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Back Number 86 令和2年

3月27日(金)


 3/24、火曜日。PTA会長を務める小学校の卒業式でした。毎年、卒業式にでるようになり10年になりますが、こんなにせつない卒業式は初めてでした。校長先生ご退職、長女卒業、長女次女の担任の先生ご異動。なのに3月の休校で、子どもたち、先生や友達に会えない日々、先生方も子どもたちに会えない日々。子どもたちがいないシーンとした学校。お別れの日は静かに粛々と近づきました。そして迎えた卒業式。いろいろな制限・制約がある中、先生方の、子どもたちの、精一杯の気持ちが、意地が、誇りがあふれていて、涙がとまりませんでした。立派な卒業式でした。雲1つない空が広がりましたが、青というより白っぽい、透き通るような春の空でした。

 

3月26日(木)

 3/23、月。午前中は取材を受けました。スポーツかごしま新聞社。変な言い方になりますが、この日に、わたしに取材をしようと思える方です。家族ですら3月23日ってなに?ですから。この日は、わたしの生まれ変わりの日です。20歳になりました。20年前の3月23日、わたしが当時所属をしていた実業団陸上部の選手は本社ビルに集められ、その場で3月いっぱいをもっての陸上部の廃部が告げられました。あの日のこと、覚えていることもあり、もう忘れてしまったこともあり。すべて含めて、わたしはあの日、生まれ変わったのです。心がポキンと折れてしまったのです。それから20年。ようやく成人式を迎えました。この20年間を振り返る、よい時間でした。午後は、15時から週末に開催されるダッシュ王選手権のプログラム原稿、印刷会社さんと打ち合わせ。コロナの影響でてますか、ときくと、もちろんと。例えば、飲食業のお客さんが減る、領収書の発行が減る、印刷会社への発注が減る。社会は繋がっています。学校へ。この日午後に正式発表となりました、定期人事異動について校長先生、教頭先生と話をしました。体育館では翌日開催される卒業式の準備、わたしも簡単にリハーサルをしました。

 

3月25日(水)

 3/21、金。午前中は県陸協の理事会でした。夕方からは市内某ホテル、某といいましても、わたしが20年前に勤めていたホテルです。SCC立ち上げの頃、小学5年生で入会してくれて、それ以来の付き合いです、ゆうきの結婚披露宴。現在、たいへんご立派になられていて市内某病院でドクターをやっています。この時期に披露宴どうするのかなあと心配しましたが、換気やアルコール消毒やかなり気をつかっていましたし、なんつったって医療従事者の判断ですから、間違いないです。同じ席には久しぶりにお会いする方々もいて、とても楽しいひとときでした。最近、外で夕食をとることがほぼなくなってしまっているので、よい気分転換にもなりました。ゆうきとわたしといえば、なんといっても、TEDxというプレゼンテーションイベントです。彼がオーガナイザーとして鹿児島でこの企画をすすめてくれて、スピーカーとしてわたしを推してくれたのです。最初はよく意味がわかりませんでしたが、笑、途中からこれはとてつもない経験になるなあと感じました。その17分の動画、今もYOUTUBEで視ることができます。

 

3月23日(月)

 3/18、水。年に一度の事業計画発表会。スタッフそれぞれが1年前に自分でたてた事業計画に対して、今年度どのように動いてきたか、そしてをそれを元に令和2年度どのような計画を立てて、どういうふうに動いていくか。それぞれ発表をしてもらいました。わたしはSCCという組織のトップですが、いざ非常時は、トップダウンで動かしていくことも必要ですが、平時はトップダウン型の組織ではいけないと思っています。それぞれが自分がやるべき業務を自分で管理し、自分で考え動く。それをわたしが俯瞰で見ながら、コントロールができればいいと考えます。コントロールという言葉もちょっと違うような気もします。みんな、それぞれ一生懸命やってくれています。失敗もします。それも含めて、一人一人がチャレンジングな組織でありたいと思います。

 3/19、木。午前中、運営委員会。各事業の取り組み状況について。しかし、改めてうちのスタッフがすごいと思ったのが、このコロナの状況にあって、ポジティブワードがたくさんでてきます。わたしも世間のこの雰囲気に押しつぶされそうになることもありますが、がんばってくれているスタッフのためにも、わたし自らも笑顔でポジティブであるべき、改めて感じました。午後は県P事務局へ、決裁業務でした。年度末は諸々会議は入りませんが、支払い等の業務が滞らないようにしないといけません。

 

3月19日(木)

 3/16、月。午後から次男、春から進学する高校の入学説明会でした。わたし、勝手がわからず、1時間くらいで終わる会だと思っておりましたら、制服や教科書その他の購入、諸々説明、あちこち回り、終了後は部活で使うジャージユニフォームの採寸、終わったのは16時頃、それからまた制服の会社に向かい、採寸、こんなに時間かかるとは、笑。それよりも、なかなか冷え込んだこの日、コロナの影響で体育館の窓は全開、ビュービュー冷風が吹き込み、背中を丸め、ガタガタ、でした。そんな中、表紙にわたしの顔写真が入った県P総合補償制度の封筒を手にした、お隣のお母様に、2度見されました。

 3/17、火。午前は、姶良市で会議、学校給食の資材納入に関する会議でした。休校で3月の給食がストップし、それがどのように影響をしているかetc、協議をしました。また、わたしから、給食費の公会計について、いろいろと質問をさせていただきました。午後は東京からお客様でした。日本大学のM先生。総合型クラブとのかかわりが深い方は、もう皆様ご存じの方です。今度、本を出版されるということで、わたしもインタビューを受けたのですが、それに関して報告をということで、わざわざお越しになられました。M先生とは、わたしがSCCを立ち上げた、初期も初期の頃に、鹿児島の出張のついでに「会いたい!」とご連絡をいただきお会いしたのが初めてで、当時からは日本にクラブ文化を根付かせるんだと積極的に全国を飛び回り、活動をなされ、その一方でわたしのこともいつも気にかけていただき、わたしがSCCを立ち上げて20年、いろいろなターニングポイントとなる出会い、きっかけはありますが、まさに大きな大きなその1つです。帰路の便がコロナの影響で早まり、あまり時間はありませんでしたが、またここにきて、振り返り、そしてこれからを考える時間、貴重な時間でした。

