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Back Number87 令和3年

12月30日(木)


 12/28、火。午前中は、SCC事務局の大掃除でした。毎年毎年よくこんなに大量のゴミがでるなと思いますが、1年経つとまた大量のゴミがでます。不思議です。県P連事務局へ。こちらも仕事納めで、事務局の職員の皆様に一言あいさつをしました。事務局に戻りデスクワーク、夜、すべてのスクールが無事終了し、年末年始休暇となりました。今年も大きな怪我事故なく終えることができ、感謝します。大きく、ほっ。

 12/29、水。午前中はいつもと変わらず、デスクで新聞を読んだり、年賀状の仕上げをしたり。午後は、九州合宿を終えた次男を迎えにいきました。12月に痛みが出て、少し練習を中断したところもありましたが、合宿のメニュー全てをこなすことができたとのことです。練習量に関していえば、さすが、普段の学校での練習の方がずっときついので、まったく問題なかったそうですが、いろいろなジャンプ系の練習をして、筋肉が張っているとのことでした。夜はゆっくりパパマッサージでぐっすり寝ました。

 

12月29日(水)

 12/26、日。次男がこの日から宮崎でU19九州合宿。わたしも高1の冬に初めて、九州合宿に参加をして、その時の短距離の指導者は瀬戸口先生、その時の九州高校ナンバーワンスプリンターは上荒磯さん、同級生に宮崎工業の内田や鶴丸の川村がいて、川村とは、進学校同士、なんだか気があっていろいろなことを話したように覚えています。まだ、やっと10秒台で走っていた頃です。とにかく全身筋肉痛で帰りました、笑。そんなことを思い出しながら、息子を待ち合わせ場所まで送りました。

 午後、録画してあったNHK-BSの番組をじっくり視ました。1時間、ほんとに瞬きをする間もないくらい集中して視ました。今年の東京五輪男子100mと4×100mリレーで金メダルをとったイタリア陸上競技短距離の特集番組でした。その練習方法も驚きましたが、ジェイコブスのトップスピードの出現位置、リレーの予選から決勝の足長の大胆な伸ばし方、それをジェイコブズが知らなかったという、つまり、合わせてないってこと?みたいな。改めて、100m準決は組3着、その組は、蘇炳添の9秒83が強烈でイタリアの選手がいたなんてまったく頭の片隅にも残っていませんでした、リレーも予選組3着からの優勝、改めて振り返り、へえ〜、ほお〜、と、興奮しました。夜は、PTAの忘年会、この2年間、このようなこともなかったわけで、やっぱりこういう懇親の場って大事だなって思いました。

 

12月28日(火)

 12/25、土。午前中は、高校陸上部のトレーニング。風がぐっと冷たくなりました。翌週からは合宿、そのまま年末年始のレストとなり、年内、練習を見るのはこれが最後となりました。良いお年をお迎えください。2021年、わたし個人の一番のニュースは、この高校部活動の外部コーチに就任したこととなりました。顔と名前を覚えるところからのスタートでしたが、今はだいぶパーソナリティも掴めてきて、わたしの話も少しずつ理解をしてくれて、少しずつ手ごたえも感じています。終了後、30分ほど自分のトレーニングをして帰宅をしました。午後は、鴨池陸上競技場へ。こちらも年内最後の練習、大人も子供も一緒に恒例のエンドレスリレーを実施しました。1人200mを時間内ずっとバトンを繋ぐという練習で、わたしも学生時代、年末の解散前の合宿の最終日は必ずこれで締めていました。めちゃくちゃきついのですが、きつさや辛さって、一人ではきつい、辛いで終わってしまいますが、仲間がいれば、それは共感となり、乗り越えると、仲がぐっと縮まります。これ、PTAにもあてはまることですね。

 

12月27日(月)

 12/24、金。昼から高校陸上部のトレーニング。この日、終業式のため、昼過ぎすぐスタートの時間帯でした。高校生の練習が終わって、久しぶりにベンチプレスがしたくなり、もう7.8年していません。普段はダンベルでトレーニングしています。ベンチはいつでも100kgは挙がるという感覚はあるのですが、あくまで感覚ですので。65→85→90→95→100、ぴしゃり挙げました。105までは補助なしでいけますね。ダンベルとはまた違う感覚、がっと差した時、シャフトがしなるあの感じ、いいですね、満足。夕方から鴨池へ、玲美から、東京五輪出場記念のプレートをいただきました。何よりのクリスマスプレゼントとなりました。冬季練習の話もしました。来季は世界陸上、アジア大会、代表入りへ、大切な年になります。応援します。

 

12月24日(金)

 メリークリスマス。

 12/23、木。午後から県P事務局へ。各書類に目を通し、決裁等。業者さんとの打合せが2件入りました。県P連は昭和25年、1950年に設立され、昨年70周年を迎えました。いろいろな事情があり(苦笑)、実は50周年も60周年も記念の行事は行われてはおりません。なので、なんとしても、70周年事業開催したかったのですが、コロナで…。でも、1年延長してやろうと「70周年+1(プラスワン)」と題して式典を開催しようと準備をしています。もうコロナが再拡大しないかとビクビクしながらですが、なんとか、開催に向けて進んでいます。開催できますように。

 

12月23日(木)

 12/21、火。午前中は県教委の会議、魅力ある公立高等学校とはどうあるべきか。魅力あるとはいったい、じゃあ今は魅力がないのか、そんなことはありません。何故、このような会議を開催する必要があるのか、考えれば考えるほど、頭が混乱してきて、つまりは学校いうものの存在意義を深く考えるということです。夕方は高校陸上部のトレーニング、ウェイトトレーニングでした。次女の陸上の練習を迎えにいき、帰宅。

 12/22、水。午後から月次決算の会議、10月の数字が少し持ち直し、明るい光が見えただけに、11月の数字が思ったより良くなくて、まだ黒字ベースに乗せるには時間がかかるなと少しがっくりきた感じでした。高校陸上部のトレーニングへ。わたしなりの持論、加速というものの考え方ですが、しゃべり過ぎる指導者はアウト、いつもそうSCCのスタッフには呼びかけているのですが、けっこーしゃべってしまいました。高校生だから、これくらいの話、理解してもらえるんじゃないかと思い、しゃべりましたが、伝わったかどうかは、んー、わかりません。でも、あくまでヒントでしかなくて、それをどう自分で感じるかは個々の選手次第です。慌てて事務所に戻り、日本PTAのオンイラン会議、わたしが今年取り組んでいるのは、全国ネットワークを活かした災害支援のフローを構築するということです。新たな案をお示しし、そしてたくさんの意見をいただきました。更にこれから作り込んでいきたいと思います。少しずつ具体的になってきました。

 

12月22日(水)

 12/19、日。朝は次男、練習、駅まで送り、午前中はデスクワーク、午後は自分のトレーニング、軽く汗をかいて、スッキリ。買物、次男の部活が終わり、ケアにつきあいました。今年秋に急に力がついたのと、身体の成長の具合にミスマッチが起きていて、なので、しっかりと筋肉をつけていかないと、競技レベルに追いついていないんだということです。特に背筋。腰痛があるので、本人も背筋の補強を避けてきましたが、このペラペラな背筋じゃなあ、ってことです、笑。確かに、わたしも今までいろいろなアスリートと接してきましたが、腹筋が弱い選手はいましたが、背筋が弱い選手はほぼいないといっても良いと思います。食事のとり方もまだまだそこまで考えていなくて、腹が減ったらインスタントラーメン食べるみたいなところもあるので、でもわたしがいくら言っても、つまりは自覚しないといけないことですから。あそこが痛いここが痛いというのなら、そうならないために、トレーニングはもちろんですが、ケア、休養、食事、自分で考えられないといけません。

 12/20、月。午前、デスクワーク、午後は来客、会議の打ち合わせ、夕方から高校陸上部のトレーニング。動きづくりで浮遊脚の使い方を意識したものをやるのですが、1つの目安を示すと、ぐっと力強さ、というか、進む力、が増しました。動きづくりの代表的なものとして「ももあげ」というものがありますが、実はこのももあげは曲者でして、ももあげが綺麗にできるようなるけど、走りは速くならないという選手を今までいくつか見てきました。つまり綺麗に動けているけど進まない走り方になってしまうんです。しかし、この浮遊脚のドリルは、これで進む感覚をつかめたら、ほぼ間違いなく速くなります。ポイントをうまく説明できないのですが、そうなんです。

 

12月20日(月)

 12/17、金。昼の便で新幹線で博多へ。博多駅からホテルまで2キロ弱、歩いていくのにちょうどいいやと駅を出ると、ゴオオオオというものすごい冷たい風です。でも、根性でホテルまで歩き、チェックインの手続きをしようとするのですが、字が書けなくて。それくらいの寒さでした。用件は夕方からでしたが、日本陸連のオンライン会議が16:00から設定されていて、早めにホテルに入り、WIFIのチェックをして、待機をします。予定通り、16:00からスムーズに会議が始まりました。来年度の各事業等の説明が主でしたが、スポーツ庁から部活動改革の担当の方が来られて、地域移行についての説明がなされました。その後のグループワークではわたしに質問が集中して、うろたえました。終了後、諸々対応しないといけない案件がでて、そのままホテルの部屋で雑務をこなし、ふう〜と息をついて、その用件のある場所へと向かいました。たいへん貴重な時間でした。

 12/18、土。もしかしたら、前夜は遅くなるかもしれないと思い、余裕をもってスケジュールを組んでいましたが、朝もスッキリと起きて、予定を早めてチェックアウトし、博多駅でチケット変更の手続きをして、鹿児島に戻りました。子どもたちの送り迎え、競技場に向かい練習を見て、帰宅をしました。博多ほどではありませんが、鹿児島もぐっと冷え込みました。

 

12月17日(金)

 12/16、木。午前中は運営委員会、終了後、鹿児島中央駅で翌日のチケットを受取り、20分無料の駐車場にとめて、さっと、受け取って帰ろうと目論んでいましたが、車がすごく多くて、何故でしょう。夕方から北方領土返還についての会議でした。3.4年前、2島返還かという議論がありましたが、そんなことあったっけみたいな、どっか行ってしまいました。終了後、食事会があり、ざっくばらんに話が及んだのですが、返還される、されないという二元論ではなく、新たな道も模索すべきでは等いろいろな話をさせていただきました。雨でしたが、久しぶりに夜の天文館の街を歩きました。

 

12月16日(木)

 12/15、水。午後から安全振興会の会議でした。会議自体は時間がかかることなく、終わったのですが、県P連、安全振興会、次年度の動きで、諸々打ち合わせが入り、そこから時間を要しました。移動をして、外部指導を務める高校部活動の練習。セット走、から、ハードルジャンプ。ハイハードルの両脚ジャンプは大事です、わたしはこのハイハードルをどの高さで連続してどれくらい跳べるか、で、調子の良し悪しも1つの目安としていました。今のようにフレキハードルはなかったので、空中でバランスを崩し、股間を強打し、ハードルを壊してしまったこともあります、けど、その失敗するとヤバイという感覚が正確で高いジャンプを生み出していたようにも思います。終了後、鴨池に向かい、クラブのトレーニング。鹿児島に帰ってきた美幸とやっと会えました。いろいろ葛藤あったかと思いますが、笑顔を見られてほっとしました。まだまだこれから、まずはじっくり身体をつくっていけばいいと思います。

 

12月15日(水)

 12/13、月。デスクワーク、夕方から外部指導を務める高校陸上部の練習、冷え込みました。帰って湯船に浸かると、お湯が熱いのか、冷めているのかわからないくらい、身体がジンジンしました。

 12/14、火。デスクワーク、午前中は銀行へ、午後は病院へ、尿酸値を下げる薬をもらいに定期的にいくわけですが、たまに診察を受けないといけないのですが、毎回同じようなことしか言われません。薬をちゃんと飲みなさい、水を多めに飲みなさい、はい、そうします、しています。数値も安定しています、で?みたいな。すみません、生意気言いました。夕方は高校陸上部の練習へ、ウェイトトレーニングからのジャンプトレーニング、わたしも現役時代は必ず週に2から3回はウェイトトレーニングをして、ただ、筋肉をつけて終わるのではなく、それを動きに活かすイメージでジャンプトレで締めていました。

 

12月14日(火)

 12/11、土。週末の出張が続いていましたが、朝から鹿児島にいました。外部コーチを務める高校陸上部の練習へ。朝は冷え込みましたが、日中は20度近くまで気温もあがり、晴天の絶好の運動日和でした。夕方とは違い、動きもはっきりと見えて、良いトレーニングができました。わたしも30分ほどトレーニングをして気持ちの良い汗をかいて帰宅しました。次女のダンス教室の送り迎え、途中、次男の陸上部の顧問の先生からメールが届き、次男が練習中に嘔吐している写真でした。怪我で数週間、練習を落としていて、修学旅行が終わったら少しずつあげていこうと話をしていましたが、急にフルメニューやったようです。ま、走れないキツさより、何倍も幸せな嘔吐ですね、笑。その後、陸上競技場に向かい、クラブのトレーニング。こちらも、本格的な走り込みメニュー、ところが、本数を重ねていくうちに、どんどん人数が減り、サバイバルレースかよと突っ込みたくなりましたが、なんとなく、野太さが足りない、そんな感じを思います。吐くまで走らんかいと、今時、こんなこと言うとすぐになんとかハラスメントと言われそうですが。

 12/12、日。午前中は陸上競技協会の常務理事会、来年度の競技会の日程調整等。正午に終わり、練習を終えた次男を迎えにいき、午後はケアに付き合いました。今日は、吐かんかった?と聞くと、危なかった、だ、そうです、笑。ほとんど家にいない、土日、ま、コロナ前は週末家にいるなんてこと、ほとんどありませんでしたから。

 

12月13日(月)

 12/10、金。人間ドックでした。美味しく、バリウムいただき、ふう〜。体重はここ数年ほとんど変わりませんが、身長が10年で1cmくらい縮んでいます。残念。今回はとうとう169センチを切り、168センチ台となりました。昔は170センチありました。体重は努力でどうにでもなりますが、身長はですね。夕方は高校陸上部の外部指導、いろいろな「動きづくり」、というものがありますが、文字通り、何かしらの動きをつくりたくて、その練習をしているのですが、どういった動きを意識しているのか、つまりアクセントの位置であったり、大切になります。移動をして、19時から会議、市P連の理事会でした。事前にオファーをいただき、後半、30分ほど、PTAが目指すコミュニティ像といった話をさせていただきました。今、PTAは任意だとか、入会だの退会だのいろいろな考え方があり、つまり、PTAはどこを目指していけばいいのか、みんな迷いながらやっている部分もありますが、わたしの信念を話をさせていただきました。

 

12月10日(金)

 12/8、水。夕方から高校陸上部の外部指導、セット走、いよいよ冬の鍛錬期というトレーニングに入ってきました。移動をして陸上競技場でクラブのトレーニング。こうして夕方はバタバタとして何もお祝いらしいことできませんでしたが、20年前のこの日、結婚披露宴を挙げました。20周年です。当時、29歳。SCCもまだ立ち上げたばかりで、でもみんなにお祝いしてもらえて、とっても楽しい披露宴でした。あの頃は、まずはSCCの活動を軌道に乗せることしか頭になくて、20年後、49歳の自分なんて全くイメージできませんでした。

 12/9、木。午後から県P事務局へ。帰りに県教委高校教育課に提出する書類があり立ち寄りました。そのまま空港へ。この1週間、何度空港に行ったことか。次男、修学旅行から帰ってきました。スキー実習があったので、怪我を心配していましたが、無事に戻ってきました。たいへん楽しかったそうです。

 

12月9日(木)

 12/6、月。朝は5時半に出発して、次男を空港まで送っていきました。修学旅行です。福島、東京、横浜へ。長女(中2)も修学旅行の学年ですが、夏休み前で、県外には行けませんでした。それはそれで楽しかったようですが。コロナが落ち着いたタイミングで良かったです。帰ってデスクワーク。夕方から高校陸上部の外部指導、坂のトレーニングでした。スタートの静止した状態からの動き出し、少し説明をしました。みんなよく理解してくれてすっと動きがよくなります。

 12/7、火。再び、アサイチ空港へ。今度はわたしが東京へ。昼からの用務を終え、そのまま羽田へ。崎陽軒の焼売を買って、飛行機に乗り込み、21時前帰宅しました。焼売買いに東京まで行ってきた、と、笑。この日は、大学OB会鹿児島支部の忘年会でした、久しぶりの集いで、先輩、後輩とお会いするのを楽しみにしていましたが、急遽この日帰り出張が入り、出席叶いませんでした。

 

12月8日(水)

 12/3、金。鹿児島空港から、南下、沖縄に向かいました。九州ブロックPTAの会議でした。少し的が外れた議論に時間が費やされ、珍しく、感情がざわついたのが表情に出てしまったようです。いけません、冷静に冷静に。1年後の沖縄大会のことも協議をしました。つまり前回大会から10年が経ったということになります。あの時は単Pの執行部でわちゃわちゃしながら参加して、また夜は市P連の皆さんと、たいへん楽しかったことを思い出します。

 12/4、土。沖縄から鹿児島の便はアサイチか夜しかなく、従いまして、7:00からの朝食は断念し、その前にまだ辺りは真っ暗な中、チェックアウトをしました。沖縄の生温かい風から、一転、鹿児島に着くと、きりっと冷え込んだ空気でした。一応、隣県ですが、こうも違うのかと肌で感じました。昼前には自宅に戻り、午後は久しぶりにクラブのトレーニングに顔をだしました。ここのところ出張が続き、土曜はほぼ留守にしていました。

 12/5、日。朝は駅まで次男を送り、午前中はデスクワーク、昼からトレーニング。部活から帰ってきた次男のコンディショニングに付き合いました。天気もよく、ランニング桜島も気持ちよく開催できたのだろうなと、思いを寄せました。少しずつ、コロナ前に元に戻りつつあることに喜びを感じます。

 

12月6日(月)

 12/2、金。午前中は次女が通う小学校で持久走大会が開催されました。未だ、応援は各家庭1人のみと、屋外だし、そろそろいいのにとも思うのですが、わたし一人で行きました。朝は冷え込みましたが、朝日が射してくるとぐっと暖かくなり、絶好の持久走大会日和となりました。

 手前です。3位以内を目標としていましたが、4位でした、笑。よくがんばりました。

 午後は県P連役員会でした。昭和25年に設立された県P連、昨年度創立70周年を迎えましたが、コロナで記念式典が開催できず今年に持ち越しとなっています。それをどのような形で今年度開催するか協議をいたしました。終了後、決裁や出張の打ち合わせをして帰宅をしました。

 

12月2日(木)

 11/30、火。午前、デスクワーク、昼、高校部活動の外部指導。雨が降りそうな予報だったのですが、その時間は大丈夫でした。そして16時からかなり激しい雨が降るとのことで、この日夕方の屋外での教室は1つ中止となりました。17時頃かなり激しく降りました。

 12/1、水。昼、外出。車で1時間ほど、薩摩川内市の某中学校の体育授業の研究発表に参加をいたしました。器械体操の授業でした。横転。生徒の皆さん、レベルに応じて、どうやったら上手に横転できるか、話し合いながら、試行錯誤しながら、タブレットを用いながら、やっていました。めちゃくちゃ久しぶりに横転したくなりました。できるかな。にしても、この日かなり冷え込みまして、冬の体育館の寒さ、身に沁みました。帰り、車の暖房MAXで帰りましたが、30分ほど震えが止まりませんでした。

 

12月1日(水)

 11/28、日。アサイチ、部活の次男を駅まで送り、家に戻る途中にLINEが「電車乗り遅れた」 、いつもギリギリにしか行動しない、こういうことになる、と、ブツブツ言いながら、学校まで送りました。朝食をとった後、午前中は事務所に一人こもりデスクワーク。午後は、練習を終えた次男の身体のケアにつきあいました。腰痛がなかなかよくならなくて、それを怖がって、腰回りを鍛えるトレーニングもできていなくて、なので、腰回りがまだまだ弱く、他の部位に負担がきてと負の循環になっているところもあるのではないか、少々傷みがきても、そこを強くするトレーニングをしていかないと、痛いからやらないできないというレベルではないゾと話をしています。

 11/29、月。午前中は市のスポーツ推進審議会、この委員も拝命して10年になります。市のスポーツ推進計画の策定に携わり、途中の5年で中間見直し、そして今回この10年をまとめた答申を市長に提出します。その協議でしたが、10年もの歳月をかけてやってきたその成果はいかに、なんだかモノ寂しい気がして。これでいいのだろうかと、一人悶々と考えるのです。午後は、高校部活動、短時間の練習でしたが、顧問不在で、初めてわたし一人で見ました。帰宅してようやくデスクワーク。

 

11月30日(月)

 11/26、金。午前中は市のご担当の方と翌週の会議について打合せ。昼からは運営委員会、その後、鹿児島中央駅から新幹線で佐賀に移動をしました。ホテルにチェックインしました。意外と佐賀駅近くに宿泊するのは初めてでした。

 11/27、土。朝早くに起きて、ホテル近辺でトレーニング。まだ真っ暗でした。朝食をとって、チェックアウト、総合型地域スポーツクラブの九州の研究大会です。昨年はオンライン、今年はハイブリッド開催となりました。ホテルから指定された会場まで約2キロとあります。30分ほど、てくてく歩いていきました。着くと、大きな衝立が立ち並び、なんだか大きな工事をしていて、入口がわかりません。会場には着いたのですが、どこから入ってよいのかウロウロします。ようやく着いて、ふ〜と一息つくと、会議室の窓からは立派なサブトラックが見えます。んんん?ここは??何度も来たことがある、陸上競技場の真横にある建物でした。周囲の改修工事でまったく気付きませんでした。高校2年時の九州新人大会、実業団時代の九州選手権、指導者になってから武田知大の応援できた全国高校総体。修司が400mハードルで入賞しました。台風でテントが飛んだ大会です。夜のニュースで映像が何度も流れました。いろいろな思い出がいっきに蘇ります。それにしても立派なサブトラになっていました。

 会は9時半から始まり、昼を挟み夕方まで続く会だったのですが、わたしは途中で退席をし、再び駅へ。途中で乗り継ぎ、新幹線で鹿児島に戻りました。14:00から県市PTA活動研究委嘱公開が開催され、2校の研究発表の様子を拝見いたしました。冒頭、挨拶をしましたが、それら全て録画がなされ、後日、オンデマンド配信がなされるとのことです。発表校も市P連の皆さんも本当によくがんばって準備をされてきた様子がよくわかり、感動をしました。基調講演も素晴らしく、とても晴れやかな気持ちで帰宅をしました。

 

11月26日(金)

 11/24、水。午後から月次決算の会議、10月の収入支出の内容をチェックしました。例年、秋口は入会数が増えて、特に10月は爆発的に入会があったりする年もあるわけですが、昨年に続き今年もそういうことはなく、しかし、じわじわと入会は少しずつ増えています。収入支出のバランスもようやく損益分岐に達した感じです。つまりずっと支出が収入を上回ってきた状況にストップがかかったところまできました。この感じで、下半期進んでいきたいと思います。夕方から高校陸上部の練習へ。途中で抜けて陸上競技場へ、クラブのトレーニングをみました。どちらもコントロールテストが中心でした。

 11/25、木。午前中から会議室へ。県P連の期中監査を実施しました。監事の皆様に一般会計、特別会計、各帳票等をチェックしていただきました。最後に監査の総評をいただき、無事、終わりました。期末もどうぞ宜しくお願いします。午後は県スポーツ協会の会議、登録認証制度、中間支援組織の立ち上げに向けて、少しずつ準備を進めています。

 

11月24日(水)

 11/19、金。日本PTAの年次表彰式で東京へ。鹿児島からご受賞のPTAの皆様にもご挨拶できました。例年ならそのまま祝賀会でゆっくりといろいろなお話もできるのですが、昨年に引き続き、今年もそれはナシでした。残念です。翌、土曜日、帰ってきました。飛行機、満席でした。小さな子どもも多く(機内は赤ちゃんの泣き声の大合唱でした、笑)、どうなんでしょう、月曜休みをとれば4連休で、久しぶりに鹿児島に帰郷されたのかもしれません。

