしょうか。ある日、子どもに「ほら、みて」とスマホの画面を見せられた時に、画面から顔を離すために、ぐっと後ろに背中をそらす自分がいて、あ、老眼かと気づき。そしてここ数年、その進行は日に日に、という感じで。普段の生活ではそこまで困らないのですが、会議の紙資料を見るときとか、特に会議の進行役のときは、参加者の表情とかを読み取りながら、手元資料を次々と見比べないといけないような場面は、特に不便を感じていました。ということで、昨日、2週間ほど前に注文していた遠近両用メガネが届き、受け取りにいってまいりました。かけた瞬間、手元の文字がくっきり見えて、おお、すげえーと。そのままあたりをブラブラ歩いてみましたが、遠くと近くはいいのですが、2.3m先の足元がぼやーっと見える感じだとか、買い物でいろいろなものを見比べて、視線がどんどん動くような時は、ぼやっとなることがあり、慣れるのに少し時間がかかりそうです。ということで、順調に年とってますが、笑、気長につきあっていきます。
7/21、火曜日。午後から来客2組、計3名お越しになられました。1組は、おめでたい、お知らせで、SCC設立から20年を数えますが、これで計10組のゴールインカップルの誕生です。会員同士、スタッフ同士、会員とスタッフ、いろいろありますが、今回はどうでしょう。誰でしょう、笑。気になりますね、近々、ご本人からご発表があるかと思います。もうお一方とは、ZOOM会議の打ち合わせで、今月末、実験的にやってみようという話になりました。
7/20、月。午後から会議が1本入っていることは認識をしていて、朝、机の上やらを整理しながら、手帳を開き、9時半から学校で会議が入っていることが判明、その時9:18、バタバターと外出し、9:30にはギリギリ間に合いましたが、汗ダラダラでした、笑。暑苦しい。学校で、2学期の行事について協議をしました。2学期は、運動会、バザーと、学校行事、PTA行事、ともに最も規模が大きいものが開催をされます。どのような形で開催すべきか。午後からは県教育安全振興会の共済事業の会議でした。次男が土日に大会に出場し、100mは向かい風で自己記録はなりませんでしたが、走幅跳で6m72の自己新記録でした。7mという数字も少し背中が見えてきました。で、この日は練習休みということで、わたしの会議終了の時間と下校の時間がちょうど重なり、一緒に車で帰りました。
7/18、土。午後から県P連、役員会・実行委員会を開催しました。副会長に加え、8つある委員長の皆様にもお集まりいただきました。議案は順調に進んでいったのですが、その他から、いろいろと盛り上がりまして。そういえば、1年前も同じような状況になり、その後の会で校長先生方を少しお待たせしてしまいました。そして、そのまま同じ会場で県連合校長協会の役員の皆様と意見交換会でした。やはり、コロナのことが話題にあがりましたが、このような時にPTAとしてどうあるべきか、んー。プラスの発想を、何かあるはずです。この後は、例年なら、懇親会を開催して、そこからは「本音」の時間なのですが、笑、それは開催できず、残念です。PTA関連のいろいろな会議は開催され始めていて、会議の時は当然真剣に議論をするのですが、宴席は楽しく笑顔でワイワイ飲んで、しっかり懇親を深めて、でもそれができていないので、真剣に議論したままで終わってしまっていて、何かしらのコミュニケーションの場が必要のように感じます。
7/15、水。午後は、月次決算会議。6月の数字をチェックをしました。5月は会費を半額にしましたので、売り上げはそのまま半減をしたわけですが、6月からはどのような影響がでているのか、年度に入り、1/4が経ちましたので、その数字、支出の執行率等。当然ですが、コロナ前の状態に戻るのには、まだまだ時間がかかりそうです。激増した休会者数も戻らないどころか、何故かまた増えていました。 夕方、次男が通う高校へ。三者面談でした。次男の学校での様子や成績のこと、そして将来のこと、話をしました。進路希望も聞きました。であるならば、本当にがんばらないといけません。親は応援します。担任の先生とも初めてお話をさせて頂きましたが、熱心なとても良い方でした。 7/16、木。午前中は運営委員会、各事業の様子をマネジャー、事務局長から報告をもらい、協議をしました。8月から事務局体制が変わります。午後は学校へ、来週、三役会があるので、その資料を確認をしました。校区内にサル出没の情報が。お気をつけください。クマがでたという話があり、そりゃいくらなんでも、と言っていたら、アナグマでした。我が家のゴミ箱がひどく荒らされていた時期があって、その時はお隣さんに、ハクビシンがでるよ、と言われました。
7/14、火。午後より、県P連が主催する子育て三行詩のコンクールでした。今年は応募総数も増えました、たいへん感謝いたします。すべての作品読み進めましたが、このコロナの状況を詠んでいるものも多く、しかもそれを前向きに、そしてユニークさも交えながら、ふっと微笑んでしまうような作品もあり、心がほっとします。コロナが日本で発生して半年が過ぎました。毎日のようにニュース、ワイドショーで報道がなされ、SNS上では誹謗中傷が繰り返され、そのような情報に連日接していると、心が苦しくなってきますが、応募作品を読むだけで心が本当に温かくなりました。改めて「良質な情報に接する」というのはこういうことであり、意図してそのようにしないと、この世の中は、良質な情報ではない情報にバイアスが偏っているということではないでしょうか。途中来客あり、県P事務局で対応しました。最後に審査講評あり、素晴らしい作品を選んでいただきました。早く県下のPTA会員の皆様、子どもたちにも作品をお届けしたいと思います。そして皆さんもわたしと同じように温かい気持ちになってもらいたいです。
7/13、月。午後から会議、来年6月に開催予定の九州高等学校PTAの鹿児島大会の準備委員会でした。前回から年度が変わり、なので、メンバーも一部変わりました。そして、準備委員会としてはこれが最後で、次回からは実行委員会となります。いよいよ準備も加速をしていきます。終了後、決裁を済ませ、帰宅しました。
7/12、日。朝は次男が部活ということで、車で送っていった後、競技場周辺をブラリ。本来ならば、南日本小学生大会が開催される予定でしたが中止となりました。間違ってきてしまった選手、役員とかいらっしゃらないか、しばらく歩いて回りましたが、まったく誰もいなくて、携帯電話も事務所の電話もまったく鳴らず、平穏無事、混乱はありませんでした。ちなみに協会の事務局に本件で問合せや意見入りませんでしたか?と聞きましたが、そのようなこともなかったということでした。自宅に戻り午前中はトレーニング、久しぶりに晴れて、晴天のもと、下半身追い込みました。しっかりと汗をかきました。午後は買い物にでて、夜は久しぶりに炭火を起こしました。例年、六月灯といって、鹿児島では夏祭りが各地で開催される時期なのですが、どこも中止で、せめて、お祭りの屋台の「匂い」だけでもと、父、ハッスルしました。長男が18歳になり、初の選挙でした。わたしも当然一票を投じました。夜、すっかり酔った頃、当選結果を知りました。
7/10、金。午後から高校PTA会長として、県教委が開催した次年度の「募集定員策定に関する説明会」に出席をしました。これから中学3年生を対象とした進路希望調査が始まり、それらに基づき秋に募集定員を発表する、一連の経緯についてのご説明でした。夕方はクラブの練習をみました。 7/11、土。昼から陸上競技協会のわたしが部長を務める会の部会を開催しました。1時間ほど昨年度の振り返りから、今年度の計画を協議しました。そして本来ならばその後、日曜日の大会準備があるのですが、大会自体が中止になったため、そちらもなくなりました。ニッシンさんがスポンサーで、毎年全参加者分の参加賞、大量のカップラーメンを準備する作業ですが、かなりの作業量ですが、今年はナシでした。
7/8、水。午前中は告別式に参列をしました。前日の朝刊でお亡くなりになられたことを知り、思わず「え…」と声をだして、しばらく絶句してしまいました。3月に結婚式に出席をしたのですが、新郎のお父さんです。覚えているのは、最初に苗字を伺った時に、もしかして、と思い、訪ねると、福岡のご出身で、以来、勝手に親近感をもっていました。同じ思いをもっていただいていたのかもしれません。SCCのこともたくさん応援してくださりました。結婚式のときも、とっても笑顔で、お元気そうで、嬉しそうでした。なので、本当に信じられなくて。64歳という若さです。奥様も子どもたちも、涙に暮れていて、その姿もせつなく、本当に別れは辛いですね。当たり前にいると思っている、大切な人たちを、大切にしなくては、改めてそう思いました。心よりご冥福をお祈りいたします。お父さんの志は、祐貴がしっかりと繋いでくれていますので、ご安心ください。 午後開催の予定だった会議が、中止となりました。夕方は、スクールやクラブを見て回りました。 7/9、木。午後から県P事務局へ。すべての書類に目を通し、2時間ほど時間をかけて決裁印を押しました。
7/6、月。午後から学校へ、11月に開催を予定しているPTAバザーについて、担当の専門部の方を含め、執行部と集まって話し合いをしました。当初は夏休みくらいまで自粛をすれば、2学期からはいろいろな活動も通常通りできるのではないかと見込んでいましたが、状況はご存じのとおりで。専門部としては、規模を縮小してでも開催をする意向で、その気持ちは大切にしたいと思います。何をどう縮小するのか、基本的な考え方を共有しました。ご準備いただいた案をひっくり返すようなことも申しましたが、何より子どもたちのために、です。 7/7、火。毎年NPOとして3月末の事業年度終了後、総会は5月頃に開催しておりますが、役員の任期はまたそれからずれて、6月いっぱい7月1日付けで任期スタートとなっています。ということで、新役員の届けを県に提出、その後、法務局に登記手続きをします。この役員変更の届けは2年に一度のことなので、前回やった手続きはすっかり忘却の彼方で、こんな感じだったかなあと必死に思い出しながら書類を整え、また2年前と手続きが変わっていたりすることもよくあって、そんな感じで毎回申請をします。とりあえず受理はしていただきましたが、漏れ、訂正等があれば、電話がかかってきて再提出となります。
7/4、土。朝、新聞を広げたら、コロナ感染がいっきに県内各地に広がっている状況が判明しました。陸上競技協会の理事長より電話がありました。その後、県選手権が開催されている競技場に向かい、役員控室で12日開催の小学生の県大会の開催について協議をしました。この状況の中、県内各地の大人数の子ども、大人を集めるわけにはいかないということで、協会としては中止の方向で決めました。ただ、関係団体やスポンサーとの兼ね合いもあるので、そこの調整は事務局にお任せをしました。この大会を目標にしていた子どもたちのことを思うと、ただただ胸が痛みます。 次男が、県選手権、ジュニアB100mに出場しました。昨年100mは春の記録会に1回でて、12秒1くらいで走りました。その後、走幅跳、三段跳に取り組んできましたので、ベスト記録はそのまま12秒1だったのですが、走幅跳の記録から、また練習の感じからも11秒中盤で走ることは間違いないという感じはあったのですが、あくまで練習は練習、試合は試合です。ということで、結果、予選11秒44、決勝に進出し、11秒43、6位でした。5月に軽く筋膜炎を起こし、その後、股関節にも痛みがでて、MRIまで撮り、普通に練習ができるようになったのが、10日ほど前からなので、今回は全力で1本、怪我無く走ることができればいいんじゃない、くらいに思っていたのですが、2本走れて、ベストも出て、まぁよし、です。いい仲間にも恵まれ、学校生活、部活、楽しんでいます。 夕方、競技場周辺を歩いていると、いろいろな方に大会の中止のことを声をかけられ、また数名から携帯にも電話をいただき、もうそんなに話が広がっているのかと驚きます。
7/2、木。学校で午後から打ち合わせ。6月に開催を予定していた交通安全研修会ですが、2学期に延期としておりました。で、実施するのかしないのか、どのような形でなら実施できるのか、協議をしました。子どもたちの通学の登校下校の安心安全のために保護者が交代で通学路に立っていただいているわけですが、より安全に実施していただくために一通りの知識は大切です。ただ、例年と同じような形で開催することはできませんので、人数を縮小、時間も短縮で必要最低限の形で開催をするということで進めたいと思います。鹿児島市でコロナ感染が発覚し、40代女性ということで、PTA会員である可能性もあり、緊張感高まります。 7/3、金。午前中は、県P連高校常任委員会、県保健体育課より、コロナウィルス対策についてのご講演をいただきました。あいにくタイムリーな話題となってしまいましたが、県が非常に高い緊張感をもって対応をしてこられ、そしてこれからもということがよく理解ができました。午後は評議員会、県社会教育課より、PTA活動についてご講演いただきました。その後、常任委員会と続きました。わたしが会長に就任以来、この委員会活動について力を入れてきましたが、年3回しか行われない会をどのように位置づけ、中身のある会にするか、少しずつ理想的な形になってきたかなと感じています。途中コロナの感染が県内各地に広がっているという情報が入ってきました。夕方クラブの練習を見て、帰宅をしました。
7/1、水。20年前の7/1。世代を限定しない陸上競技クラブを立ち上げようと、SCC(スポーツ・コミュニケーション・サークル)という名をつけて、第1回目の練習がスタートした日です。20周年を迎えました。わたしと、会員は、男子大学生、40代の女性、小学4年生男子、の3名。まったく目的もレベルも違う3人が一緒に練習をするその様子は、まったく「異様」でした。当然わたしも戸惑いましたし、とにかくこの頃は、まったく自分に自信がもてませんでした。不安しかありませんでした。現役の陸上選手としての道をあきらめたことへの挫折感はとても言葉では言い表せないくらい大きく。でも退路も絶ってしまっていたわけで、だからこそ、本気で考え、どういうプログラムを組めばよいのか、試行錯誤を重ね、20年。今では当たり前に世代を超え集い陸上競技に親しむ風景が広がるようになりました。タイムマシーンがあれば、20年前の自分に「がんばれ!」声をかけてあげたいですね、笑。 20年間のたくさんの支えに心から感謝いたします。20年間こうして続けてこられたのは決してわたし一人の力ではありません。わたしの力なんか何もありません。本当に多くの皆様に助けてきていただきました。未だ、何が正解かは分かりません。わたしの目の前には道も何もない、上も下もない、右も左もない、混とんとした空間を目印もなく突き進んでいる、そういう感覚に陥る時もあります。でも、こうして20年、振り返れば、確かな足跡は残してきたなという実感はあります。SCCがこれから新しい時代の中で、どのように進化していくのか、わたしにもわかりません、なので楽しみでもあるし、もしかしたら、わたしたちのような組織は不要な世の中になるのかもしれません、それもまったくわかりません。でもこれからもたくさんの支えをいただきながら、愚直に、真摯に取り組んでいきたいと思います。それだけは変わることなくやっていきます。今後とも宜しくお願いいたします。