 

3月18日(水)

 3/14、土。わたしのスマホはその日のスケジュールが自動的に表示されるようになっていて「校長先生お祝いの会」と表示されます。この日、校長先生の、ご受章のお祝いの会を開催する予定の日でした。校区にある居酒屋の2階を貸し切って、奥様もお招きして。夜も、今頃は、みんなでわーきゃー言いながら、飲んでいたんだろうなあとか。でも、中止になったわけではないので。楽しみが先に延びただけです。

 3/15、日。午前中はがっつりトレーニングをして、午後からは買い物。そして、夕方にかけてひたすら台所で料理をつくりまくるという。カレー、ローストビーフ、豚バラ角煮、鶏唐揚げ。コロナの影響で素晴らしい旦那さんになってます、笑。

 

3月17日(火)

 3/13、金。午後から市のスポーツ推進審議会。約10年ほど、委員を務めています。以前は市教委の中の保健体育課が管轄だったのですが、今年度から市長部局の「スポーツ課」が管轄となりました。会の進め方や雰囲気もがらっと変わったとこともあり、わたしもいろいろと様子を見ながら発言をさせていただいています。

 

3月13日(金)

 3/12、木。次男、中学校卒業式。ですが、縮小開催のため、出席できる保護者は1名までとなりました。わたしが家で留守番でした。こそっと紛れ込んでもばれないだろう、いやいや、たやすくバレますので、ぐっとガマンでした。午後から来客が1組2名、新年度のことでした。校長先生からお電話をいただき、急遽学校へ。25日まで臨時の休校が続いていますが、急遽登校日が設定されることになり、ましたが、いろいろと制約もあり、それらについてでした。帰宅してすぐに執行部ラインにそのことを伝えました。子どもたちにもそのことを伝えると「学校にいける!」喜びました。長女はんー、3時間は欲しいなあと。その気持ち忘れるではないぞ。この日は、次男の誕生日でもあります。夜は、外食の提案もありましたが、やっぱりそれもやめて、お寿司をとって、お祝いしました。15歳の誕生日おめでとう。次男が産まれたとき、わたしは京都に出張中で、昼から4時間くらいのぶっ通しで講演をしていたのですが「電話が鳴ったら、でます」と断ってから講演をしました。「よし、名前は京太郎にしよう!」と提案したら、いやだ、と断られました、笑。翌日、空港から帰りに花屋によって、花束を抱え、病室に入り、はじめましての瞬間、15年前かあ。

 

3月12日(木)

 3/9、月。午前中、電話があり、学校に市P連から郵便物が届いています、今日までお返事とのことですということで、受け取りにいきました。資料室では副会長さんたちが新年度に向けての作業をしていました。校長先生、教頭先生とお会いして、話をして、卒業式のこと、PTA送別会のこと、話をしました。PTA送別会、大切な、お別れの行事ですが、中止となりました。それを執行部に伝えると、ちょうど席図表をつくっていた時で、またふう〜、とみんなでため息でした。こどもたちも今は我慢しているんだから、わたしたちも我慢だねと。

 3/10、火。午前中、連絡があり、コロナの影響でまた状況が変わり、マネジャーがさっと動き、昼過ぎ協議をして対応を決めました。それをHPにUP、メール連絡。午後は県P事務局へ、決裁がたまっていました。夕方はスクールを回りました。27歳で会社を辞めたとき、終日家に閉じこもる日が続き、あの時は、本当に世の中から取り残されたような気持ちになりました。ああ、働く、ということは、世の中との接点なんだなと感じました。つまり、今、子どもたちも同じような状況にあり、学校は世の中との接点なのです。

 

3月11日(水)

 3/7、土。薩摩川内で開催された陸上競技の審判講習会に参加をしました。なぜか、30分ちょいで着くと思い込んで、それ、伊集院の競技場ですね。たっぷり1時間かかり、予定の到着時刻を超えて到着をしました。ちょいとボケています。新年度のルールの修改正を学びました。

 3/8、日。何も予定はなく、午前中はゆっくり過ごし、昼頃、長男と、近所の公園で軽くトレーニング。公園は家族連れで遊ぶ姿が多く見られます。ある意味、公園らしいというか、皮肉なことに、ですね。昼からは買い物にいき、15時くらいからひたすら料理つくりました。ちょっとずつレパートリー増えています。

 

3月10日(火)

 3/4、水。午後から来客、先方がたいへん恐縮されて、たいへんお忙しい時に少しだけお時間を、と仰られるのですが、会議等が軒並みキャンセルになり、ほぼ毎日何の予定もない日々を過ごしております、と。来年度の県Pの事業で打ち合わせでした。

 3/6、金。午後から県P役員会。年度内最後の役員会で、大切な議案が山積みでした。ここ数年、懸案として残っていた課題を一歩前進させることができました。休校決定から怒涛のような1週間が過ぎました。少しずつこのことを受け入れれつつ、1日も早く正常な社会生活が戻ることを祈っています。

 

3月9日(月)

 休校が決まった日の夜。これから1か月、こども4人、親も子も、なんとなくネガティブ。当然、自宅学習が中心の生活が続くのですが、それ以外の時間をどう過ごす?4人の子どもがそれぞれダラダラとスマホ画面をのぞき込み、その姿に親もイライラ、何時間やってんの!テレビをつければコロナコロナコロナ…という日々が続くのだろうか。何か、この1か月をポジティブに過ごすことができないか。で、決めました。

