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Back Number88 令和4年

12月30日(金)


 12/27、火。午前中はSCC事務局の大掃除、不思議に毎年毎年大量のゴミがでます。本を思い切って、60冊ほど売ることにしました。こちらもたまる一方でしたから。夕方は次男のケアに付き合いました。少し故障が発生しています。2年の夏くらいまではずっと怪我していました。3年生となった今年1年間は次男が怪我しないことでわたしの頭の中はいっぱいでした。無事、シーズン乗り切り、冬季練習がどんどん負荷があがっていますが、ここにきて、少しまた怪我がぶり返してきているということです。夕方のスクールが無事終わり、今年1年間、全ての事業が終了しました。ほっとします。

 12/28、水。アサイチで次男を送り、合宿です。ですが、上記あるように、痛みが出ていますので、今回は補強中心で我慢しなさいと話はしてあります。練習だけではなく、トップ選手、大学生や実業団選手といろいろな話をして、競技にのぞむ考え方や技術的なこと、たくさん情報を得ることも大切なことです。このような合宿もやっと普通に行えるようになってきました。県P連事務局へ、午前中で仕事納めで、最後に締めの挨拶をさせていただきました。午後は次女がおじいちゃん、おばあちゃんがいる久留米に一人で行きたいと一人で新幹線に乗りました。駅まで送っていきました。緊張していました。確かに、寝てしまったら、たいへんなことになります、笑。

 

12月26日(月)

 12/23、金。すっかりそのことを忘れていたのですが、前日の運営委員会に出席いただいた、永田アドバイザーから、明日宜しくお願いします、と言われ、なんでしたっけと、いうことで思い出した、午後からの九州ブロックの総合型クラブのオンライン会議、永田さん、ファインプレー。14:00から1時間ほど出席をしました。来年度の九州代表選出のことで、少し気を揉んでいましたが、先方のご理解の元、協議が進み、ほっ。終了後、すぐに外出をし、外部コーチを務める高校陸上部の練習へ、もう週末から合宿に入るとのことで、わたしが顔を出せるのは今年ラストとなりましたが、オンライン会議が入り、グラウンドに着いた時はもう最後のミーティングの時でした。「よいクリスマスを!」を一言だけ伝えました、笑。夕方からはわたしが担当をする陸上競技大会の関係者集まりの会でしたが、急遽、そちらキャンセルとなりました。

 12/24、土。昼からクラブの練習へ。活動自体は来週火曜日まで続きますが、白波スタジアムでの練習は今年最後ということで、恒例のエンドレスリレーを行いました。そして最後に今年最後のミーティングということで、一言挨拶をしました。今年の振り返りというより、来年、鹿児島国体に向けて、話をしました。夜は、ローストビーフをつくりました。ソースをにんにくソースとわさびソース2種類、お肉もいつもより高い国産のもも肉。柔らかくて美味しかったです。いよいよ年末という雰囲気になってきました。

 

12月23日(金)

 12/22、木。午前中は運営委員会、午後は、県P連会長として、県教委の会議が2つ重なっていたのですが、一方の出席は断り、もう1つの会議に出席をしました。教職員の資質向上がテーマの会議です。報道等でご存じの通り、資格更新制度が廃止となり、では、これからの教職員の研修はどうなるのかとお思いの方も多いかと思いますが、新研修システムは、大量の資料を元に、実に細かくプログラムされていて、すごいなあと思うのです。是非、このような取組もどんどんPRしていただいて、そしてPTAとしてやるべきは保護者の資質向上です。学び続ける教職員、学び続ける保護者が力を合わせ、こどもの豊かな学びの場を創造していく、これがPTAが目指す世界観ですから。

 

12月22日(木)

 12/19、月。夕方から日本陸連のオンライン会議、16:00〜19:00、たっぷり。やはり、オンラインは、例えば、マイクをミュートにといっても、されない方がいたり、発信者のマイクの状況が悪くて聞き取り辛くても、なかなか声をあげにくかったり。可能であれば、集合開催がモアベターだと思います。オンラインの良さは当然ありますが、年に一度の各都道府県の担当者会という非常に大切な会議なので、こちらも責任ある立場で参加していますから、今の聞き取れなかったとかそのようなことがあってはならないのです。と、ストレスを感じながらの出席を終え、夜は、大学OB会鹿児島支部の事務局の皆様の慰労会でした。月頭に忘年会があったのですが、わたしは別会があり、出席できず、慰労会だけ参加いたしました、笑。

  12/20、火。午後から県教育安全振興会の共済事業の審査会でした。主にPTA活動中の事故等について、なのですが、PTAとは、つまり、一体何なのか。PTAの形もどんどん変わる、部活動の形もどんどん変わる、それに対応していくためには、難しい議論です。終了後、各決裁等を済ませ、帰宅をしました。

 12/21、水。午後から月次決算会議。11月の収入支出の内容をチェックしました。10月から下半期に入り、10月がなかなか良い数字が出たので、そのまま上向いていけばいいと意気揚々と臨みましたが、全く伸びず。しかも、処理を間違っていて、今年の欠損額も増えることになり、かなり印象悪く会は終わりました。経営は数字との戦いです、厳しい!夕方から次男のケアに付き合いました。冬季練習も半ばに入り、疲労度も増してきています。11月頭でシーズンも終わり、少し気も緩んでいたところもあり、トレーナーの先生からしっかりと灸を据えていただきました。

 

12月21日(水)

 12/18、日。朝は5時に起きてトレーニング。この少しお酒が残っているんだけど、朝のうちにトレーニングしておかないといけないというのが一番辛いのです。心拍の戻りが遅いし、具合も悪いし、吐きそうになります。ですが、自分との約束ですから。ハーハー言いながら、水をしっかりと飲んで、汗ばんんできて、30分ほどかけて、少しずつ、身体と気持ちが目覚めていく感じです。6時に朝食をとり、6時45分、まだあたりは暗い中、出発。PTAの九州大会、2日目、全体会、各県の会長は7時半集合で、前日の分科会のことについて、報告や問題があったところを共有します。9時からアトラクションが始まり、子どもたちの元気な姿に感動して、9時半から開会式、表彰等を行います。最後は沖縄出身、ガレッジセールのゴリさんのトークショーでした。途中、自身の子育てについて語る時、思わず、涙されて、その姿にわたしもぐっときました。たいへん良いお話でした。12時半に全てのプログラムを終え、大会会長、実行委員長のほっとする姿に、また、がんばったんだなあって、感動して。空港に向かいました。少し時間があったので、ラウンジでしばらくお昼寝と読書。夕方にそろそろ搭乗ゲートに向かおうとすると、飛行機遅延と出て、この日、全国的な大雪でダイヤが乱れまくっていました。鹿児島空港に着くと、フロントガラスが凍っていました。20時半頃、無事帰宅をしました。

 

12月20日(火)

 今、BGMで流しているラジオから「今年も残すところ10日」と流れてきて、え!?と思ったのですが、ほんとですね。びっくりします。

 12/17、土。朝、8時前にはホテル出発して、PTAの九州大会、うるま市というところで開催される分科会を担当しました。会場責任者の方と打合せをし、午前中は、各リハーサルの様子を見なました。昼から受付が始まり、地元自治体の首長、議長等来賓の方々をお見えになり、アトラクションから開会行事がスタート、大会会長からのあいさつ文を代読いたしました。会は順調に進み、しかし、この3年間、PTAが止まってしまったことはやはりいろいろ影響あるなあと感じながら。来年開催の佐賀より次年度PRがあり、会は終了。会場にお越しの皆様をお見送りし、会場スタッフの皆さんと記念撮影をし、会場を後にしました。

 

12月19日(月)

 12/15、木。午前中は病院へ、尿酸値をコントロールする薬を月に一度もらいにいくのですが、毎回おんなじことを言われ、はい、とお返事し、薬出しときますので、はい、と。んー、めんどくせ。夕方から会議、こちらも出席するようになり、5年目。北方領土の返還に関する会議ですが、一時は2島返還という話も出てきたのですが、今はもう完全に後退してしまっています。

 12/16、金。朝、軽くトレーニングをして、鹿児島空港へ。沖縄に向かいました。PTAの九州大会、現地開催は3年ぶりです。昼からホテルで運営会議が続きました。今年は参加者がなかなか集まらず、わたしたちも声かけは続けたのですが、あまり強く言えない状況もあり、沖縄はたいへんご苦労されたようです。翌日から2日間、良い大会にないますように。

 

12月15日(木)

 12/12、月。夕方からワクチン接種4回目。2回目の時、翌日、熱が出て、きつかったんです。そうならければいいです。たっぷり水分とって寝ました。

 12/13、火。朝、起きて、うん、大丈夫と。すこーし、倦怠感あるかなくらいです。朝食とった後、しばらく横になりました。昼、トレーニングしましたが、やはり、呼吸の戻り方がいつもより遅いと感じました。ま、大丈夫です。ということで、昼からは外出をし、県P連事務局へ、 年が明けると、役員会の議案も次年度に向けた計画や予算のことになりますので、職員の方々といろいろと詰めておかないといけないことが山ほどあります。2月の70周年記念式典に向けて、70年の歩みいろいろと調べていますが、調べれば調べるほど、面白いです。

 12/14、水。夕方から外部コーチを務める高校陸上部のトレーニング。終了後、そのまま鴨池でクラブのトレーニング。この日はぐっと冷え込み、帰りの車の中で手先、足先がジンジン、しびれました。

 

12月13日(火)

 12/10、土。昼から、陸上競技協会の常務理事会、前回から少し時間が空いて、協議する内容が多岐にわたりました。わたしも、夏の全国大会から秋の巡回陸上教室まで報告すべきことが資料を作成し2ページにわたりました。また、来年度からの小学生の陸協登録、まだまだ整理できていないところもあります。会議終わり次第、グラウンドに向かい、練習、ちょうどメイン練習のところでした。少しずつ走る距離、負荷、あげているところです。

 

12月12日(月)

 12/9、金。夕方から市P連の理事会でした。わたしも役員をしていましたが、この12月の理事会は半年分の報告となるので、けっこう時間がかかったことを覚えていますが、現役員の皆さんのスマートな進行により、想定していたよりは随分早く終わりました。会議は今日は早く終わるなと思っていて、時間がかかるとストレスですが、今日は長くなるなと思って、早く終わると、すごく得した気持ちになるので、常に今日は長くなるな、と、思うようにしています。

 1時間100円のコインパーキングに停めて、理事会終わり、ちょうど2時間くらいだなと早足で車に戻り、出口ゲートで精算するタイプの駐車場だったので、出口まで近づき、カードを差し込むと「200円」と表示され、おっしゃ、と。支払うために財布を取りだすと、硬貨が足りなくて、1000円札を取り出すと、お札が使えないタイプで、暗闇の中、ノソノソ車をバックさせ、停めて。自動販売機があったので、そこに1000円札を入れて、でも、何故かボタンを押してもドリンクが買えなくて、よく見てみると100円硬貨不足と出ていて。なので、辺りを見渡し、別の自販機を探して、ダッシュ、さっとドリンクを買って、お釣りをとって、再び車に戻り、出口に向かい、カードを差し込むと、駐車代金「300円」と表示され「むおおっ!」と叫んでしまいました。変な声が響き渡り、驚いた方すみません。

 

12月9日(金)

 12/7、水。夜は、外部コーチを務める高校陸上部の指導スタッフ集まり、決起集会でした。インターハイが終わったら、一度集まりましょうという話にはなっていたのですが、夏はコロナ流行っていましたし、なかなかタイミング合わず、やっと実現することができました。高校生の2年半はあっという間、その間に一生の思い出に残るような体験・経験をさせてあげたい、保護者としても、指導者としても、改めて思います。

 12/8、木。21回目の結婚記念日でした。そういえば、昨年は20周年だったんだと。お互いさらっと通りました。嫁殿は、長女の塾の送迎で乾杯できず、一人、チビチビ飲んで、酔っぱらって寝ました。

 

12月8日(木)

 12/6、火。昼、次女のダンス発表会を見るために、大阪から鹿児島に来てくれていた長男が、大阪に戻ると別れ、これから何度も何度も繰り返すのでしょうけど、何度繰り返しても寂しさに変わりはありませんね。身体だけは大事にと。前夜も遅くまで友達と、この寒さの中、公園で話をしていたようで、もう大学生はこんなことするから。午後から県P連役員会、そして夜は、県P連役員忘年会でした。バスで会場に向かう途中、いつぶりだっけと回想しましたが、わたしが会長になってからは開催されていません。最初はいろいろありまして、笑、そのうちコロナが始まったので。5年ぶりくらいでしょうか。良いコミュニケーションの場となりました。やはり大事です。コロナになり、会食も減って、家飲みばかりになり、そして最近になり、ようやく会食もいろいろお誘いを受けるようになり、すると、以前より、酔いのペースが早くなってしまったようで、この日はずいぶん気をつけました。

 

12月7日(水)

 12/4、日。総合型地域スポーツクラブの九州ブロック大会2日目、朝から、各事例発表やグループワークが続きました。閉会行事では次年度開催県のあいさつがありましたが、大分です。もう大分か、驚愕しました。その次は鹿児島です。平成28年度に開催して、もう一巡してくるとは。。 時の流れの早さを感じます。帰りは、両親に迎えにきてもらい、JR久留米駅まで送っていきました。実家にも少し寄ろうかと思ったのですが、長男が、次女のダンス発表会を見るために、大阪から帰ってきていて、長男にも会いたくて、早めに鹿児島に戻ることを選択しました。夜ごはんはわたしの担当でした。おでん、卵焼き、ポテトサラダ。そして21時頃、リハーサル含め金曜日から3日間、ダンス漬けだった次女が帰ってきました。ものすごく楽しかったらしく、ああ、終わってしまったと、嘆いていました。

 

12月6日(火)

 12/3、土。朝から心配。新幹線間に合うのか。14:00から中央公民館でPTA活動研究委嘱公開、3年ぶりに対面形式での開催で、是非、出席させてくださいとお願いをしておりました。開会行事で冒頭、主催者として挨拶をいたし、ご参加、ご支援いただいた皆様に感謝の思いを伝えました。すぐに退席をし、裏口からびゅっと去って、車で鹿児島中央駅へ。平日ならすんなり駐車場に入れるのですが、やはり混んでます!やばい。この時、14:20。新幹線は14:35発。並んでいる列がジリジリ前に進み、立体駐車場に入りました、空いてたらどこでもよいので、停めて、ダッシュしようとらせん状に上がっていきますが、空いていません!一番上まで来てしまいました。一番上の階は片側駐車で、道も狭く一番奥までいくと、戻るのに、バックで戻るかか、何度も切り返すか。何度も切り返すを選択し、何度も何度も切り返していたら、奇跡が起こりました。すっと車が一台出たのです、OH神様!そこにさっと停めて、ダッシュで改札、新幹線出発4分前に飛び乗りました。大きく息を吐きだします。ふう〜。

 久留米に向かいました。新幹線だと1時間ちょっとで着きます。本を読んだり、うとうとしていたら、あっという間に着いてしまいます。駅からはタクシー、ぼんやりと街並みを眺めます。昔から変わらない風景、すっかり変わってしまった風景。20分ほどで久留米大学御井校舎へ、この日から総合型地域スポーツクラブの九州ブロック大会が明日まで開催をされます。実行委員として参加をしました。

 

12月5日(月)

 12/1、木。19:00から、校区のコミュニティ協議会の会議でした。

 12/2、金。3:45起床、サッカーW杯、みました。ただ、前半終わり、ハーフタイムの時に、洗濯ものたたんだり、掃除をしたり、いくつか用務を済ませ、慌てて、テレビの前に座り、すでに後半が始まっていて、ちょうど2点目が入ったところで、スコアが2-1になっていて、いったいどうなってんの?理解するのにしばらく時間がかかりました。つまり、早起きして、前半後半見たのに、一番肝心なところを見損なったという話です、笑。午後から県P連の新聞編集委員会でした。3月号の原稿を書くことになったのですが、3.4ヵ月先のことを想像しながら書くのはなかなか難しいです。夕方はクラブのトレーニングを見て、鹿児島アリーナへ。次女が週末、ダンスの発表会に出演するのですが、出張で見ることができないので、リハーサルだけでもと、見ました。ラスト1時間ほど見ることができました。照明もPAもプロが入り、踊り手も衣装、何度着替えるのでしょう、キラッキラな世界でした。

 

12月2日(金)

 11/30、水。午前中は、次女が通う小学校へ。持久走大会でした。朝、学校に行こうと、準備をしてたのですが、あれ、今日は保護者、応援していいのかな、とか、保護者1人までとか制限はないのかなとか、いろいろ考えてしまいましたが、コロナ脳ですね、笑、そのような通知は来ていないいうことで、ドキドキしながら学校に行きました。次女は、目標10位以内に掲げてチャレンジ、前日からすごく緊張をしていました。結果、3位でした!がんばりました。

 午後は、理事を務める幼稚園の学校法人の理事会でした。園長先生が代わり、初めてお会いしました。とても良い方のようです。理事会が終わり、帰宅をし、次女に会って、持久走のこと褒めてあげたかったのですが、不在で、手紙をさっと書いて、外出。1時間半、北薩区域のPTAの連絡会が開催され、出席をしました。この区域だけが連絡会が立ち上がっておらず、ようやく初の開催ということで、出席をさせていただきました。結果、情報共有したり、協議することはたくさんあり、皆さん、このような会は今後も必要だと感じていただいたようです。ありがとうございました。

 

11月30日(水)

 11/26、土。午後からクラブのトレーニングをみました。最後はウォークランジ40歩×3、みんな、産まれたての小鹿のようになっていました、笑。

 11/27、日。天気も良く、次女からどこか公園にいきたいとせがまれました。このコロナでなんとなく、時間がある時もあまり出歩かないほうがいいかなという思考回路になっていましたが、昔は、休みがあれば、必ず子どもたちをどこかに連れていっていました。次女、小4、このように親子で公園にいき、遊具で遊ぶ姿を見るなんて、もうそろそろラストかななんて思いながら。芝生の50mほどの直線があったので一緒に走ってみました。なんとか勝ちましたが、もう50m8秒台で走りますから。夕方から会食が1つ入っていましたが、延期になりました。

 11/28、月。来客、外出の予定もなく、終日、事務局で、原稿を1本、会議資料を1つ作成しながら過ごしていましたが、電話があり、会いたいということでした。午後、事務局にお見えになられました。教え子ですが、今、東京で立派に経営者として頑張っています。しかし当然ですが、経営も楽なことはなく、そんなこと、こんなこと、いろいろ話をしました。途中アポなしで、別件で来客あり、異動で鹿児島を離れるので、とご丁寧にご挨拶いただきました。

 

11月29日(火)

 11/24、木。午前中は運営委員会、各事業の進捗状況を協議します。午後は月次決算会議、プロスポーツでよく「現場とフロント」という言葉が出てきますが、まさに午前中は「現場」の話で、午後は「フロント」の話です。前月の収入支出のお金の流れを把握します。なんとか資金も黒で推移していますが、もう少しで上半期の消費税の支払い時期がきます。少しずつ少しずつ上積みしていたものをガッポリもっていかれます。まぁ、消費税は預かり税ですので、そもそも売上ではないわけですが、年間トータルで考えるとどうしてもそのように考えてしまいます。夕方からは県P事務局へ、来客あり、懸案となっていること、協議をしました。

 11/25、金。午前中から県P、期中監査でした。各地区から輪番で監事をご選出いただき、期中と期末に監査を実施します。一般会計、特別会計、帳票書類を見ていただきました。夕方は、外部コーチを務める高校陸上部のトレーニングから、クラブのトレーニングをはしご。シーズン終わり、移行期終盤、少しずつ練習強度があがってくる頃です。

 

11月28日(月)

 11/21、月。ちょっと食事をしましょうと誘われ佐賀まで。ちょっとが広いです。

 11/22、火。午前の便で鹿児島に戻り、鹿児島中央駅からそのまま会議会場へ。安全振興会の共済事業の審査、続いて、市の教育委員会の会議でした。夕方、帰宅をしました。

 11/23、水。市の事業ですが、かけっこ教室の講師を務めました。この日は同時刻に別会場でもかけっこ教室が開催されており、スタッフ2か所に分散しました。わたしは鹿児島国際大学へ。んー、何年ぶりだろうと。記憶を辿ると、現役時代にここで記録会が開催され、それ以来でしょうか。なので、25年ぶりくらいです。少々タータンは劣化していますが、屋内でトレーニングできる環境は素晴らしいです。改めて感じました。

 かけっこ教室は、定員を上回るお申し込みをいただいたということで、たくさんの子どもたち、小4〜6の子たちです。わたしも直接子どもたちに指導をする機会というのはもうだいぶ減ってしまっているのですが、プログラムを組む段階から、どんなことしよう、こんなことしようと、考えるだけでワクワクします。そして、思った通りの負荷というか、最初は不安げな表情の子どもたちがどんどん夢中になってきて、最後は汗びっしょりになって、楽しかったあという表情を見ると、たまらない満足感があります。

 

11月24日(木)

 11/19、土。東京から鹿児島へ早めの便で帰宅。そのまま市内某所で、県PTA連合会新春号の企画で対談を行いました。どなたと対談したのか、どのような記事になるのか、乞うご期待ご期待ください。