 11/21、日。午前中は、事務所で雑務。こうして出張などが続くと、すぐにわたしの机の上は書類のヤマとなります。午後は練習を終えた次男と待ち合わせをして、そのまま治療に連れていきました。

 11/22、月。午後から県P連事務局へ。今週、期中監査があるのですが、それらの書類に一仕事。その他、決裁も済ませ帰宅をしました。スラックスの補修に、馴染みのお直しの店へ。久しぶりにいきまして、かなり高齢のご夫婦がお二人でやられているお店なのですが、お元気でいらっしゃいました。ちなみに未だ名前を覚えてもらえません。夕方のスクールが、お天気心配しましたが、16時くらいからは雨があがり、ほっとします。夕食はカレー鍋、つくりました。つくったというか市販のスープに具材をぶっこむだけなのですが、旨いんです。お鍋が美味しい季節です。

 

11月23日(火)

 11/18、木。PTA会長を務める鹿児島南高校へ。校長室に通され、しばし待機をします。「ちょっと予定より早くご到着です」という声で、周囲が慌ただしくなります。多くの報道陣とともに、校長室に入ってこられたのは、東京五輪、柔道女子78kg級金メダリスト、M田選手。本校の卒業生ということで、オリンピック優勝の報告にお越しくださりました。しばらく校長室で写真撮影等をした後、体育館に移動をし、優勝報告のセレモニーを行いました。

 この後、後輩である生徒たちと交流をしたり、あっという間の時間でしたが、最後まで車内からも笑顔で手を振ってくださり、温かい人柄が感じられました。

 すぐに高速を使って移動をし、次は、次女が通う小学校へ。この春までPTA会長を務めていた学校ですが、県P連会長としての訪問です。道徳の全国大会が鹿児島で開催されたのですが、その会場校として、準備を積み重ねてこられました。1年生、3年生、6年生の道徳授業の研究公開の様子を見させていただきました。

 どの授業たいへん素晴らしく、先生方の問いかけに、大人のわたしも、ん−、と考えさせられることばかりでした。はっきりとしたこれといった答えがでるわけでもなく、心の中にもやっとしたものは残るわけですが、でも、社会にでてぶち当たる課題ってこんなことだらけだし、大切な教科だと改めて感じました。

 

11月22日(月)

 11/16、火曜日。午前、県民交流センターへ。わたしが会長を務める県コミュニティスポーツクラブ(総合型地域スポーツクラブ)連絡協議会が開催されました。この会も、平成26年に組織が改まり、わたしが会長に就任したのですが、国の登録認証制度がスタートする来年春より、また違う形になります。従いまして、現行の協議会はいったん解散という手続きをとります。組織を終わらせるというのは初めての経験で、どういう形でソフトランディングさせるか、これまた難しいお題をいただいていますが、皆さんと協議をしながら進めていきたいと思います。たくさんのご意見いただきました。

 午後は、県広域スポーツセンター研修会、県の認定制度の説明とグループワークでした。突如、グループワークの進行役を頼まれ、ま、わたしもいろいろな方に突然役をお願いすることもしばしばですので、快く引き受けました。17時前、終了しました。そのまま高校グラウンドに出向き、部活動指導でした。

 11/17、水。午後より、県教育安全振興会、共催事業の会議、終了後、県P事務局にて各書類に目を通しました。出張の打ち合わせ等。そのまま高校グラウンドで部活動指導。短距離の動きづくりで、ちょっと変わってきたなという感覚が出てきました。まだ冬季練習の導入なので、がっつりスピードあげた走りというのを見たことがなかったのですが、この日のコントロールテストで「30m走」があり、しっかりと一人一人の出だしから加速の動きをみました。 移動をして、夜は会議に出席をしました。市P連の役員会で話をして欲しいという依頼を受け、PTAという組織の目指すところ、話をしました。質疑応答もたくさんのご意見いただきました。久しぶりの市P連の会議でした。わたしも役員の頃は夜遅くまで、 喧々諤々議論をしたこと、懐かしく思い出します。

 

11月18日(木)

 11/15、月。終日県P連、大切な会議でした。緊張をしながら会場入り。午前中は高校常任委員会、高校生の交通安全というテーマで県警本部の方よりご講演をいただき、その後、委員会に入りました。午後は常任委員会、第2回目、1回目は少し混乱したところもありましたが、委員長さん、担当副会長さんがサポートいただき、スムーズに意見交換がなされていました。その後、評議員会、来年度の予算編成に係る大切な議案を1つ提案をさせていただき、承認をいただくことができました。ラストは教育長はじめ県教委幹部の皆様にお越しいただき、 県P連と意見交換の場を設けさせていただきました。会場エントランスでバス到着を待ち、お席までアテンドさせていただきました。1時間半、濃密な時間でした。無事、終わり、エントランスでバスを見送らせていただきました。

 

11月17日(水)

 11/11、木。午後から県教委の会議、今、報道等で教員免許の更新制度について話題に上っていますが、それら教職員の先生方の研修というものについて、協議をいたしました。

 11/12、金。午前中、赤十字会館で会議、信号待ちをしていると、野球のユニフォーム姿の集団が真向かいにいます。そう、この日、九州大会の決勝を戦う大島高校のみなさんでした。高校野球の強豪チームの皆さんはその部員数の多さと体つきですが、人数もこれだけ?身体も小さく、一瞬ほんとに?と思いましたが、決勝、がんばってください!お会いできてラッキーでした。そしてその野球場が見える会議室でこの日も県教委の会議、一人一台端末の教育の在り方について議論でした。

 午後は県スポーツ協会の方と、1月の会議の内容について打ち合わせをしました。夕方は高校陸上部の練習を見た後、鴨池へ。1つこの冬取り組みたい、動きづくり、試してみました。良い感じが身につきそうです。

 11/13、土。昼から陸上競技場へ。前日とは違うアプローチで動きづくり試してみました。これはちょっと、思ったようなリアクションが返ってきませんでした。もうちょっと形を変えてみたいと思います。

 

11月11日(木)

 11/8、月。夕方から外部コーチを務める高校の陸上部の練習。コントロールテストでした。

 11/9、火。午後から副理事長を務める県教育安全振興会の業務状況の内部監査、共催事業の請求に対して一定の計算方法で保険金が支払われるのですが、それが適正に行われているか、電卓片手に細かく見ていきました。終わる頃は、脳みそがヒートアップしていて、湯気が出そうでした。そのまま高校陸上部の指導。ベンチのMAX測定やりましたが、わたしもやりたくなりました、笑。もう3.4年やっていませんが、いつでも100sは挙がると思います。

 11/10、水。夕方から高校陸上部の指導。段跳びの入り、SCCの指導でもこの1歩目の入りをいつも気にしていますが、身についている選手とそうではない選手がいます。そのまま鴨池に向かい、今度はSCCのトレーニング。冷たい雨が降ったりやんだりの天候でした。

 

11月10日(水)

 11/4、木。手帳には会議の予定が1つ書き込まれてありましたが、よく見てみると翌週にも同じ名前の会議が入っています。どうやら延期になったようです。県の会議もいろいろと出ないいけないものがあり、頭が混同してしまいます。ということで、2日、3日が1つのヤマでしたので、それを乗り越えてほっと一息の1日でした。

 11/5、金。新幹線、新鳥栖で特急に乗り換えて長崎で会議でした。市街地に入ると、急な斜面の中に住宅が広がる独特の街並みが目に飛び込んできました。いったんホテルにチェックインした後、会議でした。今年は残念ながら誌面開催となった九州高等学校PTA大会鹿児島大会、来年は長崎大会が開催されます。その内容について協議しました。

 11/6、土。朝、着替えて、市内をぶらっとジョギングのつもりがロビーをでると、雨。そのような予報は出ていなかったので、ちょっとショック。予定を変えて、ホテルの部屋で軽くトレーニング。朝食をとった後、チェックアウトをして、鹿児島に戻りました。

 

11月9日(火)

 11/3、水、祝。朝、早めに起きて、トレーニングを済ませた後、朝食をとり、次男、次女と車で外出。県の小学生陸上大会です。陸上競技協会の事業でわたしが担当をする大会です。次男は補助員、次女は小3・100mに出場します。まず、アサイチは大会役員専用の駐車場の整理と、スタンド等へ開門です。アサイチは多くの人が一気に動きますので、混乱のないように整理をします。8時から監督会議、8:20から開会式。9:00競技開始。競技が始まると、本部の先ほどまでのドタバタぶりが嘘のように静まり返るのですが、競技が進んでい行くと、各競技で、いろいろなことが起りますので、各役員から、チーム関係者から案件が舞い込んできて、その都度、総務として、審判長や理事長、副理事長等と協議をしながら判断をします。午後になると決勝種目が始まりだし、優秀選手、最優秀選手を選考委員会の中で決めていきます。それを発表し、表彰をし、夕刻、大会は終了しました。1400名の参加、スタンドにもたくさんの方が応援にきていただきました。無事、終わりほっとして、帰宅しました。

 次女は100mで17秒5。小学生の100mは小6で14秒台が1つの目安です、これ、勝手なわたしの目安なのですが、なので、小5で15秒台、小4で16秒台、今回17秒台なので、とても良い記録だと思います。ですが、本人は決勝に進めず、憮然としていました、笑。

 

11月8日(月)

 11/1、月。午後から高校の学年PTAへ。2年生で、修学旅行の説明等でした。感染落ち着いてきた頃で良かったです。予定通り関東方面に行けそうです。PTA 終わりグラウンドに出ると、ちょうど玲美が練習を始める頃でした。そのまま外部コーチを務める高校の練習を見にいきました。坂のトレーニングとダイナマックスを使った補強でした。まだ特に何もアドバイスをすることもなく、じっくりとトレーニングの様子、雰囲気を見ています。

 11/2、火。午後から県P連の役員会実行委員会、中旬に評議員会があるのですが、そこに上程する議案について。今年もこのコロナで予算執行が予定通り進まないところもあるのですが、そのことをどのように考えるのか、協議をしました。 終了後、陸上競技場に向かい、翌日の大会準備を進めました。

 

11月4日(木)

 10/28、木。午後から県P事務局で、翌週の役員会の打ち合わせや各資料に目を通しました。夕方は家内と携帯ショップへ、契約の内容を変えたいと、わたし名義で契約をしていますので、わたしがその場いないといけないということです。

 10/29、金。新幹線で北九州へ。出張も10月、11月、いくつか入ってきました。この1年半、オンラインの良さも便利さも十分に感じてきましたが、会って議論をすることの大切さもとっても感じました。九州各県政令指定都市のPTA連合会の会長さん、今年ご就任の方は、初めましてでした。8月に開催された北九州でのオンライン大会、また来年度開催される沖縄大会について協議をしました。

 10/30、土。北九州から鹿児島へ。いったん、家に戻り、荷物を片付け、時計とにらめっこしながら、間に合う!と急いで外出。陸上競技場へ。中学大会、100mの決勝を見にいきました。男子1年100m優勝、女子1年100m2位、男子3年100m3位、その他にも小学生時代、一緒に全国大会に行った子たちが、順調に記録を伸ばしている様子等を見て、表彰の時もいろいろ話をして、みんなに、ガンバレ、声をかけることができました。

 

11月1日(月)

 10/25、月。おそらく、もう公表してもよいことだと思いますが、市立の某高校の陸上部の外部コーチに就任することになりました。女子高なので(もうバレバレ)、今まで校内に立ち入ったことはなく、初めて中に入って、練習環境、練習内容を見させていただきました。過去、全国優勝もしたことのある伝統ある陸上競技部、歴代顧問の先生は鹿児島の陸上界を代表する錚々たる指導者です。身が引き締まります。

 10/26、(火)、午後から月次決算の会議でした。4月から9月、上半期の数字が出されました。予想通りの赤字ペースで進んでいます。下半期どれくらい盛り返すことができるか。この時期はぐっと会員数が伸びる時期なのですが、まだそのような爆発的な動きは見られません。一時期は800名を超えていた会員数は現在700名ほどです。最低賃金はあがり、かかる経費は年々あがり続けています。数字はシビアです。

 10/27、水。午後から県スポーツ協会の会議に出席。県の総合型地域スポーツクラブ連絡協議会の会長として。この連絡協議会も紆余曲折、今の形に落ち着くまでにもいろいろありましたが、また来年度からは新しい形になります。また、国が進めている登録制度もあります。それらについて協議をしました。

 

10月27日(水)

 10/24、日。次男が最終便で戻ってくるので、空港に迎えにいきます。その時間21時。わたしには、お酒を飲まずに夕食をとるという文化(!?)がなく、なので、お酒を飲めない=夕食が食べられない、で、その夜の時間をどう過ごすか、朝から悩み、19時ころから温泉にいくことにしました。1時間くらいゆったりと湯船につかり、たいへんリラックスできました。そしてゆっくりと空港に向かい、ところが、飛行機遅延と、がくっ。結局、到着ゲートから現れたのは22時前でした、もう空腹は通り過ぎて、無の境地、笑。引率の先生方もたいへんお疲れになられたと思います。何はともあれ無事帰ってきて、メダルも見せてくれました。翌朝は、普通に登校、朝、6時過ぎには出ていきました。

 

10月26日(火)

 10/22、金。鹿児島県内には27の市郡PTAの連合会(協議会)があるのですが、その会長の皆さんにお集まりいただきそれぞれの連合会の運営について議論をする研修の場を年に一度設けています。 わたしが県の会長になってから始めたもので3回目となりました。当初は9月の頭に開催をする予定にしていたのですが、8月にコロナの感染が広がったことを踏まえ、この時期に開催をしました。ご参加いただいた皆様にとって、何かしらのヒントや気づき等があれば幸いです。わたしもこの日はPTA活動について、30分プレゼンをしました。 準備にけっこうな時間を割いてきましたので、終わってほっとしています。

 会に参加をしながら、ものすごく結果が気になっていたのが、前日、出発した次男の大会。U18全国大会、愛媛でした。男子三段跳、14:10から。結果、インターハイで優勝した子が実力通り大会新記録で優勝したのですが、続いて2位でした。会が終わり、ホテルロビーに降りて、アイパッドで表彰の様子をオンラインでみました。来ている長袖Tシャツはわたしが現役時代に着ていたものです、笑(左)。

 

10月22日(金)

 10/19、火。午後から県教育安全振興会の審査会。規則の解釈を議論をしていくと、根本的なところ、そうなるか、難しい議論が続きました。先日の、車の、バッテリーではないですが、わたしの頭もエンジンがショートしそうでした。終了後、決裁を済ませ帰宅しました。

 10/20、水。手帳にはこの日から東京の出張が入っていましたが、オンライン会議に切り替わり、従いまして、終日デスクワークでした。

  10/21、木。朝、次男と空港へ向かいました。次男がU18、全国大会に出場します。スタンドは保護者入れませんので、おとなしく、鹿児島から応援します。ガンバレと、一言、空港で別れました。この日は、本来ならば東京で予定されていた会議が、終日オンライン会議、10:00から午前の部、午後も16時半まで。ぐったり疲れます。

 

10月18日(火)

 10/16、土。午前中は陸上競技協会の会議でした。9月に開催された全国大会の報告等をいたしました。午後はクラブのトレーニングの様子をみました、ちょうど次男の学校も練習を終えたところで、一緒に帰りました。

 10/18、月。午前中、カーディーラーへ、前日、愛車が、突然、バッテリーがあがり、エンジンがかからなくなりました。ライトやハザードつけっぱなしとか、そんなことはしていなくて、本当に突然でした。幸い自宅だったので、事なきを得ましたが、外出先でこんなことが起ったら、そりゃたいへんということで、すぐに点検をしてもらいました。バッテリーの交換が前回から3年以上経っているので、そろそろ交換をと進められ、その通りにいたしました。新車で購入から12年半、走行距離13万キロ、そろそろいろいろお金がかかってくる頃でしょうか。でもエンジンはまだバリバリですよと、お墨付きをいただきましたので、まだしばらくは頑張ってもらいたいと思います。午後から理事を務める学校法人の理事会に出席。わたしは公立学校の小学校、高等学校のPTAに関り、公立学校の運営の課題等についてはある程度理解をしてきましたが、私立はまた課題の内容ががらっと変わります。

 

10月15日(金)

 10/12、火。午前中は県教委の会議に出席をしました。数年前、市教委で、今後の生徒児童数の減を見越して、小中学校の規模の適正化についてどのように考えるかという議論をしましたが、今度は県立高等学校です。わたしも改めて高等学校が今後どうあるべきか、高等学校における教育とはどうあるべきか、深く考える機会をいただいています。午後は県体育センターにおいて、SCCの理事長として職員の皆様と面談でした。クラブ運営で抱えている課題、また、それらを今後どうしていこうと考えているのか、いろいろな思いを噛み締めながら言葉にして、またたくさんのアドバイスもいただけ、貴重な機会でした。

 10/13、水。午後から教育安全振興会の理事会でした。規定の改正について議論をしましたが、改めてじっくり考えてみるとそのような規定になっているのは何故なのだろう、というようなことってありますよね。今回はそのようなことを議論をいたしました。このように規定ややり方をアップデートしていく仕組みって大切です。PTAってここが弱いんです。細かくアップデートしていく仕組みが乏しいのです。自省も込めたメッセージです。

 10/14、木。午前中はSCCの運営委員会、濱崎御大も委員としてご出席いただいていますが、次男の三段跳の話にとても嬉しそうで。本当に小さい頃から、というか、産まれたばかりのころから、見ていただいてきましたから。ダッシュ王選手権ではライバルとして走ったりしていました。こういう、世代を超えた、というのでしょうか、時間をかけて、年は離れていますが、同じクラブに所属するアスリートとして築かれた関係も、SCCらしいなあと思いました。

 

10月14日(木)

 10/10、日。午前中に買い物を済ませ、午後は再び、アイパッドをテレビに繋ぎ、ソワソワ。というのも、前夜、次男に「リレーと三段、2冠、おめでとう」とラインを送ったら、もしかしたら、明日、マイル、と返ってきたので、え″え″!と。チームは予選トップ通過、4人ともしっかりとラップを刻んで崩れる選手もいなかったので、まったく想定していませんでした。急にドキドキし始めました。で、結局、マイルが始まる1時間前にオーダーが確定するのですが、その中に次男の名前はなく、ほっとしたというか、なんだか変な気持ちでした。ということで、純粋にチームの優勝を願い、応援をしました。結果、アンカーで400優勝の子に逆転されましたが、2位でよく頑張りました。夕刻、遠征を終えた次男を迎えにいきました。車の中でいろいろと話をしました。とにかく無事に帰ってきました。ほっ。

 

10月13日(水)

 10/9、土。昼から、アイパッドをテレビにつなぎ、スタンバイ。九州高校新人大会2日目、オンイラン配信、14:00から男子三段跳に次男が出場します。予選、しかーし、カメラはトラック種目中心で、三段をなかなか写してくれません。ボリュームをあげて、場内アナウンスに耳を傾けます。1本目、どうやら、14m11と聞き取れました。おそらく1本目なので、脚を合わせて、とりあえず記録を残したのだと思います。2本目も映りません。ファールらしいと情報が入ります。後で聞いたのですが、この2本目がこの日一番のビッグジャンプで軽く15mオーバーだったそうです。という情報はわかりませんので、で、なんと逆転されて2位になったらしいと。少し焦りましたが、3本目、14m59を跳んで、1位に再度逆転したようです。3本が終わり、ちょっとブレイクタイム。ベストエイトの選手紹介が綺麗に映りました。よしここから。

 4本目からのベストエイトは、けっこう写していただけました。しかし、これもトラック種目とのタイミングなので、映らない選手はまったく映らなくて、可愛そうですが、でも、次男は3本とも綺麗に写していただけました。4本目、15m近く跳びました。14m90。自己2番目の記録です。この感じでいくと、5本目、6本目、大会記録の15m27超え、あるかもしれないと期待をしてしまいます。5本目、同じような15m近くのところ。14m80でした、少し風がとまってきています。

  そして6本目、トラックでは盛り上がった男女100m決勝がちょうど終わり、スタンドの注目が一気に集まります。優勝は決まりました、後は記録です。アナウンスも「15mジャンプを期待しましょう」と煽ります。吹き流しを見ると、ちょうどよい風が吹いてきました。これは、条件整ったなと。手拍子を求め、助走を始めます。踏切もばっちりあって〜。ステップでつぶれ。力が入り過ぎました、笑。ということで14m90で優勝となりました。そのまま表彰を待っていたのですが、おそらくマイルリレーに出る選手がいて、リレーの後ということになったでしょう。残念ながら表彰の様子は映りませんでした。

10月11日(月)

 10/8、金。朝からソワソワ。宮崎で九州高校新人大会が始まります。個人では翌日の三段跳に出場予定なのですが、この日、4×100mリレーに出ると言います。思えば、半年前、3月です、同じ宮崎の競技場での記録会に出ることになり、まだ肌寒く、小雨が降る中、レース前のアップで脚を痛め、それから、スピードをあげると、同じところを痛めるということを繰り返してきました。なので、練習ではスタートダッシュ系の練習はしばらくやっていません。そのような中、4走で出場することになりました。完走できるのかなと心配です。胃がキリキリします。前日、朝、集合場所まで送って、最後に車を降りる時も「ゆっくりでろよ」と、釘をさしました。それでも競ってきたりすると、がーっと出てしまうんです。

 午前中の予選、パソコンからライブ中継をみます。1つ内側のチームと競ってきます、おわー。しかし、バトンをもらった後は、クンと加速し、後続を離し、1着でゴールしました。じーっと画面を見つめ、うんうん、脚、引きずってない、完走できた、ほっ。

 午後、来客が1組2名、翌週の会議の内容について、下打ち合わせでした。

 そして夕方、決勝。今度は少しでも大きな画面で見たいと、テレビにスマホを繋げてみました。ああードキドキする。1走の同級生からリードして2走はエース川上くん、ぐんと引き離します。2→3のパスがギリギリでしたが、なんとか渡り、余裕をもって、アンカーのところへ。しっかりとバトンを握った後は、グングン加速し、なんだか速いぞ、そのままゴール。41秒14と、鹿児島県の歴代5位の好記録で優勝しました。画面をみつめます、うんうん、脚、引きずっていない、大丈夫そう、身体の力が抜けます。優勝、おめでとう。高校に入って初めてリレーのメンバーに入り、無事に2本走ることができました。LINE送ると「疲れた」と返ってきました、笑。

10月8日(金)

 10/7、木。午後から県P連役員会、いろいろと意見が分かれるだろうなという案件があり、いつもより時間がかかりましたが、しっかりと議論ができました。昨年と今年と2年連続で、予算が思うように執行できないところがあり、とはいえ、代替案として何かやろうかと言い出しても、1ヵ月先、2カ月先も予測が立たない状況で新たな取組をというのもなかなか理解がいただけないという状況です。たいへん舵取りは難しいですが、どの組織のリーダーも悩んでいると思います。終了後、決裁を済ませ、帰宅をしました。

 

10月7日(木)

 10/5、火曜日。夜の8時から日本PTAのオンライン会議、わたしが所属しているところは4つのグループに分かれて、それぞれのテーマに沿って、議論を進めているのですが、今月末の会でその中間発表があるので、そのすり合わせでした。で、今月末のその会議もオンラインとなりました。緊急事態宣言も解除されましたし、会議は普通にやって構わないと思うのですが。やっぱりわたしは顔を合わせて議論をしたいです。

 

10月6日(水)

 10/2(日)、手帳には大阪出張とあります。日程が会えば、この4月から大阪で学生生活をスタートさせた長男が住んでいる大学やアパートでも見にいったりしたいなと思っていたのですが、オンラインとなりました。一人、13時から事務所にこもり、なんつー日曜日だよ、と思いながら、それもわたしの大切なお役目です。全国高等学校PTAの会議でした。8月にオンラインで開催された全国大会島根大会の報告や来年度の大会のことについて等でした。わたしは今年は理事でもなく、委員会にも入っていないのでこの昼間2時間だけでしたが、理事会が午前中、終了後に委員会と、がっつりな方は丸1日オンライン会議でした。オンライン会議は確かに便利ですが、あくまで補助ツールでしかないとも実感しています。それぞれ違うところにいるわけですから、お互いの空気が読めません。