 「ペットショップにいくぞ」

 前々から、子どもたちから犬を飼いたい、という要望は受けていました。でもまぁ子ども4人いて、それだけでも日々ワチャワチャしているのに、加えてペットの世話までとなると。また、嫁さんがペットを今まで一度も飼ったことがなく、あまりそのことに対して積極的になれないということもあり、子どもたちには、いつかね、と話をはぐらかせてきました。しかし、今回、このようなことになり決心しました。いまだと。かわいいかわいい、ワンちゃんの赤ちゃん時代はあっという間に過ぎ去るし、この1か月間、ずっと一緒にいることができる、そして、4人の子どもたちで責任をもって、しつけ、餌やり、やると、約束をしました。

 ポメラニアンとトイプードルのミックスで、ポメプーという犬種です。オスです。体重1.4kg、名前も子どもたちで話し合って決めさせました。色がカフェラテのような色だから「ラテ」としました。かわいい、かわいい、家族が一人増えました。毎日、鬱々とするニュースばかりですが、ラテのおかげでますます賑やか太田家です。初めてペットを飼うことになった嫁さん、一番デレデレしています。

 

3月6日(金)

 3/2、月。子どもたちは、朝、元気に登校。先生方はおそらく、土日突貫工事で、突然決まった休校中の家庭学習等の準備を休みなくご準備されたのだろうなあと。今日はどんな授業をしているのか、校長先生はどんな気持ちで子どもたちの登校を見守られたのか、いろいろな思いがよぎります。給食を食べて、14時頃から子どもたちが帰宅してきました。とにかく荷物が重たかった〜と顔を蒸気させています。午後から春休みまでの休校に突入しました。夕方のスクールの様子を見にいきました。どーんと参加者が減るのではないかと思いきや、いつもと変わらない様子。公園にはいつもと変わらず、サッカーをする中高校生や散歩をする高齢者、いつもと変わらない風景で、ある意味、拍子抜けしたというか、ほっとしました。ツイッターでもつぶやいたことですが、学校の休校要請の内容は、あくまで「子どもたちが日常的、長時間集まることへのリスク」です。また、3/2放送のNHKあさイチでは「屋外で感染することは考えにくい」とありました。子どもたち数人が公園で遊んでいるだけで学校へクレームの電話が入っているようです。少し冷静になってください。公園から子どもを締め出し、公共施設も子ども利用の制限がかかっているところが増えているようです。この社会は本当に子どもたちを家に押し込めようとしているのか?社会が怖い、人が怖い。

 

3月5日(木)

 2/29、土。本来ならば、宮崎で講演が1本入っていた日でした。SCCとしての対応を検討しないといけません。午前中はずっと情報を整理し、言葉にし、書き連ねていきました。午後からは陸協の会議でした。終了後、グラウンドに行き、土曜日のトレーニングの様子をみました。会員さんの中には、危機管理の専門の方、医療従事者もいらっしゃるので、いろいろとご意見伺いました。事務局にはいろいろな電話、問い合わせ、意見も入ってきていると。早く方針を示さないと、電話が鳴りやみません。最後にわたしの片腕、竹内に意見をききました。腹が決まりました。夕方、再び事務所にこもり、独り、SCCとしての方針を言葉にしました。その決断、私心なかりしか、利他に基づいたものか。深く深く自分に問いかけます。そしてそれをHPにアップ。ずしりと重たいものを感じました。

 

3月4日(水)

 2/28、金。不安な朝を迎えました。見えないものが、何か本当にたいへんなことが起ころうとしている?わからない不安。何が不安なのかがわからないから不安。でもこんなときこそ正確に情報を整理し、ロジックで気持ちを落ち着かせないといけません。テレビでこういっていたから、周りがそうしているから、ではなく、わたしとして、SCCとして、どうあるべきか。午後から、県P事務局へ、本件で、何か問合せ、ご意見等入っていないか、確認。対応すべきことはあるのか、ないのか。そして午後から広報紙コンクールの審査会でした。同時にだんだんと県内の各自治体の対応が決まり、情報が入ってきます。途中、文科大臣の記者会見が始まり、スマホを耳にあててしっかりと聞きました。鹿児島市の対応が決まり、その情報も入りました。市内小中学校は3/2(月)の午後から25日まで休校、つまり春休みまで子どもたちは家にいることになりました。校長先生とも電話で話しました。その件で数名の方と電話で意見交換をしました。

 夜、静かに、ぐっとハイボールを飲み込むと、抑えていた感情があふれてきて、おいおい、泣いてしまいました。子どもたちびっくりしていました。

 

3月3日(火)

 2/26(水)、今月4回目の東京へ。出発前、ラウンジで知り合いのT先生ご夫妻とばったり。以前は家にもご招待いただき、楽しく飲んだり、たいへんお世話になったご夫婦です。このサイトも見ていらっしゃるとのことです、笑。お元気そうで何よりです!東京は、総合型クラブの年に一度の総会と、全国組織設立10周年に式典が開催をされました。当初はその後に祝賀会を予定していましたが、中止となりました。

 2/27(木)、東京から鹿児島へ。翌日から宮崎への出張だったのですが、これも中止。よって、今月は8回出張が入りましたが、これがラストとなりました。夜は校区コミュニティの会議に出席し、自宅に戻ると、家の中がざわついています。内閣総理大臣から全国の学校へ、一斉休校の要請がでたと、前代未聞、ショック。

 

3月2日(月)