 11/20、日。県陸上競技協会の事業で、小学生を対象とした陸上競技教室でした。わたしが部長を務める普及部のメンバーが指導者として約100名の子どもたちにアップから各種目に分かれ楽しく指導をしてくださいました。イチ指導者としても、いろいろな専門の指導者の教え方はたいへん勉強になります。ありがとうございました。

 昼過ぎに解散式を終え、メンバーと簡単にミーティングをして解散をしました。そして、立派なウェイトトレーニングルームがある施設で、そこからひとりトレーニングをしました。いつもはダンベルでトレーニングをしているのですが、こんな時はがっつりベンチプレス。60キロからスタートし、少しずつ重さを挙げていきます。100キロはいつでも挙がる感覚はあるのですが、この日はさらに105キロに挑戦。すると、3回挙がり、ここでやめておくかなあと少し悩んだのですが、更に更に110キロにあげてみました。見事、一発挙がりました。10年ぶりくらいに110キロに挑戦したのですが、まだまだいけるなと、笑。でも、これで調子にのって、負荷を上げたりすると、怪我をするので、ほどほどにね、と、自分に言い聞かせました。トレーニング終了後、ビリビリする上半身を感じながら1時間半かけて帰宅をしました。

 

11月21日(月)

 11/16、水。午後から県広域スポーツセンターの研修会でした。こちらもいつ以来?でしょうか。しかしブランクを感じさせず市町村の行政担当者も多く参加し、活気溢れていました。途中で退席し、移動をし、かごしま国体関係の会議に出席をしました。大会開催期間中の出店等の内容について協議をしました。そのまま外部コーチを務める陸上部のトレーニングでした。

 11/17、木。午後から県P事務局へ、今月末に期中監査が実施されるのですが、その前にわたしの処理が必要で、各帳票書類に目を通しました。ざっくり2時間ほどかかります、最後は頭がクラクラしてきます。

 11/18、金。朝の便で東京へ、日本PTAの年次表彰式でした。鹿児島からご受賞の皆様をアテンドいたしました。皆様、おめでとうございます。今年は2年間中止となっていた祝賀会も開催されました。

 

11月17日(木)

 11/11、金。新幹線乗り継ぎ、佐賀へ。九州高等学校PTAの理事会が開催されました。翌日、戻りました。

 11/14、月。午前中は、かごしま国体に向けた競技力向上本部委員会、栃木国体が終わり得点分析と、いよいよ来年、鹿児島国体において、天皇杯皇后杯獲得なるか。この委員会も、もう10年以上委員を務めていて、その間、うちの息子の名前など一度も出てきたことなかったのですが、先日の国体優勝を踏まえ、いろいろなところに名前が出てきて、なんだか不思議な感じでした。午後は病院へ。1か月前、それこそ、次男が国体で優勝した翌日に診察したら血圧が高くて驚かれて、自分でもそんな数字見たことなかったので驚いて、でも、今回は平常値に戻っていました、笑。看護師さんにもほっとしました、と言われました。尿酸値コントロール、順調です。

 11/15、火。県P連として、年間、ポイントとなる日がいくつかあるのですが、その1つです。午前中は高校常任委員会、午後は常任委員会、評議員会(総会につぐ議決機関)、そしてラストは県教委、教育長はじめ、幹部の皆様にお越しいただき、意見交換会を実施します。例年、最後は懇親会があるのですが、こちらは3年連続中止。教育長を玄関先までお見送りをし、無事、4つの会議、3つの冒頭挨拶を終え、大切な1日を終えることができました。

 

11月16日(水)

 11/5、土。午前中は外部コーチを務める高校陸上部のトレーニング。グラウンドに着くと、生徒とは別にJOGをするお姉さんが。山元祐季でした。女子校→九州共立大学、専門はやり投げ、教育実習で帰ってきていました。SCCの出身です。小学生の頃は、身体も小さく、そんなに目立つ存在ではなかったのですが、小さい体でソフトボール投げでは大会新記録を出したりして、表彰式で、肩、強いんだねえみたいな、話をしたことを覚えています。野球をやっていて、なので、中学では野球をやるというので、陸上も続けてねとか、そのような話もしました。高校進学では陸上の道を選んでくれて、その後はあれよあれよと力をつけ、全国大会でも入賞をするようになりました。今年は春にユニバの日本代表に選ばれ、ついにJAPANかと、みんなで喜んだのですが、そのユニバもコロナで延期、そしてその後、練習中に怪我をして、現在リハビリ中です。我慢の時期が続きますが、でも、しっかりと向き合いながらやっていると話をしてくれました。再会が嬉しかったです。

 11/7、月。11/8、火。外出、来客の予定なく、デスクワーク、書類の整理、片づけました。

 11/9、水。午後から、車で約1時間ですが、串木野中学校へ。県の体力向上の研究指定校としてその研究発表の様子を拝見させていただきました。校長先生は、お付き合いも長い、M先生、わたしが陸上競技協会の担当している役職の前々ご担当です。お嬢様をSCCでお預かりしておりました。また、担当の発表の先生はT先生、陸上専門の先生です。2年間にわたる研究実践を積み重ねてこられた様子がよく伝わってきました。ありがとうございました。帰りはすっかり日も落ちた頃でした。

 11/10、木。午後から県教育安全振興会の内部監査。共済事業の、各申請書類等の数字が適切に処理されているか突合します。2時間ほど、数字と電卓にらめっこで、終わると、脳みそのエネルギー完全に切れてしまいます。

 

11月14日(月)

 11/4、金。朝から100円ショップで模造紙や色紙を購入、事務所に戻り、のりやハサミを駆使し、このような時こそ、PTA活動で培ったテクニックをと。嫁殿にもいろいろ手伝ってもらい約1時間。昼過ぎ、完成したでっかい模造紙を車に持ち込み、空港へ。途中花屋で、時間がなかったので、ショーケースの中にあった小さな花を買いました。空港に着いて車から降りると、風が強く、紙が破れそうで、冷や冷やしながらなんとか建物に中へ。前日の県高校新記録、出迎えの人で空港がごった返しているのではと思いきや、誰もいません。でも、振り返ると、保護者が3人!到着出口から黄色いジャージ軍団が出てきました。おめでとう!と模造紙を広げ出迎えると、おいおい、恥ずかしいよという雰囲気丸出しの選手たち。そんなこと構わず、はいはい、並んで、と、記念撮影タイム!いえーい。笑って、笑って。

 と、空港で一人はしゃぐおっちゃん、浮きまくってました。でも、やっと、やっと、りょうまくんに、おめでとうが言えたから。キャプテン、チームを引っ張ってきて、学校のエースどころか、鹿児島のエースですから。しかしインターハイ前に怪我をしてしまって。辛い辛い日々だったと思います。だから、りょうまくんにおめでとうシャワー浴びせたかったのです。本当に良かった、復活おめでとう。そして冬季練習、がんばって、来年からはまた強く速い、りょうまくん、応援します!

 

11月10日(木)

 引き続き、11月3日の話です。この日、高校3年の次男が、静岡の陸上大会に出場します。4×100mリレーです。通称ヨンケイ(四継)と呼びますが、高校に入学した頃からこの学年が3年生になった時、40秒台中盤で走るチームになるのではと話をしていました。昨年の秋に九州新人で41秒1で優勝、県記録(40秒90)の更新はもちろんインターハイの入賞も目指してきました。しかしそう簡単にはいかず、メンバーの怪我等もあり、なかなか41秒を切れない試合が続きました。なんとしても県高校記録を出して高校生活を終えたい、指導者も選手も、わたしたち保護者も同じ思いです。アサから始まった小学生フェスタも昼頃には午前中種目の表彰も終え、ヒトダンラクをしていました。13時頃からレースが始まり、スマホでライブ配信を視聴します。1組からレースが始まりました。決勝レースはなく、1発のタイムレースです。6組目、チームが出てきました。

 1走、あおとくん、安定の飛び出し、2走、次男、バックストレートぶっ飛ばします。エースりょうまくんが3走、バトンが詰まり、内側のチームが出てきましたが、走力は全く引けをとりません、アンカー1年生金城くん、走りだしはほぼトップと並んでいましたが、加速で周囲に圧倒されます、2.3人に抜かれたでしょうか、トップから5mほど遅れてゴール。速報は40秒3台を示します。瞬間わたしの口からは「微妙!」と出ます。

 正式タイムが出る前真っ暗な画面をじっと見つめます。長い時間に思えました。そして表示されました。

 「40秒72」

 従来の県高校記録、40秒90を0.18秒更新する県高校新記録樹立です!やっと出た〜。同じチームの子たちが幅ピットで補助員をしていたので、でたよ!と伝えました。喜んでいました。顧問の先生にもすぐにLINEを送りましたら、もうちょっと出したかったと、悔しさもにじませていましたが、確かに、もっと早く出ていてもよかったし、もっと上の記録も狙えたメンバーでしたが、それも陸上競技の難しさです。これで今シーズン全てのレースが終わりました。高校最後の学年を走り切って、ほっとしています。夜は、嫁さんと静かに乾杯しました。

 

11月8日(火)

 11月3日(木・祝)。朝イチ、鴨池陸上競技場。わたしが担当する県小学生陸上フェスタです。役員の駐車場の門番から、スタンドや補助競技場の開門、チーム受付等を普及部の部員の皆さんと手分けして進めます。8:00から監督会議、次年度から始まる小学生の登録制度について、おそらくほとんどの方が初めて聞く話で、いろいろな意見・質問がでるかもしれないと構えていましたが、そのようなことはなく、監督会議は終わり、そしてすぐに開会式です。この開会式もこの2年間はこのような形ではできませんでした。

 選手宣誓は、全国大会コンバインド種目で入賞をした高山ジュニア陸上の中村さんが立派に務めてくれました。9:00競技開始、いきなり、タイム計測に不具合が生じ、焦りましたが、なんとか、復活をして、その後はスムーズに進みました。わたしの最大の仕事は、競技終盤、各個人種目の結果が出揃ったところで、優秀選手、最優秀選手を選出することです。大会終盤の、高校生による模範演技や、リレーの決勝種目と、この日一番の醍醐味を味わうことなく、書類や大会記録等を引っ張り出し協議を進めます。選考結果をアナウンスに伝え、後は、最後まで滞りなく表彰等も終わり、大きなトラブル・事故・怪我なく終えることができ、ほっ。参加者、指導者、保護者、審判、各皆様に感謝申し上げます。高校生もたくさん補助員ありがとうございました、SCCの引率にも中学生がたくさん来てくれました、ありがとう。辺りが薄暗くなった頃、帰路につきました。

 

11月7日(月)

 10月31日(月)、午前中は、とある用件で、話を聞いて欲しいと某所に。午後は県P連事務局、先週が予定が合わず、事務局に行けず、机の上は未決済の書類が山積みでした。午前中の案件、ご担当の方にお越しいただき、詳細、ご説明いただきました。

 11月1日(火)、2つ予定が入っておりましたが、どちらも延期となりました。コロナとは関係ありません。従いまして、終日、デスクワークで、たまっていた新聞に目を通したり、書類をファイリングしたり。

 11月2日(水)、午前中は、来客、次年度からの事業で打合せ、午後は県P連の役員会、令和2年度に開催を予定していた県P連70周年の記念事業、3回企画してすべて開催できませんでした。今年度当初は全くの白紙としていましたが、やるかやらないか、協議をしました。終了後、陸上競技場に出向き、翌日の大会の準備でしたが、すでに終わってしまっていました、ごめんなさい。軽く打合せをしました。夜はクラブのトレーニング、11月からは移行期ということで、リラックスした練習をしていました。

 

11月2日(水)

 10月29日(土)、午前中の便で鹿児島に戻り、昼、1時間ほどトレーニング。汗をかいてスッキリ。午後は大会やクラブの練習の様子を見にいこうとしていたら、事務所の電話の転送でトラブルがあり、結局、事務所の電話番をすることになりました。

 10月30日(日)、アサイチ、息子を乗せて、鹿屋体育大学へ。一番乗りで、競技場には誰もいなくて、出番は昼頃なので、さて、どうやって時間を潰そうかと、とりあえず、涼しいうちにトレーニングを済ませようと、バックストレートあたりで軽く身体を動かしていると、おそらく、同じフェリーに乗っていたのでしょう、急にゾロゾロと競技会に参加する人たちが集まりだし、Tシャツ姿で一人モクモクと体を動かすわたしを見て、次々に「え!試合に出るんですか!」「え!試合に出るんですか」と声をかけられ、ああもー、違うって、と。しかし、確かにわたしが誤解を生むような行動をしてしまったわけで、ごめんなさい。

 息子は、昼過ぎに、4×100mリレーに出場しました。前回の愛媛のU18大会で足首を痛め、どの程度の怪我なのか、ちゃんと話もしなかったのですが、ちゃんとスパイクを履けたのが、前日ということがわかり、まだまだ痛みは長引いているようです。アップも心配しながら見ていましたが、なんとか、走れそうな感じでした。1年前、九州新人で優勝した同学年4人で走りました。 入学時から切磋琢磨してきた4人、このメンバーで走るのはおそらくこれが最後となりました。

 

11月1日(火)

 10月27日(木)。午前中は運営委員会、各事業の進捗状況、課題となっていること、協議をしました。午後は、市のスポーツ推進審議会、現在、市のスポーツ推進計画の見直しに入っています。数値目標に総合型地域スポーツクラブの会員数に関する記載がありました、がんばらねば。

 10月28日(金)。鹿児島空港から那覇へ。10月はただでさえ、寒暖の差が激しい上、このようにあちこち行っていると、日々、寒いのか、暑いのか、よくわからなくなってしまいます。駅から会議がある会場までは1キロほど徒歩。もう汗びっしょり。12月開催、PTAの九州大会沖縄大会について議論をしました。この2年間は、このような研究大会も、やるのか、やらないのか、やるのであれば、リモート、ハイブリッド、そのような議論ばかりでしたので、こうしてやることを前提としていろいろな議論ができることが嬉しく思いました。

 

10月31日(月)

 10月25日(火)、夕方から母校の大学OB会鹿児島支部の事務局部隊の打合せでした。忘年会に向けて等。

 10月26日(水)、午後から月次決算の会議、9月の収入、支出の内容を確認しました。コロナが流行り始めてこの2年半、ずっと低空飛行が続いてきましたが、昨日は久しぶりにホッとする数字を見ることができました。まだ安泰という訳ではありませんが、なんとか、この調子で下半期いければいいなと、明るい気持ちになりました。この2年半、何故か部活動だけが制限されたり、そうなると、わたしたちは部活動ではないのですが、スポーツやってはいけないのでは、という見方もされ、苦しいこともありました。なんとか復活を。夕方は、外部コーチを務める学校の練習から、クラブの練習を見て、帰宅をしました。当たり前にスポーツができることに感謝します。

 

10月27日(木)

 10/22、土。朝はゆっくりと過ごし、午前中はたまっていた新聞等に目を通しました。午後はクラブの練習をみました。

 10/23、日。昼から、鹿児島空港へ。今月は出張も多かったですし、次男の遠征の送り迎えも含め、よく空港にきました。昼過ぎの便で羽田に向かいました。

 10/24、月。午前中、日本スポーツ協会の会議、東京は急に寒くなって驚きました。本当にどのような格好をすればいいのかわかりません。前日深夜まで激闘が繰り広げられたプロ野球の神宮球場がが眼下に広がり、変な気分でした。お昼に会議は終わり、羽田まで1時間、14時過ぎに飛行機で帰りました。前日の夜遅くの便で、次男は鹿児島に戻ってきています。足首の状態をいろいろ話をしたかったのですが、練習がレストで、遊びにいってしまい、帰宅は遅くでした。

 

10月26日(水)

 10月21日(金)。朝、4時起床、5時過ぎにはホテルを出て、6時には羽田空港。なんで、朝の6時にこんなに人がいるんだよと、旅行支援なんとかのせいでしょうか。あいているレストランで朝食を済ませ、7時過ぎに飛行機で愛媛に向かいました。空港からリムジンバスで市内へ。市街地から路線バスに揺られること40分ほど、U18日本選手権が開催されている松山市内の競技場に到着しました。次男が男子三段跳に出場します。まずは、補助競技場、遠くからアップの様子を見ます。

 アップが終わり、わたしは、スタンドに回ります。跳躍ピットでは、まだU16の部の三段跳が実施されていました。1時間弱、競技開始が遅れましたが、競技がスタート。昨年2位になりましたので、優勝候補の一人として挙げられていますし、本人もそのつもりで臨んでいます。1本目で自己ベストの15m25につぐ、15m00を跳びました。気温25度前後、快晴、空気もカラッとしており、コンディションは最高です。本人も調子良さそうに見えますが、実はこの1本目で足首を痛めてしまいました。

 2本目はファール。ここで、スタンドにいる後輩を呼んで、何やらいろいろ話しかけています。イヤな予感がします。顧問の先生に何かあったか、聞きました。怪我の報告でした、次の跳躍をパスするとのこと。どの程度の痛み、怪我なのか、わかりません。

 3本目はパス。ここからはベストエイト、2本です。4本目、出てきました。もしかしたら、この1本にかけるのかもしれないと思いました。しかし記録は伸びず、14m80。これで終わるかもなあと思いましたが、ラスト5本目出てきました。祈ります。しかし、最後はファール。インターハイの借りを返すつもりで臨みましたが、同じような展開で、残念、でも、全国で2年連続入賞、今回は4位でしたが、それはそれで立派なこと、胸中半々というところでしょうか。いつもお世話になっているトレーナーの先生がいらっしゃっていて、少し足を診てもらいました。ほっとします。わたしも帰路、そのトレーナーの先生に車で市街地まで送ってもらい、ホント、親子でお世話になります、笑。夜の便で鹿児島に戻りました。

 

10月25日(火)

 10月は出張が続き、東京にも数度、国体やU18で栃木や愛媛にも行き、未だ鹿児島は日中30度近くまで上がる日もあるのですが、栃木では10度ちょっとと、この時期、全国うろうろするのは、寒暖の差が激しくたいへんです。服装もよくわからなくなってしまいます。

 10月18日(火)、午前中は来客、久しぶりにお会いする方でした。次男の新聞報道等を見て、嬉しくなって、ということですが、募る話がたくさんあり、話し込んでしまいました。また遊びに来てください。午後は安全振興会の審査会でした。終了後、事務局で決裁や出張の打ち合わせでした。

 10月19日(水)、昼から鹿児島空港へ。東京、翌日からの会議で前泊でした。

 10月20日(木)、日本PTAの会議が、午前午後と続きました。PTAの、入会、退会というものに対する概念がどうにも周りの方と話が合わなくて、いったいどこにチャンネルを合わせているのか、いろいろな考え方があって、それは多様で、意見を交わし合うのは良いことですが、わたしはしっかりと自分の考え方は持ち続けたいと思います。PTAはやさしさ、思いやり、支え合いの組織です。いろいろあるけど、みんな笑顔で、やれたらいいじゃないですか。眉間にしわ寄せて、負担、義務、強制、そんなの似合いません。

 

10月19日(水)

 10月17日(月)、午後から車のワイパーゴムの取り換え。夕方、事務所にいると、次男から連絡があり「ちょっと練習をしたいから、迎えにきてくれない?」と。これが事件の始まりでした。つまり、この日は練習はレストだったので、学校終わり次第、電車等で帰宅、18時からトレーナーのコンディショニングを入れていたのです。ですが、少し練習をしたいので、それから電車を使って帰宅をすると、18時に間に合わないので、17時頃学校まで迎えにきて欲しいというのです。次男は1時間ほど軽く汗を流し、わたしは17時過ぎに学校に到着し、次男と合流、高速に乗って、17時半には帰宅する予定でした。順調に高速を走っていると、降りるインターの2キロ手前で急に渋滞が始まり、ピタリと動かなくなりました。慌てて、スマホでいろいろ調べると、15時頃高速道路で事故があり、通行止めになっていると。それでもわずか2キロですから、20〜30分で辿り着くだろうと、トレーナーには遅れるとの連絡を入れて。しかし、全く車が進みません。1時間経っても、残り1キロほど。これはいつになったら、高速降りることができるかわからなくなり、その日のコンディショニングは申し訳ないですが中止の連絡をし、結局その2キロを進むのに2時間かかりました。ちょーイライラしてしまいましたが、後部座席ではグーグー眠る次男に、動じない、さすが、アスリートだなあと、笑。

 

10月18日(火)

 10月15日(土)、前日に続き、北方領土返還要求運動の九州ブロックの会に出席をしました。2日間にわたり、改めてこの問題がどういうことなのか、何が問題なのか、歴史的な経緯を含め、勉強いたしました。日本側からの言い分、ロシア側の言い分、どこがどう食い違っているのか、少し理解が進みました。遠い昔にお勉強したこと、ヤルタ会談とか、サンフランシスコ講和条約とか、そういうことだったのか、またそれが、まだまだ今に至る東西の問題、ウクライナ侵攻にも繋がっていること、いろいろ考えされられました。午後は、クラブの練習へ。