 

10月5日(火)

 10/1、金。朝、早めに出たつもりだったのですが、我が家から鹿児島南高校までは朝のラッシュ時はトータル1時間かかります。空いている時間なら30分かかりません。秋の体育祭に来賓として、校長先生の隣の席に座りました。台風が発生した時は少し心配しましたが、空は青空が広がり、朝の涼し気な風が時間を追うごとに、夏ような熱気を帯びた空気に変わっていきます。良い、本当に良い空気、この秋の体育祭の空気。生徒たちの走る姿、踊る姿、応援する姿、はじける笑顔、そして大会の最後は、やっぱりリレー。グラウンド全体の一体感、熱量、息子もクラス対抗リレーに出場し、怪我が心配でしたが、けっこうなスピードをだして、そして優勝をしました。わたしの前を駆け抜けていきました。閉会式では万歳三唱ではなく、講評を述べました。小学校ではずっとやってきましたが、高校では初めて(昨年は来賓すべてカットでした)でしたので、1000名近い生徒たちを前に、緊張しました。たくさんの元気をいただき、清々しい気持ちで学校を後にしました。帰りに県P事務局に立ち寄り、この日は午前中会議が入っていましたが、出席できず、会議の資料や内容の確認や、いくつか決裁を済ませ、帰宅をしました。

 

10月4日(月)

 PTAは強制なのか、任意なのか。みたいな議論があって、それにPTA側も、反PTA側も躍起になってそれぞれの主張を言い広げているところがあり、わたしも当事者としてその中にいるわけですが。PTAって、そもそも、人への優しさであって、それをそれぞれバラバラにやるよりも、みんなで一緒に、より機能的にやっていこうと、それだけなんじゃないかなって思うのです。なので、「人への優しさ」に強制だとか任意だとか、やってもやらなくてもよいことだとか、その議論自体が的外れのような気がしてきました。PTAは、ただただ、子どもたちに幸せになってほしいという大人たちの思い、その思いを受け、育てていただいた私たちが今度は大人になった今、同じように子どもたちのことを思って、自分たちの時間と労力を使って活動をすること。その本意を忘れているところ、ないでしょうか。マスコミも面白がって?PTAってそもそも任意でしょうみたいなことを取り上げますが、薄っぺらく取り上げないで、本質を論じて欲しいと思います。

 9/30、木。午前中は、県P事務局へ、局長、次長と来客対応。各決裁。午後は、オンラインの会議、九州ブロックの総合型地域スポーツクラブの会議、今、取組が進められている登録認証制度の話や、毎秋開催している九州ブロックの会について等。

 

9月30日(木)

 9/29、水。会議や来客の予定もなく、デスクワーク。昼からは自民党総裁選の様子をチラチラ気にしながら。わたしたちは国のリーダーに何を求めているのでしょうか。そもそもリーダーとはどうあるべきか、永遠のテーマです。今日で緊急事態宣言や重点措置が全国で解除されます。ほとほと、もうこれで最後にして欲しいと願います。

 

9月29日(水)

 9/28、火。夕方より、日本PTAの活動で、リモート会議でした。今年度、わたしが災害発生時の支援体制構築のカテゴリを担当することになり、全国の委員会のメンバーと議論を重ねています。PTAが災害発生時に助け合いをする意味、公平性を保ちながら。しかし、この公平性という言葉は重く、ここを追及し始めると、何もできなくなってしまいます。日本PTAが中心となり、全国津々浦々の単位PTAまでネットワークが構築をされています。会員数800万人このスケールメリットとつながりを活かす手立てとはどうあるべきか、災害も1つとして同じ災害はありません、何か決めてしまい過ぎても、決めたことが足かせになることも考えられます。たいへん難しい議論を重ねています。

 

9月28日(火)

 9/25、土。日本陸連の指導者研修会をWEBで受講しました。例年だと、全国小学生大会の前日の監督会議に合わせて、1時間くらいの内容なのですが、何故かWEBだと、13時半から17時と、3時間半…。おそらく公認指導者の資格研修としたことからこのような時間設定になったのだと推測します。同時に、全日本実業団のリモート配信も行われます。玲美が出ていますので、そちらも気になりながら。100mは前半に課題が。いつもはそう連絡を取り合っているわけでもないのですが、今回はスタートの動きのポイント、改めてメールでやりとりしました。17時過ぎ、WEB会議、終わりました。

 9/26、日。午前中、次男がWEBでパーソナル指導をいただきました。コンディショニングです。改めて怪我をしない身体を目指すということ。わたしも一緒に動こうと思っていたら、そんなことは一切できず、ずっとキャメラマンでした。中腰の姿勢が続いたり、わたしも汗びっしょりになりました。午後は、片道1時間半、次男の針治療の運転手。ということで、次男のコンディショニングデイとなりました。

 

9月27日(月)

 9/21、火。午後から陸上競技協会へ、全国小学生大会の残務処理でした。ちょうど理事長がいらっしゃったので、諸々報告をいたしました(少々グチも述べさせていただきました、笑)。夕方から教室を終えたスタッフを迎えにいきました。この状況で、いつもとは違う練習環境を強いられているわけですが、スタッフが車を停める駐車場がなかったりで、少し離れたところに車を停めてもらって、教室を終えたスタッフをそこまで送りました。

 9/22、水。午後から月次決算会議でした。6.7.8月の収入支出の内容をチェックをしました。少し上向いてきましたが、もうちょっとです。このままだと今季赤字は間違いないでしょう。黒字体質に向けて、コロナを乗り越えていかないといけません。

 9/23、木。祝日、午前で練習を終えた次男、針治療を受けてきました。午後から車で片道1時間半、わたしが現役の時からお世話になってきたトレーナーさんです。いつもありがとうございます。帰路は真っ暗、陽が落ちるのが急激に早くなる季節です。

 

9月23日(木)

 9/19、日。全国小学生陸上交流大会当日を迎えました。朝5時起床、チェックアウトの準備まで済ませ、朝食会場へ。6時から朝食、黙食、そのまま全員でチェックアウトし、徒歩で競技場に向かいました。前日とうって変わって、台風一過、快晴です。

 ここからは各自、自分の出場時間に合わせ、アップ、招集と動きます。わたしは5年男子100mに出場する選手のアップにつきました。13秒台を目標としていましたが、14秒前半のタイムでした。しかし、来年もこの舞台で上位に立つためには、どれくらいレベルアップが必要なのか、具体的なイメージができたと思います。走高跳に出場した子が県新記録を樹立しました。この1か月半、跳躍練習はほとんどできなかったはずですが、力あります。

 例年だと、17時近くまで競技が続き、もう1泊して翌日鹿児島に戻るのですが、短縮スケジュールで、15時には競技が終わり、そのまま専用バスで羽田に向かいました。羽田で1時間ほど自由時間をつくることができました(みんな前日からお土産を買う時間があるのか心配していました、笑)。

 20時前、鹿児島空港に着き、ここで選手団解散、総監督の任を降りました。わたし、基本的に集団行動が苦手でありまして、そんなわたしが集団を率いないといけないのは、とっても大変なことです。自分一人なら、なんとかなるだろうで済ませることも、率いる立場だと、動線からタイムマネジメント、細かく設定しないといけません。しかも相手は子どもたちですから、1泊2日、みんなが無事鹿児島に戻ってくることができてほっと、大きく胸をなでおろします。この日はトレーニングをする時間がつくれませんでしたので、家に戻り、バキューンと30分ほどインターバルをつめてトレーニングをしたら、呼吸が相当にあがり、シャワーを浴びて、ふう〜と、ハイボールを飲みましたが、30分ほど心拍数が高いままでした。身体によくないですね。

 

9月22日(水)

 9/18、土。朝は4時起床。軽くトレーニングをした後、汗をふいて準備、朝食。6時前には自宅をでました。6時半、空港へ。全国小学生陸上交流大会、今年も鹿児島県選手団の総監督を務めます。昨年はこの大会、中止となり、2年ぶりの開催となりました。空港に入り、電光掲示板を見ながら「と、とぶの?」と。前夜、九州北部に上陸した台風はそのまま西日本を横断し、この日午後に関東から東に抜ける予報となっています。つまり、この後、乗る飛行機はそのまま台風に突っ込んでいくようなものです。係の人に聞くと、通常運行とのこと、わお。もしかしたら夕方くらいまで空港で待機することになるかもしれないと覚悟していたので、肩透かしをくらったような気持ちでした。選手団全員が揃い、チケットをわたし、出発をしました。

 羽田に近づき、降下していく際、たいへん揺れましたが、無事、羽田に到着しました。選手団はそのままカップヌードルミュージアムを見学する組とニッサンスタジアムに直行する組とわかれました。が、外は大雨で、この先を案じます。わたしは直接ニッサンスタジアムに行きましたが、やはりものすごい雨風で、傘をさしても全身びっしょり濡れます。先に受付を済ませ、選手団を待ちます。前日練習は濡れながらを覚悟しましたが、練習を始める頃にはすっかりあがりました。そして一番心配していたのは、練習が終わり、ホテルまで20分ほど徒歩で移動しないといけないのですが、その時に大雨・強風だったら危ないなと思っていました。しかしその時間帯も雨はあがり、無事、宿泊所に入ることができました。各自チェックインをして、夕食をすませ、ミーティング。夜の過ごし方、翌日のスケジュール確認をしました。1日、予定していたスケジュール通りには絶対にいかないだろうと、どのようなことが起っても、選手団責任者として絶対に冷静でいようと、そう強く決意してこの日に臨みましたが、無事、予定通りの1日となり、たいへんほっとしました。

 

9月21日(火)

 9/17、金。県高校新人陸上2日目、前日に同級生の川上くんが男子走幅跳、43年ぶりに大会記録を更新しました。川上くんすごいねえ、というと、自分も、と言います。男子三段跳大会記録は15m02です。トリプルジャンパーにとって、15mというのは1つの大きな目標です。今のフィジカル、技術で14m後半はあっても、15mはまだ難しいんじゃないかと思いました。しかし、いつもと違う雰囲気で、やけに高ぶっています。当日、朝、台風の影響で土砂降りの雨、車で競技場まで送っていくと、サイアク、と言いながら降りていきました。ガンバレ。

 自宅に戻り、天気予報の雨雲の流れを見ると、アップを始める時間から競技終了時刻まで雨が降りません。もうそれだけで超ラッキーです。結果、最終4本目で15m25を跳び、有言実行、34年ぶりの大会新記録で優勝しました。わたしもイチ指導者ですが、予想をはるかに超えたサプライズな記録です。後で本人によると、アップの段階でかなり調子の良さを感じたようで自信はあったそうです。嫁さん、喜んで、晩御飯はお寿司をとりました、笑。

 

9月17日(金)

 9/15、水。朝からバタバタというか、初めてのことなので、勝手がわからず、梱包の方法まで細かく指示をされます。唾液を、PCR検査の検体のために採取をしました。全国小学生大会にスタッフとして参加するのに、PCR検査で陰性が確認されること、が必須となりました。日時もこの日の午前という指定があります。ゆうパックで郵送の準備まで済ませ外出、車で1時間ほどのところにある小学校です。古い知り合いを通じて、かけっこ教室の講師をご依頼いただきました。芝生が広がる素敵な学校でした。

 昨日までは日中涼しくて、油断していました。日差しがでてたいへん暑くなり、汗ダラダラでした。子どもたちもかわいくて素直で、楽しい時間を過ごすことができました。急いで市内に戻り、昼からは安全振興会の会議でした。そのまま県P事務局で決裁を済ませると、次男から連絡があり、鴨池陸上競技場で翌日から始まる高校新人大会の前日練習が終わったと連絡がありました。自治会館ロビーで待ち合わせをして帰宅をしました。

 

9月16日(木)

 9/13、月。午前中、陸協へ。秋に開催される小学生大会の打ち合わせ、これは陸協団独での開催ではなく、テレビ局が冠として入り、地元企業もスポンサーとして入る大会ですから、それぞれの意向のすり合わせが必要です。あくまでもわたしは陸協の立場として、また、この大会を目指してがんばっている子どもたちのことを思い、諸々発言をさせていただきました。ただまだ2か月先のことなので、今は1ヵ月先も読めない世情ですから、なんとか開催できる方向でと祈っています。

 9/14、火。夕方から全国小学生陸上大会のWEB会議、監督会議です。通常は前日、大会会場の会議室1室で全国都道府県の監督が集まり開催するのですが、今年はこのような形になりました。事前ににいろいろな情報をお伝えいただき、今年は特に初めてのレギュレーションがたくさんあり、わたしも文書を読んだだけではイメージがわかないところもありましたが、質問もできて、このような形も悪くないです。

 

9月13日(月)

 9/11、土。手帳には次男が通う高等学校の体育祭と記されていますが、延期ととなりました。昨年は開催はされたのですが、来賓はすべて来場をご遠慮いただくということで、見にいくことができませんでした。今年はいけるのでしょうか。。

 9/12、日。協会でわたしが担当をする全国小学生陸上競技大会の県選手団の結団式を開催しました。今年はリレーがなくなり、個人種目のみの8名の選手と大会に参加をします。大会に参加をする上での心構えや注意事項、大会期間のスケジュール等について説明をいたしました。開催判断いろいろと難しいところもあったかと思いますが、子どもたちにとっては一生の思い出に残る経験です、しっかりとサポートをしたいと思います。

 

9月10日(金)

 9/9、木。鹿児島県内に27の市郡PTA連合会(協議会)がありますが、その会長の皆様にお集まりいただく会が午後から開催予定でしたが、延期になりました。夜も会議が入っていたのですが、延期になりました。今年も気が付けばもう半期です。いろいろ執行残がまた発生していますが、それをどう考えるのか、検討していかないといけません。スケジュールがあきましたので、午後から県P事務局に向かい、各決裁や局長、次長と懸案事項等について対応をしました。国のまん延防止、県の緊急事態宣言、どうなるか、気を揉んでいましたが、両方とも30日まで延長となりました。最後のヤマだと乗り越えていきます。

 

9月8日(水)

 9/7(火)、手帳には次女が通う小学校の学級PTAとありますが、中止となりました。スケジュールがあいたので、午後は病院にいき、高尿酸血症の診察、血液検査の結果、尿酸値6.0と、ここ数年では見たことのない、低い数値でした。このコロナで飲み会がない生活は、かなり健康的です。今週末に全国小学生陸上大会の県選手団の結団式があります。わたしが担当をする会ですが、そこで配布する資料を作成しています。当然ですが、縮小開催ですし、例年とレギュレーションも大きく変わり、何度も大量の資料がメールで送ってこられ、それをなんとか読み込んで、わかりやすく県の選手団の皆さんに伝えるための資料をつくっています。この全国大会には総監督として含め、もう10回ほど行っていますが、それらの経験はあまり役に立たないではないかと思うくらい全く別の大会のようです。スタンド入場者含め選手、指導者、報道、来賓、審判、全員にPCR検査を実施という徹底ぶりです。しかし、昨日発表、緊急事態宣言の延長が、どのように影響してくるでしょうか。わかりません。

 

9月7日(火)

 9/6、月。午後から長男が荷造りを始めました。夕方の便で大阪に戻ります。急に寂しくなってきました。卵焼きをささっと作り、ラップで包み、「今夜の晩御飯にでもしなさい」と、田舎のおばあちゃんのようなことをしました、笑。免許をとった長男の運転で空港までいきました。わたしは助手席でした。空港で別れました。スマホには、1年前とか2年前の今とか、過去の写真が出てくるようになっていて、例年この時期は徳之島に呼んでいただき、陸上教室をする時期です。昨年に続き、今年も依頼はありませんでした。その他にも、今頃は、秋の運動会前ですから、週末はスタッフがあちらこちらに呼ばれ、かけっこの指導をする時期で、たいへん慌ただしい時期なのですが、そのような動きもほぼありません。

 

9月6日(月)

 9/3、金。原稿を1本書き始めました。11月発行の教育関係者に配布される印刷物に載る記事です。11月って、どんな季節だったかな、その頃は、2学期のいろいろな行事ちゃんとできているかな、1ヵ月先が読めないのに、2か月先の世の中の空気感を想像しながら書かないといけません。難しい。

 

9月3日(金)

 9/2、木。午後から県P連役員会でした。コロナで1年半、ずっといろいろな対応続けてきましたが、ここにきて改めて、県P連としての対応ガイドラインのようなものを策定しています。というのも、先月中旬に県独自の緊急事態宣言を受けて、急に対応しないけない案件があり、わたしの判断がブレてしまったところがありました。なので、今後はそれに基づき、判断をしてまいります。終了後は、県退職校長会と意見交換だったのですが、昨年に引き続き、先方から中止にしたいとの連絡があり、なくなりました。

 

9月2日(木)

 8/29、日。オフ、予定は何もなく、前夜に、やるぞ、と決めました。ラテ(犬)を飼いはじめ、トイレは庭で済ますようにしつけてきました。なので、1日数度庭に出るため、ウッドデッキを塗るタイミングを1年半ほど逸し続けてきました。それまでは半年に一度は塗ってきました。そうしないと、ウッドデッキはすぐに傷むらしいです。この日は雨が降る予報もない晴天、で高温、夕方までには塗料も乾くだろうと、8時頃からとりかかり、1時間半ほどで塗り終わりました。途中しっかり水分はとったつもりでしたが、終わる頃にはふらふら。かなりの汗をかきました。夕方、しっかりと塗料が乾いたのを確認して、ラテを庭にだしました。我慢していたのか、かなり長いオシッコしました、笑。ご協力ありがとう。

 8/30、月。午前午後と続く用務で、わたしが11年PTA会長を務めた小学校の元校長先生とお会いしました。久しぶりの再会に心が躍りました。また、コロナが終わったら、ゆっくり飲みましょうと別れました。残暑厳しく、夕方、トレーニングをしたら、およそ気持ち良いとは言えない、ものすごい量の汗がでます。まさに全身蒸されているような感じです。身体に悪いです。長男が合宿型の自動車学校に通い、この日、卒検、合格したと帰ってきました。コロナ対策、苦い経験がお有りのところで、したがいまして、対策は徹底していたようです。夜は、合格祝いしました。ま、何かにかこつけて、かんぱ〜い、したいだけです。

 8/31、火。次女が家庭用プールが欲しいと、買ってあげたら、この夏、1回しか使わず、頭にきて、今日で夏休み終わりなんだから、もう1回くらい使えと無理やり水を貯めました。次女はプカプカ気持ちよさそうに浮かんでいました。夜は夏休み終了で、かんぱ〜い、しました。

 9/1、水。2学期スタート。長女、次女、次男、それぞれ小学校、中学校、高校にいきました。9月に開催される全国小学生大会の対応で日本陸連ともやりとりしながら、少しバタバタしました。夜は、2学期スタートでかんぱ〜い、しました。

 

9月1日(水)

 本日より2学期スタート。長女(中2)、次女(小3)は、通常通り朝登校をしていきました。昼頃にすぐに帰ってくるようです。長女は給食なし、次女は給食あり、次男(高2)は午後から登校だそうです。今、まだ、宿題やっています、笑。学校再開についていろいろメディアも騒ぎましたが、オリンピック始まる前も、ギャーギャー言って、で、2学期始まる時もギャーギャー言って、おそらく今度は12日の緊急事態宣言を解除していいのかどうかでギャーギャー言うのでしょう。必要な情報は大切ですが、最小限にとどめ、自分ができることを日々粛々とやっていきたいと思います。

 

8月27日(金)

 8/23、月。小学校PTAの企画委員会が開催予定でしたが、コロナ感染拡大により、書面決議となりました。午後から次男とスパイクを見にいきました。短距離、幅跳、三段跳、それぞれ必要です。万札がばんばん飛んでいきます。しかし、先日わたしの知り合いの方、でお子様が高校の部活、自転車をやっているという方と話をしたら、かかるお金がハンパなくて(車が買えます)、スパイクでンー万円、どうのこうのって、まだ良い方だと思いました。で、ランシューも欲しいと言い出したので、コラコラと申しました。夕方、新聞社から取材の依頼がありました。基本、事務局を通していただきたい旨、申し上げましたが、もう明日の新聞に書きたい記事なので、緊急にと、取材を受けました。

 8/24、火、朝、新聞を、自分のコメントをチェックしました。自分はこう思うと、それはわたしの思いですから、しかし、世の中にはいろいろな立場の方がいて、多様な見方ありますから、どのように思われるかはわかりません。上村先生からメールが届き、少しほっとしました。手帳にはこの日から島根入りと書いていますが、オンライン開催となりました。午前午後と続く終日の用務でした。

 8/25、水。オンラインで島根で開催された全国高等学校PTA大会島根大会を視聴しました。1年前、中止ではなく延期となり、昨年はわたし全高Pの理事でしたので、開催に至るまでの紆余曲折を少なからず知っているだけに、ここまでやれて、ほんと素晴らしいです。8月後半はこのように例年だとPTAの大会が全国各地で開催され、分科会、全体会、どうやって移動する、どこでどう乗り継ぐ、いったん鹿児島に戻るのか等、わちゃわちゃして、でも、全国のPTAの皆さんと学びそして交流し、また2学期からがんばろうと意気込む時期なのですが、静かな日々を過ごしています。

 

8月26日(木)

 8/21、土。新幹線で北九州へ。日本PTA大会兼九州PTA大会が開催されました。完全オンライン開催で、各PTA会員の皆様にはパソコン等でご覧いただきましたが、わたしは九州ブロック協議会の理事、つまり主催者として現地に赴きました。北九州の皆様がこの日に至るまで悩みに悩んで、苦しい日々を乗り越えて開催に至ったこと、本当に素晴らしく、またオンラインで伝える工夫も素晴らしく、PTAの大会でここまでできるんだということを見せていただきました。すごく良い大会でした。

 8/22、日。夕方、長崎から帰ってきた次男を迎えにいきました。九州選手権に出場しました。大会1週間前に怪我をし、いつもより強い痛みが出たので、トレーナーからも棄権を勧められ、本人も9月の大会のほうが大切だから、というので、てっきり棄権するのかと思いきや、結果を見て、出ていたことが判明しました。ジュニア走幅跳で9位、8位に入っていたら決勝で、プラス3本跳んだので、神様が9位にしておいてくださったんだと思います。とにかく、出たことに驚きました。いつ、出ようときめたのか?と聞くと、当日のアップで、ということで、前日練習でもまだ思うような動きができず悩んでいたのだそうです。ほんと、ヒヤヒヤします。

 

8月23日(月)

 8/20、金。かけっこ塾最終日、この日は出校日が予定されていた学校があり、いつもの午前開催ではなく午後からでした。その出校日もほとんどの学校でとりやめだったそうです。また記録測定の結果は後日しっかりと確認をします。移動をして夕方からは、母校の大学OB会鹿児島支部の総会でした。毎年この総会と全国小学生大会の日程が重なっていて、わたしが全国大会の担当になってから、6.7年は参加できていなかったのですが、今年は参加をすることができました。とはいえ、懇親の場はなく、総会として議案や役員選出の案件をお諮りいたしました。支部長が交代しました。わたしの故郷の先輩が10年間支部長を務めてこられ、わたしも下支えの一人として務めてまいりました。 本当に素晴らしいリーダーシップで、リーダーとはこうあるべきだとたくさん学ばせていただきました。

 

8月20日(金)

 8/16、月。朝は電話が鳴りやみません。この日から夏休みかけっこ塾後期日程がスタートですが、開催されるのかされないのか、また、コロナのことを気にされて開催の方法についていろいろと聞いてこられる方もいらっしゃいます、参加をとりやめますという内容もあります。とにかく電話が鳴りやみません。スタート時の混乱、不安な気持ちしかありません。現場に赴き、始まる様子、遠くからみました。午後は市のスポーツ推進審議会、昨年、予定通り会が進まず、少し議論がとまってしまっているようなところもあり、いくつか質問をしたのですが、なかなか要を得た答弁が返ってきませんでした。

 8/17、火。降りやまない雨に、警報がでます。また、朝から電話が鳴りやみません。開催されるのかどうか。午後から県P連役員会、9月の諸行事、このコロナの状況でどうするか、いったいいつまでこのような議論を続けるのか、少し疲れてきました。