6/30、火。朝から激しい雨が降りました。午後から週イチの事務局ミーティングの後、外出をし、県の体力向上の委員会に出席をしました。はっきりとはわかりませんが、もう10年ほどこの会にも出ているように思います。県の子どもたちの体力向上を目指して、議論をします。当然ですけど、特効薬なんてありません。体力は日々の積み重ね、総合的な生活習慣の結果としてしか向上することはありません。もっといえば、目の前の数値ではなく、子どもたちが将来、健やかに育っていくために、生涯にわたり健康的なライフスタイルを送るためには、運動習慣は欠かせないわけです。ですけど、健康な子どもが健康になるための努力なんてしないわけで、なので、難しい議論が続きます。
6/29、月。午前中、児童クラブの運営委員会が開催されました。5つ、児童クラブがあります。総勢約250名の児童が利用しています。中規模の学校と同じくらいの人数です。アノ休校から、突然、日中も児童を預かることになり、急遽支援員さんの割り振りやら、タイヘンだったのだろうなあと思っていましたが、切実なる生の声を聞かせていただきました。何より、絶対に感染を起こさないと、自身の体調管理含め、相当過敏に対応されてきて、そして今なお引き続きですが、そのご努力、頭が下がります。にしても、学校は休校、児童クラブはOK、正解はありませんが、その理屈未だよく理解できません。児童クラブには保健室もありませんし、体調が悪い子を隔離するスペースもありません。支援員の皆様の精神的なストレスも相当なものがあるように感じました。 午後は来客1組2名、PTAのご縁を介してのご紹介でした。スポーツを活かした放課後デイサービスを始められた方で、その取組をいろいろとお聞かせいただきました。午前中の児童クラブもですが、国の制度を活用して事業をすることは、それはそれでとても素晴らしいことですが、当然、いろいろと作ったり、提出しないといけない書類は多岐にわたるわけで、うちも過去、国、県、市、民間助成、いろいろとお世話になってまいりましたが、それはそれは山のような書類をつくってきました。今後、何か連携することがあればしていきましょう、と話をいたしました。夕方の教室はその間、ほぼ雨も降らず、終了と当時にざーっと振り出し、ほっとしました。
6/26、金。午後から学校へ。2年前に校区の安全マップのWEB版を実験的に作成をしまして、そこから何も進展はなかったのですが、先週の校外生活指導連絡会の時に再びそのことが話題にあがり、その時に作ったカードのあまりがあったので学校に持参をしました。ちょうど、次女が下校の時間で連れて帰りました。本当に暑くなってきて、子どもたち特に下校時は顔を真っ赤にして、汗をながしながら、マスクをしています。 6/27、土。午前中は、全高Pの理事会をWEBで開催をしました。当初、90分予定されていましたが、年度当初のシャンシャンで終わる議題かと思いきや、超ヘビーな話になり、重い十字架を背負った1年になりそうです。当初の予定通り90分で終了しました。そのまま車で宮崎まで走りました。途中雨で、かなり視界が危ない場面もありましたが、安全運転でまいりました。15時より九州高等学校PTAの臨時理事会が開催をされました。ということで、正式に新会長に就任です。また中止となった宮崎大会の大会誌ができあがってきました。中身を見ると、せつなくなります。本当に宮崎の皆さんや当日ご発表予定だった皆様とか、たくさん準備を重ねてきたんだろうなあと。そして1年後、鹿児島大会、1年後の感染状況なんて誰にもわからない中、どうやったら開催できるのか、とても難しい難題へのチャレンジがスタートします。
6/24、水。年に3回ほどあるのですが、小学校PTAで1日に4つの会議に出席をします。午前中はPTA企画委員会といって、年に4回開催されるものです。今年度は総会も役員の研修会もありませんでしたので、初めてすべての学級委員長さん、専門部の部長さん顔を揃えました。一人ずつ自己紹介をしていただきました。もうジャケンに負けてー、みたいなことを仰る方はいなくて、みなさん、ポジテイブなコメントありがとうございます。また今年の主な取組についても、いろいろとわたしが説明しないといけない場面が多く、少ししゃべりすぎました。 午後は校外生活指導連絡会、スクールゾーン委員会、学校保健委員会でした。終わる頃はもう17時前でしたが、そこから校長室に移動をして、先生方数名と意見交換をしました。というのも、ご覧になられた方もいらっしゃるかと思いますが、日曜日の南日本新聞に、現知事の前回立候補時のマニュフェストを検証するということで、教育分野についてわたしのコメントが出ています。学力向上、体力向上のために、学校・家庭・地域の連携を更に、というコメントで、じゃぁ具体的に何ができるだろうか、とフリートークで意見交換をいたしました。終了後、陸上競技場に少しだけですが、顔をだして帰宅をしました。
6/23、火。午後から県教育安全振興会の審査会に出席をしました。この会には今年度から初めて出席をすることになりました。振興会の事業の1つに共済保険事業があるのですが、その申請の内容をチェックをする会です。特に中学高校の部活の怪我があがってくるのですが、この辺りはわたしもそれなりの知識はありますので、特に混乱することなく、議論にも参加することができました。いわゆる「怪我」と「故障」の違いです。スポーツをする上で怪我のリスクは常につきまといますが、故障は基本的には防げるものであり、そこは保険で賄うことができないわけです。夜も会議が1つ入っていたのですが、翌日だとすっかり間違っていて、欠席をしてしまいました。申し訳ございません。
6/19、金。本来ならば、昨日も書きましたが、九州高等学校PTAの大会が宮崎で開催をされる日でした。閉会式では次期開催県として、2021鹿児島大会をPRする予定でした。6月はこのように、県Pの総会が終わった後は、九州の理事会だとか、九州の大会だとか、全国の総会が軒並み続き、ものすごいハードな月なのですが、ほとんど中止で、穏やかな日々を過ごしています、笑。
6/18、木。手帳には、宮崎への出張が書き込まれています。高等学校PTAの九州大会(中止)です。前日入りで総会はじめ各会議への出席と夜は懇親会が計画されていました。そしてその総会をもって、九州高等学校PTA連合会の会長に就任をしました。併せて、全国高等学校PTA連合会の理事にも就任(予定)です。平成30年には九州ブロックPTA協議会(小中学校のPTA)の会長を経験し、今度は高等学校PTAの九州の会長です。どちらも輪番制なので、たまたまなのですが、ダブルでやることになるとは。重い責任を担う1年となります。 午前中に小学校で学校評議員会が開催をされました。学校の各取組、また、校長先生が代わり、改めて教育に対する思い、大切にされていること、お話をいただき、意見交換をしました。また、給食の試食をさせていただきました。鹿児島の子どもたちの人気メニューの1つで「鶏飯」、これ、とりめし、ではなく、けいはん、と読みます。鶏肉や卵焼きや海苔を細かく刻み、これに鶏だしのスープをかけていただきます。たいへん美味しかったです。
6/17、水。午後から県学校給食会の理事会に出席をしました。休校で学校の給食もストップしたわけですが、当然ですが法人運営にも影響がでています。でも、鹿児島はまだ良いほうで、全国的には3か月に及んだところはどうなんだろうと、心配します。また、給食はこれは法律に基づいた制度ですので(制度化については当時PTAが相当な声を挙げたとのことです)、保護される部分もありますが、じゃぁ高等学校の食堂などはどうなのだろうか、そもそも高校に「給食」は必要ないのか、義務教育とは違うと一言で言ってしまえばそれまでですが、そういうことも考えることも必要かもしれません。
6/16、火。鹿児島市の小中学校の夏休み期間短縮が発表され、それに伴い、例年7月末に開催している夏休み!かけっこ塾の今年の日程を急遽変更のお願いを施設側に申し上げました。早速、すぐに調整します、とお返事いただき、夕方にはOKがでました。素早く対応いただき、本当に感謝いたします。ということで「夏休み!かけっこ塾2020〜休校中に落ちた体力を呼び戻せ!〜」募集を開始します! 午後から月次決算の会議を開催しました。5月の数字です。5月は休業に伴い、月会費を半額にいたしました。ということで、月の売り上げがまるまる半分になってしまい、しかし固定費は変わらないわけで、大赤字です。それよりも、心配なのは、急に増えた休会者の数。これが、5月だけではなく、6月になっても増えてしまっています。まぁ退会ではないので、また休会期間が終わったら戻ってきてくださると信じていますが、なので6月、7月も例年よりも数字が落ち込むことは間違いないことでしょう。ここも乗り越えていかないといけません。
6/15、月。午後から教育安全振興会の理事会でした。昨年から副理事長を務めていますが、そこは変わりはないのですが、新たな係をいただき、月イチででる会が増えました。そのまま県P事務局で決裁業務、長男を学校まで迎えにいき、針治療を受けた次男を迎えにいき、帰宅でした。次男はもうそろそろ練習MAXでいけそうです。
6/12、金。3か月半ぶりの出張でした。お隣熊本です。当初、福岡で開催を予定していましたが、会場が変わりました。九州のメンバーでの集まりだったのですが、感染が発生している北九州市、福岡市の方は欠席となりました。念には念をということで、移動も自家用車で行きました。2月末からこういった会議はすべて書面やリモートで行われてきましたが、やはり顔をつきあわせて意見を交わすことは大事だと改めて感じました。会議後の食事の席も失礼させていただきました。帰路、雨の中、高速で戻りましたが、その途中で速報が入ってきて、鹿児島市で1名ウィルス感染のニュースでした。運転中でよく画面が見えませんし、高速なので、止まれず、かなり動揺いたしました。帰って、9時からの記者会見を拝見しました。
少しずつ、いろいろな活動、PTA関連の会議等も再開され、リズムが戻ってきている感じです。これからは自粛から自衛と、都知事が仰られていました。 6/10、水。小学校PTA三役会でした。今月末に最初の企画委員会が開催をされますが、今年は総会その他年度当初の会議や行事をほぼ中止にしたので、ここくらいからいろいろなことが動き始めることになります。その会に向けて諸々協議をしました。 6/11、木。午前中運営委員会の予定でしたが、延期をしました。午後は県P連役員会。の前に、6/6に開催予定だった、県P連総会の書面決議を午前中に行いました。すべての議案に賛成多数をいただき、令和2年度が動き始めました。わたしの会長職も続投が決まり、3年目の任期が始まりました。今年は例年以上に難しい、厳しい判断を迫られる場面も増えるかもしれませんが、常に冷静で、偏りのない目で、先輩方が築き上げてきたこの活動が滞ることのないように進めてまいります。こういう時だからこそ、できることがあるはずです。役員会は新メンバーで、今年も入れ替わりはありましたが、居残り組と新規組のバランスがよく、良いディスカッションができそうです。早速、秋以降に開催される委嘱公開等について、県P連としての立場、考え方を詰めました。
6/9、火。午前中、次男がこの春から進学した高校へ。PTAの理事会です。先般、総会が書面決議で行われ、PTA会長に選任されました、笑。今年は小学校と高等学校のPTA会長を兼任することになりました。全国で唯一、小中高特別支援学校PTAが一緒になって連合会を組織している鹿児島県PTA連合会の会長として、また広く高等学校PTAのことを学べる素晴らしい機会をいただいたと、前向きに取り組まさせていただきます。校長先生もよくご存じの方でしっかりとお支えしたいと思います。この高校の目指す学校像がかっこよくて気にいっています「文二武備・万里一空・英姿颯爽」いいですね。
6/8、月。午後学校へ。毎年夏休みに実施しているプール開放を、今年はどうするか、協議をいたしました。事前に数名のPTA会長に連絡を入れて、それぞれどのような状況か聞きました。実施の方向で動いているところ、すでに中止を決めているところ、それぞれでした。わたしは、プール開放を楽しみにしている子が一人でもいるならば、開催をしてあげたいと、基本的には開催をする方向で、協議をしました。開催するためには、人数を制限しないといけない、どうするか、更衣の時間をどう考えるか、こうすればいい、ああしたらいい、いろいろな意見がでました。しかし、子どもたちが入水している時間をどう考えるか。マスクもしていません。近づかない、大きな声を発しない、そういうことをどうやって守らせるか。厳々にこれらを守らせたとして、子どもたちが子どもたち同士、一定の距離をおいて、大声をださず、向かい合うことなく、水遊びをする、これはわたしたちが望んでいるプール開放なのか。否、です。楽しみにしてくれている子どもたちの気持ちを思うと、胸が痛いですが、最終的には中止ということで決めました。あくまで今月末に開催される会議で審議事項として執行部より提案をいたします。夕方は長男、次男を針治療に連れていきました。夜は次女の誕生日、長女と次女は誕生日が2日違いなのです。
6/6、土。本来ならば、県P連総会の日。午前中に集まり、議長団含め打ち合わせ、昼をはさみ、控室で来賓をお迎えし、ご案内、開会、あいさつ、表彰、協議、閉会、新役員初顔合わせ、夜は新旧の役員で慰労会、を、すべて頭の中でイメージして。午後はクラブの練習へ。夜はお誕生会、長女、13歳の誕生日でした。中学1年生、美術部に入部しました。幼い頃より、絵を描いたり、モノを造ったりが好きな子でした。どんな作品を創るのでしょうか、楽しみです。
6/5、金。予定では、午前中にわたしが会長を務める県コミュニティスポーツクラブ(総合型地域スポーツクラブ)連絡協議会の総会が開催予定でした。こういうときだからこそ、それぞれのクラブの状況等情報交換したかったのですが、残念ながら書面での決議となりました。午後は県広域スポーツセンターの研修会、こちらも中止でした。夜はその研修会の情報交換会こちらも当然中止、校区の1中学校と2小学校の3校連絡会がこちらは延期です。3つの学校ともに校長先生が変わられたのですが、自分の学校の校長先生以外、未だ、お会いしておりません。と慌ただしい1日になる予定でしたが、何もなく。午前中はあるものを実験的に作成し、学校にお届けしました。使い勝手によってはこちらも近日、公開いたします。