 10月16日(日)、昼、練習を終えた、次男を競技場まで迎えにいきました。午後は次男のマッサージと、2階のトイレの換気扇が異音がしていたので、脚立によじ登り、中を開けて掃除をしました。なかなかの難作業でしたけど、スッキリしました。異音も消えました。

 

10月17日(月)

 10月12日(水)。午後から副理事長を務める教育安全振興会の理事会が開催されました。この日、前日のマイルリレーの優勝のことが大きく新聞に掲載されていて、出席の他の理事の方から祝福の言葉をたくさんいただきました。そのまま県P事務局で決裁等を済ませ帰宅をしました。夕方はクラブの練習を見ました。

 10月13日(木)。午後から車の定期点検、新車で購入してもう14年経つ車で、営業の方が、そろそろ、と、話を持ち掛けてきます。しかし、走りは何も問題ありません。塗装が少し劣化しているのが気になります。

 10月14日(金)。北方領土返還要求県民運動という会があるのですが、わたしは、その副会長を務めています。会長は県議会議長です。最初にこの会への出席要請が来た時は、怖い人たちの集まりなのかと恐々参加をしたのですが、全くそんなことはなく、わたしのただの勉強不足で、つまり、この問題は国家間の問題であり、北海道の方々だけの問題ではありません。日本国全体で取組んでいかないといけないことであり、なので、鹿児島にもそのような活動があり、県P連や県議会としても一緒になって取組んでいるということです。で、その九州ブロックの会議が昼から開催されました。終了後、鹿児島南高校に向かい、陸上部1.2年生はほとんどが九州新人大会に行っているのですが、3年生の一部が鴨池で練習をしたいということで、次男を迎えにいきました。競技場に着くと、国体マイルリレー優勝のこと、高校生やSCCの皆さんにたくさん声をかけていただき、次男も嬉しそうにしていました。

 昨年の九州新人で、やっと、リレーを走れるようになった選手です。それが1年で、国体に出場をして、優勝なんて、想像すらしていませんでした。

 

10月14日(金)

 10月11日(火)。午後から来客、例年、先方の県大会の開会行事に出席をしてご挨拶をさせて頂いております。それら含め、一度ご挨拶をということでお越しになられました。すぐに外出をして、月に一度の病院で、尿酸値の検査のために採血をすることになりました。が、珍事発生。わたし血圧はたいへん優等生で、上が120前後、下もだいたい70代ですが、いきなり140という数値をたたき出します。看護師さんも、アレ、と、深呼吸してください、もう一度、アレ??と。何かありました?と聞かれましたが、何かあったわけです。つまり、前日のレースの興奮がまだ収まっていないようで、こどものスポーツの応援で少し興奮し過ぎました、と伝えました。

 夕方は空港へ。栃木国体、鹿児島県チームが帰ってきます。少し飛行機遅れましたが、そのまま解団式をして、解散しました。強化部長や短距離コーチ陣にも、お世話になりましたと挨拶しました。そのまま車内で、次男と、レースのこと、いろいろ話をしました。いつも飄々としていて、マイルの決勝も強心臓で突っ込んでいった、そういった印象あるかもしれないですが、実は、決勝の直前まで誰か他の人に代わって欲しかったと本気で思っていたそうです、それくらいの重圧、プレッシャーを感じていたようです。その他、車内でいろいろな話をしました。夜は、お祝いでお寿司をとりました。

 

10月13日(木)

 10月10日、月・スポーツの日。朝からまったく落ち付きません。新聞を読んだりしますが、内容がまったく頭に入ってきません。昼前くらいには、そろそろウォーミングアップに入った頃かなとか、考えます。栃木国体最終日、最終種目、男女混合4×400mリレー。前日の予選の結果、8チームが決勝に進出しましたが、3分24秒中盤から25秒中盤、わずか1秒の中に8チームすべて入っています。鹿児島は全体で3番手の通過ですが、決勝はメンバーを代えてくるところもあるだろうし、どこが勝つか全く予想もつきません。初めての種目ということで、わたしも勝負の勘所がまったくわかりません。どうなるのか、心配でたまりません。1位かもしれないし8位かもしれない。決勝レーンを確認すると、鹿児島の1つ外側が福岡、福岡の1走は全国高校総体400mのチャンピオンです。でも、良かったのは内側ではなかったこと。内側だと、ライオンと追われるうさぎです。恐ろしくて仕方なかったかもしれません。外側なので、スピードは次男の方があるわけで、前半、ほどよくついていき、後半離されるのは仕方ない、そんなこと思っていました(後ほど聞くと、次男も同じことを考えていたようです)。

 リビングのテレビ画面でライブ配信、セッティング。いよいよスタートの時間がせまります。選手が出てきました。スタブロをセッティングし、スタート練習をしている様子が映し出されます。レーン紹介が始まり、次男、1走。表情も映りました。オンユアマークス、セット…。


中央上部、青ユニフォーム、次男

 バックストレートで持ち味のスピードをいかし、突っ込んでいきます。もうそれしかありません。大切なのは200から300、え、え、え、インハイチャンピオンとの差がグングンつまります。そして残り100mで内側から抜きました。え、え、ええええー。そのまま後半、粘り、トップで2走へ。ト、ト、トップ!?その2走みのりも、バックストレートでは後ろに20mほどの差をつけ、ラストは力のある子たちに抜かれましたが、3走玲美につなぎます。次男と一緒で、スピードでは負けません。後半もヘタレるタイプではありません。2位まで順位をあげます。ラストは佐藤くん、前半、前にいかれますが、力を残している感じがわかります。しかし、トップ京都とは最後のコーナーを抜けるところで 20mくらい差があります。ライブ配信のカメラは、ゴール正面から映し出されているので、ラスト直線の勝負、最後のなだれ込んだゴール、どこがどうなったのか、全くわかりません。佐藤くんが前に出たようにも見えます。画面をみつめます。次男が倒れ込んでいる、佐藤くんのところに駆け寄り、手を差し出します。そして、速報がでる大型スクリーンをみつめる後ろ姿が映ります。大型スクリーンの文字はテレビ画面からはわかりません。その瞬間、次男が両手を挙げたのです。ゆ、優勝???、ほどなく、その大型スクリーンがアップになり、1位に「鹿児島」の文字が。大逆転、0.1秒の差に3チームがなだれ込んだようです。茫然、心拍が高まったまま静まりません。30分ほどソファーから起き上がれませんでした。そのまま表彰の様子も、ライブ配信で見つめます。夢みたいです。いろいろな方から、同じように、興奮したメール等が届きます。

 ちょっと落ち着いて、鴨池陸上競技場に向かいました。記録会が開催されていて、最後の決勝だけでも見ようと。チームメイト、川上くんが、2本、高いレベルで怪我無く走ることができて、嬉しかったです。最近、練習でも調子が良いんだと聞いていました。鹿児島高校の上井くんも復活。2人とはよきライバルとして、競いあってきました。しかし、3年生になり怪我でインターハイに出場することができませんでした。帰りに川上くんに会えたので、よかった!って声かけました。良い時も苦しかった時も、川上くんの笑顔はいつも変わりません。来年、再来年、すごい選手になると思います。

 夜は、家内と乾杯しました。夜になっても、まだ心拍数が高いままでした。

 

10月12日(水)

 10月8日(土)、午後から全高P連の会議でした。10月に毎年開催しているのですが、初めて参加していることに気付きました。1年目は、わたしの前任の方が、会長職多忙を気遣っていただき、わたしの負担を少しでも軽くと、別の役員が出席できるように手配をいただき、その次の年は、2019年10月頭の大型台風、あの時は、まさに今、国体に出ている次男が中3で、ジュニアオリンピック、わたしが文科省表彰、と、スケジュール錯綜で、どのように動けばいいか、細かくスケジュールを立てていたのですが、台風ですべてぶっ飛びました。あの時、次男、初めての全国大会で、出場が叶わず、自然相手のことで、その思いどこにもぶつけられず、憤っていました。その後、コロナが始まり2年間、ようやく初めての出席だなあとそんなことをいろいろ思いました。中身は委員会で、わたしは研修を担当する委員会の副委員長を仰せつかっております。

 10月9日(日)。この日も午後から全高Pの会議。全国の会長、局長集まっての会なのですが、最後自由に意見交換なる時間があり、すると、いろおーんな意見が出始めて、殺伐として空気に。で、会は終わりました。空港に向かう途中、この日、国体は混合男女4×400mリレー、次男がエントリーされていることが判明しました。4×100mリレーは出場するのは前もってわかっていたのですが、こちらのほうは、高校生枠として、300mの選手もいるし、300mハードルではインターハイ2位の選手もいるので、最終的にだれが走るのかは、現地での調子次第だろうなあと思っていました。事前の予想段階で、上位に食い込めそうなのは、この混合マイルだという話にはなっていたので、出るからには、チームに迷惑をかけないようにしっかりと走って欲しいと思っていました。

 ちょうど、浜松町からモノレールに乗り込んだ頃リレーの1組が始まりました。モノレールは車内ワイファイが繋がります。スマホからライブ配信を読み込みます。1組がゴールして、タイムが出ますが、初めての種目なので、タイムがピンときません。5組あって、タイム順で8チームが決勝に上がりますので、だいたいこの1着の3分25秒くらい、が目安になるのなかと思いました。あっという間に羽田空港につき、慌てて、搭乗手続きを済ませ、ゲートをくぐり、周りにあまり人がいないところで空港ワイファイをつなぎ、イヤフォンをして、再びスマホでライブ配信、ちょうど4組目のスタートでした。そして、5組目1走、次男が出てきました。ドキドキ。1走から2走のところ、早出して、ちょっとスピード落としましたが、無事、バトンを繋ぎ、結局、2位でゴールしました。タイムを他の組と見比べて、8位以内には入っているようで、決勝進出が決まりました。急に、翌日の決勝の応援に栃木に行きたくなり、今から乗る飛行機キャンセルできるのか、いろいろ考え始めましたが、もう搭乗30分前で、あきらめて、鹿児島に戻りました。この判断は、翌日、ものすごく後悔をすることになります。

 

10月11日(火)

 10月7日(金)。東京駅から栃木に向かいます。最寄りの駅からシャトルバスが出ていて、駅に着くとちょうどバスが出るところでした。競技場に着き、検温をし、入場をします。昨年、一昨年と中止延期となった国体、こうしてスタンドに人も入り開催されています。不思議、でも、この2年間は一体なんだったのか、という思いもよぎります。スタンドに座ると、容赦のない寒風が。寒くなるとは分かっていましたが、気温30度の鹿児島からではどれくらい寒いのかどんな格好をすればよいのか、判断つきません。10度ちょっとです。次男が、前日の100mに続き、走幅跳に出場します。

 1本目、7mを少しオーバーしたあたりに着地をします。審判が目視では判断できず、カメラで確認をし、バッと赤旗があがりました。ファールでした。2本目、6m93。3本目、ファール。しかしちょうどこの頃は風がぴたっと止まってしまって、踏切りが合っていても、そんなに記録は出ていなかったと思います。結果、エイトに残れず、全体16番目でした。1本目が惜しかったです。わたしは翌日東京で会議がありそのまま残りましたが、家内が鹿児島に戻るということで、浜松町のモノレール乗り場まで送っていきました。家内が乗る予定の飛行機が1時間ほど出発が遅れて(この強風の影響だったそうです)、家に辿り着くまで心配しました。

 

10月10日(月)

 10月6日、木曜日。朝からそわそわ、まったく落ち着きません。栃木国体、少年男子A100mに次男が出場します。高校入学以来、主に跳躍種目を主戦場としてやってきましたが、初めて、短距離で全国の舞台です。わたしも高3時に、国体、100mに出場しました。予選を、ライブ配信でみようと張り切っていたのですが、ライブ配信はないということがわかり、落胆。妹が現地、スタンドから見ていたので、スマホのテレビ電話機能で中継をしてくれました。豆粒ほどの大きさですが、2着に入ったのはわかりました。すぐに現地の国体スタッフからも動画を送っていただき、2着ですが、だいぶ余裕をもって走れています。良い感じです。

 午後から県P連役員会、13時半から。100m準決勝は13時50分から。正直、栃木が気になって仕方ありません、スマホがピコピコ鳴って、結果はわからないのですが、どうやら、決勝には進めなかったようなやりとりです。役員会が終わり、ゆっくりと動画を見ました。予選に比べて、明らかに動きが悪く、完全に乗れていないレースとなってしまいました。予選に先着した子にも負けて、7着。予選の感じからすると、もうちょっと上位に食い込んでいけるような雰囲気があったので、残念です。しかし、初の全国大会、自分の力がどの程度かよく理解できたのではないかと思います。

 役員会が終わり、いったん家に戻り、着替えて、空港へ。東京駅近くのホテルにチェックインしたのは、23時近くでした。軽く飲んで、何度も100mの動画視ながら、寝ました。

 

10月6日(木)

 10/5、水。昼から外出、栃木国体に出場する次男を応援するために、嫁殿を鹿児島空港まで送っていきました。久しぶりの東京にド緊張で、スマホにsuicaダウンロードしていきました。夕方は、事務局が誰もいなくなってしまったので、わたしが留守番をしました。栃木から次男の前日練習の動画が送ってきました。東京に着いた嫁殿からラインが入り「suica使えた!」と喜んでいました。確かにETCといい、SUICAといい、初めて使う時はかなりドキドキしました。長女、次女の習い事や塾の送り迎えで行ったり来たり。22時に長女の塾が終わり、長い1日が終わりました。

 

10月5日(水)

 10/4、火曜日。アサイチで次男を連れて空港へ。国体に出場するため、栃木に向かいました。1年前どころか、今年の6月くらいまでは、次男が国体に出るなんて、全く考えていませんでした。ところが、7月頭の県選手権のジュニア100mで優勝してから、急に選考の対象選手となり、後日、出場が決定をしました。わたしも高2、高3と、少年男子100mに出場をし、3年の時は入賞をしました。息子が同じ種目で出場をすると、不思議な気持ちです。100mは全国大会初出場です。どこまで自分の力が通用するのか、チャレンジャーの気持ちで思いっきりぶつかっていって欲しいと思います。

 午後は県P連新聞編集委員会、次号の校正等、また、もう新年号の企画について、話が挙がりました。終了後、事務局で決裁や出張の打ち合わせ等をしました。そのまま高校陸上部のトレーニング、ウェイトトレーニングでした。九州新人が近づいてきました。陸上のスクールへ、次女を迎えにいき帰宅をしました。そこからさっと宿題にとりかかり、1時間ほど、夕食、お風呂を済ませると、スイッチが切れたようにパタッと寝てしまいます。スマホ見る余裕はありません。早寝、早起き、朝ごはん、+運動、です。

 

10月4日(火)

 10/3、月。外出、来客の予定もなく、終日デスクワーク。夕方は次男、国体前のケアで、針治療を入れていたのですが、急遽、練習が入り、慌てて学校まで迎えにいき、ギリギリ針治療、間に合いました。定期的に診ていただけて、ありがたいです。

 

10月3日(月)

 9/30、金。夕方から商工会の会に出席しました。そのまま、鴨池に向かい、クラブの練習をみました。良い感じでケツワレしてました、笑。短距離系の練習で、疲労物質である乳酸が急に出ると、お尻が割れるように痛くなることを「ケツワレ」と言います。よく言われるのは女子選手は本能的に身体を守ろうとすることで、練習で追い込めず、このケツワレを経験したことがない選手がいるそうです。なので、女子選手でケツワレできる選手は、しっかりと追い込んだ練習ができる良い選手です。

 10/1、土。午前中は、外部コーチを務める高校の練習。天気もよく良い練習ができました。専用のタータントラックがあるグラウンドで練習できる、素晴らしい練習環境です。昼からは、次男が参加している国体合宿の様子を見ました。SD(スタートダッシュ)を見たくて、グラウンドに行くと、ちょうどその練習をやっていました。遠くから、動き、確認しました。国体前、最終調整です。玲美がいて、先日の全日本実業団、100mのB決勝と、200mと棄権をしていたので、どうしたのだろうと思っていたのですが、いろいろ話をすることができました。いろいろと心配な面はありますが、国体まで後ひと踏ん張り。国体終われば、いったんリセットして、また、心身ともにリフレッシュしていければいいです。終了後、クラブの練習をみました。夜は次男、そのまま泊まりで、次男がいるのといないのでは、晩ごはんの量が全く違うのです。鶏ミンチをコネコネして、つくね、作りました。

 

9月30日(金)

 今年も残り3か月となりました。次男がシーズンのしめくくり、長女は、受験本番が近づいてきました。10月は例年出張が増える月ですが、11月になるとぐっと寒くなりますので、爽やかな秋を感じることができる季節、丁寧に毎日を過ごしたいと思います。

 9/29、木。午後から運営委員会、クラブの各教室ですが、当然この2年半、コロナへの各対策を講じてきました、状況に応じて、また、国県市から出ている各指針等を参酌すながら、方針を立ててきましたが、また今回少し変更することにしました。終わり次第、自治会館県P事務局に向かい、各書類に目を通し、決裁、事務局の皆さんと各打ち合わせをしました。

 

9月29日(木)

 9/26、月。午後から来客、打合せ。内容は非公開です。しかるべき時が来ましたら、しっかりとご説明しないといけないことです。夕方は次男のケアに付き添いました。土日の合宿でバンバン脚が張っています。脚のつけ根に少し違和感があったのですが、そこは無くなったと、ほっとします。この怪我で2年生の1年間は、短距離練習できませんでした。

 9/27、火。夕方から市P連の会議、市Pの役には就いていませんので、いろいろな会や企画、わたしが担当してきたものもたくさんあります。説明を聞きながら、なんとなく、懐かしいという感覚です。

 9/28、水。午前中は、市のスポーツ推進審議会。もう10年以上、この委員も務めていますが、委員就任当時は、国がスポーツ基本計画を策定し、鹿児島市もその市バージョンということで、推進計画を立ち上げるという時だったのです。そしてそれから10年が経ち、国も新たな基本計画が第3期となり、市としても、新たな推進計画を立ち上げることになりました。その議論がスタートしています。

 午後は、外部コーチを務める高校陸上部のトレーニング。幅の子が、すっと良い動き、掴みました。九州新人楽しみです。途中で切り上げ、鴨池へ。クラブのトレーニングを見ました。高校生の進路の件で、久しぶりにライバルに電話をしました。高校、大学、実業団、100m、ずっと競い合ってきました、勝敗は五分五分だと思います。ちなみに、高校3年の時、県総体では、向こうが1着、わたしが2着、北部九州大会の時はわたしが1着、むこうが2着、ずっとそんな感じです。しかしベスト記録はあいつは10秒19、その記録を出した時に日本代表に選ばれ、アジア大会に出場しています、あの時は悔しかったなあ。あいつが日本代表になれるなら、オレもなれるはず、必死に練習しました。でも、夢は叶わず。そんな話、またゆっくり飲みながら、したいよな、と電話を切りました。

 

9月28日(水)

 9/25、日。午前中は、1週間前に実施する予定だった、運動会直前1DAYかけっこ塾を見にいきました。台風の影響で1週間順延となりました。残念ながらこの日、運動会本番でキャンセルというお申し出もいくつかあったのですが、そこまで参加者も減ることなく、快晴のもと、賑やかに実施することができました。

 昼は、合宿を終えた、次男を迎えにいきました。練習は指定の時間に終わったのですが、トレーナーからケアを受けてから帰るということで、駐車場でしばらく待ちました。どこか怪我したのか、と、ヒヤリとしましたが、マッサージを受けていたということです。

 夜は、次女が、ダンスをしているのですが、その発表会に向けた練習を見にいきました。17時半から21時半まで、4時間!でも、次女はダンスがとっても楽しいらしく、前夜からワクワク、何度も衣装を着替えるので、その準備も、まるで遠足の前日のようでした。

 

9月27日(火)

 9/23、金。祝日、午前中は、外部コーチを務める高校陸上部のトレーニング。急に気温が上がりました、台風の影響でしょうか。午後はデスクワーク、夕方はクラブのトレーニングでした。

 9/24、土。次男は国体合宿、わたしは、隣の競技場で前日に引き続き、高校陸上部のトレーニング。競技場に立ち入ると、びっくり、かなりの数の陸上部が来ています。安全第一で。ヨンパの練習は、バックストレートでもバンバンスタート練習をしているので、衝突が無いように気を使いました。幅跳、踏切後の飛び出し動作を改善したら空中で良いタメができました。いったん、事務所に戻り、午後は再び陸上競技場へ。一転、利用者も少なく、広々と練習できました。

 

9月26日(月)

 9/20、火。月次の決算会議、8月の収入、支出の中身をチェックをしました。相変わらず、低空飛行が続いています。やはり、コロナの感染が増えると、入会者数が増えませんし、休会も増えます。もう2年半ですから。そろそろ上向いてもらわないと。ふう〜とため息が出てしまいます。

 9/21、水。午後から教育安全振興会の審査会でした。そのまま県P事務局で決裁等の用務を済ませました。すっかり遅くなり、そのままスクールを周り、鴨池陸上競技場で練習を見ました。