 8/18、水。この日も朝は大雨。1週間降り続いています。午後から安全振興会の会議、ちょうど同時刻に県教委の会議が入り、安全振興会の会議が終わり次第、県庁に移動をし、遅れて参加をしました。夕方はクラブのトレーニングの様子をみました。

 8/19、木。朝、晴れました。久しぶりの青空に、ほっとします。電話も一切鳴りません。久しぶりの穏やかな朝、なんでもないことですが、幸せを感じます。かけっこ塾、4日目の様子を遠くから眺めましたが、やはり、雰囲気が全然違うように感じました。本来ならば、午前中に県P連の用務が入っていたのですが、このコロナで中止になりました。午後から私用で外出をしました。

 

8月19日(木)

 8/12、木。午前中、市スポーツ課のご担当の方が来局、わたしが委員を務めるスポーツ推進審議会のことについて説明をいただきました。午後は教育安全振興会の理事会でした。少し早めに退席をさせていただき、次男を連れて治療へ。前日、繰り返し痛みが出ている個所に再び強い痛みが出たとのことです。インターハイ、記録会と立て続けに出場しましたので、まだ身体が、そのような負荷に耐え切れないのかもしれません。

 8/13〜15。盆休みをとりましたが、13日に県が独自の緊急事態宣言を発令、県施設の利用中止等を決めました。仕事もそうですが、PTAもこの日から事務局休みに入ってしまって、諸々対応できません。緊急とはいえ、このタイミングは困ったところも多かったと思います。

 

8月17日(火)

 8/7、土。午後からPTA関係の会に出席をする予定でしたが、土日2日間の記録会、次男の出番は日曜日だと思っていたのですが、今日ということがアサイチに判明し、午後からの会は申し訳なかったのですが、欠席とさせていただき、次男が出場する記録会を見にいきました。走幅跳、これまでのベスト記録は6m73でしたが、6m96を跳びました。インターハイに出て、当然、身体の調子はよくない中ですが、よくがんばりました。終わったらぐったり疲れていました。というのも、出場者が10名ちょっとで、見る側にとっては退屈をせずによかったことなのですが、つまり、順番がすぐに回ってきて、6本跳ぶのに、相当疲れたらしいです。

 8/8、日。前日に続き、記録会、アサイチで次男を送っていった後、午前中は記録会の様子をみました。次男、100mは棄権。続く怪我で、まだ思い切ってトップスピードをあげることができていません。そのまま次男を連れて帰宅。

 8/10、火。午前中、陸上競技協会の常務理事会でした。6月の小学生大会や先日開催されたリモートでの会議、全国大会の方向性等、報告をしました。

 

8月12日(木)

 8/3、火。午前中は県庁へ。年に一度、わたしが県庁5階、知事室にお伺いする日です。県P連として高校生の就職支援要請活動に伺いました。そのまま上階にあがり、教育長にも同様に要請活動をさせていただきました。各課ご担当の方々調整ありがとうございました。そのまま11時から県P新聞の編集委員会、午後から県立高等学校の在り方に関する懇話会でした。

 8/4、水。午後から今年度、来年度と2ヵ年に渡りPTA活動の研究委嘱公開のご担当の皆様への説明会でした。各地区で輪番を組んでいただき、順にこの委嘱を受けていただくのですが、これが、まあ、当たったご担当の方々は中には頭を抱え込んでしまい、ネガティブな発言もちらほら聞かれるこの会ですが、今年は皆さん前向きに取り組んでくださるようで、嬉しく思いました。なんといっても県P連70年間続けてきた活動ですので、先輩方の思いを繋いでいただきたいと思います。20時からWEB会議。今月末の北九州でのPTAの大会についてでした。

 8/5、木。午前中は県の社会教育委員会でした。県内にある社会教育施設の活用を促進するためには。つい先日までかけっこ塾で利用していました!とは発言しませんでしたが、委員の皆様の意見を聞きながらじっくりと考えました。19時からはWEB会議、こちらは今年度、日本PTAでわたしが担当をすることになった会で、つまり初進行役で、お会いしたこともない全国の皆さんと画面上で意見交換ですから、数日前から少し緊張をしていました。時間を少し超えてしまいましたが、無事、終了しました。

 

8月11日(水)

 8/1、日。本来ならば、昼の便で東京へ、長男、次男を連れて、東京五輪陸上競技観戦の予定でした。8/1のナイトチケットですから、そう、つまり、男子100mの準決・決勝を生で観る予定だったのです。わたしが夢見たオリンピックの舞台、それを生で感じる、スタンドにはたくさんの国から集まった人たち、世界最速の人を決める戦い、どんな空気、どんな雰囲気なんだろう、忘れられない光景、一生の思い出として残ることだったんだろうなあと思います。が、チケットだけは手元にあり、飛行機や宿はすべてキャンセルとなりました。校区内の施設で「さとり書」の教室があり、次女と参加をしました。講師はPTAでお知り合いの方でした。先生の教えに習い、わたしでもこのような字を書くことができました。

 夜はその、東京五輪、男子100mの準決、決勝、テレビで観戦しました。テレビ観ながら、やはり未練タラタラで、あの辺りに座っていたんだよなあとかブツブツいいながら。準決は中国人選手の9秒82に興奮をし、決勝はプラスであがった選手が勝ち、どちらも予想を超えた戦いに心拍数は上がりっぱなしでした。

 8/2、月。本来なら、昼過ぎの便で東京から帰宅予定でした。夕方、次男が福井インターハイから帰ってきました。大量の洗濯物とともに、笑。部活動をやっている高校生にとって、インターハイは特別な舞台ですから、いろいろと話をしたいこともありましたが、年頃の高校生ですので、口数は多くはありません、ちゃんと試合に出て、何かを感じとり、そして無事に帰ってきてくれて何よりです。

 

8月10日(火)

 7/30、金。かけっこ塾、最終日でした。この猛暑の中、5日間、やりとおした子どもたちは初日と比べるとがらっと変わりものすごく良い表情になります。5日間、このトレーニングができただけで凄いこと、自信をもって、これからもいろいろなことにチャレンジをして欲しい、そう話をしました。無事、5日間が終わり大きく安堵します。この日はわたしにとっては「忘れない日」として大切にしている日です。2017年、PTA会長を務めていた小学校の2年生男子児童が住んでいるマンションから転落し、亡くなりました。ただただ哀しく、辛かった。でも、このことを辛いことで終わらせず、短くも輝いた人生を送った彼を忘れることなく、その命から何かを学ぶべき、それが正しい答えなのか、未だわかりませんが、とにかく、忘れない日。夕刻、その現場に赴き、目を閉じ、手を合わせました。あの時と同じ、ただただ蝉の鳴き声が静かに響いていました。安らかに。

 7/31、土。昼からインターネットライブ配信を観戦。福井県で開催されている全国高校総体、男子三段跳予選がスタートします。本来なら、福井県まで応援に伺いたかったのですが、保護者はスタンドに入れないということです。その代わり、ライブ配をするということで、でも、ライブ配信って、トラック種目中心で、合間合間にフィールドをちょこっと映すだけじゃないのって勘ぐっていたのですが、三段跳だけを流すチャンネルがあり、じっくりと観ることができました。結果、14m43で予選通過ならずでしたが、10日ほど前に故障をし、一時は出れるのか?という状態だったことを考えれば、上出来です。ケアにあたっていただいたトレーナーの皆様に感謝いたします。決勝に残れば16時からで引き続きインターネット観戦だったのですが、中継は切って、クラブの練習にいきました。

 

8月4日(水)

 7/27、火。明け方、強烈な喉の渇きで目が覚めました。熱中症か二日酔いか、くらいの感じです。普段、夜も水分補給は心がけていて、枕元に飲物を置いておくのですが、それでは到底足りず、リビングに降りて、グラスに氷をたっぷりいれて、3杯ほどいっきにのみ干しました。倦怠感も伴います。ワクチン接種2回目の副反応というやつです。しかし、かけっこ塾は2日目、病気ではないと言い聞かせ、会場に向かいました。頭はぼーっとします、カンカン照りの空も恨めしく、が、気力で乗り切ります。

 7/28、水。朝、起きた時の感覚は前日とはまったく違います。けど、まだ少し頭痛と節々がダルい感じが残っています。かけっこ塾3日目。

 7/29、木。かけっこ塾4日目でしたが、用務が入りました。かけっこ塾はスタッフに任せ、県P事務局から労働局、その他、各経済団体を回り、県内高校生の就職支援の要請活動に回りました。午前、午後と回りましたが、昼、休憩に入った施設で、大型モニターでオリンピックの柔道競技を放送されていて、濱田選手が勝ったところでした。わたしがPTA会長を務める鹿児島南高校出身です。そして夕方は自宅で金メダル獲得の様子をテレビで拝見し、校長先生とメールで勝利を喜びました。  

 

7月28日(水)

 7/26、月。アサイチ、次男を連れて鹿児島空港へ。福井のインターハイに出場をします。空港で降ろし、がんばって、と声をかけ別れました。わたしも高校2年でインターハイ経験をしています。男子100mで準決勝まで進出をしました。高知でした。とにかく暑くて、でも、初めての全国大会で何もかもが珍しく、専門誌でしか見たことのない有名選手もいたりして、フワフワとした気持ちだったのを覚えています。すぐに移動をして、青少年研修センターでこの日から夏休みかけっこ塾の初日を迎えます。今年でなんと20回目です。この20年でノウハウはかなり積み上げられてきています。が、わたし自身いつまで塾長を務めるべきなのか、体は年々動かないわけで、わかりません、でも、がんばります。毎年、初日を迎えるのはたいへん緊張をします。5日間毎日続きます。昼前、無事、1日目が終わり、ほっとして、事務所に戻りました。すぐに着替えて外出。コロナワクチン接種2回目でした。全体としてはまだ感染が収まったとは言えない状況ですが、これで、自分が感染をするリスクは大きく抑えられます。いろいろと行動を制限されてきた部分もありましたが、少しずつ良い方向に向かっていくと思います。18時からは日本陸連のリモート会議でした。主に9月に開催される小学生の全国大会についてでした。目まぐるしい1日が終わりました。

 

7月27日(火)

 7/23、金。昼から片道1時間半、次男を連れて、針治療、腰の痛みが続き、それが腸腰筋を引っ張っていて、痛みがあります。インターハイ前に急遽、連れていくことにしました。わたしも現役時代たいへんお世話になっていた先生で、たいへん信頼をしています。次男も治療が終わり、何か良い感じが出てきたようです。夏休み中はは時間がある時は連れていこうと思います。

 7/24、土。20年間、競技場等が使えない時に練習をしていた秘密の場所が、管理の方からここでトレーニングをしていはいけないと注意を受けたということです。はて、困りました。20年間そのようなことを一度も言われたことがなかったものですから。2023鹿児島国体を控え、また、練習会場に悩む日は続きそうです。

 7/25、日。時間があれば、中学生の県大会、少し見にいこうかと思っていたのですが、前述の次男が、インターハイの遠征費の支払い今日までなのを、お金を家に忘れてきたとLINEがきました。まぁ忘れ物が多いヤツです。インターハイ大丈夫かな。ちょうど練習が終わる頃に学校に届けました。

 

7月23日(金)

 7/22、木。午前中は運営委員会、各事業の進捗状況について協議をしました。ジュニアサッカークラブで熱中症により救急車搬送があったとの報告がありました。大事には至らずもうその夜には元気になったとのことですが、救急隊員の方からもう少し早く119コールしても良いんですよと指摘があったと、なので、詳しくその時の状況を協議をしました。月曜日からかけっこ塾も始まります。毎年1人2人必ず、具合が悪いと、休憩を申し出る子もいます。その時にただ風通しの良いところで休ませておけばいいことなのか、それとも何かしらの処置が必要なことなのか、状況を見て、決して大丈夫だろうと、楽観することなく判断しないといけません。

 午後から月次の決算の会議でした。5月の数字をチェックしました。想定していたよりも悪い数字で、4.5月の収入支出はあわせて赤となりました。夏から秋にかけてどれだけ盛り返せるかです。

 

7月22日(木)

 7/18、日。昼、汗だくになりながら、庭の芝刈りをしていたら、嫁殿が悲鳴のような声をあげて「ちょっとー、再放送されていますよお!」と。先日テレビ局から夕方のニュースとして取材を受けましたが、PTAの取組についての特集番組、そこだけを切り取って、日曜日の真昼間に再放送しているではないですか。詳細わかりませんが、けっこうな反響あったのでしょうね。にしても、わたしには何も事前にお知らせないんですね。

 7/19、月。午後から安全振興会審査会、すこーしずつですが、法人としての取組の内容、今後の方向性見えてきた気がします。終了後、決裁を済ませ、帰宅しました。

 7/21、水。午後から担当の方2名来られて、8月に開催される会議の内容について概略ご説明をいただきました。わたし、覚えているのですが、幼い頃、世界や日本はどんどん人口が増え続けていると習いました。このままどんどん増え続けていけば、いったいどうなってしまうのだろうと、住むところ、食べるもの、足りなくなってしまう、すごく不安な気持ちになったことを。しかし大人になって、今度は人口減少時代に突入、その未来を案じないといけません。難しいテーマです。

 

7月20日(火)

 7/17、土。午前中は、市内某幼稚園保育園の保護者を対象とした講演会で講師を務めました。PTAが目指すコミュニティ、地域の大きな支え合いの仕組みづくりなのだということ、そういう目的が共有されることなく、ただ、係決めとかそういうことばかりがクローズアップされるので、納得感等が育まれるはずがなく、なので、負担で終わってしまっている部分があるのではないでしょうか。PTAに限らず、やらされているだけでは、ただのストレスですから。 「思いを共有する」大切なキーワードです。と、久しぶりのがっつり講演で、コロナでこのような依頼もほぼありませんでしたから、準備もがんばりました。

 いったん戻り、昼食を終え、すぐに外出をし、午後は県P連役員会、そのまま連合校長協会との意見交換会でした。コロナ対応を中心にいろいろな情報共有をすることができました。例年だと終了後、懇親の場があるのですが、昨年に引き続き中止。この懇親の場は、当然、校長協会の皆様と懇親を深める大切な場なのですが、同時に、私たち県P連にとっても、委員長がすべて揃い、新年度体制が整った最初の懇親の場で大切な会食です。会議が終わり、帰る時の虚しい感じも慣れてはきましたが。ということで、午前午後と大切な会が続いた1日でした。

 

7月19日(月)

 7/16、金。終日、外出や来客の予定なく、翌日の準備にがっつり時間を使うことができました。久しぶりの講演活動です。90分、このコロナでこのような依頼もほぼなくなり、久しぶりです。時間の感覚もなんとなく鈍っているように感じます。某幼稚園で「子どもと地域」というテーマで話をします。主にPTA活動を通して感じてきたこと、子育て、PTAが目指すコミュニティとは、そのような話です。

 

7月16日(金)

 7/14、水曜日。午後、オンラインでスポーツ関連のシステム導入についての説明を受けました。じっくりと一通り説明はいただきましたが、今すぐにでも必要という気持ちは起きず、契約には至りませんでした。

 7/15、木曜日。午前中は、県P連、子育て三行詩の審査会でした。上村先生に審査員にご就任をいただきました。久しぶりにお会いできて嬉しかったです。この審査は県内の小中特別支援学校の児童生徒、その保護者から作品を募集し、膨大な数の中から県として優秀な作品を日本PTAのコンクールに送るのですが、昨年、鹿児島県の小学生の作品が最優秀「文部科学大臣賞」を受賞いたしました。なので、審査員の皆様にはぜひ2連覇を!とお願いいたしました。

 午後からは月次決算の会議でした。年度末にできていなかった分を済ませました。夕方は日本PTAのオンライン会議、このコロナでオンライン会議がじゅうぶんに機能することが実証されまして、当然リアルに会って議論することも大切ですが、それを補間するものとしてこのオンライン、本当に時と場所を選ばず、交通費もかからず開催ができて、それは良いことなのですが、ガンガン、次はいつ、次はいつ、と。

 

7月14日(水)

 7/12、月。夕方の便で会議出席のため東京へ、夕食はホテルの部屋で独りおとなしく。

 7/13、火。午前中から会議、昼を挟み、午後からも会議、全国の災害支援のネットワークのプロジェクトの担当リーダーを務めることになりました。非常に難しいテーマ、うー、わたしに務まるのだろうか。昨日からそのことで頭がパンパンです。

 帰り、空港に向かうモノレール、もう後30分ほどで到着するというタイミングで、東京に来たら帰りは空港で必ずPCR検査を受けて帰るという方がいて、申込もスマホで簡単で、と、その方の言われるがまま、あれよあれよと操作を進めていくと、ちょうど、到着の時刻に空きがあり、YOU受けちゃいなよ、みたいな、ノリというわけではないのですが、ポチッと…。急遽、検査を受けることになりました。そんなつもりではなかったので、急な展開に突然心臓バクバク。え、これ、もし、陽性と出たらどうなるんですか、当然飛行機には乗れないので、そこから都内の病院、最低2週間の隔離です、ええー、そうなったらどうなる?ん?んんー。みたいな話をしてたらあっという間に空港に着いて、着いてしまった。。改札を通ったその階に検査場があり、受付があって、説明を受けて、お金払って、鼻にずぼってやって、検査キットを提出し、30分後に検査結果がわかりますので、またお越しくださいと。そこから30分、心ここにあらず。空港内をあてもなく落ち着かずブラブラ。お土産屋さん入っても、お土産にならないかもしれないから、買う気になれず。30分後、結果を聞きに戻りました。おねえさん、ちゃっちゃっと手際よく結果が記された紙をもってきてくれて「陰性」と書いてあって、めちゃくちゃほお〜っとしました。いや、そのような行動をしたわけでもなく、体調が悪いわけでもなく、可能性は限りなく低いとはいえ、でも、なくはないわけで。帰って、嫁さんに話すと、よくそんなリスキーなことしたねと言われました。初、PCR検査体験。

 

7月12日(月)

 7/8、木。午後から月次決算の会議、会計ソフトを変えたことにより、月次の売上などをチェックするこの会がストップしていましたが、再開をしました。とりあえず、今期の初となる4月の売り上げの中身をチェックしました。前年、前々年と比較したり、そんなに大きく落ち込んでいることもなく、スタートできていることが分かりほっとしました。

 7/9、金。午前中は、長女の中学校の合唱コンクールがあり、見にいく気、満々でいたのですが、コロナの新常態「保護者1名まで」、ということがわかり、留守番でした。午後は来年度の高校入試の定員についての会議がありました。平成の中ごろと比べても中学3年生の卒業者数は半減です。まだ鹿児島市内の学校は実感ありませんが、高校も小規模化がどんどん進んでいます。

 

7月9日(金)

 7/7、水。アサイチで県P事務局に入り、バタバタと打合せをし、9:30から臨時の役員会。この日は県内各地から小中籍、高校籍、それぞれのエリアの役員さんが会に集まる日で、その前に、決めておかないといけないことがありました。8月に開催される小中籍、高校籍の全国大会、それぞれオンラインで開催されるのですが、その参加方法や参加費について、事前に決めて、この日に皆様にお伝えしないといけません。タイトな時間でしたが、それぞれ役員の同意を得ることができて、10時から高校常任委員会、まず、研修会として、高校生の就職採用状況について、講演をいただきました。このコロナで求人数が下がっている状況があるのですが、求職者も減っていて、つまり、倍率はそう変わらないという状況です。その後、委員会に別れて、協議をしていただきました。引き続き、午後は常任委員会、県社会教育課より、PTA活動における講演をいただきました。その後、委員会に分かれて協議をいただきましたが、協議に入る前に、この委員会とはどのような位置付けなのかわたしから説明をさせていただきました。わたしも以前、突然委員長に就任し、いったいどのような会なのかもわからず、会の取り仕切りをしたことがあります。そのようなことがないようにと、説明をした、つもり、です。話はいろいろなところに及んだようですが、しっかりと議論をしていただくことに意味があります。終了後、事務局で、たまった決裁1つずつ書類に目を通しました。

 

7月8日(木)

 7/4、日。県選手権、次男が三段跳に出場を予定しています。でも、出場するかどうか、前夜は悩んでいました。スタンドにあがると、ちょうど、ピットを次男が走り抜けていきまいした。出るようです。しかし、前日の走幅跳同様、大学生、一般も出る大会ですから、高2なんて、やっぱりレベルは違います。1本目全体跳んだ時に、決勝エイトに残るのは微妙だなあと感じました。しかし、なんとか14mを跳び、エイトに残りました。5本目で、14m42まで記録を伸ばし、6位に入ります。6位以内は九州選手権の出場権が得られます。しかし、6本目に華麗な逆転をくらい、7位ー。悔しそうにしていました。

 7/6、火。市P連の研修会に係として参加をしました。会場設営から受付、片づけまで。午後は高校PTAの学校保健会が開催予定でしたが、書面での開催ということになりました。某メディアからスポーツ関係のこと、いろいろと話が聞きたいとあり、夕方、事務局にお越しになられました。

 

7月5日(月)

 7/2、金。午後から県P連の事業で、各市郡P連の事務担当者の皆様にお集まりいただき、研修会でした。今年はやり方を少し変えて、グループワークを取り入れながら、課題等をディスカッションしていただきました。ご参加いただいた皆様からも好評をいただき、また、私なりに新たに取り組まなければいけない課題も見えてきて、とても良い会になりました。県P連、事務局体制が改まり、良いスタートを切りました。

 7/3、土。アサイチで県選手権に出場する次男と出発。わたしはアサイチ駐車場係でした。時折、強い雨が降る中でしたが、1時間半ほど任務にあたりました。全身びしょ濡れ。いったん、戻り、夕方から再び競技場に向かい、次男が走幅跳に出場しました。昨年の2月に大阪で開催された室内陸上に出て以来、1年半ぶりの走幅跳です。高校デビュー。県選手権なので、一般の選手も出るわけで、当然、大学生は強くて、決勝進出8人はすべて大学生でした。3本跳び終えて、同じ高校の先輩同級生、仲良く9、10、11位でした。6m73で自己新記録でした。6m90を跳べば、九州選手権のジュニア幅跳に出られるらしく、そこを狙っていましたが、力不足でした。家に戻ると、腰が、アキレス腱が、あちこち痛いと言います。翌日は三段跳、出るかどうか、迷っていました。

 

7月2日(金)

 6/30、水。県P事務局へ。局長がこの日をもって任期満了に伴いご退職となり、辞令の交付式を行いました。そして7月1日からまた新しい体制でスタートします。しっかりと事務局が回っていくように、わたしも舵取りに務めてまいります。

 7/1、木、NPO法人SCC創業記念日でした。21歳になりました。特に外出や来客の予定もなく、デスクワーク中心に行いました。夜は、次男が治療から帰ってくるのが遅く、21時前でしたが、嫁殿と静かに乾杯をしました。

 

7月1日(木)

 2000年7月1日に活動をスタートしたNPO法人SCCは、21歳になりました。日頃からの多くの支えに心から感謝申し上げます。

 6/25、金。都内某所で、日本PTAの総会が開催をされました。そのまま昼からは研修でした、日本PTAの各事業内容に関することでした。15時半頃会は終わり、そのまま羽田空港夕方の便で帰宅をしました。

 6/26、土。午前中は、今度は全国高等学校PTAのオンライン理事会でした。1年間理事を務めてきましたが、最後の務めとなりました。昼を挟み、引き続き、オンラインで8月に開催される全国大会の開催についての説明会が開催されました。オンラインで開催されます。オンラインでこのようにいろいろな研修会や大会が開催をされるのは、もう技術的には可能なことですが、その参加費や参加人数というものの考え方が、まだ確立されていません。たいへん難しいことです。長くかかりました。

 6/28、月。鹿児島でもワクチン接種が進んでいて、先日、急遽、65歳以下も期間限定で受け付けますとの報道が出て、当日は予約システムまったく繋がらなかったのすが、翌朝、早朝だったからか、さっと繋がって申請をしました。ただ、前日18時までにメールが届くということだったので、やっぱダメだったかとあきらめていたら、なんと、迷惑メールフォルダに届いていました(見落とさなくて良かった〜)。ということで午後から第1回目のワクチン接種を受けてきました。この1年半にわたるコロナとの戦いもようやく終わりも見えてきたかと、まだ、安心するには早いですが、でも、たいへん感慨深く接種を受けました。立場上、出張や会合も多く、早く接種を受けたいと思っていました。2回目の予約も自動的に決まり、とりあえず、大きくほっとしています。