 2/25、火。午前中は学校で、学校評議員会でした。まさか、1週間後に休校が始まるなんて、まったく考えていませんでした。学校の取組みについて、各学校の保健の取組みにつて、委員の皆様と意見交換をしました。そのまま学校給食委員会、来年度の給食費、納入業者等のについて。午後は、本業のほうで「業務マニュアル発表会」、この取り組みも5年になりますが、自分の仕事のマニュアルを作成し、発表しあいます。仕事が属人的にならないように。夜はおやじバンドの練習。この日のテーマは「酒を飲みながら演奏できるか」で、酒を飲みながら、そりゃ2時間も経てば、酔ってきますが、演奏はできました。ノリもよかった、でも、ミスは間違いなく増えます。わかりきってたことですね、笑。本番に向けて、良い仕上がり、感じました。

 

2月28日(金)

 なんともせつなく、ぶつけようのない憤り。中3の息子、小6の娘、人生の節目、卒業。この3月で退職、転出される先生方、子どもたちに会えないまま、3月末を迎えるということか。その思いを察すると、涙がでてきます。わたしに何ができるのか、何もできない、悔しい。夕べから心の中がぐちゃぐちゃです。

 

2月25日(火)

 2/22、土。朝、8時15分集合で、1泊2日の県陸上競技協会主催の小学生の選抜合宿です。わたしが担当する年度内最後の事業となりました。県大会で優秀な成績をおさめた選手を選抜します。中には夏の全国大会に一緒にいった子たちもいます。SCCからも2名が参加をしました。午前中はコントロールテスト、午後は専門種目に関わらずいろいろな種目を経験してほしいと短時間でいろいろな種目を経験してもらいました。夕方に練習を終え、そのまま泊りでしたが、そちらは担当に任せて、わたしは自宅に戻りました。今月出張8回、、できれば帰りたいと、わがまま言ってしまいました、笑。

 2/23、日。朝、出かける準備をしていたら、携帯がなって、何かあったなと。「短距離の指導をする予定のスタッフが具合が悪くこれなくなりました」ということで、急遽わたしが担当することになり、スーツと革靴で、久々の熱血指導。今回、特に女子がレベルの高い子たちで(100m県小学記録保持者、5年女子100m全国大会2位)、なので、わたしの指導にどんな反応を示すか、またどの程度の動きができるのか、急にワクワクしてきて、やっぱり指導は楽しい、1時間半でした。弾み方、スタートのすねの倒し方、マニアックなことぎゅーっとやりました。正直、まだまだです。こんなものかと思いました。ということは全然完成された選手ではなく、伸びしろたっぷりだということです。ますます今後が楽しみになりました。お昼に合宿は終了しました。大きな怪我、トラブルなく終えることができました。そのまま年度内すべての活動が終わったということで、部会を開き、年間の総括と次年度に向けて協議をしました。

 そのまま戻り、学校で吹奏楽部の定期演奏会が開かれ、ご案内をいただき、出席をしました。2時間半、たっぷり19曲に、アンコールまで、音楽は大好きなので、飽きません。素晴らしい演奏でした。

 

2月21日(金)

 2/19、水。車で出発、10分ほど走ったところで、忘れ物に気づき、ま、どこかで買えばいいかとも思ったですが、いや、手に入らないかもしれないと引き換えしました。マスクです。自宅まで戻りました。すぐに再び外出し、空港へ。鹿児島空港から羽田でした。

 2/20、木。午前中から終日、日本PTAの会議。どちらかというと、地方から出てきた人のほうがばっちりマスクをしていて、東京の人たちのほうが案外普通にしているような気もいたしました。東京出張、というだけで、周りから「ええ!」と言われたという声をちらほら聞きました。多くの方が毎日のニュース、ワイドショーで東京はたいへんなことになっていると思い込んでいるのかもしれません。しかし急にいろいろな行事が自粛モードに傾いてきました。会議の途中で鹿児島マラソン中止のニュースも入ってきました。会議は17時に終わり、最終便で戻ってきました。

 

2月19日(水)

 2/17、月。午後から、昨年開催された南部九州高校総体の実行委員会総会へ。最後の総会となりました。事業報告、決算報告、すべてが承認され、この実行委員会も解散となります。ご担当の皆様、本当にご苦労様でした。プレッシャーもたくさんあったと思います。やりきった感、溢れていました。わたしもあくまで外からですが、その経緯を見てきたものとして、立派に開催されたこと、そしてこの日を迎えられたこと、ジンときました。

 2/18、火。午後から県P連、評議員会です。総会につぐ議決機関であり、この日は総会に上程する新年度予算、事業計画についての審議でした。年間で最もヤマとなる、会です。また、12月末時点での予算の執行状況を鑑み、補正予算を組むことにもなりました。つまりお認めいただいた予算を計画的に執行できなかったところをきちんと理由をお伝えしご理解を頂かなければなりません。数日前から緊張をしていました。会は円滑に進行をし、すべての議案についてご承認をいただきました。感謝いたします。誠実に執行をさせていただきます。会の準備に細心に事を運んで頂いた事務局にも感謝です。

 

2月18日(火)

 2/16、日。朝、7時50分、集合。奉仕作業(愛校作業)といえば、夏休みの定番行事ですが、わたしたちは、6年生保護者児童だけは別日を設け、この時期に開催をしています。卒業を前に、最後に感謝の思いを込めて、慣れ親しんだ校舎校庭をきれいにしようということです。昨日は雨で、急遽、体育館ピカピカ作戦となりましたが、普段は掃除ができないようなところもきれいに掃除ができました。1か月半後にここで卒業式です。

 その後、10時から、今年3月にご退職される「上村芳郎校長先生 記念講演会」が開催されました。小学校1年生の頃からの夢「小学校の先生になる!」その道を突き進み、挫折もあり、紆余曲折、教員生活を振り返り、そして玉江小でのラスト3年間を振り返り、数々のエピソード。その中で感じられてきた「言葉」に対する想い。「教育」に対する想い、哲学。ジョークを交えながら笑いあり、思いを語る場面はじーんと胸が熱くなり、涙あり。あっという間の90分間でした。