 9/22、木。PTA会長を務める鹿児島南高校へ。文化祭に合わせて、PTAバザーで提供品販売を行いました。わたし会長3年目ですが、この2年間は文化祭に保護者が参加できませんでした、従って、バザーも開催されませんでした。今年はどういう形でも良いので、何かしら「バザー」というものをやらせていただきたい、ということを年度当初に申し上げました。PTAは1年でどんどん人が入れ替わる組織ですから、2年やらないと、もうすでにこれまでのやり方がわからなくなってきたところもあります。なので、今年は何かしら配慮しないといけないかもしれないけれど、絶対にやると、申し上げてきました。そして無事開催することができました。昼間の2時間ほどでしたが、先生や保護者同士、良いコミュニケーションを図りながら、楽しく実施することができました。開催できて良かったです。そのまま午後は体育館で、書道部やダンス部、吹奏楽部等の発表を見させていただきました。これらもようやく初めて見ることができました。個人的には文化祭といえば「軽音」だろ!と思うのですが、今はあまりやらないようです。

 

9月21日(水)

 9/19、月。台風の影響がどれくらい残るのか、当初は月曜朝にはもう強風域も抜けているような予報でしたが、どんどん遅くなって、この日午前中の教室は難しいと、もう前日に中止を決めました。午後からは外部コーチを務める高校陸上部の練習の予定でしたが、こちらも雨風まだ強いということで中止になりました。で、夕方からの教室をどうするか、まずはその会場を見てみないとということで、現場まで赴き、できそうだということになりましたが、まだ雨がシトシト降ります。んんーと。もしかしたら19時くらいまで降るかなと心配しましたが、奇跡的に教室開始時の17時には止んで、最後までもったようです。ただ、参加者は少なかったと報告ありましたが、これで、台風で気を揉んだ数日間が終わりました。

 

9月20日(火)

 9/17、土。午前中はデスクワーク、昼過ぎ、練習を終えた次男を駅まで迎えにいきましたが、この日の練習で相当脚にきたようです。陸上競技場へ。前日から強い風が吹いていたので、今日も相当強いのだろうなと予想していましたが、前日より弱まっていて、雨も降らず、良い練習ができました。夕方は次男のケアに付き合いました。

 9/18、日。次男はこの日から国体合宿の予定でしたが、中止に、SCCも午前中イベントを予定していましたが、延期といたしました。昼くらいから徐々に風も強まってきました。この日はどこにもいけないだろうからということで、前日に食材を買いこみ、昼からおでんと肉じゃがとじっくり時間をかけて煮込み料理で時間を潰しました。良いおつまみができました、笑。母の誕生日、80歳です。いつまでも健康で。

 

9月19日(月)

 9/16、金。昼から競技場へ。マイルの決勝、女子、外部コーチを務める学校は、予選を4位通過でしたが、なんとか、1つ順位を上げて、九州新人大会出場を決めたいと、願って、がんばって3位に入りました。男子は、次男の後輩たち、決勝はだれが走るのかなあと楽しみにしていましたが、幅跳の子が1走に入りました。先日、練習を見にいった時に、次男に300mで食らいついていたので、彼も速いんだねと話をしました。幅では7m跳ぶ選手ですから相応にスピードがあるのは分かっていたのですが。しっかりと1走を務めていました。しかし、まだ、スプリント勢も控えていますし、この選手層の厚さがすごいですね。昨年出した大会新記録を更新しました。夕方、出掛ける前、日曜日の公共施設の閉館、おそらく交通機関もストップするだろうということが分かり、日曜日のイベントの延期を決めました。早めに延期の場合の対応をとっていたのが良かったです。そのままクラブのトレーニング。すでに風が強くなっていました。

 

9月17日(土)

 本日、3年ぶりの開催となる国民体育大会の栃木大会の鹿児島県選手団が報道発表がされました。次男、少年男子100m、走幅跳、4×100mリレー、混合マイルリレーの4種目にエントリーしていただきました。その他にもSCC会員、元会員は、鶴田玲美、行船宏哉、立迫大徳、櫨元優馬、下野みのり、計6名です。がんばってください、そして来年の地元鹿児島国体に向けて良い弾みをつけて欲しいと思います。

 9/15、木。午後から競技場へ。100mの男女準決勝見ました。男子は小田くんとひいろが力が抜けていて、その2人に南高校勢がどこまで食い込めるか、という感じです。ヨンパで外部コーチを務める学校の選手が3位に!九州新人出場を決めてくれました。100m決勝は予想通り、の順位で、らいはが4位、少し陸上選手らしくなってきました。が、あの豪快さは大切にして欲しいなと、ガツガツ行けよ!と。女子走幅跳を見たかったのですが、競技場をいったん後にし、自治会館、県P事務局でお仕事、笑。机上の書類に目を通し、決裁を済ませたり、事務の方と出張の打ち合わせをしたり。夕方のマイルの予選は見たかったので、慌てて済ませ、帰りに県庁保健体育課に寄って、提出しないといけない書類を1つ持参しました。マイル予選の時間にギリギリ間に合って、外部コーチを務める学校は女子全体で4位通過。翌日決勝、3位までが九州新人大会出場です。なんとか1つ順位をあげたい。ベスト8を見ることができなかった女子走幅で自己新で2位となっていました、わお!夜は19時から校区の会議。こちらもPTA会長を降りたことでほとんどの充て職もなくなったのですが、1つだけ残っていて、その会議でした。

 

9月15日(木)

 9/14、水。県高校新人大会、外部コーチを務める学校や、次男の後輩たちのことも気になります。午前中から競技場で競技の様子をみます。グラウンドを眺めながら、1年前、次男、2年生として出場した県高校新人大会、男子三段跳、スタンド無観客、しかも本数も4本と限られた状況の中、15m25の大会新記録を出しました。この時点ではまだリレーもマイルも、怪我が怖くて、まだまだ、という選手でした。しかしその後、九州新人リレー、4走で走り、大会新記録。U18全国大会、三段跳2位と、一気にアスリートとしてレベルが上がりました。あれから1年。この大会から始まったなあと感慨深く競技場を見渡しました。

 男女リレー、外部コーチを務める学校はなんとかリレーを組めたという状態で、脚の状態がよくない選手もいて、心配をしましたが、バトンはよく流れて、決勝に進出しました。次男の後輩たちは男女どちらもトップ通過。女子のほうが力が抜きんでています。午後はアップ場に入り、アップの様子をみました。そして決勝。外部コーチを務める学校は8レーンで、もう他のチームを気にする余裕はありません、あくまで自分たちのレースを貫き、予選よりタイムをあげて、立派に入賞しました。このチームでもこれから戦っていける、そのような自覚が芽生えたのではないかと思います。そのまま夕方からはクラブの練習。次男が、この日、トレーニングができなかったので、一緒に練習をしました。久しぶりに次男の動きを間近で見ました、そしてスタートのところ、1本1本感覚を意識しながら、お互い動画を見ながらああでもないこうでもない。どんどん動きはよくなり、最後は納得の1本、でした。日本トップクラスの高校生スプリンターとどこまで勝負できるか、チャレンジャーとして思いっきり楽しんで挑んできて欲しいと思います。

 

9月14日(水)

 9/8、木。午後から病院へ、尿酸値を下げる薬を。尿酸値が高いということはイコール、腎臓の数値も悪く、こちらも投薬をするかどうか、また、今度採血をして判断しましょう、ということになりました。

 9/9、金。県P連の会議。わたしが会長に就任してから立ち上げた会の1つで、県内には27の市郡P連があるのですが、会長さんにお集まりいただき、それぞれの組織運営についてディスカッションをしていただく会です。わたしもすべての協議会の運営状況を存じ上げているわけではないのですが、こうして意見交換をすると、事務局の在り方も様々ですし、会長の選任の方法や、また全く予算をもたないようなところもあり、多様だなあと理解が深まります。是非、それぞれ課題を出し合い、その解決のヒントになるようなことを1つでも2つでもお持ち帰りいただければと思います。充実した会となりました。決裁を済ませ、そのまま陸上競技場へ、クラブの練習を見ました。

 9/10、土。午後からクラブの練習へ。

 9/11、日。オフでしたが、次男が競技場で練習だったので、見にいきました。遠くから眺めました。昼過ぎから料理を3品作り、次男のマッサージをして、温泉に入り、夜は自分が作った料理で夫婦でゆっくり晩酌をしました。最近は長女が塾通いで、夜遅くのお迎えがあり、わたしひとりで飲むことが増えました。受験生です、連日遅くまで勉強がんばっています。

 

9月13日(火)

 9/6、火。この日は午後から県P連役員会、終了後に退職校長会と意見交換会でした、が、台風の影響により、意見交換会を、先方からの申し出により、中止としました。役員会どうするということになったのですが、鹿児島の事情で、陸続きばかりではなく、島から、飛行機や船でお越しいただく方々のことを考えると無理にはできませんねということで、また、週末に別会があるので、協議すべきことはそちらに回しましょうということになりました。従いまして、予定がぽっかりと空きましたが、終日、デスクワークを進めました。

 9/7、水。夏休みで帰省していた長男が、この日、大阪に帰ります。台風も通り過ぎ、予定通りと思い込んでいたのですが、朝方、長男がええ〜と言って、その台風の影響で、機体のやりくりが上手くいかず、欠航となりました。急遽夕方の便に振り替えることができて、ほっ。本当はもう1泊くらいしてくれたら嬉しかったのですが。午後から次女の小学校の学級PTA、わたしが会長を降りた後、いろいろと改革が進み、わたしですら、よくわからなくなってしまっていて、他の方はもっとだと思いますが、少し心配になりながら。出席者数も少ないように感じました。長男を空港まで送るので、少し先に席を立ちました。長男を空港まで送っていき、どうしても、この瞬間は嫌ですね。寂しいです。でも、大阪で自分のやりたいことに向かって、がんばっているので、ガンバレ、と、笑顔で見送りました。そのまま陸上競技場へ、外部コーチを務める高校陸上部が新人戦前、バトンの練習をするというので、みました。なかなか上手でした。

 

9月12日(月)

 9/4、日。夜は、食事会に参加をしました。SCCの会員でありスタッフである初音がこの度、素敵な男性とめぐり合い、ご結婚と相成りました。小学2年生の頃に入会、それからずっと、成長の様子を見守ってきました。天真爛漫でとにかく周りを和ませてくれるキャラでありながら、たいへん繊細な部分ところもある子で、心配したこともたくさんありました。いろいろな思い出があり、素敵なウェデイングドレス姿で現れた時はたいへん感動しました。このような食事会もこのコロナで全く開催されず、本人たちも開催するかどうか、悩んだ末にこの日に至ったと思うのですが、みんな笑顔でハッピーで、とても幸せな時間でした。わたし最後に挨拶があったのですが、その前に花嫁の手紙で泣かされ、でも、いい感じに酔っぱらってるし、なんだか思いつくまま、けっこうな時間喋ったようです、笑。ごめん!でも、本当に幸せな時間でした。それでもみんなコロナに気を使いながらでしたので、早くそんなことも気にせず、大声で笑い合いながら、楽しく食事ができるそんな世の中に早くなって欲しいです。

 9/5、月。午前中は県P連の総合保障制度を担っているいただいている保険代理店の方がお越しいただき、今後の手数料等で変更になるところご説明いただきました。丁寧な説明でよく理解できました。この日の夜から明け方にかけて台風最接近で、夕方のスクールは室内が使えるところが確保でき、安全に実施することができました。台風も大きな被害がでなかったようで、ほっとします。

 

9月9日(金)

 9/1、木。昼、空港へ。長男が少し遅い夏休みで、大阪から帰省でしてくれました。夜は、次男を迎えに学校へ。部活を終えてから、土曜日の体育祭の集団演技の練習をします。長男が5月で二十歳になったので、夜は、一緒に飲みました。嬉しいですね。そしてけっこう強いです、笑。わたしは早々と酔っぱらって、次男のマッサージもあるので、席を立ちましたが、嫁と長男は楽しそうにいろいろな話を、遅くまで語り合っていたようです。

 9/2、金。教育委員会の用務で午前午後と。夕方はクラブの練習を見た後、そのまま次男の高校へ。集団演技の練習を終え、一緒に帰宅。いよいよ明日本番です。天気が心配です。

 9/3、土。次男が通う高校の体育祭。高校最後の体育祭となりました。天候が心配されましたが、明け方は晴れ間も見せました。少しほっとしますが、でもいつ降り始めるかわからない、そんな空模様です。次男は、開会式で選手宣誓の大役を、立派に務めました。

 開会式の後、順調に競技が進んでいき、そして、いよいよ3年体育科の皆さんの集団演技、この日のために夏休みも朝早くから、学期明けも夜遅くまで、ずっと練習してきました。しかし、演技が始まったちょうどそのタイミングでした。雨が降り出し、あっという間にグラウンドはぬかるんでしまいました。あれだけ練習してきたのに…、それでも必死で最後までやり通そうとする生徒の皆さんの姿に胸が熱くなりました。悔しかったと思います。

 そして一番楽しみにしていた、体育祭最後の種目、学級対抗リレーはこれまた残念至極、中止となり、体育祭は終わりました。高校最後の体育祭、たいへん残念な形となってしまいましたが、天候には勝てません。大きな怪我事故なく終えることができ、何よりです。午後はクラブの練習へ、他の利用団体も少なく、良いトレーニングができました。

 

9月8日(木)

 8/29、月。午後からオンラインで会議、今年度から始まる総合型クラブの登録認証制度ですが、その鹿児島県の審査会です。ご提出いただいた書類が登録の基準を満たすものかどうか、協議をいたしました。お恥ずかしながら、わたしがSCCの理事長として提出した書類にもわたしの勘違いで不備書類があり、慌てて修正をしました。

 8/30、火。アサイチで鹿児島空港、台風が来ています。当初、31日に鹿児島に上陸するような予報が出ていたので、もしかしたら延泊になるかもしれないなと思いながら、でも、少しずつ予報は南のほうを通る進路になりました。大丈夫かなと。11時から日本PTAの会議でした。昼を挟み、夕方まででした。

 8/31、水。羽田空港へ。無事、飛行機、飛ぶようです。ほっ。鹿児島空港へ。昼過ぎ帰宅をしました。夕方はクラブの練習をみました。練習が終わり、次男の高校へ。体育祭直前、集団訓練の練習を部活を終えてから連日取り組んでいます。迎えにいきました。

 

9月7日(水)

 8/25、木。午後から全国高等学校PTA大会、分科会に参加をしました。元文科省の合田さん、経産省の浅野さん、このお二人のお話はいつも凄くて、特に合田さんの、時に哲学的な話ぶりはいわゆる官僚というイメージではなく、人間くさくて、好きなのです。夜は、金沢と言えば、このお二人という、榎さんと西村さんと食事をしました。ザ、総合型クラブのお二人で、鹿児島にも来ていただきましたし、わたしも金沢に何度も呼んでいただきました。

 8/26、金。午前中は前日に引き続き、全体会に出席をし、ファミリーマートの澤田さん、金沢のご出身とのことです、情熱的なお話に引き込まれました。コンビニ業界はもう飽和状態と言われています、ばりばりのレッドオーシャンの中で競争している方のもつ熱量はすごいです。それはそれ、しかしわたしの経営哲学はいかにブルーオーシャンをつくりだすか、唯一無二であること、つまり競争する必要のないビジネスモデルが至高だと考えます。午後は金沢から山形へ。地図で見ると直線距離はそこまで遠くないのですが、公共交通機関移動となると、大宮までいったん南下し、そこから東北新幹線で3時間ほどと大移動でした。東北は宮城、福島までは行ったことがあるのですが、それより北は初めて踏み入りました。

 8/27、土。日本PTA全国協議会の全国大会に参加しました。前日に分科会が開催されたのですが、この日、全体会から参加しました。地元の有名な交響楽団による指揮者のトークショーや演奏でした、クラシックとかオーケストラとかわたしには無縁の世界ですが、心地よく迫力のあるプロの音楽はとても素晴らしく、贅沢な時間でした。終了後、山形から東京、羽田空港から鹿児島、到着は夜遅くとなりました。

 

9月6日(火)

 8/22、月。前日に全国小学生から帰ってきて、今回は諸々ありましたから、この日は完全に気が抜けていて、何もやる気が起きず。朝もボーっとしていたら、そうだった、と、午前中の用務を思い出し、慌てて、準備をして外出をしました。県の健康安全の大会に来賓として開会行事に出席をしました。帰りに、この日から始まったかけっこ塾後期の初日の様子を遠くから眺めました。午後は、実は会議が1つ入っていたのですが、完全に失念してしまい、すっぽかしてしまいました。翌朝、手帳を開いた時に気づき、担当の方にすぐにお詫びの電話を入れました。

 8/23、火。午後から月次決算の会議、収入、支出の内容について精査しました、墜落はしないのですが、低空飛行が続いています。もうちょっと上向けば、損益分岐を超えるところなのですが、やはり、コロナ感染が増えると、入会だとか、イベントの参加者とか、ダイレクトに影響が出ます。外に出て、何か新しいことにチャレンジしようという社会的な空気が抑え込まれてしまいます。

 8/24、水。朝8時鹿児島空港集合で、石川で開催される高校PTAの全国大会に参加をします。2年前は中止、1年前はオンライン開催、現地参加は3年ぶりです。例年ならば、わたしは会議やレセプションがあるので、別行動で現地入りをするのですが、今年はそれらがありませんので、鹿児島県の参加者のみなさんと一緒に行動を共にしました。大阪伊丹空港、貸切バスで7時間かけて石川金沢へ。途中、東尋坊に立ち寄りました。バス移動7時間、なかなかしんどかったです、笑。

 

9月5日(月)

 8/20、土。全国小学生陸上交流大会、大会当日。前日怪我した子も揃って、朝食をとった後、元気に宿舎を出ました。競技場に着き、開会式、そして競技が始まります。それぞれの競技時刻に合わせ、各指導者と選手が動きます。滞りなく競技も進み、今年は上位入賞する選手がおりませんでしたが、それぞれベストを尽くしました。

 最後のフレンドシップパーティの時でした、選手の一人が体調不良を訴えます。大会本部とやりとりをし、先に宿舎に戻り、看護師さんが待機している部屋で診ていただくことになりました。その時点ではそこまで熱も高くなく、部屋で待機ということになったのですが、そこから熱があがり始め、寝ているのか具合が悪いのかわからないのですが、本人とメッセージのやりとりができない状態です。再度、大会本部とやりとりをして、再度、看護師さんに診ていただくことになりました。保護者にもホテルに来ていただき、対応を協議します。最終的には翌朝、6時に最終判断をしましょうということになり、わたしが部屋に戻ったのはもう日が変わる頃でした。ベッドに横になりましたが、よく眠れず寝たのか寝てないのかよくわからない状況で、朝を迎え、6時に最終判断がなされ、保護者付き添いの元、その選手は離団ということになりました。残りの選手・指導者に引き続き、体調不良者が出ないか、よく状況を監察しながら、その後の日程を過ごし、羽田空港から鹿児島空港に向かいました。鹿児島空港で解団式を行い、例年ならばここでほっと一息なのですが、離団した子のその後の状況が心配です。もし、コロナ陽性となった場合、今回の選手団の中で濃厚接触にあたる人が出てしまいます。そのフォローも必要です。夕方、一人、トレーニングをし、汗を流している時でした。携帯がなり、保護者からでした、大きく深呼吸して電話にでます。「陰性でした」との報告に大きく胸をなでおろします。よかった…。トレーニングの疲労と、安堵感と合わさって、そのままぶっ倒れて、しばらく起き上がれませんでした。

 鹿児島では九州選手権が開催されていました。次男がジュニア100mに出場し、予選、準決とよい流れだったのですが、決勝は並んだところで固さが出て、2位と1/100秒差の4位でした。まだまだ経験不足です。

 

9月1日(木)

 9月です。8月はほぼ毎週出張が入っておりましたが、9月は少し落ち着いて日々過ごせそうです。お盆を過ぎて、少し、朝晩涼しくなって、このまま過ごしやすくなってくれたらいいなあと思っていたのですが、なんですか、昨日今日のこの暑さ。日中の最高気温は35度近く、今朝も起きたらもわっとする感じで、きついですねえ。

 8/17、水。午後から県P連役員会、議案は順調に進めていったのですが、今、懸案とされていることについて、少し意見交換をしましょうとなり、たくさんの意見が出されました。終了後、県教委がお見えになられ、今後の情報機器の導入について、方向性をご説明いただきました。

 8/18、木。朝は、明日から鹿児島で開催される九州選手権の審判役員の主任会が開催されるということで、駐車場係でした。9時に任務を終え、10:30からは運営委員会でした。午後はデスクワーク、夕方は、九州選手権の前日練習を終えた息子を迎えにいき、家まで送り届けると、もうすっかり遅い時間になってしまいました。翌日からの出張の確認をして早めに就寝しました。

 8/19、金。朝は4時起床。軽くトレーニングをして、朝食をとり、5時半過ぎには出発、空港6時半集合です。全国小学生陸上大会、選手団の監督です。選手団引率の責任者です。

 空港カウンターで団体受付をします。全員にチケットを手渡し、飛行機に乗り込みます。初めて飛行機に乗るという子もいて、緊張をしています。羽田空港から選手団は専用のバスでカップヌードルミュージアムを見学してニッサンスタジアム、わたしは先にスタジアムに行き、選手団の受付を済ませました。選手団到着の後、配布物を渡し、注意事項を確認した後、前日練習。わたしは指導者講習会という別プログラムに参加をしました。