6/4、木。午後から県P連のPTA新聞の編集委員会でした。総会や7月に予定していた設立70周年記念式典等の記事を掲載予定でしたが、それらの行事もどんどん変更になっており、なので、PTA新聞の紙面内容も大きく影響を受けています。終了後、決裁業務でした。6/2に本来ならば高校常任委員会が開催されてそれぞれの委員長を決める予定だったのですが、こちらも開催できず、委員長は事務局サイドで人選をして決めさせていただきました。情報が乏しく難航しましたが、なんとか、です。
6/3、水。来月発行のPTA新聞の原稿書き。1200字とまあまあの量です。わたしが担当をする7月開催の県小学生陸上大会のウィルス感染予防のガイラインを整えています。選手控え所、アップ、招集、競技。対象者も選手、審判、保護者、チームスタッフ、様々な時間軸、場面、角度から想定をし、最大の努力をしないといけません。感染が少ない鹿児島だからこそ、全国でも先駆けて最大の配慮をしながら開催しないと、どこも開催することができません。終日、強い雨が降りましたが、練習時間帯の夕方は小降りになり、大きな影響もでず、ほっとします。愛犬ラテくんが、産まれて6カ月、我が家にきて3か月となりました。すでに3か月前からすると、倍くらいの大きさになっていて、みんな3か月前のコロコロした頃の動画をみて、かわいいかわいい、と言っています、笑。子どもたちが朝、学校に行くのにそれぞれ「いってきます!」と言うのですが、その言葉が嫌いらしく「いってきます!」という度にギャンギャンと吠えます。朝が騒がしいです。
6/2、木。夏のプール開放について、PTA会長仲間数人に電話をして状況を伺いました。このプール開放事業、ここ数年いろいろとありまして、わたしも市P連の保体部長を1年間やった時に、この事業の課題をいくつか指摘をさせていただきました。が、またそことは違う案件で、PTAとしての見解、市教委としての見解、相違があったり、結局、これは市教委がやっていることなのか、PTAがやっていることなのか、つまりは責任の所在ということなのですが、なので、実施方法で右往左往している状況です。全国的にはやめるところも増えているようで、鹿児島市内の学校もいくつか中止にしたところもあるようです。加えて、このコロナですから、そろそろ今年の実施方法について、決めていかないといけません。午後、来客。昨日の件ですが、結果、リース契約を結ぶことになりました。PTA仲間のKさん、クリーニングのお仕事をされているのですが、最近、営業車がかっちょよくなっていて、そのことを話をしたら、リースにして、デザインも込みでやってもらえる、というお話を伺い、すぐにその方をご紹介いただくことになりました。あっという間に契約まで話が進みました。以前もその件で営業の方が来られてお話を伺ったことはあったのですが(同じ会社だと記憶しているのですが)、その時は割高だなあとしか思いませんでした。けど、今回はすぐに話が進みました。各種書類に印鑑を押しました。夕方は高校まで次男を迎えにいきました。土曜日にトレーナーさんから針治療をしたほうがいいと言われ、連れていきました。次男、初の針治療、かなりびびってました(笑)、良いアドバイスもいただきました。
5/29、金。のことを書いていませんでした。午前中は来客2名、県P連関連の事業の現在の状況についてレクを受けました。午後も来客、鹿児島市内各地を連日走り回っているSCC号(ハイゼット)ですが、以前はわたしも運転をしていたのですが、今はわたしが運転することはほぼありません。10万キロちかくの走行距離になっているということで、そんなに走ったかと。購入時期を調べたら平成19年ですから、もう13年になるんですね。まぁよく故障もしてくださいまして、おそらく車両本体価格と同じくらい修理費もかかってます。でも大切なスタッフの命を守ってきてくれたわけで、感謝です。そして次を考えないといけないということで、新車にするか、中古にするか、リースにするか。どのような形がよいかいろいろと検討をしています。夕方はトレーニングの様子をみました。
5/30、土。アサイチで長男を学校へ、週末は模試が続きます。高校3年生、受験に向けて、いよいよ準備が本格化してきました。次男と競技場へ、次男は学校の部活、わたしは陸上競技協会の会議でした。今後、スタートする競技会の運営について、議論が白熱しました。医療の専門家にも入っていただき、アドバイスをいただきました。非常にデリケートな配慮が必要です。大会出場者、審判、補助員はもちろん、チームスタッフや保護者、関係者。考え始めたらキリがない、けれども、やるしかありません。模試が終わった長男を迎えにいき、いったん帰宅。午後の練習のプログラムを組み、再度競技場へ。長男、次男、トレーナーの方に診ていただきました。2人とも、ハム、難ありです。トレーナーの方はわたしが現役時代から診て頂いていた方で「遺伝かな」と笑ってました。
5/28、木。午後から県P事務局へ。来客があり、進めていらっしゃる取組みについて、ご説明をいただき意見交換をいたしました。その後、決裁で、机の上には書類が山積みでした。
5/27、水。最近は、朝、起きるとすぐに新聞を開き、前日のコロナウィルスの感染発生状況をチェックするのが習慣になってしまっているのですが、南日本新聞でいうと、後ろからめくってめくってのページですが、昨日もそこに目を通して、ふむふむと、で、横のページに目をやると「生涯スポーツの場ピンチ」、先日わたしが取材を受けた記事でした。その件で昨日は午前中いくつかお電話をいただきました。スマホのショップへ。んー、このスマホのプランの説明、わかんないっす。なんなんですかねえ。前回伺った時とも説明が違ったりするし。ほかにもお客さんいらっしゃいましたが、皆さん、同じような表情をされていて。なんだかうまく言いくるめられている気分になるのはなんで、なんですかねえ。ということで、4年ぶりに機種を新しくしました。午後は月次決算会議、4月の売り上げ、執行を確認をしました。まだコロナの影響は大きくでていません。通帳の銀行の残高もチェックしました。夕方はクラブの練習をみました。高校生がユニフォームを着てタイムトライアルをしていて、3年生の区切りということでした。そっか、例年なら県高校総体の時期かと。
5/26、火。午前中は毎週火曜日午前中に実施している健康体操教室の様子を。ストレッチポールとダンベル体操の教室で、運動強度は低いのですが、年配の、運動経験の少ない方にはちょうとよく姿勢もよくなり、インストラクターの指導もたいへん好評なのですが、少し参加人数が減ってきて。かつ、増えていく兆しも見えない状態が続いていて、損益分岐を下回ったままで、このままいくとクローズも致し方ない、という状況です。もしかしたらコロナ明けにまた好景気の波がという期待もありますので、どこでどう判断するか、です。午後は法人理事を務める幼稚園の理事会でした。昨年は年度途中から幼児保育無償化で、その影響で決算の数字がいろいろと影響がでています。夜から雨と予想していましたが、だいぶ早くから降り始めました。夕方のスクールの様子、見て回りました。
5/25、月。外出や会議の予定なく、終日デスクワークでした。思えば、外で食事をしたのは、2月の末に東京に出張に行ったその日で、翌日、東京から帰ってきて夜は校区の会議にでて自宅に戻ると一斉休校の要請、そこから出張、外食ピタリとなくなりました。それから丸3か月が経ちました。緊急事態宣言の解除、少しずつ通常の生活が始まります。わたしはいろいろな会にでることになりますし、出張もまた少しずつ増えてくるでしょう。県P連として秋にはいろいろな会が開催をされます。それらについて、昨日も局長と発出する文書についてメールでやりとりが続きました。難しい判断が続きます。
5/23、土。午後からグラウンドへ。新聞社から取材でした。このコロナを受け、総合型地域スポーツクラブの活動の状況についての取材でした。これからをどのように考えますか?との問いに言葉に詰まりました。コロナが終われば、また元通りになる?新しい生活様式を続けなければいけない?極力外にでるな、集まるな、わたしたちが目指してきたスポーツコミュニケーションサークルの存在価値は?何もわかりません。いつ掲載されるのかはわかりませんが、しばらくは朝、紙面を広げる時は緊張する日々が続きそうです。
5/20、水。この日は県P連の評議員会といって、6月の総会に議案を上程するための大切な会が開催をされる予定だったのですが、こちらも書面での決議ということになりました。そしてこの日はとても大切な日でもあります。鹿児島県PTA連合会設立の日です。70年前、昭和25年5月20日に鹿児島県PTA連合会(当時は連合会という名前ではなかったようですが)は設立総会を開き、その歩みをスタートさせました。初代会長は増田静さんという方です。わたしで30代くらいだと思います。戦後まもない頃、昭和22年にPTAは全国各地の学校において「教育の民主化」のために誕生し、その後、各市区町村や都道府県単位の協議会・連合会が設立をされました。ちなみに鹿児島市PTA連合会は昭和23年設立なので、県のほうが後なのです。書物によると、何度か、県の連合会の設立も声があがっていたけれども「時期尚早」ということで設立が見送られた経緯もあったそうです。 しかし、戦後間もない、情報伝達手段が乏しかったあの時代において、PTAは昭和22年から約3年ほどで日本にあっという間に広がり根付いていった、その背景には何があったのでしょうか。平和な戦争のない日本を取り戻す。そのためには「教育」が大切、強く熱い想いがあったのでしょう。それから70年が経ち、今、日本の教育界は戦後最大の混乱にさなかにあるといってもいいでしょう。突然に学校にいけなくなった子どもたち。それを埋めるべく入学時期を9月にするという議論。桜が舞い散る卒業入学、出会いと別れの儚さを学ぶあの季節感を奪うということですか。とにもかくにも、この混乱の世において、わたしたちPTAがなすべきことは何なのか。子どもたちのためにどうあるべきなのか、また、みんなと手を取り合い(ん?ソーシャルディスタンスは保ちつつ?)、考えていきたいと思います。
5/19、火曜日。外出、来客の予定なく、終日デスクワークでした。わたしが会長を務める県総合型地域スポーツクラブ連絡協議会が、今年は総会が開催できず書面で議決をとっています。メールやFAXで毎日クラブの仲間から書面が届きますが、コロナの影響で活動ができない。できなかった状況、第2波が怖い、悲痛な声が届きます。夕方はスクールを回りました。
5/18、月。午後から学校へ。今年はPTA総会が開催できず、書面で決議をとりました。そしてその集計作業を終え、決議の結果をお知らせするプリントをつくり、印刷し、各教室の長子数に枚数を揃え、そして、令和元年度の執行部すべての活動が終了でした。コロナの影響で、3月からまったく何もできなくなってしまい、その中でもPTA活動を、子どもたちのための活動を止めるわけにはいかないと、できる限りのことを尽くしてきました。そのメンバーと一区切りです。例年なら歓送迎会でぱーっと盛大な場を準備するのですが、それもできず、ひっそりと、静かにありがとうございました、と実感もなくお別れでした。3月からそういうことが続いています。やはり区切りの場というのは大切だなと感じます。終日、強い雨が降りました。夕方の教室の開催を心配しましたが、そういう中でも元気にきてくれる子どもたちのおかげで、無事開催することができました。屋外スポーツなので、天候に左右されることは仕方のないことです。屋内スポーツ羨ましいなあと何度思ったことか。でも、このコロナに関していえば、屋外スポーツの感染リスクの低さは、当然油断は禁物ですが、より安全に開催することができています。
5/16、土。夕べからずっと強い雨が降ります。午前中でヤマを越えるかと見ていましたが、午後も大きな雨雲が鹿児島市南部にかかり続けると。警報もでました。雷が鳴れば屋外スポーツは実施できません。しかし、雷もならず、雨もそこまで強くは降らずトレーニングをすることができました。ほっとします。 5/17、日。朝は長男が学校でテストがあると送っていき、その後、午前中はしっかりトレーニングをして、汗をかいて、再び長男を迎えにいき、午後はラテのトリミング、その間に食材を買い、夕方は料理、3品。
5/14、木。何も予定なくデスクワーク中心に1日過ごし、夕方、緊急事態宣言解除の首相記者会見を拝見しました。牛コマ肉とたまねぎで牛丼の具をささっとつくり、大皿に乗せて、テーブルの上に置き、風呂に入って上がると、子どもたちがほぼ食べつくしていました、笑。俺の分。 5/15、金。昼から教育安全振興会の理事会です。令和元年度から副理事長を務めています。1年目ということで会議で出てくる様々な資料どれも初めてみるもので、へー、ほー、と、頭の中が叫んでいます。いろいろな取組を行っていますが、公益法人というのは、自治体や国からいわゆる「認可」を受けているわけです。それは設立当時にこのようなことをしますよ、という約束をして特別に認可をしてもらうわけです。なので、いわゆる「このような取組」を変える、止める、また新しい取組を行うのも、すべて、細かく規制をされているわけで、この変化の激しい時代において、なかなか身動きとりづらいんだなと感じました。会長を務める、小学校PTA総会の書面決議の結果がでまして、副会長からLINEが届きました。11年目がスタートしました。11年かあ。夕方の練習は激しい雨が降りました。
5/13、水。朝は天気もよく、近所の神社へ向かい手を合わせてまいりました。数年前、本厄が明けた年の誕生日に、母から「神社にいきなさい」と言われてから、毎年誕生日には神社で手を合わせるようにしています。境内は青々とした木が茂り、空は濃い青空が広がり、気持ちの良い季節に生まれたんだなと改めて感じます。この混乱が1日も早く治まりますように、祈りました。今、気づきました。年男です。夕方は、長男、次男を連れてトレーニング、でした。