 午後は、バンド練習。夜は、そのバンドのメンバーでたまには飲みましょうと、近所の居酒屋で一献いきましたが、教頭先生も、ご参加!愛校作業、講演会の打ち上げとなりました。楽しい夜でした。

 

2月17日(月)

 2/14、金。宮崎へ。九州高等学校PTAの理事会でした。6月に開催される宮崎大会の協議と、その次、令和3年度は鹿児島大会です。いろいろな文書に「鹿児島」の文字が増えてきました。大切な審議事項があり、少々気を揉んでいましたが、無事、可決されました。可決されましたが、同時にいろいろなご意見ご要望も頂きましたので、それらを踏まえしっかりと取り組んでまいりたいと思います。

 2/15、土。宮崎から戻り、午後はクラブのトレーニングに長男次男といっしょに。よい練習ができました。

 

2月14日(金)

 2/10、月。午前中、かごしま国体に向けた競技力向上対策委員会、天皇杯、皇后杯獲得に向けて。思えば、平成26年にこの委員会の委員として委嘱を受け、7年間にわたり議論をしてまいりましたが、いよいよ本番がくるのだ、という感じです。夜は市P連の委員会です。こちらもずっとずっとずっと議論をしてきたことで、課題ばかりが指摘をされ、どうあっても課題はあり、ベストではなく、ベターを、折り合いをつけないといけない事案です。どこに折り合いをつけるか、です。

 2/11、火。午前中はミュージシャン、笑。当然ですが、練習をすればするほど、音の質は良くなってきます。

 2/12、水。友、遠方より来る。スポーツ庁の元総合型クラブのご担当の方。プライベートで鹿児島にいらっしゃるということで、一緒に食事をしました。当時、総合型クラブがみんなでよくなっていくためには、喧々諤々議論を重ねました。今はまた違うお仕事をされていますが、そちらの話も含め、お互いの近況を語りました。お互い良いペースで飲み続け、最後はギャーギャー言いながら別れました、笑。

 2/13、木。午前中は運営委員会、午後は、県P事務局へ、決裁と出張の段取り、打ち合わせでした。

 

2月13日(木)

 2/6、木。午前中は、県健康教育研究大会、開会式、表彰式に来賓として登壇をしました。表彰の先生方は錚々たる顔ぶれでした。お世話になった方々ばかりです。学校歯科医師の表彰でどこかで見たことある方だなあと思った方は、近所の歯医者さんでした、笑。午後は県P連役員会実行委員会でした。この時期は、今年度補正予算、次年度予算のことについて協議をしますのでいつもよりたっぷり時間がかかりました。

 2/7、金。県民交流センターへ。午前中は県コミュニティスポーツクラブ連絡協議会、午後は県広域スポーツセンターの研修会です。午前中はわたしが仕切らないといけない会でしたが、出張が入りましたので、少しだけ顔をだして、そのまま鹿児島中央駅から北九州小倉で午後から九州PTAの理事会でした。

 2/8、土。バスで北九州空港へ。小倉の駅からバスで40分ほど。もしかしたら、新幹線でぴゅっと博多までいって、福岡空港を利用するほうが早いかもしれないなあなんて思いながら。北九州空港を利用するのは初めてでした。午後から東京で全国高等学校PTAの連絡会でした。文科省から、大学入試改革についてここまでの経緯ご説明がありました。いろいろご意見あられるかと思いますが、改めてあそこでストップできたことは英断だと思いました。

 2/9、日。東京から戻りました。この日は駅伝大会を開催しておりましたが、例年この大会は天候がものすごく寒かったりするものですから、そこが心配でしたが、この時期にしては激冷えすることなく、そこは安心していましたが、無事終わったと連絡入りました。ご参加いただいた皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました。

 

2月12日(水)

 2/3、月。午前中、県P新聞編集委員会でした。もう令和2年度の掲載内容もしっかりと議論がなされ、決まってきています。

 2/4、火。朝は次男、公立高等学校の推薦入試で会場まで車で送っていきました。午後は県体力向上の委員会に出席しました。今年、全国運動能力テストの結果、かくっと落ちました。鹿児島も同じような数値です。スマホ、ゲーム、SNSにとられている時間の増加が様々な生活習慣に影響を及ぼし、体力の数値にも表れてきたということです。帰宅すると次男がいたいのでテストどうだった?と聞くと「楽しかった!」と言います。入試のテストって楽しいものだったっけ。

 2/5、水。空港へ。空港から、新国立競技場近くの施設へ。国立競技場付近は一体的に改修がなされ、わたしがしっているあの競技場付近とはまったく違うようにも感じました。ここで夏にはオリンピックが開催されるんですね。会議は14時から17時まで。総合型クラブの登録認証制度と中間支援組織についてでした。終了後そのまま羽田へ。日帰り出張でした。

 

2月11日(火)

 なんだか、バタバタとしておりまして、2月に入り、一瞬で10日ほど経ったように感じます。

 2/1(土)、大阪室内陸上大会当日。9時ごろホテルを出て、9時半、競技場到着。10時アップ開始。次男の大会時のアップ、ちゃんと見るのは初めてでした。わたしは短距離なのでその感覚はよくわからないのですが、しっかりアップで動けるようにして→招集というイメージですが、跳躍は7割くらいの感じなんですか?わたしからするともうちょっと動いていいのかなと感じました。招集に向かい、競技へ。前の種目が伸びて、競技開始が1時間ほど押しました。この辺りもトラック種目ではほぼあり得ないことです。その間動けないわけですから。そして競技が始まり1本目、6m23。助走が遅いなあと感じました。当然、そういった練習はまったくしていませんので。2本目、ファール。3本目、記録を伸ばせず、エイトに残れずここで終わりました。6m60くらいのベスト記録を持っていますので、本人はまったく納得できず相当悔しそうにしていました。その気持ちを大切に、これから残りの冬季練習がんばってくれたらそれでいいのです。帰りも一切口を開かず、黙り込んでいましたが、ホテル近くのお好み焼き屋で、おいしいものを食べて、いろいろ話をして、少し元気もでてきました。