 しかし途中でスタッフから連絡が入ります。「選手が怪我をして病院を受診しないといけないことになりました」。日本陸連と状況等のやりとりをして、病院の名前を聞き、研修会は途中で退席をして、病院に向かいました。幅跳の着地の際に、スパイクのピンで自分の手を怪我したとのことです。傷口に砂が入っているので、応急処置では済まされず、丁寧な洗浄が必要ということでした。念のためレントゲンも撮りますということで、時間がかかるでしょうということでした。夕方まで病院にいたのですが、わたしは夕食後、ミーティングで、選手指導者に伝えないといけないことがあるので、保護者にお任せして、選手団が滞在するホテルに向かいました。ミーティング等を終え、20時頃、怪我をした選手の全ての処置が終わりましたと連絡が入り、その後、ホテルに戻ってきたのが、21時頃で、片手を包帯グルグル巻きで帰ってきました。明日はがんばって出場しますということですが、無理をしては駄目ですよ、と声をかけました。とりあえず笑顔を見られてほっとしました。

 

8月17日(水)

 8/13、土、午前中は記録会が開催され、その様子をスタンドから見ました。午後は陸上競技協会の常務理事会でした。終了後、そのまま陸上競技場でクラブの練習を見ました。1日中、陸上競技場にいました。

 8/14、日、次男は、朝から体育大会の集団行動の練習があると、朝、6時には家をでて車で駅まで送ります。そのまま練習をして帰ってきました。夕方は、お墓参りをして、夜は家内の実家で食事をしました。

 8/15、月。前日同様、6時に、次男を駅まで送りました。夕方から、全国小学生大会のオンラインでの監督会議と次男のケアが同じ時刻に始まりました。当然、オンライン会議の内容も聞き漏らさないようにしないといけないのですが、次男とトレーナーさんが話している内容も気になり(わたしには話さない、いろいろな身体の気になるところとか)、聖徳太子になりたい気分でした。

 8/16、火。朝は、PCR検査の検体採取。指定されたパッケージに詰めて、郵便局から郵送しました。前日の監督会議に出て、いくつかわたしの手元に届いていない資料があるということが判明し、それらについて、あちこち電話をしてやりとりをしました。外出をして、次男が髪を切るというので送っていきました。午後はこの日から、次女が楽しみにしていた、廃校になった学校で行われる体験学習、3日間行われます、次女は毎年、夏にこれに参加するのをとても楽しみにしています。1日目を終えて迎えにいくと、川遊びをしたらしく、髪が濡れていて、でも、キラキラした表情をしていました。「たのしかったあ〜」と、帰りのクーラーの効いた車内ではあっという間に気持ちよさそうに寝てしまいました。

 

8月16日(火)

 8/10、水。アサイチ、次男を空港まで送りました。県の強化合宿で県外です。このような合宿もこの2年半、なかなか開催ができませんでしたので、ようやくです。午後は、県スポーツ協会で登録認証制度の書類を提出をしました。夕方はクラブの練習の様子を見ました。

 8/11、木。午前中は、陸上競技場会議室へ。翌週に開催される全国小学生大会の結団式を開催しました。選手団、引率スタッフ、それぞれ自己紹介をした後、大会3日間の注意点をわたしから説明をいたしました。このコロナと、コンバインド種目という小学生版混成種目等で、毎年レギュレーションがころころ変わり、わたしも大量の資料にしっかりと目を通しておかないときちんと説明もできません。今年も全員PCR検査が義務付けられました。

 8/12、金。午後から県P連事務局へ、各資料に目を通し決裁を済ませました。そのまま空港に向かい、合宿を終えた次男を迎えにいきました。とにかく、インターハイ直後の合宿で、まずは疲労を抜かないといけない時期だから、と釘をさしてはいましたが、強化部の先生から動画が届いたりして、まぁまぁ走ったようで、全身筋肉痛で帰ってきました。いつ疲労抜くのですか。

 

8月15日(月)

 8/8、月。前夜は夜の便で徳島から福岡へ。この日は夜も遅いので博多駅前のホテルに宿泊をしました。アサイチの新幹線で鹿児島に戻り、そのまま鹿児島空港へ、次男を迎えにいきました。インターハイ開催中は、まったく連絡とらなかったので、車内で、少しだけ、競技のこと、話をしました。夕方は、次男のコンディショニング。トレーナーさん曰く、もっと脚、ガチガチになって帰ってくるのかと思ってたが、多少疲労はありますが、そこまで張ってはいませんね、と。動きが良い時は不思議と、動けば動くほど筋肉の状態が良くなるという経験はわたしにもあります。

 8/9、火。やらなければいけない業務があって、でも、インターハイが終わるまでそんな気持ちにならなくて。11日に全国小学生大会の結団式があるのですが、その資料を作らないといけないのですが、全く手つかずで、作ろうとパソコンを開くも、あれ、あの資料はどこにあったっけと、今年から庶務担当が変わったので、そこから急にバタバタし始めてあちこちに電話をしたり。総合型クラブの登録認証制度の申請書類もいっきに仕上げました。午前中は、市のスポーツ行政担当の方と打ち合わせ、午後は病院にいきました。尿酸値が高く(つまり痛風予備軍)、数値を下げる薬を飲んでいるのですが、10年以上通った病院が、ある日突然、施設が閉鎖されていて、別の病院に施設を統合したと張り紙があって。そちらまでこれから通うのは面倒くさいなあと、ネットで調べて、近くの病院を受診してみました。いろいろと検査もしていただき、これからはこちらに通うことになります。

 

8月12日(金)

 8/7、日。朝、宿をチェックアウトし競技場へ。徳島全国高校総体最終日、4×400mリレー準決勝に出場をします。同じ組には東福岡もいます、中京大中京もいます、予選全体で2位通過のチームもいます、着順で入るのも厳しいかもしれない、しかし、最低3着で3分15秒切るタイムを出しておけばプラスで残れます、と、弱気な父と裏腹に、次男、ぶっ飛ばします、バックストレートでスピードにのると、いっきに先頭に食らいつき、アンカー坂元くんがトップでゴールをしました。後から聞いた話ですが、LAP47秒台で走ったそうです。初めてのことです。

 近くのコンビニで昼食を買い込み、休憩所でそれを食べようと、競技場の周囲を歩いていると、次男が、前からニコニコしながら歩いてきます。おっす、と実に爽やか。大会も5日目、4種目の出場、疲労もそれなりに溜まっていて、しかも、400mを47秒台でついさっき走ったわけですから、1時間くらいは起き上がるのもしんどい、そんな感じになっているかもしれないと、父は心配をしておりましたが、なんのこっちゃ。「なんか食べる?」と聞くと、食べる〜!と袋から冷やし中華を取り出し、さっさと歩いていきました。食欲もあります。わたし現役の頃、これだけの暑さの中、本数をこなしていくと、内臓も疲れ、固形物が全く喉を通らなくなる経験たくさんありました。我が息子ですが、インターハイ、最後の舞台まで立ち続ける選手とはこうなんだと、そのタフさに驚きました(何も考えてないとも言えますが)。

 夕刻、決勝が近づいてきました。5日間の大会を締めくくる最後のレース、全国の名立たる強豪校の総力戦です。競技場全体が独特の雰囲気に包まれます。いつもなら、各チームの応援合戦もあるのでしょうけど、声をだしての応援はできませんので、その静かだけれども、皆の熱い思いがうごめいている、実に不気味です。選手が出てきました。スタートです。

 1走、須田くん。全体6番手で2走に渡します。2走、1年生金城くん、1人追いつき5位で3走次男に渡します。先頭争いをする4チームとは20mほど差が開いていて、この差を追いつくのは厳しいと思いました。しかしバックストレートでじわじわその差をつめていくと、カーブで明らかにグングン差がつまります。ホームストレート、残る力を振り絞ります。わたしの目の前を、通り過ぎていきます。ガンバレガンバレ、心の中で叫びます。先頭集団に追いつき、4走に託します。アンカー坂元くん、4チームの先頭争いに加わります。東福岡の400mで優勝した選手に食らいついていきます。バックストレートで2位まであがります。カーブで1人抜かれ3位、ラスト直線は洛南の猛追を逃げ切り3位、銅メダルでゴール!涙で前が見えません。


3走、ラスト、ホームストレートへ


4走、ゴールになだれ込みます

 しばらくして表彰式です。インターハイの銅メダルをかける姿にまた号泣。すごいすごい。スタンドに顧問の先生の姿をみつけ、挨拶にいきました。目が真っ赤でした。お互い声になりませんでした。この後、チームメイトに囲まれ、写真撮影をする様子をしばらく見ていましたが、レンタカーを返却する時間が近づいてきたため、競技場を後にしました。大阪から来てくれた長男を、高速バスの乗り場まで送っていき、レンタカーを返却し、空港に向かいました。

 この日は、家内の47歳の誕生日。47歳の誕生日にマイルLAP747秒台で銅メダルという、最高のプレゼントになりました!

 

8月10日(水)

 8/6、土。宿を出て、長男と待ち合せます。大阪から高速バスで応援に駆けつけてくれました。太田家、徳島に大集合!徳島インターハイ4日目、競技場へ。一昨年はスタンド無観客、その前年は中止、ようやくこうして通常通りの開催ができるようになったこと、いっぱいになったスタンドに感慨深く感じます。スタンドには県教育長、県高体連会長もお越しくださいました。インターハイの各種目を視察で回っていらっしゃって、ちょうどこの日が陸上競技の視察とのことでした。次男の跳躍を見ていただけます。ご挨拶申し上げました。予選が始まりました。通過LINEは14m70、今年はこの辺りの記録がアベレージとして出ているので、1本目で跳んでくれると、余裕をもって午後の決勝に臨めるなと思いました。

 1本目、スタンド最上段から見ましたが、2つに分かれたピットの手前側で、着地したところがスタンドの陰になっていてよく見えませんでした。しかし、表示板に「14m80」と出ます。一発通過です。幅跳、リレーと、もうひとつな感じが続いたので、ようやくスカッとします。

 時間をおいて、午後夕刻、少し涼しくなりました。決勝が始まります。予選と比べて、少しはスタンドの人も少なくなるのではと思っていましたが、変わらず、たくさんの人で埋め尽くされています。跳躍順に選手が現れます。次々と跳んでいきます。風が強く、1本目から15m20前後の記録がでます。これはレベルが高い勝負になりそうだなと感じます。

 次男の番になりました。踏切りは合いましたが、跳躍が伸びず、14m50。1本目だったのでとりあえず記録を残すために足を合わせて無難にいったのかもしれません。2本目、ファール。後が無くなりました。3本目、予選で跳んだ14m80くらい跳べば、エイトに残ります。力はあります。スタンドに手拍子を求めました。本人もここが勝負どころだとわかったのでしょう、助走が始まり、踏切りもバッチリ板にのって、ステップ、ジャンプ、15mを越えたところに着地しました。歓声があがります!が、次の瞬間、バタッと音がして、審判、赤旗があがりました。惜しくもファールでした。

 全身の力ががくっと抜けます。昨年秋に15mを跳び、U18日本選手権で2位になってから、この全国高校総体の優勝を目指してきました。専門雑誌にも有力選手の一人として名前が挙がっていました。しかしその夢は、入賞にも届かず、ここで潰えました。わたしもここに至るまでのことをいろいろ思い返し、涙が溢れて止まりませんでした。次男、翌日、新聞に顔写真入りで記事が出ましたが、あの写真はしばらく泣きはらした後だったらしく、目が腫れてなかった?と後日、心配していました。

 ちょうど4×400mリレーの予選が始まり、次男は三段跳と時間が重なり出場できなかったので、誰が走るのだろうと思っていたら、川上くんが3走を務めました。前にも書きましたが、チームのキャプテンであり、競技力もナンバーワン、しかし怪我で悔しい思いを重ねてきました。4×100mリレーに出場できるといいねと話をしていたのですが、それも叶わず、そしてようやく4×400mの予選で走ることができました。脚にはテーピングが巻かれ、本調子ではないことは走りを見ていてもわかります。でも、必死で前を追う姿に、またまた涙が溢れました。

 

8月9日(火)

 8/4(木)、午前中は、かけっこ教室の指導が入っていましたが、コロナで中止に。ということで、徳島インターハイ、男子走幅跳、予選、ライブ配信で視聴することができました。次男、1本目ファール、2本目、踏み切り板だいぶ手前で踏み切り、フィニッシュせず、5mいくつか。崖っぷちの3本目。ベストは7m20、それを越える記録あたりが、決勝進出ラインのようです。ところが、10人くらい前の跳躍者くらいから風がピタリとやみます。今、風の力なしで、自己記録を跳べるのか、不安になります。ところが、2.3人前からまた良い風が吹き始めますした。さあ、舞台は整いました。踏切も合い、追い風参考の風が吹きましたが、7m届かず。完全に力不足です。前日のリレーといい、くすぶったような感じが続きます。

 午後は県P連の会議、PTA活動研究委嘱公開の令和5年度発表の皆様にお集まりをいただき、 この委嘱公開とは何なのか、注意するべき事柄、またそれぞれの進捗状況等意見交換をしました。皆さん、それぞれ課題を出し合い、良い雰囲気で会議終わりました。

 8/5(金)、太田家大移動。わたし、嫁殿、娘2人、鹿児島から博多、博多から福岡空港。福岡空港で両親と待ち合わせをし、飛行機で徳島へ。レンタカーの手続きをして、一路、陸上競技場へ。徳島インターハイ、競技の様子を観戦しました。座った席の後ろに外部コーチを務める高校陸上部の子たちがいました。あの広い競技場でまったく不思議なことです。男子リレーが決勝に残っていれば、それを見る予定でしたが、予選敗退しましたので、競技場は離れ、「うどん」を食べて、淡路島で社会科見学、うず潮の原理を学びました、単純にいろいろな海流が一気に流れこんでいるのだろうと思っていましたが、同じところに、干潮と満潮が同時に発生し、その高低差で起こる現象なのだそうです。そこで東京から妹夫婦と合流し、夕刻、宿に入りました。

 

8月4日(木)

 7/31、日。市民体育大会、午前中は小学生のアップに付き添いました。雨の予報が出ていてすっかり油断をしていましたが、途中から強烈に晴れてきて、めちゃくちゃ危険な感じでした。次女も出場しましたが、アップに付き添っていた関係でレースは見れず、しかし、台風の影響で強烈な向かい風が吹く中、自己記録とほぼ変わらないタイムで走りました。午後は中学生以上一般のレースが続き、女子ヨンケイが、選手の一部が脚に痛みを訴え、出場するかしないか、いろいろ話ををして、棄権することにしました。レジェンドの風格がでてきたまゆコーチの走りまで見て、撤収をしました。夜は、インターハイに出場する次男、インターハイ前最後のマッサージ。市民体育大会の受付等で嫁殿がぐったり疲れてソファーに寝てしまい、起きてこないので、わたしが夕食まで作りました。1日動きっぱなしでした。

 8/1、月。アサイチで次男を乗せて、鹿児島空港まで。インターハイに出場します。ここに至るまでの道のりを噛み締めながら、よくここまで、と、感慨深く思いました。何度もケガもしましたが、乗り越えてきました。悔いなく5日間、過酷な戦いですが、でも、みんなが目指してきた憧れの舞台です。思いっきり楽しんで欲しいと思います。

 8/2、火。午前中は、かけっこ指導の予定が入っていましたが、コロナで中止となり。デスクワークを進めました。

 8/3、水。午前中は、県P連新聞編集委員会、午後は、県P連として労働局や経済団体に就職支援要請活動でした。このコロナでの高校生の就職について、諸々意見交換をいたしました。いったん戻り着替えて、夕方からはクラブのトレーニング指導。ですが、アイパッドでインターハイのライブ配信を見ます。男子4×100mリレーに次男が2走で出場をします。このヨンケイはものすごくレベルが上がっていて、もう41秒台ではまったく通用しない状況です。チームのベストは41秒1、県高校記録の40秒9を出せば、自ずと準決勝進出が見えてきます。1走の仲の良い、あおとくんから次男の1走、2走の飛び出しは素晴らしく、強豪校と引けを取らない展開でしたが、2走から3走でバトンゾーンをオーバーしてしまい、失格となりました。いつも3走を走っている神宮くんではなく、1年生が走ったようですが、何があったのかは分かりません。これでリレーは終わりました。思えば、1年生の頃、同級生4人がしっかりと力をつけていけば、3年生のインターハイでは40秒5くらいのタイムを目指せるんじゃないか、顧問の先生とそのような話をしたことを覚えています。そう簡単ではありませんでした。でも、秋に向けて、エース川上くんが復調した状態で、県高校記録の更新を目指して欲しいなと思います。

 

8月2日(火)

 7/28、木。午前中は、都内で日本スポーツ協会の会議、昼に終わり、帰ろうと思ったのですが、同じ建物に日本陸連の事務局があり、素通りするわけにはいかないかなあと。でも、この建物に事務局が移ってからは初めてで、事務局がある入口の前に着くと、ふらっと入っていける雰囲気では全然なくて、どうしようかなあと悩んでいたら、女性が通りかかり、どうかしましたか?と声をかけられ、いやあ、ご挨拶だけでもと思ってきたのですが、と、言ったら、中に通していただき、ご対応いただきました。鹿児島の人間が突然現れても、びっくりしますよね。そのまま羽田空港に向かい、鹿児島に戻りました。

 7/29、金。かけっこ塾、最終日。全員のタイム測定を終えて、5日間の全プログラムが終了しました。5日間、雨も降らず、また、体調を崩す子もなく、開催することができて、大きく安堵します。最後にみんなにエールを送り、毎年のことですが、この5日間を通して、大きく成長する姿に、いつも感動をして、涙腺が緩みます。子どもたちがたくさん、一緒に写真を撮ろうと、声をかけてくれました。夕方もクラブの指導の様子をしっかりと見ました。

 7/30、土。午前中は外部指導を務める高校部活動のトレーニングをみました。跳躍で、ずっと怪我をしていた選手がようやく動きがよくなってきて、いろいろとポイントを抑えて、本数を重ねていくうちにどんどん動きがよくなってきました。わたし、跳躍選手ではないのですが、息子のおかげで、跳躍の指導に説得力が出ています、笑。インターハイ出場組の皆さんも一言ずつ、頑張って欲しいです。いったん、事務局に戻り、再びすぐに外出をして、途中あるところに立ち寄りました。この日は、わたしにとって、忘れない日。小学校のPTA会長を務めていた頃、哀しい事故が起こりました。あの日も今日と同じく、ただただ暑い日でした。何をどうしたら供養になるのか、わかりませんが、ただこうして忘れずにいること、それしかわたしにはできません。現場で目を閉じ、手を合わせました。 競技場でクラブのトレーニング。ほぼ1日、競技場にいました。夕方は次男のケア、インターハイ前、最後のコンディショニングでした。トレーナーの先生にも本当に感謝です。

 

8月1日(月)

 7/24、日。県中学総体の様子を見にいきました。女子100mで全中標準突破、後、少しでした。

 7/25、月。この日から夏休み小学生かけっこ塾、初日だったのですが、外せない用務があり、そちらを優先させていただきました。県内高校生の就職支援要請活動で、知事や教育長を訪問させていただきました。午後も引き続き、経済団体への要請活動でした。今後の景気の動向等、いろいろな話題に及びました。ちょうど部活を終えた次男と待ち合わせをして帰宅をしました。

 7/26、火。夏休み小学生かけっこ塾2日目。指導を担当しました。昔は日焼け止めなんて塗ったことなかったのですが、近年はやはりダメージを恐れ、ばっちり塗っていきます。足を速く動かすためのラダートレーニング、スタートの構えがポイントでした。夕方はスクールの指導の補助で入りました。グラウンド整備まで終えて帰宅をしました。

 7/27、水。夏休み小学生かけっこ塾の3日目。引き続き指導を担当しました。この日は、ミニハードルを使って、中間疾走のところポイントでした。午後は理事を務める学校法人の幼稚園運営について協議をしました。帰宅し、準備をして、空港へ。夜の便で東京羽田空港へ。ホテルに着いたのは23時頃。東京タワーが綺麗に見えるお部屋でしたが、夜景に浸る間もなく、ハイボール飲んで一瞬で寝ました、笑。

 

7月26日(火)

 7/20、水。2つの会が同じ時間に開催され、わたしは県教育安全振興会の会議に出席をしました。もう1つは次男が通う高校の学年PTAでした。主に進路のことについていろいろ話があったようです。最終の便で東京へ。ホテルに着いたのは23時近くでそれからご飯を食べて寝ました。

 7/21、木。日本PTAの会議が午前午後と。

 7/22、金。日本PTAの会議が午前午後と。今まで2日にわたり午前午後の会議とかなかったように思います。2日間午前午後で組まれると、前泊後泊含め4日間費やしてしまいます。でもこれもお役目ですので、がんばらないといけません。

 7/23、土。お昼過ぎの便で鹿児島に戻りました。

 

7月20日(水)