 

6月29日(火)

 6/23、水。午後から教育安全振興会の審査会でした。終了後、県P事務局で大量の決裁でした。

 6/24、木。午前中は運営委員会、午後から鹿児島空港へ。この日は移動だけでしたので、短パン、Tシャツの格好でしたが、空港で、日本選手権組、数名と遭遇。そだった、お恥ずかしい。がんばってねーと声をかけました。この1年半、このような会議も中止やリモートが相次ぎましたが、緊急事態宣言が解除されたこともあり、開催となりました。昨年7月以来の東京、ほぼ1年ぶりでした。

 

6月28日(月)

 6/22、火。午後から県の子どもたちの体力向上に関する会議でした。SCCの理事長としての公職ですが、もう10年以上この委員を務めています。わたしの隣に座られたのは、県小体連の理事長で某小学校の校長先生ですが、この委員会の元ご担当係です、6.7代くらい前です、また改めてこうして、と、そんなお話をいたしました。

 

6月24日(木)

 同じく6/20、日。熊本で開催されている南九州高校総体最終日、次男が男子三段跳に出場をします。コロナの影響により保護者は現地応援はできません。なので、鹿児島でじっと結果を待ちます。順位というより、県大会で追い風参考記録で跳んだ14m台を公認で跳んで欲しいなと、そうすれば当然順位も上位に入るだろうと思っていました。11:40から競技が始まり、しかし、トラック種目と違い、フィールド種目は、全競技が終わった後、1時間くらいしてからじゃないと、すべての結果が速報サイトにでません。ということは、結果がわかるのは、14時くらいか。ここからなげーなーと、でも、冷静に冷静にと心を静めて待とうと。それを知らなかった嫁殿は、速報サイトを何度もリロードして、速報でない、でない!とカリカリしていたようです、笑。そんなこんなで時が経つのをじっと過ごしていた頃、12時半頃でした、知り合いから「息子さん、今、2本目跳んで、13m92、全体で2番です。」とLINEが届き、めちゃくちゃほおっとしました。すぐに嫁殿に知らせました。速報めちゃくちゃ喜んでいました。その後も、1本1本状況を伝えてくれて、おまけに動画も送ってくれて、そしてそして最後6本目は自己新記録14m64(+0.8)を跳んで2位、インターハイの出場権を獲得、県大会に引き続き同じ高校の先輩とワンツー勝利を果たしました。ほっとしました。夕方18時半頃、次男、帰宅をしました。おめでとう!と迎えました。(結果)わたしは高校2年の北九州大会は100m6位、ギリギリでインターハイ出場でした。わたしのキャリアを1つ越えました。

 

6月23日(水)

 6/19、土。昼から鴨池陸上競技場へ、わたしが部長を務める部会の今年度第1回の委員会を開催しました。その後、高校生にもお手伝いいただき、翌日の小学生陸上大会の準備をしました。参加賞として毎年大量のカップラーメンをチームごとに振り分けるという作業をします。高校生のお手伝いもあって、思っていたよりはスムーズに進みました。クラブの練習をみて帰宅をしました。

 6/20、日。朝、起きて、快晴。天気の心配をしなくてよいのは何よりです。軽くトレーニングをして汗を流し、朝食をとり出発をしました。まずは、アサイチ、駐車場、開門、受付、これらの業務がスムーズに進むか、全体を見ます。近隣の商業施設からクレームが入りました、駐車場にとめている保護がいるようです。8時から監督会議、わたしが作成した資料をもとに、各チーム責任者の皆さんと打合せをします。9時競技開始、これまでバタバタとしていたのが、競技が始まるとうそのようにピタッとわたしのやることはなくなるのですが、今年は違いました。最初の種目のリレー予選で、抗議が入りました。審判長、監察主任と対応を協議します。事実確認ということで初めてビデオチェックをしました。スローで動画を確認し、対象の事案について申し立ての通り、進めることにしましたが、タイムへの影響をどう結果に考慮するか、また難しい判断になりましたが、審判長とこれでいきましょうということになり、決勝進出全チームからも異論なしということでしたので、それでおさまりました。

 大会、終盤になると、いよいよわたしの大仕事です。全国大会への選手の手続きが始まります。決勝種目が終わり、順序良く進めばいいのですが、ほとんどの子が最後の種目リレーの決勝に出ますので、リレーが終わるや、一気に選手が集まります。役員選手の皆さんがぞろぞろ帰りだす頃に、わたしの忙しさはピークを迎えます。対象選手、保護者、チーム代表者に説明をし、書類記入等の手続きをしていただきます。1時間ほどそのような状態が続き、全国大会出場者全選手、スタッフ団の登録が終わり、ふう〜っとなります。無事、大会終了です。

 

6月22日(火)

 6/17、木。午前中は、次女が通う小学校のPTA企画委員会、今年から監事としての出席となりました。広めの会場を使ってということで体育館で開催されました。午後からは市内某ホテルへ。本来ならば、九州地区高等学校PTA連合会大会鹿児島大会の前日会議の日でした。午前中の会計監査から始まり、全体会、委員会、理事会、総会、大会打ち合わせ会、レセプションと、その都度、わたしは挨拶をしないといけないという1日だったのですが、大会が中止となり、代わってホテルの1室を借り、リモート開催ということになりました。わたしが議長役で進行をしましたが、議案もすべて承認をいただき、そして、1年間務めた、九州地区高等学校PTA連合会会長の任期もここで終了となりました。出張も増えて、忙しくなる1年を覚悟していたのですが、コロナで逆に暇な日々を過ごすことになり、拍子抜けした1年でしたが、任期を全ういたしました。

 移動をして、市内の某企業の会議室をお借りして、大学OB会鹿児島支部の事務局体制が変わり、今後のことについて打合せをしました。再び移動をして校区コミュニティの会議でした。こちらもPTA会長の充て職で毎月2つも3つも会議が入っていたのですが、今はSCCの理事長として社会体育の部会の部員としてのみです。4つの会が入った長い1日が終わりました。

 6/18、金。午後から会議でした。県として国への予算要望についての会議でした。15時過ぎ会議は終わり、ふらっと立ち寄りました。本来なら、ここに九州各地のPTAの仲間が集い、大会が開催される予定でした。ここに看板があったり、受付があったり、高校生が物販をしていたり、どんな大会になっただろうなあと想いを巡らせながら、しばらくあちこち歩き回りました。 2年間かけて準備をしてきました。平成30年、小中学校のPTAを対象として九州PTA大会を鹿児島で開催しました。あの時の満員の鹿児島アリーナ、溢れ出るエネルギー、感動は未だ忘れられません、なので、今回も何としても開催したかったのですが、コロナ憎しです。

 

6月18日(金)

 6/15、火。午後から県教育安全振興会の理事会でした。今年度も副理事長に選任をされました。しっかりと業務が円滑に推進されるよう務めてまいります。

 6/16、水。アサイチで次男を送っていきました。南九州高校総体、熊本で開催をされます。最終日三段跳に出場をします。前夜、軽く脚をマッサージをしたのですが、いつもにない感じのハリがあって、試合前になんじゃこりゃなんて言っていたのですが、この日、夕方の練習でわかりました。月、火、がんがん走ったんだそうです。おそらく怪我あがりで、練習不足の不安で張り切り過ぎたのでしょう。ま、自分が納得いくようにやればいいと思います。応援にはいけません、無観客での開催です。鹿児島でじっと結果を待ちます。ガンバレ。

 

6月15日(火)

 6/12、土。午前中は来客。先日、11年務めた小学校のPTA会長を退任した話は書きましたが、PTA会長の業務を紙にまとめて、引継ぎをしました(わたしが引き継いだ時はこのようなことはありませんでした、笑)。校内の業務は、副会長さん方にも理解していただけていることなのですが、対外的なこと、充て職や市P連や県P連の業務等は会長を務めないとわからないことです。わたしも11年かけていろいろなことを行ってきて、特にラストイヤーは校納金の口座引き落としの手続きを進めてきましたが、いろいろとハードルもあり、でもこの4月から無事その体制で進めることができています。キャッシュレスです。数年前まで事務担当の先生が現金小銭をジャラジャラ確認していました。でも、まだ1つ手掛けられなかったなということがあって、それは防犯カメラの設置です。これは前上村校長からも申し伝えられていたことでもあり、わたしも県外のPTA会長さんと意見交換をすると、もう当たり前のように県外ではカメラが校内いたるところに設置をされているようです。鹿児島ではほとんどききません。是非、この取組を進めて欲しいと話をしました。いろいろと話をする中で、すでにいろいろな改革も進んでいて、頼もしく感じました。

 午後は、市P連主催の会長研修会、研修をしていた側なので、もういろいろな話も耳に馴染んだことばかりですが、初めての会長さんはチンプンカンプンだろうなあと思います。資料が多いという話も聞きましたが、わたしが研修を受ける立場だったころは逆で、資料がなかったんです。全部、口頭説明、ちゃんと資料つくりましょう、と、わたしが執行部にいる頃になり、で、今のこの資料です、笑。終わって、競技場に向かうと、ちょうど次男が練習を終えた頃でした。

 

6月14日(月)

 6/11、金。手帳には、2つの用務が入っていて、1つは熊本で九州ブロックPTA協議会の総会、もう1つは県学校給食会の会議でした。県学校給食会の会議は欠席で返事を出し、そして、熊本の会議はリモートになりました。九州各県政令市の会長が集まる会ですが、5人が交代となりました。退任の会長の皆さんとは昨年は1年間ほとんどお会いできず、最後も会えなくて寂しい限りです。県の会長は時に一人で孤独に抱え込まないといけない案件等もあり、皆さんはそのようなことを分かり合える存在で、いろいろなことを親身になって語り合ってきました。今年の九州大会の概要が大まかにわかってきました。

 

6月11日(金)

 6/10、木。本来ならば6/5に県P連総会が開催の日だったのですが、書面での決議となり、この日をもって総会が成立し、結果、すべての議案にご承認をいただき、正式に令和3年度県P連会長に選出いただきました。また、1年間、役員と力を合わせて全力で務めを果たしていきたいと思います、宜しくお願いいたします。午前中は、県校外生活指導連絡会、昨年は書面開催で、2年ぶりの開催となったわけですが、2年前にわたしが指摘をしていたところが、一切、何も考慮されず、会が淡々と進んでいき、なので、会の終了直前、最後に一言、少し強い口調になってしまったかもしれませんが、話をさせていただきました。そのまま午後は第1回の役員会でした。今年は役員が変更が少なく、スムーズに新年度スタートできました。

 

6月9日(水)

 引き続き、6/6の夕方のこと。布施スプリントの結果がSNSで飛び込んできました。男子100m山縣選手、9秒95、日本新記録。プラス2.0を考えれば、2017年の全日本実業団決勝10秒00(+0.2)で、この時の方が力はあるわけですが、しかし、9秒95というのはインパクトあります。やっと出たかと、ご本人もそうなのでしょうね。記録というのは狙って出るものではないし、記録を狙うということはただ単に記録のことを考えて走るわけですから、内容は伴わないのです。だから、あくまで内容であって、その結果が記録、そして今回は多田選手が良い感じで前半前にいて、それを追うことで、記録ではなく勝負にスイッチが入り、まぁ、予選10秒01ですから、9秒台を意識しなかったわけではないと思うのですが、その良い意味での内側に向けた感覚と、外に向けた勝負、そして記録、このバランスが良かったのはないかと思います。

 山縣選手とはご縁があり、2010年、中山泰志と行った、沖縄インターハイ。100mでは、山縣くんか九鬼くん、そして泰志、この3人が優勝候補、準決の感じから誰が勝ってもおかしくない、そんな中優勝したのが九鬼くんでした。泰志が2位、山縣くんが3位でした。なので、その頃から見てきた選手で、10年以上ですね、食事もしたことありますが、テレビの画面を通して見ていただいた、あのままの彼です。真面目でピュアな方です。ここから世界との勝負ですね。応援します。

 で、玲美があまりよくありませんでした。今季1発目のレースが室内100m無風で11秒8で走りました。その時山縣くんは10秒5かかっています。それを考えると、今、落ちているのは何故なのかな、最近会っていません、心配です。

 

6月8日(火)

 6/6、日。長女の誕生日です。14歳、中学2年生です。いろいろと精神的に不安定なお年頃ですが、そんなに激しい反抗期という感じでもなく、多少はありますが、小4くらいから緩やかに続いているって感じです、笑。でも、健やかに成長をしてくれて嬉しいです。来年は受験生、次男は高2ですので、来年はダブル受験です。。大阪で一人暮らし中の長男は、大学で音楽のサークルに入ったとのことで、父の血を継いで、ドラマーになりました。夜は長女の希望で宅配ピザを頼み、わたしも一品作り(肉じゃが)お祝いをしました。

 

6月7日(月)

 6/5、金。手帳には県P連総会と記入していますが、横棒が引かれ、中止です。5月中旬に開催された役員会で、役員から書面開催にしたほうがよいという意見が上がり、その他の役員から異論は出ず、そのように決まりました。総会は、県P連の活動内容をより多くの方に知っていただく機会であり、ご退任の役員の方の卒業の場、特に県P連の役員をやられる方は長年PTAに関わってこられた方が多く、PTA最後の卒業の場ということもたくさんあります。そして、ご功績のあった表彰対象の方々への大切な場です。なんとか開催したいという思いはあったのですが、仕方ありません。昨年も開催できなかったので、2年連続での書面決議となりました。本来ならば午前中から議長団との打ち合わせが入り、午後から来賓をお迎えして開催、夕方に終わり、新旧懇親会と続きます。

 

6月4日(金)

 6/1、火。県P連の高校常任委員会、県P連には、高校籍の方々の委員会活動、高校常任委員会、小中籍の方の委員会活動、常任委員会と2つの委員会活動があるのですが、高校常任委員会だけ、総会前のこの時期に第1回目を開催します、というのも、6月中旬に九州高等学校PTAの総会が開催されるのですが、そちらに委員長さんに行っていただかないといけないのです。委員長は互選によって選出となっていますので、こうして出てきていただき委員長決めをさせていただくのです。

 6/2、水。県P連新聞編集委員会でした。6月からが任期となりますので、今回も数名入れ替わりがありました。誌面の校正作業が続きました。夕方は競技場へ。

 

6月2日(水)

 5/31、月。手帳には、かごしま国体開催に向けての会議が午前中入っていましたが、書面開催となりました。なので、ゆっくりと、競技場で応援することができました。県高校総体陸上競技、次男が男子三段跳に出場します。が、本当に出られるのかと。3月中旬に怪我した個所がなかなか治療がうまくいかず、本人もシーズンイン前とあって、焦ってしまい、少し良くなっては再発を数度繰り返してきました。数日前も軽い違和感がでたと言っていました。おそらく、スパイクを履いてMAXで走れていません。そんな状態で本当に試合に出られるのか、もしかしたらアップで動いてやっぱり無理、そうなるかもしれないとも思っていました。なので、スタンドに着いて、まず、ピットに出てきた次男をみつけ、ほっ。とりあえず、出るんだなと。今日はもうとにかく試合に出られたそれだけで100点で良いじゃないかと思いました。

 試合前の跳躍練習が始まるわけですが、その動きをみて、また愕然。まーったく動けていません。もう恐る恐る走っているのがわかります。ようやく踏切版までたどりつき、とりあえず、足だけ合わせます。普段の練習の動きを見ているわけではなく、いつも会話でああだこうだ言っているだけなので、実際の動きを見て、本当に愕然としました。こりゃー厳しいなと。で、後から聞いたことなのですが、アップではまあまあ動けたんだけど、招集を終えて競技場に入ってからの跳躍練習でまた少し違和感が出たとのことです。なので、わたしが見たのはその直後で、違和感があったところのチェックをしながら恐る恐る動いてみたところだったのです。

 そんな感じで1本目、当然、全然スピードはあがりません。ホップ、ステップ、ジャンプ、の後、自ら砂場に足をついて、12m50。なんとかエイトにはいますが、これでは南九州大会にはいけません。2本目、またノソノソ助走で走りだし、ホップ、ステップ、ジャンプ、あれ?まあまあ跳んだぞ。。。13m90。ええええ〜、ベスト記録です。まぢか。我が子ながら、この感じで14m近く跳ぶなんて、恐ろしい。鳥肌たちました。

 もうこの記録が出たので、6位以内は間違いないし、南九州大会出場ほぼ決まりですから、残りの跳躍は棄権してもよいだろうと、わたしは思うのですが、3本目も出てきます。ノソノソ助走で13m88。同じ高校の先輩のGくんが20年近く残っていた大会記録を更新し、またまた鳥肌、俄然、スタンドは盛り上がり始めます。

 ここからはベストエイト。高校総体最終日、トラック種目も決勝種目のみで、スタンドの視線が三段跳に集まります。4本目、なんと、追い風参考ですが、14m27跳びました。ひえー。5本目、スタンドに手拍子求めます、やめとけ、そして、助走の入りが少し力が入ってきました。惜しくもファール。6本目、またもや手拍子求めました。やめとけ。14m51!風は?+4.4、笑。公認での14mとはなりませんでしたが、6本目終了と同時に全身の力が抜けました。とにかく、6本跳べたこと。それだけで大満足。

 しかし、怪我したところが完全に治ったわけではないので、これでまた反動がでるかもしれないし、急に良くなる方向に向かっていくかもしれないし、予断は許しません。けど、ほんとうにほっとしました。チームの総合優勝にも貢献できて(この三段跳のワンツーが決定打となったそうです)、本人も嬉しかったようです。

 

6月1日(火)

 5/29、土。昼から競技場へ、県高校総体陸上競技、スタンドから観戦をしました。100mや4×100mリレー等。男子100は次男の同級生川上くんが2年生ながら10秒6台で走りました。わたしが高校2年生の時は確か10秒7台でインターハイ準決進出でした。決勝に残る残らないギリギリのレベルだと思います。動きを見ていても、1つ上のレベルにいるなと感じました。一度、息子と並んでマッサージ受ける様子を見ましたが、その盛り上がった臀筋のすごさ、やっぱ、尻です、尻。そのまま夕方から陸協の会議でした。6月に開催される小学生の県大会の方向性が定まりました。極力、保護者、関係者にもスタンドに入っていただきたいし、表彰もしてあげたいし、でも、まだまだ例年通りとはいきません。

 

5月31日(月)

  5/28、金。手帳には、県P連の新聞づくり担当者研修会と記載されてありますが、中止で希望者に資料を配布するという形になりました。今年度に入り、新しくPTA新聞の担当になられた方々にお集まりいただき、新聞づくりに関する基礎を学ぶ大切な会なのですが、残念ながら2年連続中止ということになりました。終日デスクワーク、6月に開催予定だった、県コミュニティスポーツクラブ(総合型地域スポーツクラブ)連絡協議会の総会、こちらも書面開催に切り替わり、それらの資料作成や連絡等でした。

 

5月28日(金)

 5/27、木。手帳には、鹿児島空港国際化なんとかという会議への出席が記入されていますが、書面決議となりました。午後から県P事務局で決裁、6月頭の総会、書面にて開催です、その準備等。その後は、九州、日本と総会が続きます。例年、出張ラッシュとなる月ですが、すでに、3つの会議がリモートでと決まっています。1年間、九州地区高等学校PTA連合会の会長を務めてきましたが、書面決議での会長就任でしたので、就任のあいさつもなく、そして退任のあいさつはパソコンの画面に向かってと。平成30年度に九州ブロックPTA協議会の会長を務めたのですが、その退任の時は、本当にほっとしたというか、やりきったという感覚がものすごく大きかったのですが、今回はやりきったも何もて感じです。 次男からLINEが入り、練習終わったと。翌日から高校総体の会場準備と練習でした。県P事務局がある建物の1Fで待ち合わせをして、一緒に帰宅しました。

 

5月27日(木)

 5/25、火。午前中は、国体に向けた競技力向上の会議が入っていたのですが、書面決議になりました。資料が届いたので、内容しっかりと読み込みました。

 5/26、水。午前中は、食のなんとか、県P会長としての充て職ですが、会議が入っていましたが、こちらも書面決議、資料はまだ見ておりません。午後は、南高校PTAの総会欠席者への説明会と、こちらは昨年も今年も中止で、いったいどのような会なのか未だ理解できておりません。15:00から大学OB会鹿児島支部の幹事会でした。こちらは、昨年、書面でしたが、今年は主要な役員の退任新任もあり、対面で実施をいたしました。10年間お仕えした支部長が交代となりました。頭もよく、ユーモアもあり、男気もあり、尊敬する先輩の一人です。夕方には終わり、競技場へ。いよいよ県高校総体が始まります。ニュースで拝見しましたが、県内の私立高校でコロナ感染があり、その学校はすべての種目で高校総体に出場しないと。学校の判断なのでしょうが、出られない子たちも大きなショックですし、コロナに罹ってしまった子たちも、それはそれは一生負ってしまうような心の傷でしょう。本当に胸が痛みます。

 

5月26日(水)

 5/24、月。午前中は、ジュニアスクールの会場として使用させていただいている小学校へ、お借りした体育館の鍵を返却に伺いました。校長先生が、以前からたいへんお世話になっていた方で一度ご挨拶に伺わなければと思いつつ、このコロナで機を逸しておりました。ので、一言、ご挨拶をかねて伺いました。午後は、監事を務める育英財団の監査がありました。終了後、すぐに移動をして、理事を務める学校法人の幼稚園の理事会、評議員会でした。前年度の決算、新年度の予算でした。午前中は強い雨が降りましたが、夕方はあがり、スクールの時間帯には影響なく、ほっとします。感謝。

 

5月25日(火)

 5/21、金。手帳には、東京出張、日本PTAの代表者会が開催の予定でしたが、オンライン会議となりました。事前にメールで大量の資料が送られてきて、目を通すだけでもふう〜となります。今年度の全国大会、夏に開催の予定ですが、方向性が定まりません。一方でもう翌年、2022年開催のプランもでてきました。2022は通常通りの開催へと。なるのでしょうか。夕方には終わり、競技場に向かいました。

 

5月24日(月)

 5/20、木曜日。午前中は運営委員会、SCCの各事業の進捗状況を協議しました。午後は手帳には県P連の評議委員会と記されてありますが、書面決議となりました。例年、次年度役員選出について大事な決め事がある会です。本来ならばわたしは評議員の皆様の前で年度の総括と次年度に向けて演説をしないといけない会で、たいへんに緊張をするのですが、昨年と今年と2年連続で書面での決議となりました。また、この日は県P連設立の日でもあります。71歳となりました。昨年は70周年記念事業を予定していましたが、1年、延期となっています。今年度開催できますでしょうか。

 

5月20日(木)

 5/19、水。来週出席予定だった会議が6つ、書面開催となりました。なんだかあちらも書面開催にしたのだからこちらもという横並びの感というか、同調圧力というか、そのようなことを感じます。社会の空気は恐ろしいです。国会は感染対策をした上で東京で全国から人を集め堂々とテレビ中継されているのに、わたしたちの身近な会議は何故開催できないのかなあと思うのです。昨日は午後から、教育安全振興会の共催事業の審査会が開催されました。終了後、決裁を済ませました。

 

5月19日(水)

 5/14、金。本来ならば、全国高等学校PTA連合会の理事会が東京で開催で、前夜から東京でしたが、リモートでの開催となりました。午前中、学校に出向き、書面開催となった総会の集計作業を手伝いました。ということで、書面によって議案成立となり、新役員案が承認されたことになり、11年間に及んだわたしのPTA会長の職務が終了となりました。帰り際、旧年度執行部のみんなからです、と、プレゼントをいただきました。みんなの気持ちが伝わります。 ありがとうございます。午後はリモート会議に臨みました。一般社団法人の決算書、前日の公益財団法人の決算書とよく似ていて、説明がよく頭の中に入りました。父母とやりとりをしながら、翌日からの予定がいろいろと代わり、移動の手段等諸々検討をしながらチケットを手配をしました。