 2/2(日)、せっかく大阪まできて、なので、飛行機は少し遅い便を予約したのですが、本人がどこにも行く気がしないというので、ホテル近くの心斎橋近辺を少し散策して友達や家族にお土産をあれこれ買って、空港に向かいました。夕方鹿児島に戻りました。こうして息子と、選手と指導者として遠征に行くのは、これが最初で最後だろうなあと、父は幸せでした。

 

2月4日(火)

 1/30、木。午後から来客でした。遠泳大会の今後について、意見交換をしました。そのまま県P事務局へ。

 1/31、金。次男と鹿児島空港〜伊丹空港へ。途中宮崎上空を通ります。青島が見えました。昔、家族旅行で訪れた時に、この青島のお土産屋さんで欲しいものがあると、泣きわめいた次男が、隣で飛行機に乗り、全国大会へと向かっています。空港からそのまま大阪城ホールへ。受付を済ませ、スタンドで雰囲気を味わいながら少しゆっくりとしました。室内陸上は、昔からある大会ですが、わたしはテレビでしか見たことありません。一度出てみたいとは思っていましたが。なので、初、生、室内陸上。ちょっと感動です。ゆっくりと前日練習始めました。身体を温めた後、助走練習に入りましたが、びっくりするくらい脚があいません。「感覚がぜんぜん違う」と言います。思い切って、1m下げて、1m下げて、50cm下げて、まったく合いません。4本目くらいで少し近づいてきて、で、結局、元に戻しました。そして合ってきました。よーわかりません。なんとかこれでいけそかなというところまでにはなりました。ホテルにチェックインして、夜は串カツを食べにいきました。

 

1月30日(木)

 1/27、月。午前中、児童クラブ運営委員会。わたしがPTA会長を務める学校には放課後の預かりとしての児童クラブが第1から5まで開設されています。利用児童数は200名を超えています。先生(支援員さん)もそれぞれに5名ほどいますから、25名ほど。その運営たるや、ハードです。

 1/28、火。次男、私立高等学校のお受験。集合時間に合わせ、超安全運転で会場に向かいます。会場までもう2.3分というところで、後部座席に座る次男が言い放ちました。「受験票わすれた」はああああ〜。朝の交通渋滞の中、自宅にいた嫁さんと連絡を取り合いながら、中間地点まで戻り、受験票を受け取り、再び、会場へ。結果、間に合いましたが。焦るのは親ばかりで、本人は飄々としています。いますよね、アスリートでもこんな感じの選手。午後から「樋脇」へ。来月、県の総合型クラブの連絡協議会が開催をされますが、わたしが出張で不在のため、副会長さんに議長役をお願いしました。その打ち合わせでした。片道ジャスト50分。夜は、おやじバンド集まりまして練習でした。少し音楽になってきたかな。自分自身が奏でる音にまだまだ不満です。

 1/29、水。夜は校区の3校連絡協議会、3校のそれぞれの取組と、次年度の行事のすり合わせでした。陸上部の先生がいらっしゃったので、前日の顛末をご報告いたしました。会議を終え、競技場で練習を終えた長男、次男を迎えにいきました。ジャスト練習を終えたところでした。

 

1月29日(水)

 1/25、土。県教委主催の「永年勤続者表彰」に県P連会長として出席をしました。今年3月で定年をお迎えになられる先生方の卒業式です。たいへん厳かに行われました。息子が通う中学校の校長先生が受賞者代表でご挨拶でしたが、この厳かな雰囲気の中、大爆笑で、でもしめるところはしっかりとしめて、さすがです。この域には到底達することはできません、笑。そしてわたしがPTA会長を務める小学校の校長先生もお越しで、奥様にも初めてお会いすることができました。素敵な方でした。午後からはそのまま祝宴が続きました。ほどよく酔いも抜けたころ、夜は今度はおやじの会の新年会で、おじさんたちと楽しく飲みました。今週、数えると、挨拶が7回もあって、最後が午前中の式典での来賓あいさつでしたから、張りつめていたものも緩み、リラックスして楽しく飲んだところに、最後にまた「一言あいさつを」と、もういいです!と。でも、あいさつしました、笑。

 

1月28日(火)

 1/23、木。午前中は運営委員会、今年の夏から秋をどうやって乗り切るか、SCCの運営20年間の総力を結集してまいります。ピンチはチャンス!夜は校区コミュニティの会議でした。

 1/24、金。午前中、PTA企画委員会、年度内最後の委員会でした。最後に学級委員長、専門部長、全員、一言ずつ話をしてもらいました。みなさん、すごく良い表情、言葉発してくださるんです。最初はプレッシャーあったけど、やってよかった、ほんと、皆さんそう仰ってくださいます。非営利組織の目的は、社会変革ではなく、社会を良くしたいと思える人を増やすこと、つまり、人間変革、つまり、生涯学習なんです。午後からは、校外生活指導連絡会にでて、そのままスクールゾーン委員会、学校保健委員会、と続きましたが、移動をし、15時から九州高等学校PTAの総務委員会が鹿児島市内で開催をされました。九州各県からお集まりいただき、こちらも年度内最後の会でしたが、1年を通して委員長として意見をまとめることができました。夜はそのまま懇親会が開催されました。

 

1月23日(木)