 7/18、月。朝、訃報が入りました。わたしは現役時代、アシックスからスパイク、ウェア等サポートをいただいていたのですが、主に高校時代にお世話になった冨田さんがお亡くなりになられました。現役時代はもちろん、引退した後も、ことあるごとに声をかけていただき、次女が1歳になる頃にファーストシューズを送ってくださったり、鹿児島にお越しになられた際には食事に行ったりしました。そしてつい最近のことですが、1ヵ月ほど前に次男にスパイクを送ってくださったのです。わたしもこうして高校時代お世話になったので、昔の自分を見るようで、こうして親子2代にわたりお世話になるなんて、感慨深いなあなんて思っていたのです。次男はそのスパイクを履いて、先日、県選手権で100mを10秒55で走り、それらの結果報告等、ついこの間までメールでやりとりをしていましたので、ご病気をされていたのは知っていましたが、まだまだお元気でいてくださると信じ切っていました。せめて、インターハイまで、息子ががんばりましたと、報告をしたかったのですが、何度も言いますが、親子2代にわたりお世話になりながら、何も恩返しもできず、無念です。お別れにいきたかったのですが、スケジュールが合わず、せめて弔電だけでもと、その文面を書いていたら、涙が止まりませんでした。心からご冥福をお祈りします。

 

7月19日(火)

 7/17、日。次男が宮崎県で開催された大会に招待選手として出場しました。見に行く気満々でいたのですが、数日前に発表された一般観客入場制限に「先着300名」とあり、そんなあ、小学生も出る大会だし、300名なんて地元の方ですぐに達してしまうだろうと。今回は現地応援は諦めました。すると、宮崎の知人からメールで「今日は来ないの?」とあり、上記の事情により「県外からは無理ですよお」と返したら「3000名ですけど」と。は?つまりわたしがゼロを1つ少なく見てしまっていました。しかし!制限3000名って何?がんばってもそんなに入らないっすよ。よくわからない制限!で、ライブ中継はしてくださって、ガラガラのスタンドを恨めしく眺めながらライブ中継みました。次男は走幅跳に出ましたが、6m85。ほとんど無風の中で、助走スピードもいまいち上がらなかったようです。まぁ試合が続いている疲労と、最近、2学期明けにある体育大会の練習が、部活の後にあったり、木金はクラスマッチだったりで、バネがまったくありませんでした。リレーも走り、県外の強豪のチームと走り、あわよくば40秒台も狙っていきたかったのですが、41秒2でした。優勝は40秒30、中京大中京、強い。夕方試合を終えた次男を迎えにいきました。

 

7月18日(月)

 7/16、土。この日から世界陸上が開幕。一発目の競歩のワンツーから、男子100m、男子走幅跳と、テレビに釘付けでした。外出をし、本屋で「陸上競技マガジン」を購入。次男がカラー写真で出ています。この大きさでカラーで陸マガ、自分は載ったことあるかなあなんて。次男を学校まで連れていきました、練習終了後、そのまま県外遠征です。午後から県PTA連合会の役員会、終了後、県連合校長協会との意見交換会でした。いつもはPTAの方から校長会への質問が多く出されるのですが、今回は、PTA改革の好例や、SNSトラブルについて家庭でできることは何か等、先生側からわたしたち保護者への質問も出て、お互いの良い情報共有の場となりました。終了後は、例年懇親会があるのですが、3年連続中止です。だからでしょうか、会が終わった後もけっこうな方がそのまま残り、いろいろ話し込む場面が見られました。 やはり、フォーマルな意見交換も大切ですが、その後、もうちょっと込み入ったところ、本音の部分、聞きたいんだけど、と、 そのような意見交換も大切です。

 

7月15日(金)

 7/13、水。夕方から外部コーチを務める高校陸上部のトレーニングに参加、夕方といっても16:00はまだまだ陽は傾かず、ヤバイ暑さです。日陰ではないところは立っているだけでクラクラします。17:00くらいから少し涼しい風が吹いてきました。ほっとします。終了後、鴨池に移動をしてクラブの練習を見ました。新しく入会した中学生短距離の子がなかなか良い動きをするので、100mのベストいくつ?と聞くと、スマホで調べ始めて「わからんのかい!」と突っ込みましたが、いろいろ変わるので、と。伸び盛りですね。

 7/14、木。午前中は運営委員会、会議の議事録を取るアプリを導入しました。きちんと正確に文章化してくれます。すごいすごい。午後からは県P連が行っている子育てに関する三行詩コンクールでした。わたしも一通り応募いただいた作品に目を通しましたが、どれも温かい気持ちがぎゅっと詰まっていて、わたしの心も温かくなりました。事務局で決裁を済ませ帰宅をしました。

 

7月14日(木)

 7/11、月。会議、来客の予定なく、終日デスクワーク。夕方は次男のケアに付き添いました。1週間前の100mのレースの後、ハムストリングスに張りが出て、それがすぐには取れず、週末のリレーを走るか走らないか、いろいろあったのですが、結果、400mを1本問題なく走ることができました。でも、今度は足首に痛みがでて、この1週間跳躍練習をしたわけでもなく、なんでだろうって、話をしていたら、前回、強い選手は長腓骨筋がびっと筋が出てすごいねって話になって、そしたら、練習でカーフレイズをめちゃくちゃやったらしく、金曜日くらいにはまともに歩けないくらいふくらはぎが筋肉痛になってました。試合前に何やっとんねんと。その疲労ですね、と笑。

 7/12、火。昼からオンラインで会議。それでは名簿の順番に自己紹介をお願いします、と進行の方、その名簿が手元にないのですが…。こういったオンライン会議ではちょくちょくあります、メールで資料を送ったつもり、が、わたしには届いていないと。やっぱり、オンラインの会議、嫌いです。

 

7月13日(水)

 7/10、日。県小学生大会全国大会の予選会です。わたしが担当をする大会です。まず、朝です。駐車場整理からスタンドへの開門、監督会議と怒涛のような時間が流れていきますが、予定通り9時ちょうどに最初の競技が始まり、とりあえずほっとします。競技が始まると先ほどのドタバタはなんだったのかというくらい本部は静かになりますが、時折、いろいろな案件が舞い込んでくるので、その都度対応をします。

 次女が4年生女子100mに出場しました。決勝進出を目指していて、前夜に決勝進出はどれくらいで走ればいい?と聞かれ、ん−、16秒台前半かなあと言いました。そしたら16秒1で走りまして、へえと驚きました。残念ながら決勝進出は15秒99までで、惜しくも決勝にはいけませんでしたが、随分走り方もしっかりとしてきました。

 昼過ぎに、県選手権4×100mリレー決勝。この県選手権のリレー種目だけを今年はこの小学生大会と合わせて開催をしてみました。次男は大事をとって出場を見合わせましたが、3年生2人、1年生2人というメンバーで41秒4で走りました。県高校歴代ランキングに入るタイムです。すごい。

 大会終盤に近づくと、決勝種目が続き、本部は表彰や全国大会の説明、手続き等で朝方のような混雑が舞い戻ってきます。そんな中、県選手権4×400mリレーの3走に次男が出場しました。大学・一般のチームと競いながら、3分13秒、これまた県高校歴代2位の記録ですが、13秒台ではもう誰も驚かないという、笑。

 大会は17時前に無事終わりましたが、その後、全国大会出場選手、帯同スタッフの選考や手続きに1時間ほどかかり、18時頃、片づけを終え、ちょうど次男もダウンやミーティングが終わり、待ち合わせをして、一緒に競技場を後にしました。ぐったりと疲れましたが、こんな時こそ、帰宅後、30分ほどトレーニング、先ほどとは違う疲労感、しっかりと汗をかいて、シャワーを浴びて、ぐいと晩酌。次男のマッサージをして早めに寝ました。

 

7月12日(火)

 7/9、土。午前中は陸上競技協会の常務理事会、今季既に開催されてきた各種大会について、また8月には九州選手権も控えており、協議をしました。この日午後からは県選手権リレーの4×100mリレー、4×400mリレーの予選が開催されます。次男はこの日は動いてみて、どの種目、予選から行くのか、決勝行くのか、決めるということした。午後からは、今年度第1回の陸上競技協会の普及部会、今年の取組みについて、また翌日の役割分担について協議をしました。そしてそこから例年のたいへんな作業、翌日の小学生大会、ご協賛をいただいている食品会社からの大量の参加賞を各チームごとに仕分けるのです。これが本当にたいへんな作業なのです。みんなで手分けしながら進めます。終わる頃にはふ〜となります。ちょうど次男から「終わったよ」とLINEがきました。結局、この日の予選の出走はナシでした。

 

7月11日(月)

 7/6、水。PTA会長を務める高校の学校保健委員会でした。わたし3年目なのですが、過去2年間はすべて書面開催となりましたので、実際、集まって開催されるのは初めてのことでした。学校内の保健衛生安心安全に関する各取組について協議をいたしました。担当が陸上部の顧問の先生で、終了後、週末の試合のことについて少し話をしました。

 7/7、木。午後から2つの会議が重なっていて、1つは、県立高等学校の募集定員に関する説明会、もう1つは総合型地域スポーツクラブの県の新組織が立ち上がったのですが、そちらの会議がオンラインでの開催でした。わたしが議事進行を務めることもあり、前者は欠席、後者に出席いたしました。 夕方、外出をしようと計画をしていたのですが、事務局が不在になってしまい、外出あきらめ、電話番をしました。

 7/8、金。午前中は、法務局へ。役員変更の登記手続きでした。以前は、毎年総会終了後に資産の登記手続きがあり、これは年に1回のことなので、なんとなく慣れてきた感はあったのですが、この手続きが数年前から不要になり、法務局への手続きはこの2年に一度の役員変更登記手続きとなりました。2年に一度なので、以前やったやり方はすっかり忘れてしまいます。記憶をたどりながら、これでいいんだっけえ?とまったく自信なく書類を整え、提出をしました。

 午後は、長女の中学校の授業参観とPTAでした。小学校のPTA会長は長く務めたのですが、中学校のPTAに関わったことはなく、学級PTAにも初めて出席をしました。授業参観から始まり、教育講演会、学年PTA、学級PTAと、たいへんな長丁場で、これらを一度にやるんだと驚き、笑。わたしは常々、学級PTAを大切にしましょう、と言い続けてきているのですが、これじゃ、学級PTAまで辿り着いた頃には、暑いし、正直、少しでも早く終わってくれないかとそんな心境になってしまいます。終了後、一度もご挨拶できていなかった校長先生に少しだけご挨拶させていただきました。夕方はクラブの練習を後半、見ました。

 

7月8日(金)

 7/3、日。前日とは打って変わって、台風の影響で強い雨風。競技場に向かいます。次男が前日に続き、三段跳に出場をします。トラック種目って、スタンドに座っていれば、どの位置から見えますが、幅、三段のピットって、手前じゃないですか。スタンドの座る位置次第では全然見えない時があります。雨や暑い日は多くの方が傘をさして、スタンドに座りますが、ああ〜そこで傘あると、ぜんっぜん見えないんですけど!ってことが多々あるのです。なので、どこに座るか、見る側も勝負です。県選手権なので、周囲は大学生の15mジャンパーが揃います。仮想インターハイかなと思いました。しかし1本目ファールの後、同じチームの後輩がスタンドにいるわたしのところにきて、よしえいさん、この後、棄権をするそうです、と伝えてくれました。昨日の100mの後、右のハムストリングスに張りがでて、大事をとって棄権をということでした。夜はしっかりとマッサージでした。

 7/4、月。外出来客の予定なく、終日デスクワーク、週末にわたしが担当をする競技会が開催されるので、各資料の作成等。夕方から次男のケアに付き合いました。ハムにズシンと針を打ってもらいました。この針の打ち手は、なんと、わたしの実業団時代の同僚で、100mのベスト10秒4台、200mのベストは元県記録。次男をはさみ、100mの動画を見ながら、ほお〜と感想を述べあいます。一部マニアックな陸上ファンにとっては、めちゃ贅沢な時間です。

 7/5、火。午前中は市P連の研修会の係として参加をしました。特別支援に関する研修会で、これこそPTA として取組むべきこと、わたしも当時のこの会の立ち上げにかかわった1人として改めて感じました。午後は、県P連の研修会、県内の市郡P連の事務の担当の方にお集まりいただきました。この市郡P連の事務局の在り方も多様で、独立して専従の職員さんがいらっしゃるところもあれば、教育委員会が担っているところ、学校で輪番で回し、教頭先生が担われているところ等様々です。なので、それぞれのメリットデメリット等忌憚なく出し合っていただき、何よりそれぞれの業務が円滑に行われる体制とはどうあるべきか、それぞれの実情に応じた形で改善されていることが必要だと思います。毎年、県P連の取組状況調査というのを実施しており、県から市郡にアンケート依頼を行い、市郡から単Pに更に依頼をして、回収、とりまとめ、県Pに送っていただき、最終のとりまとめという、このアンケート調査を4カ月くらいかけてやってきたのですが、昨年度はGoogleフォームを使って、単PにQRコードさえ伝えていただければ、後は、自動で集計されるという形で実施をしたら、もうたいへん好評で、笑。それだけご負担おかけしてきたのだなと反省しております。今後とも宜しくお願いします。

 

7月7日(木)

 7/2、土。昼前、競技場に到着し、補助競技場へ。県選手権、100mに出場する選手のアップを見ます。次男、やっと100mで勝負ができるような力がついてきて、短距離戦デビューのような気持ちです。玲美もいました。前日夜に日本陸連から今年の世界選手権の代表選手が発表され、選出されませんでした。当落ギリギリのところにいるなと思っていたのですが、選ばれる可能性も高いと思っていただけに、残念です。本人も落ち込んでいるかなと声をかけたら、内々でだいたい分かっていたらしく、あっさりとしています。でも、当然、本音は相当悔しいとは思います。しかし、2020から東京五輪までとんとん拍子で来てしまったところもあるので、ここでいったん、運をリセットして、その悔しさをこれからのモチベーションにして欲しいと思います。

 アップがヒトダンラクしたのでスタンドへ。まずは少年Bの100。だいたい11秒0前後、次男はどれくらいで走るだろうか、練習の感じからすると、それより0.5くらいかなあと。まぁでもあまり欲張らずにとりあえず自己新記録(11秒01)を更新して10秒台で走れればいいとそう思いました。

 少年女子AでSCCの子が初の12秒台。しかも12秒7台。外部コーチを務める高校陸上部の子も初の12秒台!ずっと目標にしてきただけに嬉しいです。

 少年男子Aが始まり、いきなり1組目の一番内側のレーンで走ります。走りもですが、風も気になります。強過ぎても追い風参考になるので、ほどよい追い風を。2回フライングが続きました。嫌な感じです。でも、どちらのスタートも2.3歩目ですっと抜け出す感じです。悪くありません。仕切り直し3回目のスタート、加速をし、50m付近のぐっと抜け出す感じ、そして60m以降はもう力を抜いて、ただ脚を回しているだけの感じでした。10秒57。残念ながら+2.7で追い風参考記録となりました。違う組でいつも競い合っているチームメイトのあおとくんがこちらも初の10秒台で10秒7台で走り、大会新記録で走りました。ずっと10秒台を目指していただけに、わたしも嬉しくなります。おめでとう。

 決勝前、再び補助でアップの様子を見ます。普段なら選手とは予選の感じや決勝の走りについていろいろ話をするのですが、次男とは何も喋りません。親子は難しいのです、笑。まぁほどよく刺激を入れ、気負い過ぎずよい雰囲気です。

 決勝、3レーン。今度はフライングなし、一発ででます。中盤、予選よりも少し硬い感じはしましたが、50m付近のスピード、ほぉーと関心します。そしてトップでゴール、10秒55、そして風は…、+1.9!公認!初の10秒台はいきなり10秒55というタイムで走りました。場内も沸きました。わたしの高校時代のベストは10秒61、当時の福岡県高校記録ですが、それを越える走りでした。

 高校進学後はスプリント種目もやりたい、そんな気持ちもあったわけですが、怪我が続き、あまりスピードをあげる練習もできない期間も長く続きました。ようやく今回スプリンターとして大会に出場でき、本人も嬉しそうでした。↓同じ学年のチームメイトでワンツースリー、表彰台独占しました。

 

7月6日(水)

 6/30、木。午後から県学校保健会に出席をしました。医師会や歯科医師会や薬剤師会その他関係の方々と意見交換をしました。歯科医師会から、学校での歯科検診について、切実な状況伺いました。確かに、不特定多数の人の唾液を直接触るわけですから、それは当然この世の中相当に気を使うことですし、専門用語も飛び交い、よく理解できなかったところもあるのですが、要はもっと公費でその辺りのサポートを、ということでした。

 7/1、金。終日、県P連の会議、午前中は高校PTAの方々と委員会活動、講話として、奨学制度について学びました。保護者としては、国の制度、県の制度、また民間の団体もあります、そのような情報を総合的に相談できる窓口があるとよいという意見が多くあがりました。現状は、各団体が各学校に案内をし、各学校にその担当の先生がいらっしゃるという形です。そうではなく、総合的な窓口が必要ということです。

 午後は小中PTAの方々と委員会活動、の前に、冒頭わたしから40分ほどPTAについて、講話の時間を設けさせていただきました。PTAの歴史的な経緯、法的な位置づけ、県P連の取組み、そしてPTAはどのようなコミュイティを目指すべきなのか。今、任意に参加できる活動にシフトしているPTAも見受けられるわけですが、その辺りをどう考えればよいのか。PTAは力を合わせて子どもたちの幸福のために、これは昭和22年当時文部省が発出したPTA結成の手引きの中にある言葉です。力を合わせて子どもたちの幸福のために、これは変わることのない普遍的な趣旨です。しかし、みんな一緒にをあまりにこだわり過ぎてきたことは反省すべきことの1つかもしれません。多様性、違いを認め合う、個別最適、これららもこれからの時代のPTAにとって必要なキーワードです。協働的且つ個別最適なPTAを目指していきましょう、そのような話です。委員会もそれぞれ委員長も決まり、今年もみんなで議論しながら民主的な活動を進めてまいります。

 夕方は、部活動の地域移行について、協議をしたいと某中央競技団体の方と非公式なオンライン打合せが設けられました。1時間半ほどこの件について、いろいろと意見交換をさせていただきました。

 7/1、SCCの創業記念日です。22歳になりました。当時、20代で立ち上げた組織も、わたしも50歳という年齢になりました。理事長としてどのような立ち位置であるべきか、正解はなく、目標も何もないところに突き進んでいるような感覚になることもあるのですが、何度も言いますが、正解はなく、ただただ、あるべき姿を模索しながら、進んでいきたいと思います。スタッフに、会員の皆様に、感謝しております。

 

6月30日(木)

 6/28、火。午後から市スポーツ振興協会へ、数年前に市の外郭団体として立ち上がったスポーツ振興事業を行う法人です。昨年より年に一度、総合型地域スポーツクラブの運営を市の担当の方と面談をするということが県の認定クラブとしての要件となりました。担当の方といろいろなお話をさせていただきました。

 6/29、水。昼から外部コーチを務める高校陸上部のトレーニングへ。県総体から南九州総体を経て、思うような結果を残せた子、そうではなく悔しい思いをした子、一人一人と話ができたわけではないですが、ひと冬一緒にトレーニングをしてきて、それぞれの表情に想いを感じます。で、週末は県選手権です。この暑さの中、真昼間に練習!?と思われるかもしれませんが、意外とグラウンドは木陰もあり、涼やかです。しかし、帰宅をして、15時頃、用件があり、車で出掛けると、車内のその異様な暑さ、10分ほど走っても全くクーラーも効かず、着替えたばかりというのに、すぐに汗だくになり、それで少し気分が悪くなりました。油断なりません。夕方はクラブの練習に少し顔をだしました。

 

6月29日(水)


 6/23、木。午前中運営委員会、SCCの各取組について進捗状況を協議しました。

 6/24、金。午前中は、県育英財団の会議。午後は月次決算の会議、まだ月の売上が回復しないところですが、最も悪かった時よりは良くなっています。思うような数字の状態に戻るのにはもう1.2年かかるのかもしれません。夕方から市P連の会議で、校長先生と一緒に出席をしました。この取組もたいへん素晴らしく、わたしが市Pの役員をしていた時は小学校の会長校長が集まる会を仕切っていましたが、めちゃくちゃ大変だったのですが、とても良い取組みで充実をしていました。コロナで3年ぶりの開催となったとのことでした。

 6/25、26、土日。本来ならば全高P連の総会等が東京で開催される予定でしたが、一部書面での議決であったり、でも委員会はオンラインであったり。合間に中学通信を見にいったり、次男の身体のケアにつきあったりして過ごしました。

 

6月28日(火)

 6/20、月。午後から県教育安全振興会、共済事業の審査会でした。夕方は次男のケアに付き合い、1週間前は足首の痛みで、南九州大会どうするのか、トレーナーの先生にもご心配おかけしましたが、ちゃんと試合に出られて、先生も、不思議な選手だなあと、笑。夜は総合型クラブつながりの友人が福島から鹿児島に来られていて、一緒に食事をしました。このコロナでお互い、クラブの経営、たくさん話ができました。

 6/21、火。東京へ。日本PTA全国協議会総会でした。

 6/22、水。午前中は前日に引き続き、日本PTAの研修会が開催されました。わたしも1つの委員会に配属されました。会議は昼までで、そのまま羽田空港に移動をし、夕方の便で帰宅しました。

 

6月27日(月)

 6/19、日。南九州高校総体4日目。ホテルをチェックアウトし、北上。競技場に到着。この日出場する個人種目は三段跳。昨年は2年生で2位、今年はランキング1位で堂々優勝候補の1人です。ただ1週間前に開催されたU20日本選手権で痛めた足首の状態がどうなのか、1日目から3日目までの疲労もあるでしょう。

 1本目、14m79。1本目に跳んでくれるとめちゃくちゃほっとします。疲労や痛みがあるなら、この記録でベスト8はほぼ確定なので、2本目、3本目、パスするかもしれないなと思いました。が、2本目、順番が回ってきたら現れます。いけそうな感覚があるのだなと思いました。しかしここからです。2本目ファール、3本目ファール。

 ベストエイト始まりました。4本目ファール…。5本目、踏切板のだいぶ前から跳びました。14m72。そして6本目最終跳躍、トラック種目もなく会場の注目を集めます。ここで15m跳んだらかっこいいゾ!と、手拍子を求め跳びます。が、ファール〜。この日の南日本新聞の朝刊に前日の走幅跳優勝の記事が掲載されていて「助走の安定」とかなんとか書かれてあるようですが、撤回ですね。ファール王子!結局、無難に跳んだ1本目の記録で優勝ということになりました。

 そして4×400mリレー。予選は走っていません。出るのか出ないのか、わたしはエントリー内容は知りませんでしたので、時間になって、トラックにユニフォーム姿で現れて走るんだなとわかりました。県の決勝を走ったメンバーで走るようです。次男は3走。

 1走は同級生の須田くん、トップをリードします、2走は期待の星1年生、バックストレートでいったん前に出られますが、ラストに抜き返します、そして3走次男、疲労困憊ですが、ねばります、最後の直線で後ろから追い上げられるかと思いましたが、ねばって抜かせません、4走は400・800専門の坂元くん特にラスト100が強くぐんぐん突き放し、3分11秒台というタイムを叩き出しました。大会新、県高校新!それまでの記録は3分13秒台でしたので、12秒台をすっとばし、11秒台という異次元のタイムが出てしまいました。驚いて、そして感動で、またもや涙・鼻水でマスクびしょびしょ。そして次男出場した種目すべてで優勝する4冠を達成しました。

 スタンド正面前に席を移動し、表彰を待ちます。三段跳の表彰、大会も終了したので、チームメイトがわんさか駆けつけてくれました。よしえい!よしえい!スタンドから声がかかり、次男は照れたような表情を見せます。チームメイトにも恵まれ、指導者にも恵まれ、本当に良い環境で陸上競技に取り組めているのだなと感じます。4×400mリレーの表彰がなかなか始まらず、だんだん焦ってきました。帰りの飛行機の時間がせまってきます。その前にレンタカーを返却しないといけません。で、結局、見ることができず、先に競技場を経ちました。18:00の那覇から福岡、博多駅で夕食とビールを買って、博多から新幹線で鹿児島。新幹線の中で、4冠達成の祝杯をあげました!