 

5月18日(火)

 5/13、水。午後から県教育安全振興会の理事会でした。こちらの組織の会計の内容もだいぶ頭に入ってきました。公益法人の会計スタイルはいろいろな法人の決算書類を見ることがあり、勘所もつかめてきました。この日はわたしの49歳の誕生日でした。午前中には母から電話があり、誕生日だから電話がかかってきたんだと思い電話をとったら、訃報でした。小さい頃からかわいがってもらってきた親戚のおじちゃん、父のお兄さん、がお亡くなりになられました。夜は、おじちゃんとのいろいろな思い出を思い返しながら、お酒が大好きな方でした、一人、献杯しました。寂しいです。

 

5月17日(月)

 5/12、水。午後、次男が通う高校へ。PTA総会が開催されましたが、例年開催している体育館に集まっての開催ではなく、保護者は各クラスに入り、各議案等は放送室から流しました。わたしは別会議があり、冒頭のあいさつだけ済ませ、すぐに車で移動をしました。13時半からは県P連の役員会でした。当面の各行事、総会、総会に向けて評議員会等、昨年、同様に書面での決議となりました。わたしにも当然自分の考えというのはあるわけですが、役員会においてわたしは議長ですし、常に、役員の意見をしっかりと聞くという姿勢で毎回臨んでいます。今回も役員みんなの声を聞き、最終的にはそのように決めました。 終了後、高校のPTA担当の先生と連絡をとり、総会が無事終わったことを確認しました。 会議の開催方法が急遽変わり、事務局が急遽方向転換、慌ただしく業務に取り組んでいました。

 

5月13日(木)

 5/8、(土)。午後から陸上競技協会の理事会、報道等でお知りの方もいらっしゃるかと思いますが、会長、理事長が交代をしました。本来ならば、昨秋に国体が開催され、それに向けてずっと頑張ってこられた方々ですので、そこが花道となるはずでしたが。わたしは引き続き常務理事として普及部長の職を仰せつかりました。

 

5月12日(水)

 5/7、金。(続き)夕刻、自宅に戻り、スーツを脱いで、2階でスチーマーでしゅーしゅーとしわを伸ばしていると、階下から呼ばれます。「お客さんがたくさんお見えです」と。降りていくと、車からゾロゾロと人が降りてきます。PTAの歴代の執行部のメンバーが集まってくれたのです。懐かしい顔ぶれ、お花や、プレゼントや、メッセージカード、温かい言葉とともに次々と手渡され、突然のことで驚くとともに涙を抑えるのに必死でした。みんなの気持ちが伝わってきて、そしていつものようにしばらく楽しくおしゃべりをして、あの時ああだった、こうだった、そして、コロナが落ち着いたら、ぜひ集まりましょうと約束をして別れました。みんなありがとう。

 

5月11日(火)

 5/7、金。午前中は県P連、研究広報委員会、総会に向けて、表彰対象の確認や宣言決議文について。午後は総務委員会、総会に向けて予算、決算の確認でした。会議が終わり、次女が通う小学校に少しだけ立ち寄りました。PTA総会が開催予定でしたが、書面決議となりました。体育館の前でしばらく佇み、11年前、PTA会長に就任した時のこと思い浮かべました。自信も何もなく、自分に務まるのだろうか、自分がやることでたくさんの方に迷惑をかけてしまうのではないか、ただただそんな思いしかありませんでした。まさか11年も会長をやるとは思いもしませんでした。この度、11年間務めたPTA会長職を退任することにいたしました。

 総会も、送別会もなく、ひっそりと終えるのも、これも運命。というのも、わたしが若かりし頃、すべてをかけて打ち込んだのが陸上競技短距離です。27歳まで現役選手として走っていましたが、実業団陸上部の廃部とともに、競技から遠ざかってしまい、ここで現役引退という線引きもなく、なんとなく終わってしまった自分の競技人生は、やりつくした感は一切なく中途半端に終えてしまった挫折感のほうが大きく残っています。状況は違いますがその頃のことをなんとなく思い出してしまいました。

 

5月10日(月)

 5/6、木。手帳には総会資料づくりとあります。PTA総会の開催に向けて印刷した資料を丁合いしていく作業なのですが、人数がいると短時間で終わる作業なので、多くに声をかけて作業をするのですが、このコロナの状況で少人数でやりましょうということになりました。なので、たいへんだろうな心配になり、差し入れをもって少しだけ顔をだしました。元気に笑顔でやっていました。ほっとします。夕方には無事終わりましたと連絡入りました。

 

5月6日(木)

 5/2、日。 記録会は通常土日で開催されるのですが、日月開催と、少し変な感じです。朝はアサイチ役員専用の駐車場係で門に立ちました。外はすごい風です。当然ですが、競技に影響あります。日中は、携帯電話会社で、長男の名義変更手続き、もう大学生ですので、携帯代は自分で払えよ、と、笑。

 5/3、月。昼から記録会を見にいきました。SCCからも男女リレー出場しました。一般の部に中学生も入るいつもの布陣です。練習もろくにできていないだろうにと心配してみましたが、立派にバトンつなぎました。男子は上位に入り驚きました。混成グランプリも2日間、無事終了したようです。

 

5月5日(水)

 5/1、土。NPO法人SCCの年に一度の総会です。1年前、ちょうど緊急事態宣言が明けて、ようやく活動も再開できて、でも、大量に届いた休会届等、精神的にも参っていた時期でしたが、それから1年が経ちました。令和2年度の取組みや決算を理事の皆様に資料を元に丁寧にご説明いたしました。そしてたくさんのアドバイスをいただきました。そして令和3年度の取組み、予算について説明しました。令和2年度は赤字間違いなしという宣言で年度が始まりましたが、結果、各給付金や補助金のおかげで黒字決算となりました。しかし、3年度予算、こちらがこちらこそ赤字間違いなしのプランとなりました。この状況が今後続くのであれば何かしらの方向転換を示さなければいけない、そのような予算です。それらについてもたくさんのアドバイスをいただきました。

 平成12年に創業し、翌13年に法人化をして、20期目の決算となりました。設立総会をのぞき20回目の総会となりました。20回かあー。次は30回を目標にがんばります。総会はやはり大切な区切り、終わると気持ちもスッキリします。新年度スタートです。

 夕方、競技場に顔をだすと、翌日から開催される混成競技のグランプリに出場する選手が練習をしていました。このような全国大会の前日練習の雰囲気、それぞれトップアスリートが独特のオーラを放ちながら、リラックスしている選手もいるし、何やら難しい顔をしている選手もいるし、懐かしいな。初の鹿児島開催となりましたが、選手はそれをどう思ってくれているのかなあ。わたしも選手として全国いろいろなところに行きました。懐かしい思い出です。

 

5月3日(月)

 4/29、木。陸上競技協会の理事会が開催されました。来月の理事会に向けて審議でした。

 4/30、金。午後から次男の高校へ。PTAの理事会とそのまま部活動を支援する別組織の理事会でした。決算や予算をみて、わからないところいろいろと質問をして、この1日で会計のことだいぶ理解が進みました。夕方はそのまま次男の教室で担任の先生と三者面談でした。もう来年の今頃は志望大学をほぼ絞り込んでいる時期です、と。急に卒業後のことが目の前にきたような気がしました。本人は卒業後もレベルの高いところで陸上競技を続けたいという気持ちを持っています。まずは怪我を治して、少しでも良い結果を出さないとね、と話をしました。担任の先生から「ちゃんとお父さんと話をしている?」と聞かれ、お互い、いやー、と言いましたが、その、反抗期の父と息子のようなイメージではなく、子ども4人プラス犬がいて、家の中が常にわちゃわちゃしているような状況で、なので、そういえば、ゆっくり話すことなんてないよなって感じです。

 

4月30日(金)

 4/27、火曜日。手帳には東京への出張の予定が書き込まれてありますが、オンラインに切り替わりました。アサイチで小学校の体育館へ。今年度、PTAの役員にご就任いただいた方にお集まりいただき、研修会を開催しました。わたしは途中で移動をして、公民館で、クラス部長、副部長の皆様と研修を担当しました。グループワークを実習しました。昨年はこの研修会が開催できず、そうなると、できなくてもやれたよね、という声になるわけです。しかし、実際やってみると、 改めていろいろな気付きがあり、気持ちも改まり、やはり開催したほうがよいと感じました。 そのまま理事会を開催し、総会に上程する議案について協議をいたしました。表彰対象の方々、本来ならば総会で表彰をするのですが、今年度は時間短縮で、この理事会で表彰いたしました。スピーチがいつも、心に沁みます。もっとたくさんの方に聞かせたかったです。午後はオンラインで日本PTAの会議に参加しました。

 4/28、水。午後から九州の高等学校PTAの広報紙コンクールの審査に参加をしました。本来なら九州の委員長もお越しいただくのですが、沖縄の方で、往来自粛のため、参加できませんでした。各県から選出された広報紙を既定の審査基準に基づき、審査をしましたが、各県によってけっこうはっきりレベルに差があるので、その理由がなんなのか、各県の研修スタイル等、少し調べてみたいと感じました。そのまま事務局で決裁を済ませ帰宅しました。

 

4月28日(水)

 4/24、土。午後から市P連の理事会でした。5月の総会に諮る議案についてでした。終了後、市教委より事務補助の制度の件で説明がありました。本件は、わたしが市P連の役員を務めていた頃から、この問題について何度も指摘をし続け、もっと言えば、わたしたちの先輩方も指摘をし続けてきたことです。その説明について手を挙げて発言しようかなと思ったところもあったのですが、控えました。後日、市Pの役員に話をしたいと思います。終了後、競技場へ。記録会を終えた次男と帰宅をしました。怪我で不出場です。

 4/26、月。本来のスケジュールは、午後から6月開催予定の九州高等学校PTA大会鹿児島大会の会議が入っていて、冒頭あいさつだけ済ませ、移動をし、別会議に出席という予定になっていましたが、大会が中止になりましたので、会議も急遽中止となりました。で、その別の会議とは、昨日の新聞にも出ていますが、高校生の就職に関する検討委員会です。高校生の就職は大学生とは違い、一人一社制といって、学校と企業と生徒が協議を続けながら、1社に絞りながら内定を得る形です。このスタイルを今後どう考えていくのか、いろいろなところで投げかけはなされています。また離職率の高さも、1つの問題として掲げられていますが、それらを複合的に考え、高校生にとって望ましい就業とは何か、考えていく必要があります。

 

4月26日(月)

 4/21、水。午前中は小学校PTAの三役会、決算、予算等、次週の理事会に諮ります。ここから総会までひと仕事です。夕方は、前日の続き、ニュースをみました。

 4/22、木。午前中は運営委員会、午後は、経営計画発表会、といって、わたしの年に一度の一番の仕事です。今年度の経営計画、NPO法人としてどのような方向へ進むのか、40ページ近い計画書を作成します。その後、GM、事務局長と意見交換をしました。終了後、家庭訪問、今年の家庭訪問は玄関先でした。夕方は来客で、陸上競技のトレーニングについての相談でした。なんだか久しぶりにがっつり、競技のマニアックな話をしたような気がします。

 4/23、金。午後から県P連役員会でした。こちらも総会に向けて。まず、集合開催としてやる、やらない、もちろん、やるです。県内各PTA、昨年書面開催をしたことで今年も、というバイアスがだいぶかかっているように感じます。このような会議体自体は、国会や各自治会の議会、会議が開催されているように、感染症対策を施せば、開催するほうが良いと考えます。令和2年度の決算も確定しましたが、だいぶ歪です。早く正常に戻りますように。

 

4月23日(金)

 4/20、火曜日。午後から県教育安全振興会の会議、そのまま県P事務局に残り、夕方から九州高等学校PTA連合会の臨時理事会がリモートで開催されました。6月開催予定の九州高等学校PTA大会鹿児島大会の開催について、最終判断をするための臨時の会です。わたしが議長を務めました。結果、中止の声が相次ぎ、またそれについて異論も出ず、中止(書面開催)が決定しました。最後に採決をする時は思いが溢れ、涙がとまりませんでした。2019年夏に準備委員会を立ち上げ、以来1年8カ月にわたり、準備を重ねてきました。このような結果になり、たいへん残念です。しかし、1年8カ月かけて議論を重ねてきたことは無駄なことではありませんし、その前の2018年の九州PTA鹿児島大会から含めると計4年間にわたり、PTAの九州大会開催について協議してきました。このような連合会は全国でも唯一鹿児島だけであり、このプロセスは何より尊かったなと感じます。これをまたこれからのPTAにしっかりと活かしていきます。

 感極まり、会を終えた頃から、携帯がピコピコ鳴り始め「よ、ミスターPTA」よ、「ミスターPTA会長」というメールが届きます。なんのこっちゃと慌てると、今日から2日間に渡り、鹿児島のテレビ局がPTAについての特集を放送することを思い出しました。ということで、1日目は見逃してしまいましたが、2日目にわたしが登場するということでしっかりとみます。

 

4月22日(木)

 4/19、(月)。午後から姶良へ。警察学校でランニング指導でした。平成26年から、当時の安山校長先生からお話をいただき、わたしが新入生にランニングの指導をするようになりました。もう、7.8年になるんですね。毎回、フレッシュで、キビキビとした生徒さんたちに逆にわたしが元気をいただきます。夕景の中、山間いを車を走らせ帰宅をしました。

 

4月20日(火)

 4/17、土。沖縄からアサイチの便で戻る予定でしたが、普段通り鹿児島。夕方から県陸橋の常務理事会に出席をしました。主に新年度に向けて。

 4/18、日。前日に続き、記録会2日目。アサイチ駐車場係でした。陸上だけでなく、テニスや野球も運動公園内施設で開催で、それぞれ3競技団体の役員さんが入ってくるのをコントロールしつつ、その合間に、しれーっと入ってこようとする一般参加者や保護者をストップするお役目でした。陸上の役員の方は顔を見ればだいたいわかるのですが、今は、マスクをしていて、どなただろーと識別するのにタイヘンです。次男は走幅跳、怪我により出場できませんでした。チームメイトや中学時代のライバルが良い結果を出しました。焦らずじっくり治してほしいと思います。

 

4月19日(月)

 4/16、金。手帳には沖縄とあります。出張の予定が入っていて、チケットの手配も済んでいましたが、沖縄がまん延防止なんとかの対象地域となり、往来自粛要請がでましたので、急遽キャンセルとなりました。リモートでの会議となりましたが、準備期間が短かったせいか、回線や音声等の状況が悪かったりして、満足のいくような議論ができませんでした。リモートの良さ、便利さを感じた1年となりましたが、やはり、1つの部屋に集まり、お互いの顔を見ながら議論をすることの大事さも感じました。つまりはどちらかということではなく、上手く使い分けながらやっていくことがこれからは大切になると思います。今週もリモート会議の予定が入っています。会議終了後、競技場へ。クラブの練習を見ました。

 

4月16日(金)

 4/15、木。午後から学校へ。中学年の学級PTAでした。次女のクラスの学級PTAに参加した後、各クラスを回りながら、役員選出の様子を見て回りました。夕方は市内某ホテルで開催された社会奉仕団体の例会にお招きいただき、SCCの活動について、講演をさせていただきました。経営者の皆様でNPO法人の経営スタイルに皆さん興味津々のようでした。このような機会もこの1年間ぐっと減ってしまいましたが、少しずつ呼んでいただけるようになりました。

 

4月15日(木)

 4/14、水。午前中から会議室に入り、県P連の期末監査を実施しました。監事の方々にすべての会計の帳票や書類、通帳等を確認をしていただきます。時間はお昼をはさみ16時まで準備をしてありましたが、午前中ですべて終了しました。監査総評でいくつかご指摘いただいたところについても真摯に踏まえ、今後の適正な執行または県P連運営に努めてまいります。

 午後は学校へ、5.6年生の学級PTAでした。6年生が一番ナーバスになります。つまり、6年間で一度は役に就いていただくという「きまり」になっているのですが、一度も役に就かないまま、最後のこの学級PTAにも来ていないという方。その方に何らかの役に就いていただくということになるのか、何かしらご事情があられるのだろうから、やれる人がやりましょう、となるのか。できれば後者になってほしいのですが。そうならないこともあります。今回もいろいろとありましたが、なんとか…。

 そういえば、1年前、全国的には地域を限定した緊急事態宣言が出され、感染が広がっていた時期で、ほとんどのPTAがこの学級PTAをとりやめる中、うちはを開催して、わたしにも、こんな時にやるのか、といったご意見が入り、たいへん緊張をしながら開催をしたことを思い出しました。各学級PTAを回りながら、校内をぶらぶら歩いていると、初任者研修担当の先生が変わられていて、元校長先生ですが、よくご存じの方で、この学校の卒業生ということも存じ上げていましたので、第1声が「母校へ、おかえりなさい!」でした、笑。とっても素敵な方です。

 

4月13日(火)

 4/12、月。金曜日にまん延防止なんとかかんとかが発令され、この日から適用とのこと。早速、アサイチで県P事務局とやりとりをし、沖縄と東京への出張をどうするか、キャンセルできるのか、料金のこと、諸々情報を整理してくださいと伝えました。出張がすっかりなくなり1年、そして結果、今月のそれらの出張2件もキャンセルとなりました。結局、九州各県の会長さん、1年間一度もお会いしなかった方もいます。夕方、次男が「坊主にするからバリカンを準備してて」というので、髪が散らばって面倒くさいので1000円カットで切ってこいと言いました。そして丸坊主になって帰宅してきました。何をやらかしたのかと心配しましたが、今週末から記録会が始まるので、先輩たちと一緒に気合を入れたんだと。現在、故障中で練習も積めていない状態ですから、気合だけ空回りしないように気をつけてください。まずはケガを治して。

 

4月12日(月)

 4/8(木)、午後から県P事務局へ。3月末で会計を閉じ、総会に向けて期末監査を受けるのですが、その前にわたしもすべての帳票を含む、収入支出の書類すべてに目をとおし、印鑑を押します。こうして何度かこのような作業を繰り返すうちに、県P連の事業のこと、会計のこと、自然と頭の中で理解ができるようになります。でも、ずーっと数時間数字を見るわけで終わる頃には頭がぼーっとしてきます、笑。終了後、決裁まで済ませ帰宅をしました。

 

4月9日(金)

 4/5、月。午後から九州地区高等学校PTA連合会、事務局長の会が鹿児島市内のホテルで開催されました。各県の局長が集まる会ですが、わたしは今年度、連合会会長を仰せつかっており出席をしました。6月に開催される九州大会に向けて、各県からいろいろな意見が出ました。会食は控えさせていただき、夕方のネオンが灯りはじめる時間帯にとぼとぼと帰路につきました。せつないなあ。

 4/6、火。小学校の入学式。昨年は祝辞もなく出席だけだったのですが、今年は、祝辞をお願いします、短いバージョンで、という依頼がありましたので、最短の2分切りの祝辞でした、笑。いつもいつもかわいい小学1年生です。小3の娘は新しい教室、新しい担任の先生です。例年ならこのまま児童クラブ入所式、午後から中学校の入学式と続くのですが、どちらも昨年に続き出席なしです。事務所に戻り、昨日から2日にわたり、テレビ局から取材を受けてきて、最後にじっくり記者さんとPTA活動について、インタビューを受けました。

 4/7、水。高校の入学式。2日続けての祝辞です。今年初めて、高校の卒業式、入学式で祝辞を述べましたが、高校生に話す内容については、またまた難しく、けっこう悩みました。昨年の次男の入学式から1年が経ったかあと。とにかく入学式の後は、いろいろな買い物があり(体操服等)、くたくたになって帰宅したなあと。夕方その次男が外科病院で診察を受けました。3月に入り、怪我がでて、よく練習ができていません。まぁ今まで冬季練習らしいことやったことありませんから。それが県下一番ハードなトレーニング量をこなす学校の冬季練習を初めての冬季練習をやったわけですから。食事や身体のケア等まだまだ未熟です。

 

4月8日(木)

 4/1、木。午後から副理事長を務める教育安全振興会の内部監査を実施しました。会費や共済事業での怪我事故の状況とお支払いの状況等について各書類を元に1つ1つチェックをしました。夜、なんと、夕食を作る気がおこりません。美味しいものをつくったとしても、県外に行ってしまった長男はそれを食べることができないし、また、ちゃんとお腹いっぱい食べることができるのだろうか、そんなことを考えると自分たちだけが美味しい夕食を食べるなんて、、いやいや、親心って繊細です。

 4/2、 金。午後から県P新聞の編集委員会でした。途中事務局に来客があり、年度代わりのご挨拶ということでした。某報道関係の方から取材の依頼が入りました。PTAに関してです。4月のこの時期のPTAへの取材というのは、勘のするどい方はおわかりかと思いますが、素直に喜んで受けられるような内容ではないかもしれないということはわかっていました。ただ、わたしはこの手の取材がきたら絶対に受けて、PTAの活動の意義、メッセージしっかりと伝えたいと決めていました。

 

4月5日(月)

 3/31、水。この日が来てしまったかと。嫁さん、起きるなり、もう泣いています。長男が大学進学のため、この家を出ます。18年前、わたしたち夫婦の初めて子どもとして産まれ、以来、わたしたちも親としてすべて初めての経験を重ねてきました。この「旅立ちの春」も初めての経験です。10時過ぎに家を出て、部活の次男以外、長女次女もいっしょに空港に向かいました。空港に着くなり、キャリーバッグが壊れ、この先を案じます、笑。 搭乗ゲートで別れ、飛び立つ飛行機までデッキで見送りました。窓側の席で、手を振るわたしたちのこと、しっかりと見えたそうです。

 夕方は県P事務局に向かいました。本日付けで退職の職員の辞令を申し述べました。3年間、会長と局長として二人で歩んできました。3年間のいろいろな思いがよぎり、涙が溢れてきました。泣きっぱなしの1日となりました。

 長男、寝具が届くのは翌日ということで、この日は寝袋で寝たのだそうです。とにもかくにも、一人暮らしの新生活が始まりました。寂しさとほっとした気持ちと入り混じる複雑な気持ちです。

 

3月30日(火)

 3/28、日。朝は早くに目覚めて、外の様子を、そこまで強くは降っていません。雨雲の動きをネットで調べます。昨日、昼頃の予報では正午くらいには晴れてきそうな予報になっていましたが、よくわからない感じになってきました。30分ほど軽くトレーニングをし汗をかき着替え朝食を食べ準備をして外出。「第20回50mダッシュ王選手権」です。競技場に着き、まず、テント設営、PTA活動11年、毎年、運動会、バザーでたくさんのタイプのテントと格闘してきた経歴が活かされました、笑。テントを立ち上げ、すでに汗と雨でびしょ濡れ。9:30スタート開会式が終わった後はなんとか小降りになってきましたが、まったく油断ならない天候で、雨雲の予測がつきません。結果的には開会式の時がMAXで、その後の競技進行時はそこまで強く降らなかったのは幸いでした。雷の予想も出ていたので、緊張をしましたが、そのような強い雨雲はなく、無事、1日が終わり、ほっとします。朝早くからお集まりいただいたボランティアの皆様、参加者の皆様、応援の皆様、感謝申し上げます。

 

3月29日(月)

 3/26、金。午後から学校へ。昨年もでしたが、転退職の先生方と送別会ができませんので、体育館にシートを敷いて茶話会を開催しました。それぞれ先生方、お仕事の合間に顔をだしていただき、いろいろな話に花が咲きました。お世話になった教頭先生もご異動です。先日発表になった教職員の異動の一覧に教頭先生としてお世話になった方々がその後校長先生になりこの春で退職とでていました。もうご退職かあ、と。PTAと関りはじめ、突っ走ってきましたけど、もう10年以上の月日が流れています。時の流れを感じます。

 3/27、土。日中は半袖で過ごせるほどの晴天、でも、心の中は鬱々とします。翌日にイベント控えていますが、予報は雨100%。その雨がどの程度のものなのか、どの時間帯に降るのか、何度も天気予報を見ては、刻々と変わる状況に一喜一憂します。

 

3月26日(金)