 1/22、水。午前中たいへん嬉しいお知らせが。心躍りました。わたしがPTA会長を務める学校の校長先生が素晴らしい賞をご受章なされることが決まったという知らせでした。午後から県P連の会議でしたが、その前に学校に立ち寄って、お祝いを申し上げました。

 13時半から高校常任委員会、15:15から常任委員会、今年はこの両委員会の活性化ということで、会の最後の情報共有の時間であったり、位置付けの明確化、また、年間を通してのグランドデザインの文書化、最後に区域別に分かれての情報共有等に取り組みました。少しだけ雰囲気も変わってきたかなという印象を持ちました。夕方は競技場へ。いよいよ冬季練習真っ只中というメニューです。長男、ケツワレしてました、笑。ケツワレ=短距離等の無酸素系のトレーニングをすると一気に乳酸が発生して、お尻からハムストのあたりが痺れるように痛くなるんです。10から15分ほどでおさまるのですが、その間はのたうち回るように痛いんです。たまにまたあのケツワレ味わいたいなあとも思います、けどやっぱり結構です。

 

1月22日(水)

 1/21、火。外出、会議、来客の予定なく、終日事務局でデスクワークでした。3月末に開催する「第19回50mダッシュ王選手権」の参加募集を開始しました。日本スポーツ協会発行の「Sprt Japan vol.47」の菊先生のコラム、考えさせられました。

・日本のスポーツは「イベント主義」イベント=大会。大会にでるために練習をする。それが前提にある。イベント=非日常。非日常のために日常がある。スポーツは本来楽しめればそれでいいもの。大会にでることが目的ではなく「日常のライフスタイルとしてスポーツを楽しむ」=「クラブスポーツ」日常にあるクラブライフこそスポーツ。

 わたしもバリバリの競技スポーツ出身ですから、大会にでることがすべてのベースにあるという考え方が心のどこか凝り固まったものがあったかもしれません。大会にはでないけど、楽しいスポーツも「あり」で、それを具現化できる場こそ「クラブ」。そして、同時に大会を目指す人たちも当然いて、その方も楽しめる、そのような多様にある価値観を認め合う、改めてSCCのミッション「スポーツは、Like・Love・Life」の言葉に込めた想いを考えました。

 

1月21日(火)

 1/18、土。センター試験初日です。長男は高校2年生ですから、1年を切ったということになります。土曜日ですが、模試があるということで、アサイチででかけました。来年からは共通テストです。9時から県陸協の常務理事会。終了12時半でした、な、が、い。いったん事務所に戻り昼からは再び陸上競技場へ。次男が少し足先に痛みがあるとしばらく走れていなかったのですが、サポーターをつけて、良い感じで走れていました。全体的に良い練習ができました。気持ちもスカッとします。

 

1月20日(月)

 1/17、金。午前中は外園さんの告別式に参列しました。ザビエル教会で式は行われました。独身の頃はこの辺りに住んでいましたが、中に入るのは初めてでした。教会での告別式は初めての経験でしたが、厳かに行われ、そして外園さんがどなたにもお優しく、いつも穏やかでいらしたのはこういうところが根っこにあったんだなと理解ができました。奥様にも初めてお会いしました、ご挨拶することができました。お子様が、おそらくわたしと同じくらいの年齢の男性2人、女性2人と、我が家の子どもたちと同じ構成で、なんだかわたしが逝く時もこうやって見送られるのかな、と、不思議な気持ちにもなりました。夕方から陸上競技場へ。

 

1月17日(金)

 昨日、訃報が届きました。

 SCCは2000年に活動をスタートしました。わたしが立ち上げたクラブですので、当初は短距離のカテゴリしかありませんでした。しかしその後、現在ゼネラルマネジャーを務める竹内がスタッフとして加入したことを機に長距離のカテゴリを設けることになりました。しかし、当時はまだ今のようなランニングブームではなく、長距離をしているのは、マニアックなおじさん、おばさんの世界で(失礼)、組織も仲間内で集まって走る「走ろう会」くらいなものでした。ランニングのコーチが指導して、会費も発生します、なんて、そんな価値観全くなかった頃でした。そんな時代にどうにかして長距離の会員さんを募りたいと企画したのが「いぶすき菜の花マラソン挑戦講座」でした。

 9月に募集をし、10月からスタート、その最初に集まった方々が、本当に素敵で個性的な方ばかりで、すぐに皆さん仲良くなられ、そこから1月に開催される菜の花マラソンに向けて、トレーニング始まりました。そして1月の大会が終わった後、皆さん口々に「大会が終わってもこのクラブでトレーニンングを続けたい」と仰っていただきました。そうして、今の長距離部門の礎ができあっていったわけです。

 その中の一人、外園さん。以来、約18年間、SCCにずっと通い続けてきてくださいました。途中、心臓に疾患がみつかり、あまり心拍数をあげることができなくなったと、ランニングからウォーキング中心のメニューになりましたが、そんなときも自分のことより、常に他の会員の皆さんのことを気にされ「みなさん、一生懸命走っているのに、わたしなんかがゆっくり歩いて、脚を引っ張らないかなあ」とか。本当にお優しい方でした。焼酎も大好きでしたが、そのご病気になられてからは「飲めなくなってしもた!」と優しい笑顔であっけらかんと仰られて。手作りの竹細工や、梅干しの醤油漬けもよく届けてくださいました。外園さんらしい、やさしい味でした。

 そして昨年、もうこれ以上、走れなくなったと、退会の申し出を、この事務局まで届けにこられました。その時もお辛い事情だったわけですが「そろそろお迎えがあ」って、笑顔でお話されて。それがお会いした最後になりました。昨年暮れにふらっと事務局に立ち寄られたことがあったそうですが、わたしは留守にしていて、お会いできませんでした。事務局長から、病気の治療が辛いんだ、と、後日伺いました。