 

6月24日(金)

 6/18、土。朝、ホテルの周辺で軽くトレーニング。父は自衛官で、わたしが幼い頃、沖縄勤務の時代もあり、わたしは赤ちゃんで全く記憶はないのですが、母からこの辺りに住んでいたという話はよく聞かされていました。波の上のビーチです。

 ホテルを出て、予約していたレンタカーを借りて、北上、競技場近くのコインパーキングに停めて、競技場スタンドへ到着!南九州高校総体3日目です。前日に4×100mリレーで優勝を決めましたが、この日は個人種目、走幅跳に出場します。実はこのエントリーが決まった時は意外に感じて、その時点で走幅跳にでたのは昨年夏以来で、当然スピードはそこそこついてきたので、ある程度の記録は出るかなあとは思うのですが、なんせ試合に出ていないので。で、県予選はまったく助走が合わず、なんとかかんとか6位以内に入った程度です。この日も6位以内に入ってくれれば良いなあとそんな感じでした。

 跳躍練習が始まり、最後は公式練習、スタンドから助走の様子をみつめます。すると、また、踏切版を越えます。ああ〜また今日もファール王子かあ?ため息をつきます。

 競技開始。跳躍順に、選手が跳んでいきます。競技が始まり30分ほど経った頃、次男の順になりました。スコーンと跳んで、7m越えたような越えないようなところに着地、白旗があがり、スタンドから歓声。6m99!なんと今日は1本目から跳んでくれました。ふう〜。これでほぼベスト8は確定です。とりあえず自己新記録。その後、7m30を跳んだ選手が出て、1本目が終わった時点で2位につけました。

 その後、7m20まで記録を伸ばし、ベスト8が始まりました。変わらず2位です。高校入学時に走幅跳は7mジャンパーになることを、1つの目標として掲げてきましたので、その目標が叶ったなとちょっと感慨深く感じます。

 4本目はファール。5本目、7m3?を跳び、逆転!トップに立ちました。思わず声がでました。1位として迎えた6本目、更に記録を伸ばし、7m42!優勝を決定付けました。涙がとまりません。感動感動感動。表彰を見て、また涙、マイルの予選(次男は不出場)まで見て、競技場を後にしました。夜はこの日応援にきてくれた妹夫婦と食事にいきました。最高の祝杯あげました。

 

6月23日(木)

 6/17、金。九州高等学校PTA連合会大会長崎大会、オンラインでの配信となりました。わたしは開会閉会式で壇上にあがり、県の会長としての役を務めました。また、基調講演は長崎の高田明さん、当然ですけど、お喋りは上手でグイグイ引き込まれました。あっという間の1時間半でした。終了後、JRで博多駅まで移動で、車窓から景色を眺めますが、もう心ここにあらず。ちょうど高校総体南九州大会、4×100mリレー決勝の時間です、ああ今頃女子、そして次は男子、イメージして、もう終わったな、速報サイトを何度もリロードして、そして決勝の時間から15分ほど経ったとき、結果がでて、同タイムですが、優勝とでました。でも、予選に比べてタイムが悪いので、もしかしたら何かアクシデントがあったかなと、悪いことを考えてしまいます。そんなことをずっと考えながら博多に着いて、地下鉄に乗る直前に次男から連絡がきました。動画も送ってくれました。特にアクシデントではなく、予選に比べてバトンが詰まっただけでした。ほっとして、優勝おめでとうと返信して福岡空港に向かいました。那覇空港へ。モノレールで那覇市内に移動をし、遅い夕食をコンビニで買い込んで、ホテルに着いたのはもう 23時頃でした。

 

6月20日(月)

 6/15、水。翌日から長崎に出張の予定でスケジュールを組んではいたのですが、朝7:00駅出発の新幹線で、それに乗るためには、バスを調べると、我が家の近くのバス停からはそれに間に合うような便はなくて、嫁殿に駅まで送ってもらおうかとも思ったのですが、朝の6時、7時はちょうど娘たちが起きて朝の支度をして学校に行く時間なので、とても家を空けるわけにはいかず、諸々考えた結果、前日にもう移動してしまおうということでチケットを変更して夕方発ちました。

 6/16、九州高等学校PTA連合会大会長崎大会、11時から会は始まり、理事会、総会、委員会等が続きました。ちょうど1年前は鹿児島大会でした。大会開催に向けて2年間準備をしてきましたが、残念ながら通常大会は中止、大会誌の発行を持って開催といたしました。予定していたとおり開催していたならどんな感じだったかなとそんなことに想いを寄せて時間を過ごしました。この総会をもって、九高P連合会の会長1年、副会長2年の任期を終えました。

 

6月15日(水)

 6/11、土。北九州から鹿児島に戻りました。午後は市P連主催の会長研修会でした。3年ぶりにグループワークもあり、会長同士、いろいろ意見交換をすることができました。

 6/12、日。次女が陸上競技大会の小学女子走幅跳に出場したので、見にいきました。午後はテレビで日本選手権観戦をしていたら、嫁殿から電話があり、停めていた車の中に鍵を閉じ込めたと。なので、迎えにいきました。肝心の女子200m決勝は車の中の小さい画面でしか見ることができませんでした。玲美、3位でした。3年連続表彰台、素晴らしいです。よく頑張りました。夜、次男が大阪から帰ってくるので空港まで迎えにいきました。

 6/13、月。午後から新聞社の取材を受けました。部活動の地域移行ですが、この話は昨日今日急に出てきた話ではなく、この総合型地域スポーツクラブの制度ができたときから、つまりは、これからスポーツは地域でという議論の中でできた制度ですから、わたしたちは長年に渡り議論をし続けていることです。夜は次男のケアに付き合いました。

 6/14、火。午後から教育安全振興会、今年度第1回目の理事会でした。大きく体制が変わりました。終了後、そのまま県P事務局で決裁を済ませ帰宅しました。

 

6月14日(火)

 6/7、火。午前中は、次男が通う高校で、PTAの理事会、いったん戻り、午後は、姶良市にある県学校給食会の評議員会。どちらも、我が家からは南に北に、午前午後と真反対に移動でした。

 6/8、水。午後から外部コーチを務める高校陸上部の練習へ。県大会を終え、南九州ブロック大会に向けてです。この日は次女の誕生日でした。10歳になりました。

 6/9、木。朝はU20日本選手権に出場する次男を見送り、午前中は会議、県校外生活指導連絡会。午後は県P連、新メンバーでの第1回役員会でした。

 6/10、金。新幹線で北九州へ。九州ブロックPTA協議会総会です。が、ちょうど、昼からは次男のU20日本選手権男子三段跳がスタートします。スタンドから撮っていただいた動画を送っていただき、結果はライブリザルトで確認ができます。1本目でファールですが、軽々と15mを越えるジャンプを見せ、その後、2本目、3本目と14m80台のジャンプでベスト8、最後3本で記録を伸ばすことはできず、結果、4位となりました。試合を経るごとに段々と跳躍の内容がよくなっているように感じます。会議は新年度の新しい体制も決まり、12月に開催される沖縄大会の内容等について協議をしました。

 

6月13日(月)

 6/4、土。午前中は陸上競技協会の常務理事会、先に退席をさせていただき、自治会館に入りました。県PTA連合会定期総会、3年ぶりの開催です。知事、県議会議長、県教育長、来賓としてご臨席賜ります。動線やタイミング、何度も確認をします。昼前に、議長団との打合せが始まり、その後、受付が始まります。わたしは来賓室に入り、来賓の皆様をお待ちします。教育長、議長、そして知事がいらっしゃいました。もうそれだけで全身汗だらけです。時間となり、来賓席にアテンドをします。国歌の後、わたしの挨拶から総会が始まりました。その後、来賓の皆様からご祝辞をいただき、各表彰。ここでいったん休憩、来賓の皆様はご退席され、1階でお見送りいたしました。そしてここから議長を立て、議案の審議に入りました。県教委への要望事項の中で、ご意見をいただきましたが、反対ということではなく、この要望を実現して欲しいという励ましのご意見でした。新役員もご承認をいただき、宣言決議文、力強く、宣言をしていただきました。無事、総会終わりました。3年ぶりの開催、緊張しました。

 

6月8日(水)

 5/31、火。午前中はかごしま国体に向けた取組について、総会でした。午後は、県P高校常任委員会、各委員会の委員長決め等。すぐに移動をして、この日は人手不足で久しぶりにジュニアスクールの指導サポートに入りました。何年ぶりでしょうか。とはいえ、着替える暇もなく、スラックスに革靴のままでしたので、子どもたちからは「だれ?」って感じでしたが、笑。

 6/2、木。午前中は、県P新聞編集委員会、上村先生に、編集委員にご就任をいただきました。これで2ヵ月に一度お会いできます!嬉しいです。午後は開発促進協議会、と、会議の名前からは何のこっちゃイメージがわかない会議ですが、要は、県として国に要望する予算の内容についてお示しいただくものです。終了後、会議ご出席の方とPTAのの在り方について、いろいろと話し込みました。改革を掲げていらっしゃる会長さん、うんうん、よくいらっしゃいます、負担を軽減してと。しかし、PTAが負担だという発想から始まる改革は、その活動の機能衰退、そして最終ゴールはその活動自体がなくなってしまうことです。負担ではなく、PTA活動の意味するところは何か、その目的を達成するために、時代に応じた、会の運営、内容について議論をする改革なら賛成です。

 

6月6日(月)

 5/29、日。県高校総体3日目。次男、走幅跳に出場しました。昨年夏以来、今シーズン初出場ですが、練習では7m近く跳ぶ感覚は掴んでいるそうです。ところが、午前中に予選があり、いきなり2本ファールで崖っぷち。ここで終わるのか?スタンドでいきなりヒヤヒヤです。3本目で予選通過記録を跳び、午後の決勝へ。決勝も午前に続き、いきなり2本ファールで再び崖っぷち。3本目で記録を残し、なんとかベストエイト。残り3本、1本くらいスカッと跳んでよとスタンドから願いますが、4本目は、ほぼ走り抜けたような跳躍、5本目はファール、この時点で8位、おいおい。本日3回目の崖っぷち。6本目、ようやく踏切が合い、7m近くに着地。6m88で4位に順位を上げました。この瞬間「ふう〜〜〜」と全身脱力しました。結局1つ順位を下げ、5位となりましたが、南九州大会進出を決めました。

 5/30、月。県高校総体4日目。次男、三段跳に出場です。朝は、お願いだから、ドキドキじゃなくて、ワクワクさせてヨ、と。1本目、だいたい70%くらいの力でしょうか、気持ちよく跳んで、14m18。この記録でほぼ優勝は決まりです。まずはホッします。少しは前日の反省、きちんと学習してんじゃあん!2本目、助走のスピードもあげて、記録を狙いにいく感じになってきました。が、ステップで少しタイミングが合わず、14m30。で、ここからです。高校総体4日目はトラック種目も1本1本の合間が空いて、フィールド種目に注目が集まります。アナウンスも次男の順番になるたびに「次の跳躍者は〜、」と記録を期待しましょう、という雰囲気を盛り上げてくださります。が、ファール、ファール、ファール、ファール!4本連続ファールで、終了。なんそれ!そして、大会最後の種目、1600mリレーに3走で出場しました。400mで決勝に残った3人プラス次男というオーダーです。狙うは大会新記録でしたが、0.2秒及びませんでした。惜しい!次男はラップ48秒台で走ったそうです。

 とにかく、この4日間をしかりと出場し、ダメージ少なく乗り切るというのが、一番の目標でした。直前に痛めた個所もありましたが、なんとかかんとか、周囲のサポートをいただきながら、パフォーマンスを落とさず臨むことができました。ここからがスタートです。わたしも全力でサポートします。

 

6月2日(木)

 5/28、土。いろいろな予定が錯綜し、自分でもどう動いてよいのかわからない1日です。アサイチで次男を競技場まで送り、そのまま自分のトレーニング。再び競技場に向かい、アップ場へ、主に100mに出場する選手のアップをみました。スタンドにあがり、100mの予選をみます。外部コーチを務める学校の子たちは、かろうじて、プラスで1人、準決勝に進みました。厳しい冬のトレーニングを必死にがんばる様子を見てきました。せめて自己ベストで走って欲しい、再び準決前のアップをみて、準決勝のレースをみました。残念ながら自己ベストならずでしたが、よくがんばりました。男子はSCCで一緒に練習してきた2人が準決勝で隣で走りました。そして2人ともプラスで拾われました。15時からはSCCの練習がスタート、この日、スタッフが足りず、フォローに入ります。が、途中抜けて、100mの決勝へ。Yうじが南九州総体進出を目指し、がんばってきましたが、残念ながら8位でした。6位までが南九州大会進出です。市内の私立高校在学で、駅伝部はありますが、短距離はなく、高校入学後はSCCでトレーニングをしてきました。なんとか目標をかなえてあげたくて、でも、一歩届かず。悔しいです。再びSCCのトレーニングに戻り。またまた途中で抜けて、再びアップ場へ。外部コーチを務める学校が、前日のリレーの予選を全体7番目で通過しました。1つ順位をあげないと南九州大会へ進めません。当然、どのチームも勝負を仕掛けてくるでしょうから、こちらも戦略を練らないといけません。しかし、バトンはとにかく渡らないといけないわけで、東京五輪の男子チームではないですが、イチかバチかみたいなことをやってはいけません。しっかりとバトンが渡り、でも、予選の感じからして、ここで勝負をかけようというところをポイントで練習をしてみます。しかし、わたしのイメージとはかけ離れたバトンパス。んー、悩みます。顧問の大坪先生とも話をしながら、選手とも話をしながら、ラインを探り、これでいこうと決めました。再び、SCCのトレーニングに戻ります。本当は、この合間に、市P連の総会に少しでも出席をしようと計画をしてはいたのですが、結局、時間がとれず、急遽欠席で連絡をしました。ごめんなさい。そして17時。男女リレーの決勝、女子は、バトンはやっぱり、思うような感じにはなりませんでしたが、本当に良くがんばって繋ぎ、6位に入りました。泣きました。男子は、次男のチーム、エース温存で臨みまして、次男代役で2走、41秒3という好タイムで優勝しました。エース復活の際には、県高校新記録、期待します。次男と一緒に帰宅しました。1日終わり、ほっとしました。

 

6月1日(水)

 5/26、木。午後から県育英財団の監査。法人の監事を務めています。終了後、県P連の事務局に立ち寄り決裁や翌日の打合せ等。ちょうど、次男から「終わったよ」とのLINEが届き、陸上競技場に迎えにいきました。前日練習を終え、ケアを受けて、監督とトレーナーさんと談笑しながら歩いてきました。明るい雰囲気にホッとします。明日から県総体4日間が始まります。

 5/27、金。午前中は県P連主催の「広報紙担当者研修会」、こちらも3年ぶりの開催となりました。人数制限をしたので、例年よりは少し参加者は少なかったのですが、でも、こうして開催できて、ほっとします。途中で退席をして、県の食に関する会議に出席をしました。県Pの行事と重なっており、欠席しますといったん返事をしたのですが、どうしてもということで、伺いました。議長は知事でした。終了後、再び、研修会に戻りました。

 午後は陸上競技場へ。女子のヨンケイのアップをみました。結果、全体で7番目の通過、南九州大会に出場するには、6番以内に入らないといけません。男子は次男が2走。まだ全力ではいくなと言ってありましたが、気持ちよくスピードを出している感じが伝わってきました。この日行われた男女400m、好記録がでました。1位は男女ともに大会新記録、全国でも通用するタイムです、2人ともSCC出身です。夜は、次男のマッサージ、ストレッチ。

 

5月26日(木)

 5/23、月。昼から商工会議所140周年の記念式典に参列しました。商工会議所会員にはなっておりますが、正直に申し上げますと、それほどの思い入れはなく、でも、こういった式典はこの2年間ほとんど開催されませんでしたので、どれくらいのレベルでやられるのかななあと、いろいろ参考にさせていただきたく出席をしました(ごめんなさい)。発声のある万歳三唱もしました。参加はしませんでしたが、祝賀会も開催されたようです。で、永年会員となりました。

 5/24、火。午後から月次決算の会議。4月、新年度一発目の出入金の内容をチェックしました。この2年間ダメージ大きかったですから。そこから今年はどれくらい復調できるか。昨年同月比よりは上向いていますが、一番良かった頃に比べるとまだ、です。16:00からワクチン接種3回目。手帳を見ても、ほぼ毎日何か予定が入っていて、でも、25日水だけは、予定がすっぽり空いていたので、よしと思って予約をしました。接種後15分様子を見て、終了しました。そのまま外部コーチを務める高校陸上部の練習へ。高校総体に向けて最終チェック。短距離の子がスタートの構え、少し気になるところを指摘したら、すごく動きがよくなりました、今までにはない感じでした。楽しみです。

 5/25、水。ワクチン接種2回目の時は、翌朝、猛烈なのどの渇きで目が覚めたので、2リットルの水を寝室に持ち込み、しっかりと水分を補給しながら、寝ました。だからなのか、そのような喉の痛みはなく目は覚めました。意外とスッキリしています。が、朝食を食べている時に、違和感あります。美味しくないのです。なんとか全部食べて、その後は、ソファーで横になりました。終日、肩の痛みと倦怠感が続きました。熱はあえて計りませんでした。おそらく熱はあがっていたと思いますが、その数字を見るのが嫌なのです。ダイエットと一緒です。今日は絶対体重増えているな、という時、飲み会の翌日や旅行の後、に、わざわざ体重計ってあちゃーって落ち込む必要はないのです。熱が上がっているだろうなと分かっている時に熱は計って、うわ〜って思いたくないのです。数日はただの数字、参考です。

 

5月25日(水)

 5/20、金。鹿児島空港から羽田空港、昼から日本PTAの会議でした。今年度、あるテーマをいただきそのグループリーダーを務めてまいりました。ほとんどオンライン上の会議でしたが、その1年間の議論をまとめたものを発表させていただきました。前日に開催された理事会で本案が上程され、可決されたとのご連絡をいただき、この1年の大役を無事務めあげることができたことに、ほっとしております。

 5/21、土。羽田から鹿児島へ。この2日間で石原慎太郎さんの著書を2冊読みました。日頃の読書の習慣はなかなか根付かないのですが、出張の時は必ず単行本読むようにしています。