5/12、火。午後から県P連の会議。5月は6月総会に向けて大切な会がたくさんあるのですが、それら1つ1つ慎重に開催すべきかどうか判断をさせていただき、概ね、中止(書面決議)です。しかしこの日の会は総会に向けての最終の決議の場ということで開催しました。20名ほどの会で、広い会議室を使い、換気に気をつけて、マスク着用で開催しました。が、ただでさえ、マスクをしての発言は声が聴きとりにくく、また広いので、端と端はほぼ声が聞き取れないという、なかなかこれはこれで会議開催は難しいなと感じました。新年度予算、その他計画は、年明けから少しずつ練り上げ、役員会を中心につくりこんでいくのですが、当然、コロナ対策のことはここ2か月くらいのことで、中身には反映されていないところもあります、その辺りで、急遽、書き換え、付け加え等がありました。これで年度内の県Pの会議はすべて終わりました。今年でPTA卒業の方々、例年だと表彰の場があったりするわけですが、それもすべて無くなり、この会が最後の会でした。お世話になりましたと、ハグも握手もできず、せつない限りです。
5/12、月。午後から県総合体育センターで打ち合わせ。6月の総会が延期になりましたので、事前に書面をお送りするのですが、その内容についてと、令和3年から中間支援組織が改まるので、いろいろと整理しないといけない事柄が山積みです。
5/9、土。NPO法人SCCの総会が開催されました。その他の各種団体の総会は軒並み中止、書面決議ですが、うちは、少人数での開催ということ、テラスなどを使い屋外で開催できること、そして何より年に一度、理事の皆様からご意見を伺える貴重な機会であり、開催をするという決断をさせていただきました。雨も降らず、庭の芝生スペースに机・椅子を出して開催いたしました。風が手元書類をびゅんびゅん吹き飛ばしてタイヘンでしたが、笑。令和元年度報告、決算。ちょうど1年前、令和の時代がスタートし、新しい時代に向けて新たな挑戦の1年にしたいと宣言をしたことを思い出します。そして決算は黒字決算でした。ただ、このコロナの影響は4月からです。今年度の活動計画、まず、このコロナをどのように乗り越えていくか、そして予算計画をどのように考えていくか、力強く説明をいたしました。赤字の予算案を初めてつくりましたが、こんな時こそ、という思いです。すべての議案にご承認を頂き、約1時間ほどで終了をしました。この2月くらいから5月まで、1年間の経営計画を練り、総会を終えるまでこの期間がわたしにとっては経営者として一番大切な時期で、ここを乗り越えると大きくほっとします。
5/8、金。手帳には4つの会が書き込まれていて、県P関連の3つの会が開催を予定していましたが、そのうち2つは中止となり、1つはわたしが出席をする必要がなくなりました。もう1つは小学校のPTA総会の予定で、こちらも書面決議で進めています。ということで予定ナッシング。
5/7、木。いろいろな公共施設の利用制限がなくなり、この日からSCCの活動も再開をすることができました。ただ、今後もまだ安心できる状況にはありません、緊急事態宣言も全国に発令中です、緊張感は保ちつつ、いろいろなことに配慮しながら、また制限をしながら、活動をさせていただきます。また、全国の他の地域ではそのような状況にはない地域もあり、苦しんでいらっしゃる方々もたくさんいらっしゃいます。本当に大変だと思いますが、先に再開させていただけることを謙虚に受け止め、ご理解いただいている皆様に心から感謝申し上げます。夕方は再開したいくつかの教室を見て回りました。一生懸命指導をするスタッフがいて、笑顔の子どもたちがいて、その当たり前の光景が当たり前ではなくなったこの数週間、たいへん苦しかったですが、その当たり前に思いっきり感謝の気持ちが沸きあがってきました。
5/6、水。午前中はデスクワーク、午後は次男、次女を連れて自主トレ。次女の縄跳びの上達速度が炭次郎なみです(鬼滅の刃より)。緊急事態宣言がでて、クラブの夕方の教室が休止になり、その時間の自分の時間の過ごし方がわからなくて、とりあえず、毎日一品料理をつくっています。わたしの料理の腕前もぐんぐんあがってます、炭次郎なみです、笑。
5/5、火。こどもの日で、例年なら、県の事業で県体育施設の無料開放デーの中で、かけっこ教室を開催をさせていただいていますが、それも中止です。午前中は知事の記者会見をライブ配信で拝見をいたしました。また、それを受けてSCC活動の今後の方針、マネジャーと話し合って決めました。午後、利用ができなくなっていた各施設の今後の状況が少しずつ判明をしてきました。
5/4、月。4月末からコロナの影響で、初の活動休止となり、これが悲しいほどに連日晴天が続いています(日曜日だけ雨でした)。鹿児島の春はあっという間に終わります。こんなに爽やかで気持ちの良い日々が続いているのに、屋外スポーツができないなんて。今週末に総会を迎えます。令和元年度の活動報告と決算、令和2年度の活動計画と予算。予算組は1つ1つの数字を丁寧に積み上げていますが、どこをどうがんばっても、マイナス予算です。またわたしが会長を務める県の総合型地域スポーツクラブの連絡協議会も決算です。総会は書面決議をもって代えさせていただきますが、だからこそ丁寧な資料づくりが必要です。こちらはわたしが1人ですべて事務局を担っていて、通帳もわたしが管理をしていて、細かい立て替え払い分とか、それを口座から引き出してと、で、最後に数字を合わせていくのですが、これが合わないんです。こういった細かい業務が苦手でして。ほんと。最終的には打ち込みミスなどがあり、数字は整うのですが。こういった資料づくりを進めている毎日です。
5/2、土。昼から、長男、次男を連れて屋外でトレーニング。パーソナル指導。2時間ほど、気温もあがり、汗をかき、心地よい疲労感。スマホやテレビから離れ、自分の身体と向き合う時間。ステイホームですが、自分の心と身体を健やかに保つために、あえて、情報から距離を置くこと、必要だと思います。このようになって、改めて、運動、スポーツの大切さ、身体を動かすことが、メンタルにいかに有効か、感じています。
5/1、金。5月に入りました。午前中は、小学校のPTA総会の資料づくり、これを配布し、書面決議をとります。お母さま方それぞれ休校中のわが子の様子を案じています。パジャマから着替えずに一日過ごす、とか、どこも同じような状況のようです。夕方、県、市教委から判断された休校措置の状況が入ってきました。どのような状況でも受け入れて、できるだけのことをするだけだと、もうそれしかないと思っています。
4/30、木。手帳には福岡出張の予定が書きこまれています。九州高等学校PTAの臨時理事会を開催し、6月の九州大会の開催について協議をする予定でした。日程を設定したのは、3月中旬で、このまま収まれば、判断ギリギリだろうという感じで見ていましたが、その後、3月終わりから感染拡大が広がり始め、もはやこの理事会すら開催できないという状況になりました。本当に残念です。午後から県P事務局へ、各決裁でした。
4/29、水。日々の教室がないと、今日がいったい何曜日なのか、わかんなくなります。昨日は、陸上競技協会の理事会の予定でしたが、こちらもナシ。午後からはSCCのスタッフが動画撮影をするということで、次男を連れて見学にいきました。次男は部活もお休みで、近所の公園で自主トレしていますが、やはり50m以上ある直線コースである程度スピードをだしたダッシュ系の練習をしないといけません。大腰筋に刺激が入りません。スタッフはもちろんですが、人と人の距離を保ちつつ、青空のもと、ほんとにみんな一生懸命に動画撮影にのぞんでいました。その姿にまたジンと感動して、なんとしてもこのスタッフを守らなければ、そう誓いました。
4/27、月。手帳には、就職問題なんとかかんとかという会への出席が記されてあります。初めて出る会だったのですが、こちらも中止。いろいろな会が中止になり、その代わり連日のように、書面での決議と資料が送られてくるのですが、それらを読み込むのもまあまあ時間かかります、笑。 4/28、火。本来なら、先日開催された学級PTAで選出された各クラス役員の皆様にお集まりいただき研修の日だったのですが、こちらも中止でした。例年、ここで、わたしが講師となり、学級委員長の皆様にグループワークを体験していただき、こういうことを各学級PTAでガンガンやって欲しい、みたいな感じで進めるのですが、ガンガンやってはいけません。お昼前に理事会だけは開催をさせていただきました。部屋を広くいっぱいに使って、人と人の間隔しっかりとって、窓全開で開催をしました。1年間、PTA役員として一緒にやってきてくれた皆様です。総会へ上程する議案についてご審議いただきました。そして最後に一言ずついただきました。総会も歓送迎会も中止ですので、これが最後のご挨拶となりました。ほんとに寂しい。この3月、4月、いろいろなお別れの場がなくなり、寂しいです。
4/25、土。手帳には市P連の理事会開催とありますが、こちらも書面決議です。先日、用事があって市P連の事務局に伺ったのですが、事務局がある中央公民館自体が閉鎖されています。夕方、テラスで、久しぶりに炭火を起こしたくなり、豚ロース塊肉をじっくりと焼き上げました。この炭火で肉を焼く匂いたまりませんね。中まで火を通すのに、スモークで煙を出しながら、この匂いもたまりません。この匂いだけでお酒飲みたくなってしまいます、笑。最後にソースを塗りながら表面を固めていきます。外はかりっと中はプルンと、お好みで辛子やマスタードソースをつけて。個人的には豚ロース塊肉はこうして食べるのが一番うまいです。
4/24、金。午後から県P連役員会、今後当面の県P連の会議、行事をどのような形で開催をするか、総会は大人数が集まりますので、書面決議ですすめます。が、そこに至るまでの会議も諸々あります。基本すべて集まらない形で開催をするべきなのですが、どうしても、というものもありますので、その辺りをしっかりと協議をしました。終了後、決裁業務。そして県P事務局の皆様にも可能な限り5/6までは自宅で過ごして、出勤しないとといけないところは交替で出てくる等勤務形態も工夫をしてください、と申し上げました。
4/23、木。午前中は、現在部活停止で、近所の公園で自主トレをしている次男にトレーニング指導をしながら、動画撮影。アイパッドで動画を編集して、会員の皆様へ、この活動休止中でもできるトレーニングとして配信をいたしました。久しぶりの動画編集ということでこれに関しては長男のほうがはるかに高い編集テクニックをお持ちですのでいろいろとご指導いただきました。長男は高3、昼過ぎには近所の自主学習スペースに向かい夜遅くまで勉強をして帰ってきます。スポーツ、勉強とそれぞれ違いますが、人に言われてではなく、自ら自主的に取り組めるのはとっても素晴らしいことです。
4/22、水。アサイチで出発。休校していない学校、警察学校です。5年ほど前から新入生にトレーニング指導をさせていただいています。今回は教え子が2人。なりかと、まほ、SCC出身。がっつりドリルからスタート練習、セット走、1時間20分ほど。久しぶりに短距離の練習ができてたのしい!と笑顔でした。入校期間10か月だそうです、がんばって!近くには鹿児島県コロナ第一号が立ち寄ったとされるスーパーがあり、でも、前を通ると、まあまあ車は停まっていて、ほっとすることはしますが、なんだか立ち寄る気にはなれません。わたしも少し過敏になっているのかもしれませんね。この日からSCCの各活動すべて休止となりました。夕方近くになると、スタッフが入れ替わり立ち替わり事務所に入り、夕方のスクールの準備が始まるのですが、静かに時が流れ、不思議な感じです。休会、退会の届けが続々と届きます。今は我慢。
4/20、月。PTAの三役会、1学期はPTAの各活動を一切ストップしているところもあるということですが、わたしたちのところは、すべてをストップではなく1つ1つの会・行事を精選しながら、可能なものは中止にしていますが、ポイントとなる少人数での会等は配慮をしながら開催をしています。特に総会が書面決議となる予定ですので、やはり、いつもと同じ準備ではなく、例年より丁寧な準備・資料が必要だと思います。終了後、ディーラーへ愛車を車検にもっていきました。長男が小学校入学時に購入したものですから、もう11年、12年目に入ります。丁寧に手入れもしていますし、不調もなく、がんばってくれています。 4/21、火。午後から経営計画発表会。わたしの1年の最大の仕事といっても過言ではありません。令和2年度のSCCの経営計画を発表をしました。創立20周年という節目の年に、そしておりしも、20年間で初の「活動休止」という事態に追い込まれた中、どういう経営計画を策定したのか。今年の年間テーマを「爽やかに越えていけ、今こそ20年間のノウハウを活かすとき」としました。危機は危機ですが、この時のためにどんな状況でもふんばってきた20年間のノウハウを活かすことができる時が来た、つまり、この時のために20年間力をつけてきたのだと思うのです。爽やかに、乗り越えていきます!
4/17、金。前日の政府の緊急事態宣言を受け、いろいろな公共施設が再び閉館、学校もおそらく再び休校へ。前回2月末の全国一斉休校要請の時は、学校部活動もできなくなりましたが、わたしたちの活動は短時間の屋外であり、十分な配慮をすれば、感染のリスクは限りなく低いと判断し、信念をもって継続して活動をしてまいりました。当然賛否両論ありました。でも、圧倒的に、子どもたちが思いっきり身体を動かす場があってありがたい、そういう声のほうが大きかった、だから、なんとか今回も活動を止めずにやっていきたかった…、でも、国の緊急事態宣言。重く受け止め、鴨池運動公園の閉場とともに、18日土曜日から総合型陸上競技クラブを休止、学校の休校と合わせて、その他すべてのスポーツ教室等の活動を休止することを決断しました。20年間やってきて、初めてのことです。重く、重く、ズシンと心に響きます。夕方、最後の練習を見ていると、涙が、何故こんなことに。手帳にはこの日から沖縄出張の予定が書きこまれていました。当然こちらも中止になりました。 4/18、土。朝起きると、久しぶりに顔にふきでものが。下痢もとまりません。わたしのストレスMAXに達したのでしょう。思えば、2月末の休校要請からSCCの活動をどうするか、難しい判断があり、しかしそれをやりきり、次は4月に入ると、各PTAの集まりをどうするか、県P会長としてもメッセージを発出し、単P会長としても中止すべき会、やるべき会、判断をし、ひとまずやりきって、その最終日に緊急事態宣言全国へ。再び、当面のSCCの活動をどうする、いよいよ休止。判断し、やりきれば次の判断、やりきれば次の判断。苦し過ぎて。土曜日の午後。20年前、わたしが会員3人と立ち上げた最初の教室が、土曜日午後の教室です。最近は出張や会議で顔をだせないことも増えましたが、それにしても、土曜日の午後に何もせずにいるというのが、わたしのこの20年間のライフスタイルではありえないことで、苦しくて苦しくて。いたたまれず、一人、海辺に車を走らせました。そして一人ぼーっと桜島を眺めながら時間を過ごしました。しばらくすると、今度はムクムクと湧き上がる気持ちがあり、もうこうなったらやりきるぞと、この状況の中、できることを徹底してやるゾと。我ながら、レジリエンス能力の高さ!