 3/24、水。穏やかな春の日差しの中、小学校の卒業式でした。昨年の大混乱の中での寂しい哀しい卒業式から1年、そして今年も来賓は大幅にご遠慮いただき、わたしと教育委員会の方のみ、在校生の出席はなし、保護者の入場制限も設け、内容も簡略化、歌も演奏のみという式でした。先生方の今の精一杯が伝わってきましたし、わたしも短いメッセージの中で、明るい未来に向けて、今の気持ちを伝えました。終了後、校長室で次年度の件で打ち合わせがあり、昼からは県の助成委託事業の説明会、20分ほどで退席をし、安全振興会の用務で、理事長の代理で、共済事業でお世話になっているドクターや弁護士の皆様の年度の切り替わりのご挨拶回りに伺いました。最後は県P事務局でたまっている決裁を済ませました。

 3/25、木。午後から育英財団の会議。終了後、県教委の某部署に長男が中学時代3年間お世話になった先生がいらっしゃって挨拶に伺いました。3月末でご異動とのことでした。帰ろうとしていたところ、携帯がなり、その会議で名刺交換をしたばかりの方で、ちょっといろいろと話がしたいということで、急遽お伺いすることになり、県内の教育環境のことについて意見交換をさせていただきました。帰りが遅くなりました。

 

3月25日(木)

 3/21、日。午前中は前夜に続き、一人事務所にこもり、50mダッシュ王選手権、プログラムの作成業務。午前中で仕上げ、午後は、次女のダンス教室の発表会が開催され、見にいきました。

 ダンス教室に通い始めて半年、週に1回、わずか60分のレッスンでここまで踊れるようになるものだと、関心いたしました。また、元気よく踊る皆さんを見ているだけでこちらも元気を分けていただいたように思います。このようなイベントが少しずつ開催されるようになり、社会が少しずつ正常に戻りつつあることが感じられ、ほっとします。1年前の今頃は、ウィルスの正体もよくわからず、苦しかったです。少しずつ少しずつよくなりますように。

 3/22、月。午前中は印刷会社の方と打ち合わせ、前日に仕上げたプログラム原稿をお渡ししました。昼からはカーディーラーで車の点検とオイル交換。オイル交換をすると、気持ちがスッキリします。夕方は理事を務める法人の幼稚園の運営についての理事会が開催されました。

 3/23、火。午前中は、こちらは県P会長の充て職として監事を務める法人の理事会でした。県内の高校生や大学生への奨学金制度の運営をしている法人です。午後はPTA会長を務める高校へ、次年度事業の向けて三役会でした。自分で書いててもあっちゃこっちゃいろいろな肩書き、笑。会議、終わると、ちょうど部活動が始まっていて、次男の練習の様子、少し見ました。1年前、高校入学時、体重53キロが、現在61キロ。しっかりとした身体つきになってきました。でも、腕相撲はまだ負けません。

 

3月22日(月)

 3/19、金。午後から事業計画発表会。ゼネラルマネジャー、事務局長、それぞれから今年度の総括と次年度の計画について発表してもらいました。これを受けてわたしが次年度の経営計画を立てます。

 3/20、土。午前中は陸協の理事会でした。事務所に戻り、50mダッシュ王選手権の番組編成を1時間ほどでぶわーっと組んで、次女をダンス教室に送り、戻ると来客、再び次女を迎えにいき、再度、プログラムの編成作業。少しだけクラブの練習に顔をだして、夜は一人事務所にこもり編成作業を続けました。

 

3月19日(金)

 3/16、火。午後から市のスポーツ推進審議会が開催される予定でしたが、前日に電話があり、延期となりました。予定が空いたので、学校へ出向き、PTA会計の監査前に収支簿すべてに目を通し印鑑を押しました。

 3/17、水。午前中は姶良にある県学校給食会の評議員会、お隣に座られたのは某町の教育長さんですが、わたしがPTA会長になった時に校区の中学校の校長先生だった方です。久しぶりの再会でした。新聞報道等でご存じの方も多いかもしれませんが、福岡市の件、気になります。午後は安全振興会の審査会、理事長不在で代理で進行役を務めました。終了後、決裁をしました。

 3/18、木。午前中は運営委員会、各事業の進捗状況を協議しました。午後は予定していた会議がこちらも延期になりました。50mダッシュ王選手権、今月28日開催予定ですが、申し込みが締め切られました。ほぼ想定通りのお申し込み数をいただき、ありがたいことです。今年が20回大会で、節目の大会となりますが、何かそれなりのことをしないといけないのか、どうか、考え中です。

 

3月17日(水)

 3/15、月。午前中はお客様、鹿児島高等特別支援学校の生徒さん4名と担当の先生1名がお越しになられました。なんと、SCC号の洗車をしてくださいました。就職のための技能実習の一環で、身に着けた技術を実習として活かしたいということです。PTAつながりでいただいたお話ですが、たいへん、ありがたく、2時間半ほどかけてピッカピカにしていただきました。また作業にあたられる真摯な姿も素晴らしく、その姿を見ているだけで、わたしの心が洗われました。午後から6月開催の高校PTA九州大会鹿児島大会の役員会でした。開催まで3ヵ月という段階まできました。

 

3月16日(火)

 3/14、日。鹿児島市内にある自宅から1時間ちょっと車を走らせました。告別式に参列しました。PTAの会員様がお亡くなりになられ、PTAを代表して参列しました。言葉がみつかりません。子どもたちもまだ幼く、突然の別れをどう感じているのか、奥様、ご家族も、その辛さ、推し量ることもできません。心からご冥福をお祈りいたします。競技場では記録会が開催され、次男も出場予定でしたが、脚に違和感あり、棄権をしました。

 

3月15日(月)

 3/11、木。昼から県教委の会議、国のGIGAスクール構想に伴うもの。4月から一人一台端末の教育環境がスタートしますが、良い活用をいかに家庭に広げていくか。PTAとしては子どもとインターネットやスマホの関係について、非常にシビアに考えてきました。いろいろなトラブルを起こすものなので、極力遠ざけておきたいと。しかし、もうそんなこと言っていられません。問題の本質は何か、スマホの長時間利用による、基本的生活習慣の乱れやネットトラブル、つまり、問題の本質はもう持たせる持たせないではなく、つまり、冒頭記しているように、学校で良い使い方を習うわけですから、それを家庭で更に活用する、そういう良いスパイラルを生み出すよう、教育委員会とPTAと一体となった取り組みが必要です。

 3/12、金。午前中は学校のPTAで新年度の役員が内々で概ね決まってきていて、もちろんこれからの理事会や総会でご承認をいただかないといけないことですが、新旧のメンバーが引継ぎも含め、顔合わせをしました。午後は、県教育安全振興会の評議員会でした。いったん、自宅に戻り夕食をつくり、夜はクラブの練習をみました。4月からの新居を探しに、2泊3日で、長男と家内が不在にしていましたが、この日、帰ってきて、ほっ。料理、洗濯、掃除、3日間、がんばりました。

 

3月11日(木)

 3/11、木。昨日は、夕方からセミナーに参加しました。自ら申し込みをしました。動画配信のセミナーです。講師の先生、某企業の動画配信の担当となり、最初はまったくの素人で、普通のPCでのZOOM配信から始まり、次から次へと課題がみつかり、それに対応する中で様々なやり方を試し、WEBカメラを一眼レフへ、手作りプロンプター、手作りグリーンバック、マイク、複数カメラ、画面合成、音声ミキサー、次から次へと新しい手法に取り組んでいったその過程をリアリティたっぷりにお話され、たいへんおもしろかったです。

 

3月10日(水)

 3/8、月。国際女性デイ?ということで、夕食づくりはわたしが担当しました。月曜なのにフライデイ!まっ茶色。

 ささみしそカツ。チキンナゲット。フライドポテト。からあげ。何のパーティ?ではなく、高校生男子2人がいる6人家族ですから、普通にこれくらいのおかずが必要です、笑。

 3/9、火。サンキューの日。午前中は確定申告。年に一度のこの業務、つくづく面倒くさい。毎年やり方が変わる、ついていけない。昨年はうまくいかず、最後結局、紙で税務署に提出しました。でも、面倒くさいことは大事なことなんです。ということでとりかかりました。今年は比較的順調にできて、最後のマイナンバーカードの読み込みのところでうまくいかないところがありましたが、2時間ほどで完了しました。はい、今年も追徴です。

 

3月9日(火)

 3/7、日。陸上競技協会の審判講習会でした。2021年度ルールの修改正について講習を受けました。毎回、A3判の小さい文字いっぱいの紙資料を読みながらの講習でしたが、今回はパワポ資料も大きな画面で併用されていてポイントを抜き出してあり、説明もたいへんわかりやすかったです。18年くらいずっとスターターをやってきたのですが、この審判業務との関わり方もどのようにするべきか。審判業務は朝7時過ぎから夕方まで丸一日を費やします。なかなかこのようなかかわり方ができなくなってきました。性格上、やるならしっかりやりたいし、でも、できないのなら中途半端なかかわり方はしたくないのです。鹿児島国体まではなんとかと思ってやってきましたが、延期になった今、どのようにすべきか悩んでおります。

 

3月8日(月)

 3/5、金。午後から県P連の役員会でした。GIGAスクールに伴い、4月から小学校中学校は児童生徒に1人1台端末の環境がスタートしますが、もし、我が子が壊してしまった場合、その補償はどうなるのか、県P連の保証制度はどのように対応できるのか、役員間で情報を共有しました。終了後は、事務局で、書類の決裁がたまっていて、ひたすら内容に目を通し印鑑を押しました。夕方はクラブの練習をみました。少しずつ練習の強度が量→質に切り替わってくる頃です。

 3/6、土。午前中は県陸上競技協会の常務理事会、9時からたっぷり3時間、昼まで協議をしました。家に戻り、がーっとトレーニング。トレーニングの合間のインターバルを使ってはあはあ言いながらパソコンで仕事。わたしの仕事はトレーニングの隙間か?再度着替えて外出、午後は市P連の理事会でした。わたしは今は役員ではないので、イチ参加者としてフロアで議論のやりとりを聞いていたら、キラーパスが飛んできて、久しぶりに市P連の理事会でマイクを握りました、笑。予定していた時刻よりも少し早く終わり、そのまま競技場へ。北海道からクラブの練習を視察させてほしいと依頼がありこの日でした。30分ほどでしたがお会いすることができました。

 

3月5日(金)

 3/2、火。夕方から市P連の会議でした。

 3/3、水。愛犬ラテくんが我が家にやってきて丸1年が経ちました。あの休校がきっかけでおうち時間がみんなの癒しになればとペットショップから連れて帰ってきました。あれがなければ今頃どこでどなたに飼われていたのか、もう我が家にとってはかけがえのない存在です。最近はブラッシングの時間がわたしの癒しの時間となっています。毛がほつれていく感じがたまりません。

 3/4、木。午前中は来客が2組2名、1組目は某高校の先生で、生徒への職業訓練プログラムについて、もう1組は、明日の会議の下打ち合わせでした。午後は市役所の支所でマイナンバーの更新手続きを行いました。郵便物が送られてきて、それを読んでも何をしないといけないのかさっぱりわからなくて、とりあえず持っていけばよいものをもって窓口にいき、手続きは待ち時間も含め15分ほどで終わったのですが、混雑もしていない時間帯だったので、まったく意味がわからなかったチラシの中身についていろいろと質問をしましたけど、よく理解できませんでした。嫌な市民?とにかく5年に一度はこうした更新の手続きをするらしいのですが、5年後はそれはそれで、またスマホでできたりとかどんどん変わっていくだろうし、そういえばマイナンバーの前に住民基本台帳カード?とかありましたけど、あれも結局どうなったんですか。

3月4日(木)

 3/1、月。アサイチで次男が通う高校へ。卒業式です。PTA会長として祝辞があります。昨年4月、次男の入学と同時にPTA会長に就任しましたが、会議や行事は軒並み中止や書面開催が続き、6月くらいの役員会に出席したのが1回目、ある契約をするのに書面にわたしの印鑑が必要なところがあり2回目、そして今回と、PTA会長として学校を訪れるのは3回目です。なので、祝辞の内容を考えるのに今までで一番苦労したかもしれません。でも、3年生と同い年の長男のことも思いながら、文面を仕上げました。時間は4分。スピーチや挨拶をするのに実は時間には気を使っています。普通の会議であれば2分以内、こういった式典のあいさつは4分以内。長すぎず短すぎず、を気をつけています。で、無事、大役も終え2日にわたるそれぞれの卒業式、無事終了しました。

 

3月3日(水)

 2/28、日。アサイチで次男を部活で駅まで送り、長男を学校まで送り、続いて、家内を学校まで送り。自宅に戻りふう〜と少しゆっくりしてからスーツに着替え、長男の学校に向かいました。長男の高校の卒業式でした。このコロナで出席は1家庭保護者1名のみということで、わたしは留守番でしたが、終わる頃に体育館前で出待ちをしました。胸にコサージュをつけた長男が、晴れやかな表情で、体育館後方から出てきた姿を見た時は、少し涙腺が緩んでしまいました。彼にとってどんな3年間だったのだろうか。まだ振り返るには早過ぎるので、もう少し大人になったら、お酒でも飲みながらゆっくり話をしてみたいなあ。そのままクラスメイトと一緒にご飯食べてくると、わたしたちは寂しく二人で帰宅しました。卒業おめでとう。卒業式は終えましたが、まだ大学入学試験も残っていますので、今も毎日学校に行っています。制服姿の見納めは今週末くらいになりそうです。

 

3月2日(火)

 2/26、金。昼から県P広報紙コンクールの審査会でした。冒頭あいさつでもお話したのですが、広報紙コンクールといえば、忘れもしません、1年前です。木曜日の夜に全国一斉休校要請が出され、その翌日金曜日の午後です。会の途中で文科大臣の記者会見が始まり、一言一句聞き漏らすまいと、廊下でアイフォンを耳に押し付けて聞き、また、LINEでは県内各地の市町村教委の対応状況が刻々と入ってきて。その夜は、自宅に戻ると、いろいろな思いがよぎり涙がこぼれました。あれから丸1年が経ったんだなと、そして未だなお、ウイルスとの戦いは続いています、そんなこと誰が予想しただろうか、そんなことを思いました。で、今年はまた別のことでヒヤヒヤすることが起こりました。国公立2次試験で県外にいる長男から「飛行機飛ぶかなあ」とLINE入ります。空港HPを見てみると、この日の強風の影響で午前の便からけっこう欠航(ダジャレではありません)になっています。夕方の便も欠航と表示されています。おそらく午前の飛ばなかったことで、機体が無いのだと思います。つまり、長男が乗る昼過ぎの便だけが飛ぶか飛ばないか微妙なのだと。とりあえず搭乗が始まり、条件付き出発となり、飛んだは飛んだようで。無事鹿児島に着くかなあと不安に思いながら空港に迎えにいきました。が、無事、帰還しまして、ほっとしました。

 

2月26日(金)

 2/24、水。昼、長男を空港に送りました。国公立大学2次試験です。ガンバレと見送りました。帰路、で、自分はいったいもう何か月飛行機に乗っていないかなあと考えました。1年前の2月は10回近く出張がありました。午後から総合型地域スポーツクラブ全国組織の総会にオンラインで出席をしました。1画面16人映るのですが、数えたら9画面ありました。でもさすが日本スポーツ協会、仕切りばっちりでした。終了後、18時半からは別会議、こちらもオンラインで参加でした。鹿屋市で開催されたPTA関係の会議に、当初は来てほしいと言われていたのですが、昼のオンライン会議があったので、こちらもオンラインでの参加となりました。音声がなかなか聞き取り辛く、ボワンボワンとしか聞こえない中、ところどころわたしに質問がきて少々困りました。 見当違いなこと言っていなきゃいいのですが。20時過ぎに終わりました。懐かしい方と画面越しに再会しました、笑。

 2/25、木。昼から「業務マニュアル発表会」を開催しました。弊法人も設立から20年を数え、それぞれが責任をもって主体的に業務に取り掛かってくれていますが、故に、それぞれ各自のペースで業務にあたり、自分にしかわからない、つまり周りからは見えない業務というのが増えます。業務が属人的になると言いますが。大きな企業や組織はそれを人事異動をいう仕組みで人が変わっても業務は残る仕組みを作っていけるのですが、零細企業にはそんなことできません。なので、自分の業務マニュアルをつくり発表合うということに数年前から取り組んでいます。その上で、意見交換をし、そこはもっと見える化したほうがよい、とか、様々ディスカッションします。

 

2月25日(木)

 2/22、月。午前は学校で2つの会議、学校評議員会、学校給食委員会でした。終了後すぐに移動をして、某所で打ち合わせでした。

 2/23、火。午後から月次決算の会議でした。1月の数字をチェックします。それと年度の1月までの数字がでましたので、つまり10/12の数字がでました。今年度の決算がおおよそこれくらいというのが見えてきます。今年度コロナでまずは単年度赤字は覚悟して執行をしてきて、それがどこまで膨らむのかという視点でずっと見てきましたが、それがそうでもなく、というのも持続化給付金はじめ、各種補助制度が次から次へと出されましたので、それが欠損分を埋めてくれています。が、本体の収益を生み出す部分については、コロナ前には戻っていませんので、つまり、今年度より来年度のほうが影響が出そうな感じになってきました。んー。

 

2月24日(水)

 2/21、日。アサイチで学校へ、愛校作業を開催しました。愛校作業といえば、夏休みの定番行事ですが、夏は夏で開催しているのですが、数年前から6年生と6年生保護者だけは別にこの時期に開催しています。卒業を控えたこの時期にお世話になった学校へ感謝の気持ちをもって綺麗にして卒業しようとことです。今年もたくさんお集まりいただきました。ありがとうございます。

 わたしもこのシンクを担当しまして、全力で磨きました。ピッカピカ!我が家もこうしなきゃ。

 終了後、競技場へ。全5回開催をしてきたトップアスリート陸上教室、最後でした。鹿児島銀行倉岡さん、長距離のトップランナーです。所属先を鹿児島に移し、今、少しずつ調子をあげているとのことです。自身も鹿屋のジュニアクラブで育ってきたこともあり、このような教室は懐かしく、たいへん楽しかったとのことです。わたしもジュニア時代から面識があり、久しぶりにいろいろな話ができました。ますますの活躍を期待します。ありがとうございました。

 

2月23日(火)

 2/19、金。午後から教育安全振興会の審査会でした。いろいろな怪我やそれらに基づく後遺障害等の状況報告をいただくのですが、症状がひどいようなケースはぐっと心が重くなってしまいます。

 2/20、土。手帳には「県P連70周年記念式典」と書かれ、上から取り消し線が描かれてあります。予定では鹿児島県P連25年ぶりの周年記念行事を開催することになっていました。不思議な組織で「45周年」の時に式典を開催していて、50周年、60周年も開催されていないのです。なので、70年の時はきちんとやりましょう、と準備を重ねてきましたが、コロナで延期ということになりました。来年度には「70周年プラスワン式典」として開催できますように。

 昼から伊集院の陸上競技場でスタッフ陣で打ち合わせ。わたしが担当をする陸協主催の県小学生の練習会です。例年は1泊2日の合宿形式でやるのですが、宿泊は控えた方がよいということで、半日の日帰りでの開催となりました。5.6年生の県大会等で優秀な成績をおさめた子たちに集まってもらって開催します。特に6年生については、中学進学後の自分の競技生活について、分からないことや不安もあると思うので、同じように感じている同級生の仲間や中体連の先生方と接点をもってもらうことも目的としています。

 終了後、部会を開催しました。今年度の総括と来年度について協議をしました。

 

2月19日(金)

 2/17、水。午後から日本PTAの会議がオンラインで開催でした。たいへん音声が聞きづらく苦労いたしました。13:30から17:00まで。ふう〜。

 2/18、木。午前中は運営委員会、午後は県学校保健会の会議でした。会が始まる前、少し早めに着いたので、県庁最上階にあがり、雪景色の桜島を眺めました。長男を迎えに学校へ。大学受験、私立学校の受験の結果が出揃いました。夕方、来客1組2名でした。

 

2月18日(木)

 2/16、火。午前中は、県教委の会議、学校部活動の今後に関する委員会でした。今後、週末の活動を中心に学校部活動を地域部活動という形態に移行していく取組が進みます。もう20年以上も前、この総合型地域スポーツクラブの存在の議論自体が、学校部活動を地域へというのが議論の元々ですから、わたしの中では、そんなに違和感のないというか、ずっといろいろな方と議論をしてきたことで、そう簡単なことでもないし、でも良い着地点を見出さないといけないことだし、なのですが、初めてこのことを聞いた、もしくは議論をする方にとっては、大きな革命というか、ショックは大きいもののようでした。

 午後から県P連の評議員会でした。次年度の計画や予算をご審議いただく、ポイントとなる会です。すべての議案について賛成多数で通していただきました。ほっとします。続いて夜は市PTA連合会の会に出席をしました。

 

2月17日(水)

 2/13、土。日本スポーツ協会主催で、九州の総合型地域スポーツクラブの集まりが年に一度開催されるのですが、今年度は開催できず、その代替としてこの日オンラインで開催されました。ホストは長崎県です。この状況下、いろいろと趣向を凝らし準備をしてこられたことがよくわかり、よくここまでのものを作り込んでこられたなと感心しました。最後に司会の方が「お忘れ物がないように」と言うので、そこはきっりち突っ込みました。終わり次第、鴨池に向かい、クラブの練習を見て、次男と帰宅。次男が「シューズがみたい」というので、スポーツ店に寄ると、シューズもですが、幅跳のスパイクが、、とか、短距離のスパイクが、、とか、まぁ消耗品ですし、大切な脚を守ってくれているものですから、決して安くはないのですが、そこは惜しまずお金かけなきゃね、と。

 2/14、日。全5回を予定しているトップアスリート陸上教室の4回目でした。講師は大村美香さん、ハードルの選手で昨年、約30年ぶりの県記録を更新した選手です。とてもわかりやすく、笑顔で指導をしてくださいました。ありがとうございました。

 

2月15日(月)

 2/12、金。午後から市内某ホテルへ。九州高等学校PTAの理事会が開催されました。本会議は、初の試みとしてオンラインとリアルのハイブリッド方式で開催をいたしました。一度だけ別の会議でこの方法で会に出席をしたことはあるのですが、主催者側としては初の試みで、どんなハプニングが起こるのかもまったく想定もできず、ドキドキしながら参加をしました。ハウリングが難しいんだいうことを伺ったことがあります、同じところに複数端末があったりすると、隣で発した音声をマイクが拾い、それがまた音声としてオンラインで流れてしまうと。なので、極力イヤホンをつけるのがいいんだそうです。しかしそういうトラブルもなく、比較的、順調に議論をすることができました。6月開催の九州大会、ここからコロナの感染状況と社会的な空気感との戦いになりそうです。今回もいろいろなご意見いただきました。ただ、会長として、この状況下、全ての人に納得感をもって頂ける回答というのはあり得ないと思っています。一人一人の考え方、状況も違います。すでにわたしのところには、開催したほうがよい、中止にしたほうがよい、いろいろな声が入っています。なので、やはり、国や県が発出する公式のガイドラインに則ること、ここはブレてはいけないと思います。そして感情的にならずに、冷静に決めていきたいと思います。

 

2月12日(金)

 2/11、木。朝起きて、そっか祝日かと。といってもわたしの朝のルーティンは祝日平日何も変わることはありません。軽く有酸素運動をしたり、掃除をしたり、洗濯物をたたんだり。そうこうしているうちにお腹がぐーっとなり始め、子どもたちと一緒にたっぷりと朝ごはんを食べます。

 外出も来客の予定もなく、終日デスクワークでした。今週は、会議が1つ誌面開催に、大きな研究大会の開会式に出席の予定がリモート開催になり、開会式は中止でした。その前2週間がほぼ毎日のように会議が入っていましたので、比較的余裕のある1週間でした。