 最後に、外園さんが、初めてフルマラソン大会に出場した後に、述べられたメッセージ、とても素敵で忘れられない一言でしたので、ここに書き残します。

 「スタートラインに立った時、周りの選手はみんなライバルだと思った。負けないぞって。そして走り始めて、どんどんきつくなってきて、苦しくなってきて。そしたら、声をかけあうんです。がんばろうって。周りの選手はライバルではなくて、仲間でした!」

 外園浩二さん。いぶすき菜の花マラソン挑戦講座第1期生。82歳で生涯を閉じました。たくさんの優しさをいただきました。ありがとうございます。天国では大好きな焼酎、たくさん飲んでください。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

1月16日(木)

 1/15、水。夕方、息子二人を競技場まで送っていった後、そのまま姶良市へ。昨年末、県PTA研究大会が開催され、その最後の実行委員会でした。参加者からのアンケート結果、スタッフの皆様からのアンケート結果、協議をいたしました。慰労会のご案内もいただきましたが、残念ながら出張と重なり出席叶いません。苦労を乗り越えてみんなと一緒に飲むお酒、達成感、最高なのですが、残念です。

 

1月15日(水)

 1/14、火。学校でPTAの三役会でした。11月に開催されたバザーの収益で購入するものの検討とそして年度のとりまとめです。校長先生の冒頭のご挨拶だけでももうジーンときます。終了後、次の委員会に向けて少し打ち合わせをして、仕事に戻ると事務局の大掃除をしていました。年末にインフルエンザの影響で大掃除ができず、年明けとなりました。わたしも1時間ほど一緒に掃除をしました。思い切ってたくさんの書類を捨てました。スッキリしました。

 

1月10日(金)

 1/9、木。午後から外出をし、来年度の施設予約の申し込みを管理者に届けました。国体の影響で、いろいろなスポーツ施設が夏頃から使用できなくなるような状況が少しずつわかってきました。オール鹿児島で迎える鹿児島国体です、わたしたちもオール鹿児島の一員ですから、全面的に協力しますが、このような状況も、県民の日常のスポーツの場を守る立場として乗り越えないといけません。これをまた新たなチャンスだと捉え、柔軟に発想を切り替えていきます。生き残るのは強い組織ではなく、変化できる組織。ここで、ネガティブに捉え、発想を凝り固まらせていてはいけません。

 

1月9日(木)

 1/7、火。午後から県庁へ。2月に開催される総合型地域SCの県の協議会の中で、県から講師にきていただきたいと調整をしていたのですが、それが前向きに進みそうで、正式に依頼文書を持参しました。そのまま県P事務局で、週末に役員会があるのですが、もう来年度予算についての協議が始まりますので、組まれた予算について内容を確認をしました。

 1/8、水。午前中来客、もう次年度のことについて、です。このように年が明けるといろいろなことが一気に次年度モードに入っていきます。夕方から鴨池へ。クラブのトレーニング。次男が2月頭に室内陸上に出場を予定しています。ちょっと、助走練習していい?と聞かれ、年末年始もろくにトレーニングできていない、スパイクも今月に入り履いたばかり、どうかなあと思ったのですが、軽く合わせるだけね、と言いました。そしたら、助走距離っていくつだったっけ?といいます。なめてます。

 

1月8日(水)

 1/5、日。午前中トレーニングをした後、天気が良かったので、2階の気になっていたところ、脚立を立ててペンキ塗りをしました。まぁまぁな高さが微妙で怖いんです。2時間くらい。着替えて、別な要件を済ませと思っていたら、嫁殿が具合が悪いと寝ています。インフルからどうにも体調戻りません。ぶわーっとスーパーにいって、食材買って、夕食をつくります。バタバタででかけて、夜は陸上競技協会の新年会でした。いよいよ鹿児島国体の年となりました。

 1/6、月。午後から県P連として、関係機関にあいさつ周りです。マスコミ、連合校長会、退職校長会、議会、警察、教育長、教育委員会各部署、全部回るのに、3時間くらいかかるのです。昨年末に発症した坐骨神経痛が状態悪いままだったら、とんでもない苦行でしたが、笑、良くなってきてます。改めまして皆様今年も宜しくお願いします。

 

1月7日(火)

 1/3、金。校区の新成人の集い、でした。とにかくこの時期の体育館は寒い!なんで外気温より寒くなるんですかね。芯まで冷えます。自宅に戻ると、風呂が沸いていて、極楽でした。箱根、母校C大、12位とのこと。このレベルの上がり方、すごいですね。以前のようなフラフラになる子もいないし。しかし諸々ご意見はありますが、かけっこがこのようにビッグコンテンツになっていることは、人気がないよりはずっとよくって、これをどう活かすかですよね。毎年恒例のジョギングで三社参り。トータル50分。相変わらず長い距離をゆっくり走るのは苦手で、生まれもっての白筋体質です。

 1/4、土。仕事始めでした。午後から競技場へ。快晴。練習日よりでした。

 

1月4日(土)

 新年あけましておめでとうございます。

 2020年。東京オリパラ、鹿児島国体、SCC創立20周年、県PTA連合会創立70周年、中央大学陸上競技部創部100周年。どういう1年になるのでしょうか。次男が春から高校生、長女が中学生。学校種が変わるとがらっとライフスタイルが変わります。親としてそれらにもしっかりと対応しないといけません。長男が2021の「アノ」大学受験へのチャレンジも始まります。で、わたくし年男でございます!このようなガチャガチャな状況も泰然自若、静かにすべてを冷静に受け止めながら過ごしてまいります。何より健康が1番です。運動、早寝、早起き、朝ごはん。

 ということで、今年も宜しくお願いします。

 

 

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