わたしは困難な出来事に遭遇した時、これにどう対処しようとか、どう切り抜けようではなく、このことはわたしに何を教えようとしているのか、と思うようにしています。会議や打ち合わせの際、意見がぶつかり合うような時も、自分の意見を通そうとか、相手のことを悪く思うのではなく、このことからわたしは何に気づくべきなのか、と考えます。今回のコロナも、悪、敵、ではなく、わたしたちに何かを教えようとしている、何かを伝えようとしているのではないか。ワイドショーもSNSも日々一斉に大騒ぎしていますが、そのような謙虚な姿勢が少々足りない気がいたします。心穏やかに、コロナさんが仰りたいことに耳を傾けませんか。旅行にいきたい、食事にいきた、会いたい人に会いたい、我慢我慢ではなく、日々の慎ましい生活の中に、自分たちが大切にすべきライフスタイルを見直し、会いたい人に会いたい、その気持ちも愛おしく感じてみてはどうかと思います。 4/16、木、午前中は運営委員会、天気が良かったので、庭でオープンエアーで開催をしました。スタッフの報告から、3月の教室やイベントをやりきった安堵感、伝わってきました。この時点ではこの後、また大きな波が来ようとは感じられませんでした。午後は3日間続いた最後の学級PTA、低学年でした。引き続き全員マスク着用、換気を徹底して開催をしました。そろそろ無事に終わろうかという時、ニュース速報が入り、政府の緊急事態宣言、対象地域を全国に、とでました。これはただごとではなく、心臓の音が高まりました。いったい、どうなる。
4/15、水。午前中は月次の決算会議でした。これは月に1回、事務局長と収入と支出のバランスのチェックをしている会なのですが、ふと気づくとしばらく開催をしていなかったことに気づきました。というのも、振り返ると、12月の末に開催を予定していた時に、事務局長がインフルエンザに罹り、会が流れてしまったのです。いつも会の終わりに次回日程を決めて終えるので、なので、そのまま1月も開催されず、2月は出張が7回入りバタバター過ごし、その後はコロナ禍で、あれ、月次の決算会議ってどうなってたっけとなったのです。なので、11月の数字から3月の数字まで一気に見ていきました。下半期の数字、そして令和元年度の数字がおおよそわかってきました。コロナの影響はこの段階では出ておらず、逆に昨年10月以降の数字がよくて、おそらく令和元年度は黒字決算になるだろうという見込みです。が、4月以降への影響は必須です。 午後は、昨日に引き続き、中学年の学級PTA、4年生のあるクラスで、初のできごと、欠席なし、全員出席でした。またほかのクラスでは、クラス役員決め、15分ですべて終えたところもあり、なんだかすごいです。前日は時間になってもなかなか終わらないクラスもあったので、この日は、鐘をもって、終了でーすと、チリンチリン鳴らしながら、廊下を歩きました。
4/13、月。午後から月次の決算会議の予定を入れていましたが、よめどのが中学校の学級PTAがあり、延期となりました。次男が、高校1年生ですが、朝練にも参加するようになり、きついらしいのですが、とても充実した雰囲気です。勉強は嫌いですが、部活にこれだけ熱心になれて、それはそれで、いいことですね。それだけに今年の高校総体の開催が気になります。わたしも高校3年はインターハイ・国体での入賞を最大の目標に1年間を過ごしました。あの時、インターハイが開催されていなかったら、わたしの思いのぶつけようはどうなっていたか、進学先はどうなっていたか、すべての人生の歯車が変わっていたでしょう。 4/14、火。午前中から県P連の期末監査を監事の皆様に実施していただきました。室内の換気に注意をし、変な話ですが、できるだけ短時間でという形で実施をしました。例年お昼をまたぐのですが、13時前には監査総評をいただき、そのご意見をしっかりと今後の県P連運営に反映していくことをお約束をし、監査印をいただき、終了いたしました。午後からは小学校の5.6学年の学級PTAを開催しました。こちらも全員マスク着用で換気に十分注意を払い、午後は西日が入る教室ですが、お肌に敏感なお母さま方にも「ごめんなさい!」と謝りながら、カーテンも全開で開催しました。時間も1時間、延長はなし、です。無事、全ての役員、係も決まり終了しました。 この学級PTAの開催については、いろいろなお考えもあり、やめるべきか、開催すべきか、判断に相当に悩みました。しかし、この4月の学級PTAというのは、何もPTAの係決めが全てではなく、わたしたち保護者と担任の先生の最初の出会いであり、先生の学級経営への思い、教育への思い、そういうことを保護者と先生が思いを1つにする大切な場です。学校でいえば、入学式、始業式、学級でいえば、4月の学級PTAなのです。この後に続く、総会やミニバレー、歓迎会はすべて中止としましたが、この学級PTAと総会に議案を上程する理事会だけは開催すべきだろうということで判断をいたしました。どうかご理解いただきますよう宜しくお願いします。
4/11(土)、午前中、県陸上競技協会の常務理事会、日本陸連の通達を受け、4月からの各競技会をどうするか。詳細は協会のHPをご覧ください。長男がこの日の練習で軽い筋膜炎を発症、高校に入って怪我が続いてきて、昨年7月に怪我をして、今年の冬は順調に練習を積めて、力もついてきたことを自分でも感じていただけに。なんとも気を落としてしまいますが、ここからまたしっかりと力をつけていきたいと思いますし、SCCは生涯スポーツの場です。あせらず楽しく日々スポーツに親しみ、いつか、しっかりと力をつけレースに出れる日が来ることでしょう。 4/13(月)、金曜日に終わらなかった確定申告の続きを。結局、スマホ申請、オンライン申請をあきらめ、税務署に提出することにしました。直に提出は何年ぶりでしょう。午後、そんなに混んでもいなくて、数分並ぶだけで提出てきました。ほっ。誠実に、追徴課税です。額は秘密です。コロナ対策に使っていただければと思います。
4/8、水。午後から、令和3年に開催される九州高等学校PTA鹿児島大会についての準備委員会でした。その前に、今年6月に開催される宮崎大会がこのコロナの影響でどうなるのか。当初はこの大会へ視察団を組み、それぞれご自分が担当されるところをしっかりと視察していただく予定でいたのですが。 4/9、木。教育安全振興会の内部監査を実施しました。監査するほうです。1つ1つの数字、資料を実査いたしました。終了後、今度は、来週、県P連の期末監査があるので、今度は監査されるほうなのですが、それら資料の印鑑押しでした。 4/10、金。この日は何も予定が入っておらず、よしっと気合を入れて、さらっと終わらずぞ、確定申告。まず、今年からアイフォンでできるらしいと、チャレンジ。マイナンバーカードも読み込めて、良い感じで進めていけたのですが、SCCからの給与を打ち込むところで、源泉徴収票に間違いがあります、と表示されます。事務局長外出中で確認ができず、ここでいったん業務ストップ。昼前に事務局長が帰ってきたので、確認をとると、ミスがありました。訂正をして、再度進めようとするのですが、いかんせん、文字が小さくて、老眼だから見えない、というレベルではなく、本当に小さくて、途中でイライラしてきて、アイフォン申告をあきらめ、例年通り、パソコンでの作業に切り替えました。が、こちらはカードリーダーでのナンバーカード読み込みができず、昨年までは何も問題なくできていたのに、そこでアウト。この確定申告作業。毎年毎年やってはいるのですが、毎年必ず何かあって、上手にできないんです。結局この日、1日かけてやりましたが、終わらず…。ストレスフルな1日でした。
4/7、火。次男、高校の入学式、鹿児島市の南部にある学校の体育科に進学しました。自転車とJRを利用して通学します。まだ朝練には参加していませんが、朝練に行くようになると、6時には家を出ないといけません。本人もその覚悟をもって、自分で決めたことですから、親もしっかりとサポートしていこうと思います。入学式は短縮バージョンで親は教室には入らず、外で待っていました。 午後から学校へ、新旧の役員の顔合わせ会として集まり、係、担当の確認と業務の引継ぎでしたが、当面のPTA行事をどうするか、話し合いをしました。5月くらいからは歓迎会等、開催できるかなあというわずかな期待はまったくどこにか飛んでいってしまい、夏まで、秋まで、今年いっぱいこんな状況が続くのでしょうか。でももうそういう心づもりでいないといけないのかもしれません。先が見えないなら、今を見るしかありません。日々やれることを粛々と。
4/5、日。午後から次男の制服を受け取りに。その帰りにお買い物。夕方からひたすら料理。からあげ、チャーシュー、ローストビーフ。からあげがかなり美味しく揚げられるようになりました! 4/6、月。小学校の入学式。来賓として参加をしましたが、来賓はわたし一人でした。祝辞もなし。入場もありませんでしたので、15分ほどで終わりました。例年ですと、この後、児童クラブ入所式、第5までありますから。その後、中学校の入学式と昼食をとる暇もないようなスケジュールなのですが、どちらも来賓招待がなくなったので、そのまま早々と自宅に戻りました。午後から長女が中学入学式で、初めて、制服姿をみました。急に中学生な感じになるので、不思議です。本人も嬉しそう。入学式は保護者一人までということで、わたしは自宅で待機でした。入学おめでとう。
4/2、木。午後から新聞編集委員会でした。会の途中で前日に続き辞令交付式もありました。よろしくお願いします。この新聞編集委員会の議論と常任委員会の議論をいかにかみ合わせていくか、ポイントを見極めないといけません。 4/4、金。昼から病院へ。尿酸値の数値を下げる薬を飲んでいます。その薬をもらいにいきました。病院の入り口で検温がありました。36.6度。
4/1、水。やっと4月。なのに4月。先が見えなくとも、今を見て、希望を信じ、やるべきことをやるだけです。アサイチで県P事務局へ。この日から勤務スタートの職員の方や電話相談員さんへ辞令の交付を行いました。そのまま決裁業務等を行いました。午後、学校から電話があり、時間があれば少し打ち合わせをしたい、と。新学期のスタートに伴い、各種PTAの会議、行事をどうするか。3月に入り、休校が始まり、3月いっぱいまで諸々自粛をすれば、4月からは当たり前の教育活動、経済活動ができるものとそう思いこんでいましたが、3月末から急に感染が拡大しはじめ、よって、PTA活動にも影響が出始めました。事務局に戻り、これはどこの学校、PTAも同じような状況だろうと、すぐに文書作成にとりかかりました。翌日、県Pの事務局と相談しながら文書を最終的に整え、4/3付けで県P会長メッセージとして文書を発出しました(参考)。子どもたちがより安心安全に学校教育活動が行えるように、みんなで力を合わせてまいりましょう。
3/31、火曜日。本来なら午後からインタビューを受ける予定だったのですが、先方が東京からお越しということで、可能であれば延期をしていただけないかと、わたしからご連絡をして、延期ということになりました。夕方学校へ伺いました。 上村校長先生がご退職の時を迎えました。先生方、保護者がたくさん学校に集まり(たくさん集まってはいけないのですが!)、最後のお見送りでした。3月の休校、難しい判断が続きましたが、笑顔を忘れず、ポジティブな言葉で常にみんなを励ましてくださいました。あぁ、リーダーとはこうあるべき、また最後に教えていただきました。3年間、校長先生とPTA会長として一緒に歩んだ日々はわたしのかけがえのない宝物となりました。4月に入り、今度はまた新学期のPTA関連の行事の開催方法等、苦難の日が続きそうですが、先生のリーダーシップを見習い、笑顔を忘れず、明るい言葉で、みんなを元気にできるよう力強く進んでまいります。心からありがとうございました。
3/30、月。午前中は、次男進学予定の学校へ提出をしないといけない書類を提出をしたり、長女が入学予定の制服をとりにいったり、小雨降る中、数か所回りました。その途中でニュース速報で流れてきたのが、志村けんさん訃報でした。たいへん驚きました。でも、回復しているというニュースもみなかったので、もしかしたら重篤な状況なのかも、とは思っていました。わたしが、初めて買ったレコードがひげダンスのテーマです。たくさんたくさん笑わせていただきました。ご冥福をお祈りします。午後は、体育センターで、体協、アドバイザーと今後の連絡協議会の体制について協議をいたしました。
3/29、日。第19回となる50mダッシュ王選手権が開催されました。いろいろなスポーツイベントは中止となっていますが、屋外での開催、コンタクトスポーツではない、参加人数200名とコンパクトな大会であること等、総合的に判断し、内容を変更、一部縮小し、たくさんの配慮をしながら、開催をいたしました。当日は急遽、競技場の外を担当することになり、中の様子は一切見られず、よって写真も1枚も撮れませんでしたが、8時から14時半までトイレにもいかず、外に立っておりました。閉会式も終わり、ご参加の皆様数名から「開催していただきありがとうとざいました」と声をかけていただいたときはちょっと泣きそうになりました。ありがとうございました。
3/26、木。午後から県P事務局へ、決裁等。 3/27、金。午後から学校へ。この日はPTA送別会開催予定の日でしたが、中止になりましたので、そのかわりに体育館で茶話会を行いました。お別れの先生方と少しの時間でしたが、最後に和やかにお話ができました。ちょうど新しい校長も引継ぎで来られて、ご挨拶することができました。南九州市の教育委員会からご転任で、朝にそちらの県P先輩役員の方から電話で「よろしく」とご連絡いただいておりました。よろしくお願いします。 3/28、土。昼からSCCの練習でしたが、数日前に、県会議員の方を通じで国会議員の方が活動視察と意見交換をさせてほしいということで、お越しになられました。元体育教員という方でいらっしゃって、スポーツにはたいへん理解のあられる方でした。
あっという間に3月も最後、というのは毎年のお決まりの文句ですが、この3月のなんと重苦しく、遅々として日が進まず、そんな日々でした。状況が毎日変わる中、緊張感をもって判断をしないといけないことも続きました。3月が終われば、雰囲気もだいぶ変わるのだろうと希望を抱き、辛抱をしてきましたが、1か月前より事態は深刻さを増し、これは何をどのようにすれば終わりを迎えることができるのか、それとも終わりということを考えないほうがよいのか。テレビもコロナコロナ、SNSもコロナコロナ、外にはでるな、飲みにもでるな。でもそんな中ですが、少しずつ春を感じることができる場面も増えてきて、庭のモミジが葉をつけていたり、近所の桜が少し花を咲かせていたり。春はやってきます、世界も冬から春に必ずなる、明るくなる。 3/25、水。アサイチで学校へ。終業式でした。屋外での開催でした。またあわせて、転退職の先生方、最後のご挨拶でした。例年ならその場でPTAから花束を贈呈させていただいていますが、それもカットとなり、終了後、校長室でそれぞれ別途お渡ししました。長女と次女の担任の先生、ご異動で写真を撮っていただきました。