 今年から高校PTAの会長を務めていますが、もうすぐ卒業式を迎えます。長男が高校3年生ですので、つまり親として高校の卒業式に出るのも初。んー、どんな雰囲気なのだろう。祝辞、どうしましょう。30年前、つまり自分の卒業の時は、、夜にライブ出演があり、卒業式終了と同時に友人に車で迎えにきてもらい、友人や先生との別れを悲しむなんてことは一切なく、そのままライブ会場に向かいドカドカ演奏。そしてその翌日か翌々日には東京に向かったように記憶しています。東京に行くとすぐに陸上部の合宿で、水戸だったか、浜松だったか。で、卒業式自体のことは全く記憶にありません。

 

2月11日(木)

 2/10、水。午後から県P事務局へ、各書類へ決裁と12日に九州高等学校PTAの理事会が鹿児島で開催されるので、その打合せでした。夜は市P連のブロック理事会でした。ブロック内の輪番等について協議をしました。

 

2月10日(水)

 2/8、月。冷え込んだ朝、でも空は雲一つない青空が広がっています。アサイチで学校へ。校長室で、飾られてある歴代の校長先生方のお写真を眺めると、感慨深い思いがこみ上げてきました。尊敬する先生方、小原先生、脇先生、坂元先生、上村先生、そして目の前にいらっしゃる田辺先生。この校長室でいろいろなことを語り合いました。ま、2人だけで話をする時はたいてい良くないことが起きた時でしたが、笑。いろいろなことを乗り越えてきました。用件は10分ほどでお伝えし、事務所に戻り、前日の駅伝大会の後片付け。夜は校区コミュニティの会議でした。安心安全部会といいます。

 2/9、火。朝、スタッフから連絡が入りました。10時スタートの教室に向かっているが、道路が渋滞していてもしかしたら遅れるかもしれないということでした。すぐに出かけ、国道を通らない道を選んで会場に向かうといつも通りの時間で到着しました。幸いスタッフはギリギリで間に合い、また、ご参加の会員さんも遅れていて、教室は問題なくスタートすることができました。明け方に国道でひき逃げの死亡事故が起こっていました。許せません。お亡くなりになられた学生さん、20歳、無念であったと思います。ご冥福をお祈りいたします。夜はこの日も、校区コミュニティの会議、この日は社会体育部会。

 

2月9日(火)

 2/7、日。朝4時半起床、軽くトレーニングで汗を流し、たっぷり朝食。準備を整え、6時50分出発。主催事業の駅伝大会でした。

 当然ですが、例年と同じようには開催できず、参加チーム数、応援のしかた、いろいろな制限をさせていただいた中で開催をさせていただきました。お申込みいただいた皆様、朝早くからボランティアスタッフとしてお集まりいただいた皆様ありがとうございました。天候に恵まれましたが、それでもこの時期ですので午前中は風も強く冷え込んだ時間帯はありました。体調崩していないでしょうか。

 すべての片づけを終えて、テストを終えた長男を迎えにいきました。夜はつまみを3品ほどつくり、ハイボールを飲むと、こてっと寝てしまいました。朝までぐっすりでした。

 

2月8日(月)

 2/5、金。午後から九州ブロックPTA協議会、当初沖縄で開催される予定でしたが、オンライン会議となりました。1本電話がなり、電話をきった後、目をつむり、ふう〜と大きな息。この半年間、ずっと考えてきたこと、わたしの中で(ほかの人からするとたいしたことではないのかもしれませんが)大きな区切りをつけることにしました。まだ、はっきりとは申し上げられませんが、その時がきたらご報告いたします。

 2/6、土。午前中全国高等学校PTA連合会理事会、東京で開催予定でしたが、オンライン。昼をはさみ、会長事務局長研修会、こちらもオンライン。本来ならば、沖縄にいって、そこから東京、午前午後会議というスケジュールをこなさないといけない予定でしたが、すべて鹿児島で出席となりました。つかれません、でも、ちゃんと良い議論ができたという実感もありません。

 

2月5日(金)

 2/2、火。午後から県P連の実行委員会、各委員会の委員長からも意見をいただき、次年度の事業計画に各委員会の協議内容をどのように反映させるのか、一部意見がまとまらず、わたしに宿題が残りました。また、県教委への要望事項についても協議をしました。

 2/3、水。午後から県P新聞の編集委員会でした。前号の反省、次号の校正、次年度の編集計画等について協議をしました。夕方からクラブのトレーニングの様子をみました。部活を終えた次男を途中で拾い、帰宅しました。ちょうど1年前、その次男と大阪室内陸上に行きました。ちょうど中国でコロナが流行っていて、大阪にも中国の観光客がまだたくさんいて、街中ではマスクしなきゃね、なんて言っていましたが、そこから1年もこんなに影響が及ぶとは。次男は入学後、7キロ体重が増えました。良い身体つきになってきました。

 2/4、木。午後から県の体力向上の委員会、県内児童生徒の体力向上の取組みについて議論をします。SCCの理事長として受けさせていただいている公職で、もう10年くらいになるでしょうか。ずっと子どもたちの体力向上について議論をしています。行政の担当の方は毎年のように人が変わるわけですが、わたしは変わらないわけで、意見としてなんだか堂々巡りをしているような気がしないでもないと申し上げました。子どもたちにとって「体力」は何故必要なのか。根本的な問い、ですね。

 

2月4日(木)

 1/30、土。午前中は、陸橋の常務理事会、来年度の各競技会の日程や開催種目等について協議をしました。少し早めに退席をして、日置市に向かいました。PTA活動研究委嘱公開が開催をされました。毎年県内9会場で開催されるものなのですが、今年はこの状況でオンライン開催とか誌面公開に切り替えるところがほとんどの中、この会場だけが従来の集合開催のスタイルを選んで下さりました。当然ご意見いろいろあっただろうし、それら含め準備は相当なご苦労があられたと思いますが、開催をしていただきましたことに心から感謝を申し上げます。わたしも会場に脚を運び、当日のスタッフの皆様や参加者、来賓の皆様たくさんの方々といろいろな話をさせていただき、アトラクションの子どもたち、各PTAの事例発表、基調講演、すべてが貴重な学びであり、充実した時間となりました。昨年からこのようなPTAの研修会はほぼ開催されませんでしたので、やはり貴重だなと感じましたし、そう感じることができたのも「できない」を経験したからこそです。

 帰りはちょうど江口浜に夕日が沈む時間帯でした。寒かったので、ほんの少しですが、ぼーっと眺めてヒートアップした心をクールダウンして帰路につきました。

 

2月3日(水)

 1/28、木。午後から会議2つ。今年6月開催の高校PTA九州大会鹿児島大会の実行委員会、係の方も具体的に決まり始め、初めて会にご出席をいただいた方もいらっしゃいました。その後は県P連の高校常任委員会で今年度最終のとりまとめの会でした。終了後、県P事務局に来客があり、対応をいたしました。

 1/29、金。朝から学校、PTAの企画委員会、3学期の行事について、今年度執行残がでている会計のこと、バザーの収益金での購入品について等、でした。そしてこの企画委員会今回が最後でしたので、委員長さん、専門部長さん、一言ずついただきました。毎年なのですが、皆さん、とってもメッセージが温かくて、心がじわーっとポカポカします。今年はたいへんな年で、そのような中、役を引き受けていただいて、本当にありがとうございます。そのまま午後は校外生活指導連絡会、スクールゾーン委員会、学校保健委員会、終了は16時半でした。1日ずっと学校にいました、笑。

 

2月2日(火)

 1/27、水。午前中は、県総合型地域スポーツクラブの連絡協議会でした。1時間で終わる予定が、1時間半と30分終了がズレこみました。それでも皆さん最後まで熱心に協議をしていただきました。というのも、今年はこうした集まりがすべて中止でしたので、こうして久しぶりに他のクラブの皆さんといろいろな話ができました。また、午後からの研修会は東京からの講師が来県できず中止でしたので、これからの各施策の説明を行政サイドからいただきました。ありがとうございます。たいへん有意義な時間でした。

 午後からは社会教育委員会でした。毎年夏にかけっこ塾を開催している施設で開催されました。

 もう20年近く毎年夏に通っていますが、改めて各施設をご説明いただきながら視察をしました。その後、こういった社会教育施設を今後より有効に活用するためには、協議をしました。

 

2月1日(月)

 2月です。昨年の2月は8回出張が入り、ほとんど鹿児島にはいないような生活をしていましたが、その後、3月からピタリと出張がなくなり、それから約1年間が過ぎようとしています。

 1/24、日。主催事業の小学生を対象とした「冬のマラソン教室」の開催の様子を見にいきました。元気に走り回る子どもたちの様子は、癒されます。

 1/25、月。午前中は児童クラブの運営委員会。午後は今年6月開催予定の高校PTA九州大会鹿児島大会の役員会、いろいろな係のところに具体的に名前が入り始めました。ここから準備は加速していきます。

 1/26、火。午後から来客、1組2名、来年度の事業のことで相談でした。 

 

1月28日(木)

 1/22、金。午後から県体育センターで、総合型地域スポーツクラブの今後の支援体制等について協議をしました。

 1/23、土。午後からクラブの練習をみて、帰宅。18時頃から夕食の準備にとりかかり始め4.5分経った頃でしょうか。バンッと電源が落ち、ブレーカーが落ちたのかなと思ったのですが、そうではなく、窓から周囲を見渡すと、街灯含め真っ暗。停電です。ま、すぐに復旧するだろうとしばらくボーっとしていましたが、5分経っても、10分経っても復旧しません。車のエンジンをかけてテレビを見ます。地震速報も何もありません。スマホはWIFIは使えませんが、4Gで電力会社のサイトを見ると、このあたりのごく狭いエリア(2000戸)ほどで停電が発生していることがわかりました。オール電化の我が家、こうなると何もできません。調理、食洗器、お風呂。18時過ぎはちょうどフル稼働の時間です。まず、食洗器の中の食器をぶわーっと手洗いして、追い炊きができない風呂に風邪を引かないようにと交代で素早く入りました。ガスコンロを取り出し、それで料理をつくりました。いつまで停電続くのだろうと、このまま朝を迎えるのかなあなんて思っていた20時前に、電気が回復しました。ほっとします。振り返ればたった2時間のことですが、停電の間はいつまで続くかわかりませんし、かなり不安でした。なお、HPによるとこの停電の理由は「不明」なのだそうです。災害発生でもなく、突然の2時間の停電は人生初のできごとでした。

 

1月26日(火)

 1/21、木。国が進めるGIGAスクール構想、公立小中学校は児童生徒1人あたり一台の端末配布が、大幅に前倒しとなり、今年度中には整います。小中学校の授業はどのように変わっていくのか、先駆的な取組をしている県内の某中学校を視察に伺いました。

 英語、数学の授業、タブレットを用いそれぞれの習熟度にあわせ個別最適化された学習、その状況を1台のパソコンがリアルタイムで集約し、前方の画面に投影されます。「情報の活用力」が問われるのは生徒もですが、先生もですね。こういった日々の授業データを今後AIが自動的に集約・分析するようなシステムもできるのでしょうか。ここ5年くらいで「授業」は大きく変わっていくことになりそうです。

 

1月22日(金)

 1/18、月。午後から県教育安全振興会、研修会と審査会でした。研修会では改めてZOOMによる会議システムについて学びました。振興会では毎年共済事業の説明会を離島を含む県内各地で開催をしていて、そして今年はこのコロナで、集まったり移動をしたりそのリスクを減らすためにリモートでできないかという意見を踏まえ研修をいたしました。もう何度もZOOMでの会議には参加したことはありますが、主催者側にはなったことはなくそのことも含め勉強しました。

 1/19、火。午後から月次決算の会議。12月の収入支出の内容をチェックしました。まだコロナ前には戻りません。しかし、支出も抑えられています。これで今年度3/4の数字が出て、おおよそ決算の数字も見えてきました。

 1/20、水。午前中、会長を務める小学校PTAの三役会、今年の執行残をどう考えるか、また、バザーの益金での執行をどう考えるか、いろいろと協議をしました。午後は県P連の常任委員会、各委員会で最終の協議そして次年度へ引継ぎをご提案いただきました。最後は各区域に分かれて今後のスケジュール等の調整をしていただきました。皆さん積極的に意見をだしていただきありがとうございます。

 

1月19日(火)

 1/17、日。アサイチ、次男は部活、駅まで送っていきました。長男、大学入試共通テスト2日目。会場まで送っていきました。ガンバレ。夕方前、長男を迎えに。全日程を終えました。ここから私立受験や公立大学の個別学力検査が始まりますが、まずもって、共通テストで点を取らないと何も始まらないわけで、この2日間に最大の力を発揮することを目的としてやってきました。思えば、長男が小学校の高学年くらいの頃から、この2021の大学入試改革の話が新聞等でチラチラ記事が出るようになり、長男の時から変わるんだなと。今までのただ暗記をしてその知識を問うだけのテストではなく、自分をPRする力だとか、最初は面接がなんとかかんとかともありましたね。それから英語民間試験、記述式、ごちゃごちゃしたあげく、コロナ。いろいろと心配したところもありましたが、無事、2日間終えました。まだここからがスタートですが、夜は握り寿司をとって、慰労会でした。

 

1月18日(月)

 1/15、金。午後、授業を終えた長男と翌日からの大学入試共通テストの会場を下見にいきました。帰りに用事があり小学校に立ち寄りました。なつかしい、と、長男言います。小学生だった頃の長男を思い返します。昔はよく泣く子でした。1年生の時は学校にいく途中で転んでそのまま保健室にいくこともありました。小3の時に初めて男性の担任、それもかなりの強面で声がでかい方。他校から赴任1年目で、わたしもどのような方かわからず、最初の授業参観の時は、授業中一切笑うこともなく、この先生、どうなんかなあと思いました、長男も2か月くらいは様子がおかしかったのですが、それからメキメキと積極的になり、いろいろなことに向上心が芽生えてきたように思います。男性の先生も実はめちゃくちゃ良い方で、お酒も大好き、カラオケも上手、保護者からも大人気でした。そんなことを思い出しながら、そしてその子が大学受験です。

 1/16、土。5時にさっと起きました。わたしもなんだか緊張しています。6時に長男を起こしました。寝れた?と聞くと「うん」と、すっきりとした良い表情をしています。7時45分に家をでました。会場まで20分ちょっと、途中、朝日が射してきました。良い日になるといいな。会場近くまで進み長男を降ろしました。親ができるのはここまで、後はガンバレと別れました。次男が部活、競技場まで送りました。家に戻り、ほっ。コーヒーを飲みながら、そろそろ1科目目始まる頃だな、なんて考えました。

 昼からは告別式にPTAを代表し参列をしました。PTA会員の方がご逝去なされました。つい先日も参列したばかりだったのでその報にたいへん驚きました。お子様もまだ小さく親族の皆様の涙にわたしの胸も押しつぶされそうでした。心からお悔やみを申し上げます。

 次女をダンス教室、送り迎えをして、競技場へ。クラブの練習の様子をみました。終了後、長男の試験会場へ。18時過ぎ、辺りはもう真っ暗な中、生徒さんたちがゾロゾロと会場から出てきました。しばらくして長男もでてきました。どんな表情か。車内に入ると、いやあ、むずかしかったあ、が、最初の一言でした。翌日の新聞にも出ていましたが、今年から出題の傾向が変わることはわかっていましたが、かなり、難しくなったようです。何はともあれ折り返し地点、往路、終了。

 

1月15日(金)

 書き忘れていました、12日火曜日は昼から告別式にPTAを代表して参列をしました。子どもが通う小学校のPTA会員の方、保護者がご逝去なされました。わたしと同年代です。まだお子様も小さく心が痛みました。お悔やみ申し上げます。

 1/14、木。昼から学校へ、今月末に開催される会議に向けて打ち合わせをしました。次年度のいろいろな日程・計画を立て始めています。そのまま県P連事務局で決裁でした。

 

1月14日(木)

 1/12、火。1/13、水。両日ともに外出、来客の予定もなくデスクワークを中心にすすめました。長男が受験本番を控え、新聞等にも載っていることですが、親がコロナに罹り、家庭内感染で子どもにというケースが多いと。なので、極力予定を入れないようにしています。改めて、こうして会食や出張がないと、ほぼ人と接することもなく1日が終わる仕事なのだなと、笑。コロナの影響で大きく変わったことが、わたしが料理をするようになったことです。きっかけはそれよりもう少し前で、1年と少し前に嫁殿がインフルエンザに罹り、続いて長女次女も罹患。家事は全てわたしがやらないといけなくなり、家族6人分の食事、その時は冬休みに入っていましたので、朝昼晩、5日間つくったことがきっかけでした。あの時何も手伝わない長男次男、子育て間違ったなと思いましたが、笑。それから料理を作るということに少し興味がわき、そしてこのステイホームで、時間がある時は台所に立つようになりました。今は、1時間で3品くらい作れるようになりました。今はネットで何でも載っていますから、アイパッド片手に便利なものです。

 

1月13日(水)

 1/9、土。夜中に愛犬がなき、おしっこがしたかったらしく、その始末を。こういうことも含め、子どもたちがきちんとしつけをするという約束だったのになあ、だーれも起きてこないなあと思いながら処理をして。寝不足で目覚めると外は雪景色。長男の高校は高台にあり、自転車での登校は無理だろうと、車で送っていくことにしていたのですが、車も心配ですから、でも授業はなくなり、ほっ。土曜授業でこの日午前のスポーツ教室もなく、アサイチでのスタッフの移動もありませんでした。次女は小2ですので、ワクワクしながら登校していきました。後からきくと雪だるまつくったり、雪合戦したりしたそうです。午後はクラブの練習へ。もう20年、土曜日の午後は昼過ぎにでかけ、トレーニングをみて、夕方帰宅という生活をしているのですが、出掛ける時は日中の最も気温が高い時なので、少し油断した格好ででかけ、ところが冬は16時を過ぎると一気に気温が下がるので、練習が終わる頃には身体が冷え切ってしまう、ということを何度経験しても学ばない48歳。

 1/10、日。朝は、長男を学校へ、次男は大会の補助員ということで競技場まで送っていきました。南国では珍しい雪景色2日目でした。夕方学校を終えた長男を迎えにいきました。

 

1月12日(火)

 1/8、金。午後から県P連役員会でした。新年度予算、事業計画について協議をしました。もうすっかり次年度モードです。令和3年度、つまり4月からですが、その頃はどうなっているのでしょうか、いろいろなことが少しずつ当たり前にできるようになってきているといいですね。計画書を見ながらいろいろなことを思いました。終わってから別案件で、これも次年度のことですが、話し込みました。あっという間に時間が経ち、バタバタと長男を迎えにいき、帰宅をしました。夜は完全防備でクラブの練習へ。ぐっと冷え込みました。身体の中心部まで冷え込み、帰宅し、風呂に入ると、足し湯ができなくて。次男が早い時間にお風呂に入ったらしく、お湯がなくなってしまいました。おいおい風邪引くよと。あがってからしっかりと焼酎お湯割りを飲んで、身体を内側から暖めました。

 

1月8日(金)

 1/7、木。終日デスクワーク、夜の8時から日Pの会議、ZOOMです。3月のイベントにつてい協議でしたが、夕方に緊急事態宣言が発出されたばかりで、当然ですが、ほぼみなさん意識ネガディブ系です。教育は、子どもたちの命と夢を育むこと。今、命最優先ですが、だけど、夢を育めているか、命を守ることばかりで、子どもたちの夢を潰していないか、自問自答します。こんな時だからこそ、夢を語ること、夢を考えること、大事じゃないか、そういう場を機会を大人が整えてあげること、大事じゃないか、そう思うのです。

 

1月7日(木)

 1/6、水。終日、デスクワーク中心。冬休みなので、子どもたちは家にいますが、ほぼ誰もテレビをつけません。テレビをつければ、コロナコロナコロナ。それよりも、スマホで好きなユウチューブ見ているほうがおもしろいし、心の平穏保てるし。危機感煽るほうが視聴率が稼げるのかもしれませんが、そろそろ報道の在り方、情報の伝え方というものを考え直さないと、もう若者はテレビ離れしているし、若い人たちに危機感が足りないというのもそういうところからきているのかもしれません。緊急事態宣言、発出ですか。当然幾ばくか効果はあるのでしょうけど、解除の時も、タイヘンですよね。解除するなという一定のバイアスもかかるわけで。

 愛犬ラテくんが(1歳1ヵ月)が、先日、禁断の果実を口にしてしまいました。テーブルの上に作って置いてあった酢豚の肉を食べてしまいました。今まで人間が食べるものは一切口にしたことありませんでしたが、以来、テーブルの上にある食べ物が気になって上がろう上がろうとします。きつく叱るのですが。

 夕方はクラブの練習に。水曜日のメニューはわたしがたてたものではないのですが、メインは150m8本を50のwalkでつなぐという、鬼メニュー。正月休み明けのなまった身体にはハードパンチでした。冷え込みましたが、明日明後日が本格的に冷え込むようです。

 

1月6日(水)

 1/5、水。ふと、20年、インターネット上に日記を書き続けている自分を不思議に感じ。20年前はブログというものもありませんでした。「トップページ」があり、そこから各コンテンツにとび「趣味の部屋」とか。まだ、ダイヤルアップですよ。知ってます?そんな中、日記をトップページにもってくるというのはかなり斬新なアイデイアだったのです。それを20年かあー。この日記はHP作成ソフトで書いて、別にFTPソフトでアップロードしています、意味わかります?これも20年変わらないスタイルです。上のカウンターってのも、もうほぼ死滅していますよね、笑。このような機能をCGIと言いますが、これももはや聞きませんねー。今はフォロワーですね。開始時の文章を読み返すこともほとんどありませんが、拙い文章に恥ずかしくなることもありますが、20歳代の頃ですので。それはそれでその時の思いです。今はSNSとか発信スタイルも変わってきていますけど、2021年も地道に続けていきたいと思います。後10年くらい続けたら何かに表彰されそうですね。

 昨日も終日デスクワーク。コラムを3本ほど書かないといけなくて、取り掛かりました。当然それぞれ立場も趣旨も違うので、頭が混乱しまいそうになりますが。

 

1月5日(火)

 1/4、月。例年であれば、年始のあいさつ回りで、教育委員会各課やマスコミ等をトドタバタと回る1年のスタートですが、今年は自粛で、静かに始まりました。年賀状を1つ1つ丁寧に読みました。総理の年頭記者会見を緊張しながら聞きました。緊急事態宣言、これがまたどのような影響を及ぼすのか、学校は?入試は?公共施設は?少し不安な気持ちは和らぎましたが、しかし、飲食関連の方、観光関連の方、本当にたいへんな思いをされていると思います。たまった資料の整理や1.2月の会議開催の案内、出欠の返事を書いたり。わたしは立場上、県教委関係のいろいろな会にでるのですが、その際交通費をいただくのですが、その度に、ほぼ同じような書類を毎回毎回書くんです。昨日だけで3枚書きました。これ、どうにかなりませんか。働き方改革、業務改善を、ぜひ、こういうところからも。

 

1月4日(月)

 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

 暮れは26日土曜日が本業の仕事納めで、練習後の納会では最後の挨拶をいたしました。28日月曜は昼で県P連の仕事納めで、事務局で年内最後の決裁と最後に挨拶をいたしました。暮れは毎年実家に帰るのですが、それは今年はナシにしましたが、29日に長男の大学受験合格祈願のために太宰府天満宮に参拝をいたしました。久しぶりに訪れましたが、母に、48年前、わたしは二日市の病院で産まれたわけですが、その病院を退院し、初めての外出でやってきたところなのだと教えていただきました。ちなみに母の旧姓は「菅原」で、道真公一族の家紋と同じとのことです。もしかしたら深いご縁なのかもしれません。しっかりと祈願してまいりました。ラストスパート、がんばってほしいと思います。大晦日から三が日は家でゆっくりと過しました。

 箱根駅伝、母校は往路で区間19位と沈みました。今年は良いんじゃないという声もちらほら入ってきていて、トップ選手の10000mの平均タイムが一番良いんだとか?ところがです。そのかわり、大学の2学年後輩の榎木監督率いる創価大の活躍に心躍りました。監督就任の折には、わざわざ鹿児島まで来てくれて、いろいろな話をしましたが、まさか2年でここまで力をつけるとは。彼は箱根がよく似合う、箱根に愛されていますね。急に周囲が騒がしくなるかもしれませんが、あせらずじっくり力をつけてほしいと思います。

 

 

 

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