3/24、火曜日。PTA会長を務める小学校の卒業式でした。毎年、卒業式にでるようになり10年になりますが、こんなにせつない卒業式は初めてでした。校長先生ご退職、長女卒業、長女次女の担任の先生ご異動。なのに3月の休校で、子どもたち、先生や友達に会えない日々、先生方も子どもたちに会えない日々。子どもたちがいないシーンとした学校。お別れの日は静かに粛々と近づきました。そして迎えた卒業式。いろいろな制限・制約がある中、先生方の、子どもたちの、精一杯の気持ちが、意地が、誇りがあふれていて、涙がとまりませんでした。立派な卒業式でした。雲1つない空が広がりましたが、青というより白っぽい、透き通るような春の空でした。
3/23、月。午前中は取材を受けました。スポーツかごしま新聞社。変な言い方になりますが、この日に、わたしに取材をしようと思える方です。家族ですら3月23日ってなに?ですから。この日は、わたしの生まれ変わりの日です。20歳になりました。20年前の3月23日、わたしが当時所属をしていた実業団陸上部の選手は本社ビルに集められ、その場で3月いっぱいをもっての陸上部の廃部が告げられました。あの日のこと、覚えていることもあり、もう忘れてしまったこともあり。すべて含めて、わたしはあの日、生まれ変わったのです。心がポキンと折れてしまったのです。それから20年。ようやく成人式を迎えました。この20年間を振り返る、よい時間でした。午後は、15時から週末に開催されるダッシュ王選手権のプログラム原稿、印刷会社さんと打ち合わせ。コロナの影響でてますか、ときくと、もちろんと。例えば、飲食業のお客さんが減る、領収書の発行が減る、印刷会社への発注が減る。社会は繋がっています。学校へ。この日午後に正式発表となりました、定期人事異動について校長先生、教頭先生と話をしました。体育館では翌日開催される卒業式の準備、わたしも簡単にリハーサルをしました。
3/21、金。午前中は県陸協の理事会でした。夕方からは市内某ホテル、某といいましても、わたしが20年前に勤めていたホテルです。SCC立ち上げの頃、小学5年生で入会してくれて、それ以来の付き合いです、ゆうきの結婚披露宴。現在、たいへんご立派になられていて市内某病院でドクターをやっています。この時期に披露宴どうするのかなあと心配しましたが、換気やアルコール消毒やかなり気をつかっていましたし、なんつったって医療従事者の判断ですから、間違いないです。同じ席には久しぶりにお会いする方々もいて、とても楽しいひとときでした。最近、外で夕食をとることがほぼなくなってしまっているので、よい気分転換にもなりました。ゆうきとわたしといえば、なんといっても、TEDxというプレゼンテーションイベントです。彼がオーガナイザーとして鹿児島でこの企画をすすめてくれて、スピーカーとしてわたしを推してくれたのです。最初はよく意味がわかりませんでしたが、笑、途中からこれはとてつもない経験になるなあと感じました。その17分の動画、今もYOUTUBEで視ることができます。
3/18、水。年に一度の事業計画発表会。スタッフそれぞれが1年前に自分でたてた事業計画に対して、今年度どのように動いてきたか、そしてをそれを元に令和2年度どのような計画を立てて、どういうふうに動いていくか。それぞれ発表をしてもらいました。わたしはSCCという組織のトップですが、いざ非常時は、トップダウンで動かしていくことも必要ですが、平時はトップダウン型の組織ではいけないと思っています。それぞれが自分がやるべき業務を自分で管理し、自分で考え動く。それをわたしが俯瞰で見ながら、コントロールができればいいと考えます。コントロールという言葉もちょっと違うような気もします。みんな、それぞれ一生懸命やってくれています。失敗もします。それも含めて、一人一人がチャレンジングな組織でありたいと思います。 3/19、木。午前中、運営委員会。各事業の取り組み状況について。しかし、改めてうちのスタッフがすごいと思ったのが、このコロナの状況にあって、ポジティブワードがたくさんでてきます。わたしも世間のこの雰囲気に押しつぶされそうになることもありますが、がんばってくれているスタッフのためにも、わたし自らも笑顔でポジティブであるべき、改めて感じました。午後は県P事務局へ、決裁業務でした。年度末は諸々会議は入りませんが、支払い等の業務が滞らないようにしないといけません。
3/16、月。午後から次男、春から進学する高校の入学説明会でした。わたし、勝手がわからず、1時間くらいで終わる会だと思っておりましたら、制服や教科書その他の購入、諸々説明、あちこち回り、終了後は部活で使うジャージユニフォームの採寸、終わったのは16時頃、それからまた制服の会社に向かい、採寸、こんなに時間かかるとは、笑。それよりも、なかなか冷え込んだこの日、コロナの影響で体育館の窓は全開、ビュービュー冷風が吹き込み、背中を丸め、ガタガタ、でした。そんな中、表紙にわたしの顔写真が入った県P総合補償制度の封筒を手にした、お隣のお母様に、2度見されました。 3/17、火。午前は、姶良市で会議、学校給食の資材納入に関する会議でした。休校で3月の給食がストップし、それがどのように影響をしているかetc、協議をしました。また、わたしから、給食費の公会計について、いろいろと質問をさせていただきました。午後は東京からお客様でした。日本大学のM先生。総合型クラブとのかかわりが深い方は、もう皆様ご存じの方です。今度、本を出版されるということで、わたしもインタビューを受けたのですが、それに関して報告をということで、わざわざお越しになられました。M先生とは、わたしがSCCを立ち上げた、初期も初期の頃に、鹿児島の出張のついでに「会いたい!」とご連絡をいただきお会いしたのが初めてで、当時からは日本にクラブ文化を根付かせるんだと積極的に全国を飛び回り、活動をなされ、その一方でわたしのこともいつも気にかけていただき、わたしがSCCを立ち上げて20年、いろいろなターニングポイントとなる出会い、きっかけはありますが、まさに大きな大きなその1つです。帰路の便がコロナの影響で早まり、あまり時間はありませんでしたが、またここにきて、振り返り、そしてこれからを考える時間、貴重な時間でした。
3/14、土。わたしのスマホはその日のスケジュールが自動的に表示されるようになっていて「校長先生お祝いの会」と表示されます。この日、校長先生の、ご受章のお祝いの会を開催する予定の日でした。校区にある居酒屋の2階を貸し切って、奥様もお招きして。夜も、今頃は、みんなでわーきゃー言いながら、飲んでいたんだろうなあとか。でも、中止になったわけではないので。楽しみが先に延びただけです。 3/15、日。午前中はがっつりトレーニングをして、午後からは買い物。そして、夕方にかけてひたすら台所で料理をつくりまくるという。カレー、ローストビーフ、豚バラ角煮、鶏唐揚げ。コロナの影響で素晴らしい旦那さんになってます、笑。
3/13、金。午後から市のスポーツ推進審議会。約10年ほど、委員を務めています。以前は市教委の中の保健体育課が管轄だったのですが、今年度から市長部局の「スポーツ課」が管轄となりました。会の進め方や雰囲気もがらっと変わったとこともあり、わたしもいろいろと様子を見ながら発言をさせていただいています。
3/12、木。次男、中学校卒業式。ですが、縮小開催のため、出席できる保護者は1名までとなりました。わたしが家で留守番でした。こそっと紛れ込んでもばれないだろう、いやいや、たやすくバレますので、ぐっとガマンでした。午後から来客が1組2名、新年度のことでした。校長先生からお電話をいただき、急遽学校へ。25日まで臨時の休校が続いていますが、急遽登校日が設定されることになり、ましたが、いろいろと制約もあり、それらについてでした。帰宅してすぐに執行部ラインにそのことを伝えました。子どもたちにもそのことを伝えると「学校にいける!」喜びました。長女はんー、3時間は欲しいなあと。その気持ち忘れるではないぞ。この日は、次男の誕生日でもあります。夜は、外食の提案もありましたが、やっぱりそれもやめて、お寿司をとって、お祝いしました。15歳の誕生日おめでとう。次男が産まれたとき、わたしは京都に出張中で、昼から4時間くらいのぶっ通しで講演をしていたのですが「電話が鳴ったら、でます」と断ってから講演をしました。「よし、名前は京太郎にしよう!」と提案したら、いやだ、と断られました、笑。翌日、空港から帰りに花屋によって、花束を抱え、病室に入り、はじめましての瞬間、15年前かあ。
3/9、月。午前中、電話があり、学校に市P連から郵便物が届いています、今日までお返事とのことですということで、受け取りにいきました。資料室では副会長さんたちが新年度に向けての作業をしていました。校長先生、教頭先生とお会いして、話をして、卒業式のこと、PTA送別会のこと、話をしました。PTA送別会、大切な、お別れの行事ですが、中止となりました。それを執行部に伝えると、ちょうど席図表をつくっていた時で、またふう〜、とみんなでため息でした。こどもたちも今は我慢しているんだから、わたしたちも我慢だねと。 3/10、火。午前中、連絡があり、コロナの影響でまた状況が変わり、マネジャーがさっと動き、昼過ぎ協議をして対応を決めました。それをHPにUP、メール連絡。午後は県P事務局へ、決裁がたまっていました。夕方はスクールを回りました。27歳で会社を辞めたとき、終日家に閉じこもる日が続き、あの時は、本当に世の中から取り残されたような気持ちになりました。ああ、働く、ということは、世の中との接点なんだなと感じました。つまり、今、子どもたちも同じような状況にあり、学校は世の中との接点なのです。
3/7、土。薩摩川内で開催された陸上競技の審判講習会に参加をしました。なぜか、30分ちょいで着くと思い込んで、それ、伊集院の競技場ですね。たっぷり1時間かかり、予定の到着時刻を超えて到着をしました。ちょいとボケています。新年度のルールの修改正を学びました。 3/8、日。何も予定はなく、午前中はゆっくり過ごし、昼頃、長男と、近所の公園で軽くトレーニング。公園は家族連れで遊ぶ姿が多く見られます。ある意味、公園らしいというか、皮肉なことに、ですね。昼からは買い物にいき、15時くらいからひたすら料理つくりました。ちょっとずつレパートリー増えています。
3/4、水。午後から来客、先方がたいへん恐縮されて、たいへんお忙しい時に少しだけお時間を、と仰られるのですが、会議等が軒並みキャンセルになり、ほぼ毎日何の予定もない日々を過ごしております、と。来年度の県Pの事業で打ち合わせでした。 3/6、金。午後から県P役員会。年度内最後の役員会で、大切な議案が山積みでした。ここ数年、懸案として残っていた課題を一歩前進させることができました。休校決定から怒涛のような1週間が過ぎました。少しずつこのことを受け入れれつつ、1日も早く正常な社会生活が戻ることを祈っています。
休校が決まった日の夜。これから1か月、こども4人、親も子も、なんとなくネガティブ。当然、自宅学習が中心の生活が続くのですが、それ以外の時間をどう過ごす?4人の子どもがそれぞれダラダラとスマホ画面をのぞき込み、その姿に親もイライラ、何時間やってんの!テレビをつければコロナコロナコロナ…という日々が続くのだろうか。何か、この1か月をポジティブに過ごすことができないか。で、決めました。 「ペットショップにいくぞ」 前々から、子どもたちから犬を飼いたい、という要望は受けていました。でもまぁ子ども4人いて、それだけでも日々ワチャワチャしているのに、加えてペットの世話までとなると。また、嫁さんがペットを今まで一度も飼ったことがなく、あまりそのことに対して積極的になれないということもあり、子どもたちには、いつかね、と話をはぐらかせてきました。しかし、今回、このようなことになり決心しました。いまだと。かわいいかわいい、ワンちゃんの赤ちゃん時代はあっという間に過ぎ去るし、この1か月間、ずっと一緒にいることができる、そして、4人の子どもたちで責任をもって、しつけ、餌やり、やると、約束をしました。 ポメラニアンとトイプードルのミックスで、ポメプーという犬種です。オスです。体重1.4kg、名前も子どもたちで話し合って決めさせました。色がカフェラテのような色だから「ラテ」としました。かわいい、かわいい、家族が一人増えました。毎日、鬱々とするニュースばかりですが、ラテのおかげでますます賑やか太田家です。初めてペットを飼うことになった嫁さん、一番デレデレしています。
3/2、月。子どもたちは、朝、元気に登校。先生方はおそらく、土日突貫工事で、突然決まった休校中の家庭学習等の準備を休みなくご準備されたのだろうなあと。今日はどんな授業をしているのか、校長先生はどんな気持ちで子どもたちの登校を見守られたのか、いろいろな思いがよぎります。給食を食べて、14時頃から子どもたちが帰宅してきました。とにかく荷物が重たかった〜と顔を蒸気させています。午後から春休みまでの休校に突入しました。夕方のスクールの様子を見にいきました。どーんと参加者が減るのではないかと思いきや、いつもと変わらない様子。公園にはいつもと変わらず、サッカーをする中高校生や散歩をする高齢者、いつもと変わらない風景で、ある意味、拍子抜けしたというか、ほっとしました。ツイッターでもつぶやいたことですが、学校の休校要請の内容は、あくまで「子どもたちが日常的、長時間集まることへのリスク」です。また、3/2放送のNHKあさイチでは「屋外で感染することは考えにくい」とありました。子どもたち数人が公園で遊んでいるだけで学校へクレームの電話が入っているようです。少し冷静になってください。公園から子どもを締め出し、公共施設も子ども利用の制限がかかっているところが増えているようです。この社会は本当に子どもたちを家に押し込めようとしているのか?社会が怖い、人が怖い。
2/29、土。本来ならば、宮崎で講演が1本入っていた日でした。SCCとしての対応を検討しないといけません。午前中はずっと情報を整理し、言葉にし、書き連ねていきました。午後からは陸協の会議でした。終了後、グラウンドに行き、土曜日のトレーニングの様子をみました。会員さんの中には、危機管理の専門の方、医療従事者もいらっしゃるので、いろいろとご意見伺いました。事務局にはいろいろな電話、問い合わせ、意見も入ってきていると。早く方針を示さないと、電話が鳴りやみません。最後にわたしの片腕、竹内に意見をききました。腹が決まりました。夕方、再び事務所にこもり、独り、SCCとしての方針を言葉にしました。その決断、私心なかりしか、利他に基づいたものか。深く深く自分に問いかけます。そしてそれをHPにアップ。ずしりと重たいものを感じました。
2/28、金。不安な朝を迎えました。見えないものが、何か本当にたいへんなことが起ころうとしている?わからない不安。何が不安なのかがわからないから不安。でもこんなときこそ正確に情報を整理し、ロジックで気持ちを落ち着かせないといけません。テレビでこういっていたから、周りがそうしているから、ではなく、わたしとして、SCCとして、どうあるべきか。午後から、県P事務局へ、本件で、何か問合せ、ご意見等入っていないか、確認。対応すべきことはあるのか、ないのか。そして午後から広報紙コンクールの審査会でした。同時にだんだんと県内の各自治体の対応が決まり、情報が入ってきます。途中、文科大臣の記者会見が始まり、スマホを耳にあててしっかりと聞きました。鹿児島市の対応が決まり、その情報も入りました。市内小中学校は3/2(月)の午後から25日まで休校、つまり春休みまで子どもたちは家にいることになりました。校長先生とも電話で話しました。その件で数名の方と電話で意見交換をしました。 夜、静かに、ぐっとハイボールを飲み込むと、抑えていた感情があふれてきて、おいおい、泣いてしまいました。子どもたちびっくりしていました。
2/26(水)、今月4回目の東京へ。出発前、ラウンジで知り合いのT先生ご夫妻とばったり。以前は家にもご招待いただき、楽しく飲んだり、たいへんお世話になったご夫婦です。このサイトも見ていらっしゃるとのことです、笑。お元気そうで何よりです!東京は、総合型クラブの年に一度の総会と、全国組織設立10周年に式典が開催をされました。当初はその後に祝賀会を予定していましたが、中止となりました。 2/27(木)、東京から鹿児島へ。翌日から宮崎への出張だったのですが、これも中止。よって、今月は8回出張が入りましたが、これがラストとなりました。夜は校区コミュニティの会議に出席し、自宅に戻ると、家の中がざわついています。内閣総理大臣から全国の学校へ、一斉休校の要請がでたと、前代未聞、ショック。
2/25、火。午前中は学校で、学校評議員会でした。まさか、1週間後に休校が始まるなんて、まったく考えていませんでした。学校の取組みについて、各学校の保健の取組みにつて、委員の皆様と意見交換をしました。そのまま学校給食委員会、来年度の給食費、納入業者等のについて。午後は、本業のほうで「業務マニュアル発表会」、この取り組みも5年になりますが、自分の仕事のマニュアルを作成し、発表しあいます。仕事が属人的にならないように。夜はおやじバンドの練習。この日のテーマは「酒を飲みながら演奏できるか」で、酒を飲みながら、そりゃ2時間も経てば、酔ってきますが、演奏はできました。ノリもよかった、でも、ミスは間違いなく増えます。わかりきってたことですね、笑。本番に向けて、良い仕上がり、感じました。
なんともせつなく、ぶつけようのない憤り。中3の息子、小6の娘、人生の節目、卒業。この3月で退職、転出される先生方、子どもたちに会えないまま、3月末を迎えるということか。その思いを察すると、涙がでてきます。わたしに何ができるのか、何もできない、悔しい。夕べから心の中がぐちゃぐちゃです。
2/22、土。朝、8時15分集合で、1泊2日の県陸上競技協会主催の小学生の選抜合宿です。わたしが担当する年度内最後の事業となりました。県大会で優秀な成績をおさめた選手を選抜します。中には夏の全国大会に一緒にいった子たちもいます。SCCからも2名が参加をしました。午前中はコントロールテスト、午後は専門種目に関わらずいろいろな種目を経験してほしいと短時間でいろいろな種目を経験してもらいました。夕方に練習を終え、そのまま泊りでしたが、そちらは担当に任せて、わたしは自宅に戻りました。今月出張8回、、できれば帰りたいと、わがまま言ってしまいました、笑。 2/23、日。朝、出かける準備をしていたら、携帯がなって、何かあったなと。「短距離の指導をする予定のスタッフが具合が悪くこれなくなりました」ということで、急遽わたしが担当することになり、スーツと革靴で、久々の熱血指導。今回、特に女子がレベルの高い子たちで(100m県小学記録保持者、5年女子100m全国大会2位)、なので、わたしの指導にどんな反応を示すか、またどの程度の動きができるのか、急にワクワクしてきて、やっぱり指導は楽しい、1時間半でした。弾み方、スタートのすねの倒し方、マニアックなことぎゅーっとやりました。正直、まだまだです。こんなものかと思いました。ということは全然完成された選手ではなく、伸びしろたっぷりだということです。ますます今後が楽しみになりました。お昼に合宿は終了しました。大きな怪我、トラブルなく終えることができました。そのまま年度内すべての活動が終わったということで、部会を開き、年間の総括と次年度に向けて協議をしました。 そのまま戻り、学校で吹奏楽部の定期演奏会が開かれ、ご案内をいただき、出席をしました。2時間半、たっぷり19曲に、アンコールまで、音楽は大好きなので、飽きません。素晴らしい演奏でした。
2/19、水。車で出発、10分ほど走ったところで、忘れ物に気づき、ま、どこかで買えばいいかとも思ったですが、いや、手に入らないかもしれないと引き換えしました。マスクです。自宅まで戻りました。すぐに再び外出し、空港へ。鹿児島空港から羽田でした。 2/20、木。午前中から終日、日本PTAの会議。どちらかというと、地方から出てきた人のほうがばっちりマスクをしていて、東京の人たちのほうが案外普通にしているような気もいたしました。東京出張、というだけで、周りから「ええ!」と言われたという声をちらほら聞きました。多くの方が毎日のニュース、ワイドショーで東京はたいへんなことになっていると思い込んでいるのかもしれません。しかし急にいろいろな行事が自粛モードに傾いてきました。会議の途中で鹿児島マラソン中止のニュースも入ってきました。会議は17時に終わり、最終便で戻ってきました。
2/17、月。午後から、昨年開催された南部九州高校総体の実行委員会総会へ。最後の総会となりました。事業報告、決算報告、すべてが承認され、この実行委員会も解散となります。ご担当の皆様、本当にご苦労様でした。プレッシャーもたくさんあったと思います。やりきった感、溢れていました。わたしもあくまで外からですが、その経緯を見てきたものとして、立派に開催されたこと、そしてこの日を迎えられたこと、ジンときました。 2/18、火。午後から県P連、評議員会です。総会につぐ議決機関であり、この日は総会に上程する新年度予算、事業計画についての審議でした。年間で最もヤマとなる、会です。また、12月末時点での予算の執行状況を鑑み、補正予算を組むことにもなりました。つまりお認めいただいた予算を計画的に執行できなかったところをきちんと理由をお伝えしご理解を頂かなければなりません。数日前から緊張をしていました。会は円滑に進行をし、すべての議案についてご承認をいただきました。感謝いたします。誠実に執行をさせていただきます。会の準備に細心に事を運んで頂いた事務局にも感謝です。
2/16、日。朝、7時50分、集合。奉仕作業(愛校作業)といえば、夏休みの定番行事ですが、わたしたちは、6年生保護者児童だけは別日を設け、この時期に開催をしています。卒業を前に、最後に感謝の思いを込めて、慣れ親しんだ校舎校庭をきれいにしようということです。昨日は雨で、急遽、体育館ピカピカ作戦となりましたが、普段は掃除ができないようなところもきれいに掃除ができました。1か月半後にここで卒業式です。 その後、10時から、今年3月にご退職される「上村芳郎校長先生 記念講演会」が開催されました。小学校1年生の頃からの夢「小学校の先生になる!」その道を突き進み、挫折もあり、紆余曲折、教員生活を振り返り、そして玉江小でのラスト3年間を振り返り、数々のエピソード。その中で感じられてきた「言葉」に対する想い。「教育」に対する想い、哲学。ジョークを交えながら笑いあり、思いを語る場面はじーんと胸が熱くなり、涙あり。あっという間の90分間でした。 午後は、バンド練習。夜は、そのバンドのメンバーでたまには飲みましょうと、近所の居酒屋で一献いきましたが、教頭先生も、ご参加!愛校作業、講演会の打ち上げとなりました。楽しい夜でした。
2/14、金。宮崎へ。九州高等学校PTAの理事会でした。6月に開催される宮崎大会の協議と、その次、令和3年度は鹿児島大会です。いろいろな文書に「鹿児島」の文字が増えてきました。大切な審議事項があり、少々気を揉んでいましたが、無事、可決されました。可決されましたが、同時にいろいろなご意見ご要望も頂きましたので、それらを踏まえしっかりと取り組んでまいりたいと思います。 2/15、土。宮崎から戻り、午後はクラブのトレーニングに長男次男といっしょに。よい練習ができました。
2/10、月。午前中、かごしま国体に向けた競技力向上対策委員会、天皇杯、皇后杯獲得に向けて。思えば、平成26年にこの委員会の委員として委嘱を受け、7年間にわたり議論をしてまいりましたが、いよいよ本番がくるのだ、という感じです。夜は市P連の委員会です。こちらもずっとずっとずっと議論をしてきたことで、課題ばかりが指摘をされ、どうあっても課題はあり、ベストではなく、ベターを、折り合いをつけないといけない事案です。どこに折り合いをつけるか、です。 2/11、火。午前中はミュージシャン、笑。当然ですが、練習をすればするほど、音の質は良くなってきます。 2/12、水。友、遠方より来る。スポーツ庁の元総合型クラブのご担当の方。プライベートで鹿児島にいらっしゃるということで、一緒に食事をしました。当時、総合型クラブがみんなでよくなっていくためには、喧々諤々議論を重ねました。今はまた違うお仕事をされていますが、そちらの話も含め、お互いの近況を語りました。お互い良いペースで飲み続け、最後はギャーギャー言いながら別れました、笑。 2/13、木。午前中は運営委員会、午後は、県P事務局へ、決裁と出張の段取り、打ち合わせでした。
2/6、木。午前中は、県健康教育研究大会、開会式、表彰式に来賓として登壇をしました。表彰の先生方は錚々たる顔ぶれでした。お世話になった方々ばかりです。学校歯科医師の表彰でどこかで見たことある方だなあと思った方は、近所の歯医者さんでした、笑。午後は県P連役員会実行委員会でした。この時期は、今年度補正予算、次年度予算のことについて協議をしますのでいつもよりたっぷり時間がかかりました。 2/7、金。県民交流センターへ。午前中は県コミュニティスポーツクラブ連絡協議会、午後は県広域スポーツセンターの研修会です。午前中はわたしが仕切らないといけない会でしたが、出張が入りましたので、少しだけ顔をだして、そのまま鹿児島中央駅から北九州小倉で午後から九州PTAの理事会でした。 2/8、土。バスで北九州空港へ。小倉の駅からバスで40分ほど。もしかしたら、新幹線でぴゅっと博多までいって、福岡空港を利用するほうが早いかもしれないなあなんて思いながら。北九州空港を利用するのは初めてでした。午後から東京で全国高等学校PTAの連絡会でした。文科省から、大学入試改革についてここまでの経緯ご説明がありました。いろいろご意見あられるかと思いますが、改めてあそこでストップできたことは英断だと思いました。 2/9、日。東京から戻りました。この日は駅伝大会を開催しておりましたが、例年この大会は天候がものすごく寒かったりするものですから、そこが心配でしたが、この時期にしては激冷えすることなく、そこは安心していましたが、無事終わったと連絡入りました。ご参加いただいた皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました。
2/3、月。午前中、県P新聞編集委員会でした。もう令和2年度の掲載内容もしっかりと議論がなされ、決まってきています。 2/4、火。朝は次男、公立高等学校の推薦入試で会場まで車で送っていきました。午後は県体力向上の委員会に出席しました。今年、全国運動能力テストの結果、かくっと落ちました。鹿児島も同じような数値です。スマホ、ゲーム、SNSにとられている時間の増加が様々な生活習慣に影響を及ぼし、体力の数値にも表れてきたということです。帰宅すると次男がいたいのでテストどうだった?と聞くと「楽しかった!」と言います。入試のテストって楽しいものだったっけ。 2/5、水。空港へ。空港から、新国立競技場近くの施設へ。国立競技場付近は一体的に改修がなされ、わたしがしっているあの競技場付近とはまったく違うようにも感じました。ここで夏にはオリンピックが開催されるんですね。会議は14時から17時まで。総合型クラブの登録認証制度と中間支援組織についてでした。終了後そのまま羽田へ。日帰り出張でした。
なんだか、バタバタとしておりまして、2月に入り、一瞬で10日ほど経ったように感じます。 2/1(土)、大阪室内陸上大会当日。9時ごろホテルを出て、9時半、競技場到着。10時アップ開始。次男の大会時のアップ、ちゃんと見るのは初めてでした。わたしは短距離なのでその感覚はよくわからないのですが、しっかりアップで動けるようにして→招集というイメージですが、跳躍は7割くらいの感じなんですか?わたしからするともうちょっと動いていいのかなと感じました。招集に向かい、競技へ。前の種目が伸びて、競技開始が1時間ほど押しました。この辺りもトラック種目ではほぼあり得ないことです。その間動けないわけですから。そして競技が始まり1本目、6m23。助走が遅いなあと感じました。当然、そういった練習はまったくしていませんので。2本目、ファール。3本目、記録を伸ばせず、エイトに残れずここで終わりました。6m60くらいのベスト記録を持っていますので、本人はまったく納得できず相当悔しそうにしていました。その気持ちを大切に、これから残りの冬季練習がんばってくれたらそれでいいのです。帰りも一切口を開かず、黙り込んでいましたが、ホテル近くのお好み焼き屋で、おいしいものを食べて、いろいろ話をして、少し元気もでてきました。 2/2(日)、せっかく大阪まできて、なので、飛行機は少し遅い便を予約したのですが、本人がどこにも行く気がしないというので、ホテル近くの心斎橋近辺を少し散策して友達や家族にお土産をあれこれ買って、空港に向かいました。夕方鹿児島に戻りました。こうして息子と、選手と指導者として遠征に行くのは、これが最初で最後だろうなあと、父は幸せでした。
1/30、木。午後から来客でした。遠泳大会の今後について、意見交換をしました。そのまま県P事務局へ。 1/31、金。次男と鹿児島空港〜伊丹空港へ。途中宮崎上空を通ります。青島が見えました。昔、家族旅行で訪れた時に、この青島のお土産屋さんで欲しいものがあると、泣きわめいた次男が、隣で飛行機に乗り、全国大会へと向かっています。空港からそのまま大阪城ホールへ。受付を済ませ、スタンドで雰囲気を味わいながら少しゆっくりとしました。室内陸上は、昔からある大会ですが、わたしはテレビでしか見たことありません。一度出てみたいとは思っていましたが。なので、初、生、室内陸上。ちょっと感動です。ゆっくりと前日練習始めました。身体を温めた後、助走練習に入りましたが、びっくりするくらい脚があいません。「感覚がぜんぜん違う」と言います。思い切って、1m下げて、1m下げて、50cm下げて、まったく合いません。4本目くらいで少し近づいてきて、で、結局、元に戻しました。そして合ってきました。よーわかりません。なんとかこれでいけそかなというところまでにはなりました。ホテルにチェックインして、夜は串カツを食べにいきました。
1/27、月。午前中、児童クラブ運営委員会。わたしがPTA会長を務める学校には放課後の預かりとしての児童クラブが第1から5まで開設されています。利用児童数は200名を超えています。先生(支援員さん)もそれぞれに5名ほどいますから、25名ほど。その運営たるや、ハードです。 1/28、火。次男、私立高等学校のお受験。集合時間に合わせ、超安全運転で会場に向かいます。会場までもう2.3分というところで、後部座席に座る次男が言い放ちました。「受験票わすれた」はああああ〜。朝の交通渋滞の中、自宅にいた嫁さんと連絡を取り合いながら、中間地点まで戻り、受験票を受け取り、再び、会場へ。結果、間に合いましたが。焦るのは親ばかりで、本人は飄々としています。いますよね、アスリートでもこんな感じの選手。午後から「樋脇」へ。来月、県の総合型クラブの連絡協議会が開催をされますが、わたしが出張で不在のため、副会長さんに議長役をお願いしました。その打ち合わせでした。片道ジャスト50分。夜は、おやじバンド集まりまして練習でした。少し音楽になってきたかな。自分自身が奏でる音にまだまだ不満です。 1/29、水。夜は校区の3校連絡協議会、3校のそれぞれの取組と、次年度の行事のすり合わせでした。陸上部の先生がいらっしゃったので、前日の顛末をご報告いたしました。会議を終え、競技場で練習を終えた長男、次男を迎えにいきました。ジャスト練習を終えたところでした。
1/25、土。県教委主催の「永年勤続者表彰」に県P連会長として出席をしました。今年3月で定年をお迎えになられる先生方の卒業式です。たいへん厳かに行われました。息子が通う中学校の校長先生が受賞者代表でご挨拶でしたが、この厳かな雰囲気の中、大爆笑で、でもしめるところはしっかりとしめて、さすがです。この域には到底達することはできません、笑。そしてわたしがPTA会長を務める小学校の校長先生もお越しで、奥様にも初めてお会いすることができました。素敵な方でした。午後からはそのまま祝宴が続きました。ほどよく酔いも抜けたころ、夜は今度はおやじの会の新年会で、おじさんたちと楽しく飲みました。今週、数えると、挨拶が7回もあって、最後が午前中の式典での来賓あいさつでしたから、張りつめていたものも緩み、リラックスして楽しく飲んだところに、最後にまた「一言あいさつを」と、もういいです!と。でも、あいさつしました、笑。
1/23、木。午前中は運営委員会、今年の夏から秋をどうやって乗り切るか、SCCの運営20年間の総力を結集してまいります。ピンチはチャンス!夜は校区コミュニティの会議でした。 1/24、金。午前中、PTA企画委員会、年度内最後の委員会でした。最後に学級委員長、専門部長、全員、一言ずつ話をしてもらいました。みなさん、すごく良い表情、言葉発してくださるんです。最初はプレッシャーあったけど、やってよかった、ほんと、皆さんそう仰ってくださいます。非営利組織の目的は、社会変革ではなく、社会を良くしたいと思える人を増やすこと、つまり、人間変革、つまり、生涯学習なんです。午後からは、校外生活指導連絡会にでて、そのままスクールゾーン委員会、学校保健委員会、と続きましたが、移動をし、15時から九州高等学校PTAの総務委員会が鹿児島市内で開催をされました。九州各県からお集まりいただき、こちらも年度内最後の会でしたが、1年を通して委員長として意見をまとめることができました。夜はそのまま懇親会が開催されました。
1/22、水。午前中たいへん嬉しいお知らせが。心躍りました。わたしがPTA会長を務める学校の校長先生が素晴らしい賞をご受章なされることが決まったという知らせでした。午後から県P連の会議でしたが、その前に学校に立ち寄って、お祝いを申し上げました。 13時半から高校常任委員会、15:15から常任委員会、今年はこの両委員会の活性化ということで、会の最後の情報共有の時間であったり、位置付けの明確化、また、年間を通してのグランドデザインの文書化、最後に区域別に分かれての情報共有等に取り組みました。少しだけ雰囲気も変わってきたかなという印象を持ちました。夕方は競技場へ。いよいよ冬季練習真っ只中というメニューです。長男、ケツワレしてました、笑。ケツワレ=短距離等の無酸素系のトレーニングをすると一気に乳酸が発生して、お尻からハムストのあたりが痺れるように痛くなるんです。10から15分ほどでおさまるのですが、その間はのたうち回るように痛いんです。たまにまたあのケツワレ味わいたいなあとも思います、けどやっぱり結構です。
1/21、火。外出、会議、来客の予定なく、終日事務局でデスクワークでした。3月末に開催する「第19回50mダッシュ王選手権」の参加募集を開始しました。日本スポーツ協会発行の「Sprt Japan vol.47」の菊先生のコラム、考えさせられました。 ・日本のスポーツは「イベント主義」イベント=大会。大会にでるために練習をする。それが前提にある。イベント=非日常。非日常のために日常がある。スポーツは本来楽しめればそれでいいもの。大会にでることが目的ではなく「日常のライフスタイルとしてスポーツを楽しむ」=「クラブスポーツ」日常にあるクラブライフこそスポーツ。 わたしもバリバリの競技スポーツ出身ですから、大会にでることがすべてのベースにあるという考え方が心のどこか凝り固まったものがあったかもしれません。大会にはでないけど、楽しいスポーツも「あり」で、それを具現化できる場こそ「クラブ」。そして、同時に大会を目指す人たちも当然いて、その方も楽しめる、そのような多様にある価値観を認め合う、改めてSCCのミッション「スポーツは、Like・Love・Life」の言葉に込めた想いを考えました。
1/18、土。センター試験初日です。長男は高校2年生ですから、1年を切ったということになります。土曜日ですが、模試があるということで、アサイチででかけました。来年からは共通テストです。9時から県陸協の常務理事会。終了12時半でした、な、が、い。いったん事務所に戻り昼からは再び陸上競技場へ。次男が少し足先に痛みがあるとしばらく走れていなかったのですが、サポーターをつけて、良い感じで走れていました。全体的に良い練習ができました。気持ちもスカッとします。
1/17、金。午前中は外園さんの告別式に参列しました。ザビエル教会で式は行われました。独身の頃はこの辺りに住んでいましたが、中に入るのは初めてでした。教会での告別式は初めての経験でしたが、厳かに行われ、そして外園さんがどなたにもお優しく、いつも穏やかでいらしたのはこういうところが根っこにあったんだなと理解ができました。奥様にも初めてお会いしました、ご挨拶することができました。お子様が、おそらくわたしと同じくらいの年齢の男性2人、女性2人と、我が家の子どもたちと同じ構成で、なんだかわたしが逝く時もこうやって見送られるのかな、と、不思議な気持ちにもなりました。夕方から陸上競技場へ。
昨日、訃報が届きました。 SCCは2000年に活動をスタートしました。わたしが立ち上げたクラブですので、当初は短距離のカテゴリしかありませんでした。しかしその後、現在ゼネラルマネジャーを務める竹内がスタッフとして加入したことを機に長距離のカテゴリを設けることになりました。しかし、当時はまだ今のようなランニングブームではなく、長距離をしているのは、マニアックなおじさん、おばさんの世界で(失礼)、組織も仲間内で集まって走る「走ろう会」くらいなものでした。ランニングのコーチが指導して、会費も発生します、なんて、そんな価値観全くなかった頃でした。そんな時代にどうにかして長距離の会員さんを募りたいと企画したのが「いぶすき菜の花マラソン挑戦講座」でした。 9月に募集をし、10月からスタート、その最初に集まった方々が、本当に素敵で個性的な方ばかりで、すぐに皆さん仲良くなられ、そこから1月に開催される菜の花マラソンに向けて、トレーニング始まりました。そして1月の大会が終わった後、皆さん口々に「大会が終わってもこのクラブでトレーニンングを続けたい」と仰っていただきました。そうして、今の長距離部門の礎ができあっていったわけです。 その中の一人、外園さん。以来、約18年間、SCCにずっと通い続けてきてくださいました。途中、心臓に疾患がみつかり、あまり心拍数をあげることができなくなったと、ランニングからウォーキング中心のメニューになりましたが、そんなときも自分のことより、常に他の会員の皆さんのことを気にされ「みなさん、一生懸命走っているのに、わたしなんかがゆっくり歩いて、脚を引っ張らないかなあ」とか。本当にお優しい方でした。焼酎も大好きでしたが、そのご病気になられてからは「飲めなくなってしもた!」と優しい笑顔であっけらかんと仰られて。手作りの竹細工や、梅干しの醤油漬けもよく届けてくださいました。外園さんらしい、やさしい味でした。 そして昨年、もうこれ以上、走れなくなったと、退会の申し出を、この事務局まで届けにこられました。その時もお辛い事情だったわけですが「そろそろお迎えがあ」って、笑顔でお話されて。それがお会いした最後になりました。昨年暮れにふらっと事務局に立ち寄られたことがあったそうですが、わたしは留守にしていて、お会いできませんでした。事務局長から、病気の治療が辛いんだ、と、後日伺いました。 最後に、外園さんが、初めてフルマラソン大会に出場した後に、述べられたメッセージ、とても素敵で忘れられない一言でしたので、ここに書き残します。 「スタートラインに立った時、周りの選手はみんなライバルだと思った。負けないぞって。そして走り始めて、どんどんきつくなってきて、苦しくなってきて。そしたら、声をかけあうんです。がんばろうって。周りの選手はライバルではなくて、仲間でした!」 外園浩二さん。いぶすき菜の花マラソン挑戦講座第1期生。82歳で生涯を閉じました。たくさんの優しさをいただきました。ありがとうございます。天国では大好きな焼酎、たくさん飲んでください。心よりご冥福をお祈りいたします。
1/15、水。夕方、息子二人を競技場まで送っていった後、そのまま姶良市へ。昨年末、県PTA研究大会が開催され、その最後の実行委員会でした。参加者からのアンケート結果、スタッフの皆様からのアンケート結果、協議をいたしました。慰労会のご案内もいただきましたが、残念ながら出張と重なり出席叶いません。苦労を乗り越えてみんなと一緒に飲むお酒、達成感、最高なのですが、残念です。
1/14、火。学校でPTAの三役会でした。11月に開催されたバザーの収益で購入するものの検討とそして年度のとりまとめです。校長先生の冒頭のご挨拶だけでももうジーンときます。終了後、次の委員会に向けて少し打ち合わせをして、仕事に戻ると事務局の大掃除をしていました。年末にインフルエンザの影響で大掃除ができず、年明けとなりました。わたしも1時間ほど一緒に掃除をしました。思い切ってたくさんの書類を捨てました。スッキリしました。
1/9、木。午後から外出をし、来年度の施設予約の申し込みを管理者に届けました。国体の影響で、いろいろなスポーツ施設が夏頃から使用できなくなるような状況が少しずつわかってきました。オール鹿児島で迎える鹿児島国体です、わたしたちもオール鹿児島の一員ですから、全面的に協力しますが、このような状況も、県民の日常のスポーツの場を守る立場として乗り越えないといけません。これをまた新たなチャンスだと捉え、柔軟に発想を切り替えていきます。生き残るのは強い組織ではなく、変化できる組織。ここで、ネガティブに捉え、発想を凝り固まらせていてはいけません。
1/7、火。午後から県庁へ。2月に開催される総合型地域SCの県の協議会の中で、県から講師にきていただきたいと調整をしていたのですが、それが前向きに進みそうで、正式に依頼文書を持参しました。そのまま県P事務局で、週末に役員会があるのですが、もう来年度予算についての協議が始まりますので、組まれた予算について内容を確認をしました。 1/8、水。午前中来客、もう次年度のことについて、です。このように年が明けるといろいろなことが一気に次年度モードに入っていきます。夕方から鴨池へ。クラブのトレーニング。次男が2月頭に室内陸上に出場を予定しています。ちょっと、助走練習していい?と聞かれ、年末年始もろくにトレーニングできていない、スパイクも今月に入り履いたばかり、どうかなあと思ったのですが、軽く合わせるだけね、と言いました。そしたら、助走距離っていくつだったっけ?といいます。なめてます。
1/5、日。午前中トレーニングをした後、天気が良かったので、2階の気になっていたところ、脚立を立ててペンキ塗りをしました。まぁまぁな高さが微妙で怖いんです。2時間くらい。着替えて、別な要件を済ませと思っていたら、嫁殿が具合が悪いと寝ています。インフルからどうにも体調戻りません。ぶわーっとスーパーにいって、食材買って、夕食をつくります。バタバタででかけて、夜は陸上競技協会の新年会でした。いよいよ鹿児島国体の年となりました。 1/6、月。午後から県P連として、関係機関にあいさつ周りです。マスコミ、連合校長会、退職校長会、議会、警察、教育長、教育委員会各部署、全部回るのに、3時間くらいかかるのです。昨年末に発症した坐骨神経痛が状態悪いままだったら、とんでもない苦行でしたが、笑、良くなってきてます。改めまして皆様今年も宜しくお願いします。
1/3、金。校区の新成人の集い、でした。とにかくこの時期の体育館は寒い!なんで外気温より寒くなるんですかね。芯まで冷えます。自宅に戻ると、風呂が沸いていて、極楽でした。箱根、母校C大、12位とのこと。このレベルの上がり方、すごいですね。以前のようなフラフラになる子もいないし。しかし諸々ご意見はありますが、かけっこがこのようにビッグコンテンツになっていることは、人気がないよりはずっとよくって、これをどう活かすかですよね。毎年恒例のジョギングで三社参り。トータル50分。相変わらず長い距離をゆっくり走るのは苦手で、生まれもっての白筋体質です。 1/4、土。仕事始めでした。午後から競技場へ。快晴。練習日よりでした。
新年あけましておめでとうございます。 2020年。東京オリパラ、鹿児島国体、SCC創立20周年、県PTA連合会創立70周年、中央大学陸上競技部創部100周年。どういう1年になるのでしょうか。次男が春から高校生、長女が中学生。学校種が変わるとがらっとライフスタイルが変わります。親としてそれらにもしっかりと対応しないといけません。長男が2021の「アノ」大学受験へのチャレンジも始まります。で、わたくし年男でございます!このようなガチャガチャな状況も泰然自若、静かにすべてを冷静に受け止めながら過ごしてまいります。何より健康が1番です。運動、早寝、早起き、朝ごはん。 ということで、今年も宜しくお願いします。
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