 

5月24日(火)

 5/18、水。午前中、デスクワークをしていると、事務所の玄関から「よっ」と声がして、振り向くと、たいへんお懐かしい、お世話になった方が、お見えでした。近くにきたから、寄ってみたと。しばらく懐かしい話に会話が弾み、また、お立ち寄りください!と、別れました。そして、11時半頃、は!と思い出し、10時半からオンライン会議に参加する予定でしたが、突然の嬉しい来客にすっかり飛んでしまいました。申し訳ございませんでした。午後は、副理事長を務める安全振興会の共済事業の審査会でした。終了後、いったん事務所に戻り、1つだけデスクワークを処理して、メールを送り、外部コーチを務める高校陸上部のトレーニングへ。いよいよ県高校総体前となり、みんなの緊張している雰囲気を感じました。

 5/19、木。午前中は運営委員会、永田アドバイザーに前日の会議の欠席をお詫びして、そしてSCCの各事業の進捗状況をチェックしました。会議終わり次第すぐに外出し、12時には県P事務局に入りました。この日、13時半から評議員会なのですが、13時から役員選考委員会を開催し、そこを踏まえ、13時半からの評議員会の開催となりました。総会に上程する議案について審議いたしました。すべて承認いただき、いよいよ3年ぶりの開催となる総会に向けて準備を進めてまいります。終わると、諸々気をつかった1日、ぐったりと疲れました。

 

5月23日(月)

 5/16、月。午前中は保険会社の方が来局され、ずっと以前から入っていた保険商品で、その中身とかまったく覚えていなかったのですが、改めてそういう内容だったとご説明いただきました。入った時は、漠然としていましたが、もう満期も見えてきました。夜は日本PTAのオンライン会議でした。週末の会議について打合せでした。

 5/17、火。午前中は、10時から会議、鹿児島空港の国際線についての会議でした。ちょうど、外国との行き来について、タイムリーな時期で、報道の方もたくさんいらっしゃいました。令和3年度、鹿児島空港国際線利用者ゼロということでした。いろいろと影響出ている方もいらっしゃるのだろうなあと思いました。そのまま移動をして、県の競技力向上対策の委員会。2020鹿児島国体の総合優勝に向けて立ち上がった委員会なのですが、2020鹿児島国体が延期、2021三重国体が中止と、なんだか時が止まったような状態になっていて、でも、2023鹿児島特別国体に向けて、県全体としてどのように強化を進めていくか、というテーマです。15:00来客の予定でしたが、先方がかなり遅れられて、お会いすることできませんでした。

 

5月17日(火)

 5/14、土。午前中はNPO法人SCCの総会でした。令和3年度の活動・決算報告、令和4年度活動計画、予算、役員選出について。理事の皆様に、それぞれの議案について説明をして、たくさんのご意見をいただきました。このコロナの影響もありますし、この2年間で、収入源となる事業の縮小等があり、収入については復活の見込みが持てずにいます。かといって、支出の方は、基本的なコスト増もあり、なかなか削れるところもありません。厳しい財務状況ではありますが、5年ほどの時間をかけて健全な状態に戻せるように頑張ります。そうそう緊急の危機的な状況ということではありません。午後は、クラブの練習に出掛けようとした時に、また、前日からの続きで、メディアからいろいろ問合せがあり、諸々対応しないといけないことが発生し、出発がたいへん遅れてしまいました。

 5/15、日。朝、午後と、次男の練習の送り迎え。土日と跳躍練習をして、いろいろなところに痛みが出ています。今年はスプリントの力もついてきて、スピードが上がれば上がるほど、当然、記録も上がるのですが、身体への負荷も高まります。夕方はケアにつきあいました。この日は、大阪の大学に進学している長男の誕生日。20歳になりました。息子が20歳、感慨深いです。初、一緒に飲みに行く日、は、いつになるでしょうか。その日を楽しみにしたいと思います。

 

5月16日(月)

 5/13、金。午後から県教育安全振興会の理事会でした。こちらの財務諸表は、財団法人ですから、形式が見慣れないもので、また、定められた複雑な計算方法が絡みあって、たいへん複雑難解です。が、しっかりと説明を聞いて、メモをとりながら、臨みました。終了が少し伸びて、なので、ダッシュで戻り、すぐに車を走らせました。大雨の中、空港に向かいます。長男が、な、ん、と、彼女を連れて、大阪から帰ってきます。1週間くらい前から変な緊張感があって、笑。ちむどんどんです。

 空港で、初「カレシのお父さん」。関西の女の子って、すみません、勝手な思い込みで、グイグイくる感じかなと思い込んでいたのですが、声も小さく、可愛らしい子でした。わたしより彼女の方が緊張したでしょうね。こんなイカツイおっさん。車に載せて、案内をしながら、いろいろお話をさせていただきました。そして夜はわたしの50歳の誕生祝いを開いてくれました。我ながら、50歳かあと、なんだか、しみじみと思いました。みんなで写真を撮ったりしながら楽しいひとときでした。しかし、このお祝いムードの中、夕方から、マスコミからPTAに関する取材の電話が何度もかかってきて、非常にデリケートな案件で、ダイレクトには申し上げられないこともあり、わたしの言い方も悪かったのでしょう、しかしこれもわたしの務めです。

 

5月13日(金)

 5/12、木。午後から外部コーチを務める高校陸上部の練習に参加しました。大雨が降る中でしたが、これから梅雨を迎える中、県総体、南九州総体を戦い抜くわけですから、雨でも平常心で臨むことが大切です。雨を嫌がらない、つまり、天候でモチベーションが左右されないことは屋外スポーツである陸上競技の選手として大切なことです。ちなみに我が次男は傘が嫌いで、多少の雨でも傘を持っていきません。それはそれで問題で、雨を嫌がらないけど、適切な準備はしましょう、笑。他の利用者がおらず、広々と練習ができました。特に300mハードルのトライアルは、他の利用者がいると、タイミングが難しく、大変気を使うのですが、そのようなこともなく、高い集中力で臨め、良いパフォーマンスがありました。

 

5月12日(木)

 5/11、水。昼から外出、13時からPTA会長を務める高校で、PTA総会が開催されます。が、昨年と同様、体育館に集まっての開催ではなく、各クラスに集まっていただき、放送室から議案等の説明をさせていただきました。わたしは、冒頭あいさつをした後、すぐに移動をして、13時半から県P連の役員会でした。もしかしたら遅刻するかもしれないと話はしてありましたが、開始2分前に席に着きました。6月の総会に向けて。3年ぶりの開催となりますが、しっかりと準備を進めていきたいと思います。終了後、 メールをして、PTA総会が無事終わったかどうか訪ね、無事終わりましたと、ほっとしました。

 

5月11日(水)

 5/9、月。午前中は、県Pの研究広報委員会、主に6月の総会での宣言決議文について協議いただきました。午後イチでの会議はわたしは出席する必要がなく、次は14:00の総務委員会。中と半端に2時間半ほど時間ができて、どうしようと。ばーっといったん家に戻り、30分、ぶわーっと筋トレして、再びまた戻って、14時からの会議に出席しました。ご出席いただいた皆様ありがとうございました。

 5/10、火。昼から、外部コーチを務める高校のトレーニング指導。急遽30分早く練習が始まりました。いよいよ高校総体に向けて緊張感が高まります。思えば、2年前は高校総体が中止、1年前もこの時期はコロナ感染が増えて、学校で1名感染者が出ただけで、全ての競技でその学校の生徒は出場を見合わせたり、もうこの2年間、感染自体が怖いのではなく、感染することからの様々な影響が恐ろしくて。今年はなんとしても、生徒たちに思いっきり高校総体、楽しんで欲しい、力を出し切って欲しい、その思い1つです。夕方から大学学員会の事務局チーム集まって、今月末に開催される幹事会の資料作りでした。事務局長が変わったのですが、この2年間の会議資料がイレギュラーなものなので、それを基に作成をしても、なんだかチンプンカンプンなのです。時間かかりました。どこもこういう状況です。

 

5月6日(金)

 5/3、火。午前中は、外部指導をしている高校部活動のトレーニング。リレーのバトン練習。バトンというのは、つまりは「バトン君」がいかに速いスピードで移動できるか、渡し手は高いスピードを維持しながら渡し、もらい手はしっかりとスピードに乗せてもらう、ただバトンが渡ればよいというものではないのです。本番はつまり気味が鉄則ですが、練習ではガンガン攻めていくことで良いスピード練習にもなります。午後は次男の身体のケアに付き合いました。今までは、三段跳の試合に1試合出ると、足首はじめ、いろいろなところに痛みが出るのですが、今回はそこまで大きなダメージも出ていないようです。タフさもでてきました。

 5/4、水。この日も午前中は、高校部活動のトレーニング指導。ありがたいことに、先日の記録会から連日の午前練習で、晴天が続き、すっかり日焼けしました。良いトレーニングができました。夕方は、この日、自主練習となった次男を連れて、クラブの練習へ。高校の後輩となったライハと仲良く練習をしていました。

 

5月5日(木)

 5/1(日)、アサイチで次男を競技場に送り、午前は、小学生の女子のリレーをみました。次女が出場しました。何故かデニム短パンという格好で、走った後「走りにくかった」そうです、笑。すぐに移動をして、長男が大阪から帰省をしてくるので、空港に迎えにいきました。後になって知ったのですが、女子の後の小学生男子リレーが55秒台で優勝しました。優勝も驚きですが、この時期に55秒台というのはかなり良いタイムです。7月の全国大会県予選に期待したいと思います。空港から戻り、再び競技場へ。一般高校男子リレー。次男が前日に続き、出場します。初の2走です。1走からうまくつなぎ軽快にバックストレートを走り抜けました。残念ながら3→4走にところでミスがあり、順位はつきませんでしたが、このメンバーでこれくらいの力というは示すことができました。2日間、3種目出場、がんばりました。

 

5月4日(水)

 4/29、金、祝日。午前中は陸上競技協会の理事会でした。嵐のような天候で、車を降りて会議室に着くまでに、足元はびしょ濡れになりました。競技場では例年開催されている県体育施設の無料開放で、SCCが講師を担当するかけっこ教室が開催されました。ちょうど会議が終わった頃、かけっこ教室も終わったようでした。いったん事務所に戻り、夕方は再び競技場でクラブの練習でしたが、ものすごい混雑で、というのも翌日から記録会で前日練習ですが、17時から競技場が練習で使えるようになり、一気にみんなが練習を始めました。

 4/30、土。前日とは打って変わって気持ちの良い晴れ。アサイチ、次男と一緒に出発をして、7時前には競技場に着きました。次男とはここで「ガンバレ」と別れ、記録会、審判役員用の駐車場係でした。鍵を受け取り、開門、順次、案内しました。8時過ぎには役を終え、久しぶりに補助グラウンドに向かいました。補助もこのコロナで入場制限がかかり、この2年間ほとんど入れませんでした。徐々に気温もあがり、選手がそれぞれ自分のペースでアップをする様子を眺めながら、ようやくこのようなこともできるようになったなと、一人感慨深くおもいました。

 次男がちょうどアップを始めました。また、女子100mもちょうどアップの時間でクラブのメンバーや外部指導をしている学校の子たちにも声をかけることができました。9時半頃にスタンドにあがり、男子三段跳、男女100mをみました。次男、三段跳は、ファールが続き、しかもファールも本当に惜しいファールで、助走スピードや感覚が変わってきていて対応しきれていないのだと思います。6本中4本ファールでした。跳んだ2本もエイトに残るために1mくらい手前から跳んだのと、ステップが潰れてしまったのと、でした。その合間に走った100mでは、向かい風1.8mの中、11秒01、自己ベストで走りました。やっとスプリントでも自信がつき始めたようです。午後はクラブのトレーニングを見て、大会を終えた次男と一緒に帰宅をしました。

 

5月3日(火)

 4/27、水。午後から会議、高校生の就職に関するルールについて協議をしました。県P連の会長職に就くまでは高校生の就職というものについてあまりにも知らないことが多く、しかし、年に一度は知事・教育長はじめ、経済団体等にも就職に関する要請活動を行っていることもあり、実態としてどのようなルールになっていて、何が問題課題なのか、勉強をしているところです。現在、高校生の就職内定率、たいへん高い水準を維持しています。また慣行となっている「一人一社制」については今後も議論が必要です。終了後、そのまま外部コーチを務める高校陸上部のトレーニング、陸上競技場にて。週末の記録会に向けて、バトン練習をしました。そのまま、クラブの練習。4時間くらいずっとグラウンドにいました。

 4/28、木。午前中、県P事務局へ。連休に入る前に、連休後の各会議の資料等、内容を詰めました。そのまま次男が通う高校へ。PTAの理事会、部活動後援会の理事会と続きました。この日次男はアクティブレストということで、軽く身体を動かして、終わるのを待って、一緒に帰宅をしました。ただ、体育でシャトルランの測定があったらしく、脚はパンパンだと言います。

 

5月2日(月)

 4/26、火。午後から経営計画発表会、わたしの最大の仕事といってもいいです。令和4年度の経営計画書、ざっと40ページにもわたります。前日に仕上げ、この日、午前中に印刷して午後の会議に臨もうと意気込んでいたら、プリンターがぶっ壊れるという、笑。他のプリンターで代替しようと試みるも、どれもダメで、コンビニでカラー印刷しようとデータを持ち込むと、カラーは1ページ50円、つまり×40で一部印刷するのに2,000円かかると、それはもったいなく、結局、PDFデータにしてパソコン上で画面共有しながらやることにしました。メモを書き込めないという欠点はありますが、それはそれでなんとか。

 17時からは日本陸連のオンライン会議。この会への出欠の返事を出したことは記憶しているのですが、オンラインのパスワードとか何も知らされていません。慌てて、陸連に連絡すると、メールで配信したはずだと。でも、迷惑メールフォルダはじめ、探しますが、どこにも見当たりません。送り直してもらいましたが、結局、10分ほど遅れての参加となりました。やはり、オンラインは便利ですが、欠点もあります。

 19時からは日本PTAのオンライン会議。こちらはわたしが担当の会で、1年かけて議論をしてきたことをいよいよとりまとめるという段階に入ってきました。たくさんご意見いただき、ほとんどの方とはほぼオンラインでしかお会いしていない(会っているという表現が正しいのか)のですが、充実した議論ができたなあと感じています。ということで、1年間の計画や1年間のとりまとめの協議した、わたしにとっては大きな鍵となる1日が終わり、ほっとしました。

 

4月27日(水)

 4/23、土。午後から市P連の理事会でした。外は冷たい雨が降り、鴨池の記録会やSCCの練習のことが気になりながら。5月総会に向けての議案でした。

 4/24、日。出雲陸上で玲美が11秒77(+0.2)で2位、速報が入ってきました。まずまずの滑り出しです。ここから更に仕上げて、5月、6月、調子を上げていって欲しいと思います。

 4/25、月。午後から次男が通う高校へ。担任の先生と三者面談でした。進学先について、先生を交え、本人ともいろいろと話をしました。よき進学先が決まればいいのですが。まずは県総体、南九州総体、ここでしっかりと戦わなければいけません。グランドで陸上部顧問の先生と少し話をしました。前日の玲美のこと、今後の大会のこと、進学先のこと等。次男のことをしっかりと考えてくださっています。帰り、スクールの様子を少し見て、帰宅をしました。

 

4月26日(火)

 4/22、金。天気も良く、学校までは歩いていくことにしました。娘が通う小学校のPTA理事会でした。総会に諮る議案を審議します。で、総会は書面決議となりましたので、わたしのPTA執行部としてのお役目はこれが最後となりました。会長を11年間、監事を1年間、計12年間、いろいろなことを思い出しながら、歩きました。会は会則の変更等、大切な議案が続きましたが、無事に終わり、そして最後に一言、挨拶をしました。12年前、ちょうどこの時期、総会の前に当時の執行部の皆さんと初顔合わせをした時のこと、懐かしく話をしました。そしてわたしからのラストメッセージは、わたしのようなモノがPTAって大切な組織だ、何の邪念もなくそう思えていることこそが全てを物語っていると。つまり、PTA活動を通してわたしの心に変容があったということ、つまりそれが「教育」の目指すところであり、教育活動を行うPTAの本質だということ。好きな人たちが好きなことをやっている活動とは趣が違うこと、心の片隅に留めておいて欲しいと話をしました。 帰りは正午近く、うっすら汗をかきながら、ゆっくりと噛み締めるように歩きました。 12年間、たくさんの出会いに感謝しております、ありがとうございました。

 午後は、県P連の役員会でした。新年度が始まり、総会に向けて、熱気ある議論が続きました。3年ぶりの総会、今年は是非、開催したいと願っています。

 

4月25日(月)

 4/21、木。午前中はツキイチで開催している運営委員会、この運営委員会の委員を募っているのですが、平日昼間の開催で、なかなか時間をとって頂ける方が見つからずにいましたが、適任の方がいらっしゃいました。永田クラブアドバイザーです、都合がつくときはご出席をいただけることになりました。永田さんも、総会とか理事会とかではなく、生の運営委員会に出席したいんだと、ご意見お持ちで、お互いが願ったり叶ったりということです。この日、初めてのご出席ということで、クラブのいろいろな課題等、いつもより詳しく説明をしながら協議を進めました。まだ、後、2〜3名、ご出席いただける方がいらっしゃれば是非、お願いしたいと思っておりますので、適任な方いらっしゃいましたら、お教えください。

 

4月21日(木)

 4/18、月。昼は市PTA連合会の事務局に用事があり訪問しました。市Pの役員をやっていた頃はもう毎日のように訪れていたところですが、今はもうほぼ訪れることもありません。夕方から次男のケアに付き合いました。土日の記録会2日間で300m1本、200m1本、400m1本、走って、どれくらいのダメージがでるか。高校総体はこの感じで4日間戦い抜かないといけません。それを県、南九州、全国と勝ち抜けるものが、王者となります。自分が高校生の頃はたいして何も考えていませんでしたが、指導者となり初めてその過酷さ感じました。

 4/19、火。 午前中、次女が通う小学校PTAの監査を実施しました。今度は監査をする側です。昨年まで11年間会長を務めましたが、今年は監事の役を頂いています。従いまして、年に一度の大仕事です。各帳票書類を突合します。数字の意味が分からないところは質問をしながら、正確に処理がなされていることを確認をします。

 4/20、水。午後から安全教育振興会の審査会でした。そのまま県P事務局で職員の皆さんと打ち合わせをしたり、書類に目を通したり。県陸協の事務局に用事があり、立ち寄り、そのまま外部コーチを務める高校陸上部の練習に参加をしました。土日の記録会を経て、少し身体に痛みが出る子もいるようですが、冬季練習でたまった疲労を抜く良い機会くらいに捉えて、落とす時は割り切って落とさないといけません。また、痛みが出ないトレーニングならがんがんやっていよいわけです。良くないのは焦って、痛みを抱えたまま負荷の高い練習をすることです。夜は校区コミュニティの総会でした。2年間、書面開催でしたが、3年ぶりに通常の集合開催ということでした。高齢の方も多いので、気を使われるのも無理はありません。

 

4月20日(水)

 4/17、日。アサイチで片道1時間、次男を記録会が開催される川内の競技場に送り、そのまま鹿児島市内にとんぼ返り、鹿児島中央駅へ。新幹線で北上、久留米で在来線に乗り換え「基山駅」まで移動し、30分ほど時間があったので少し辺りをウロウロしました。小学生の時に草スキーをしに来たことを覚えていますが(友達が転んで頭から出血し大怪我しました)、駅の付近は全くわかりません。甘木鉄道に乗り換え30分、甘木駅に到着しました。福岡県PTA連合会が主催する研修会にお声がけいただき参加をさせていただきました。元ソフトバンクホークス監督の工藤さんの講演でした。チームビルディング、選手への声のかけかた、スポーツ指導者としてたいへん勉強になりました。また、子育てにも通ずるたいへん貴重なお話を伺うことができました。

 基山の駅周辺をブラブラ歩いている時に連絡が入り、次男、200m、22秒36、マイナス2.1だったと連絡が入りました。21秒台出るかなあと話していましたが、その向かい風なら仕方ありません。後で動画を見て知ったのですが、1レーンでした。200mの1レーンは、かなりきついです。マイルも走りその動画もみました。

 帰りは、久留米の実家に立ち寄りました。父と母が2人で暮らしています。1時間半ほどですが、お酒を飲みながら、いろいろ話をしました。次男のマッサージ業務があるため、遅くならないように新幹線に飛び乗り、21時過ぎ帰宅しました。

 

4月19日(火)

 4/14、木。東京からアサイチで戻り、予定では昼前くらいに会場に到着する予定でした。県P連の期末監査が行われました。時間は、午前10時から夕方4時くらいまでとってありますが、だいたい、昼を挟んで、午後の早い時間に監査総評をいただき終わるというのがここ数年の流れです。ところが、飛行機が遅れ、到着が昼過ぎになってしまいました。すると、途中で携帯が鳴り「先ほど監査終わりました」と連絡でした。ま、何はともあれ、無事監査手続きが終わりほっとします。そのまま県P事務局で業務を済ませ、午後一番に来客対応をし、帰宅しました。

 4/15、金。再び空港から今度は南下し、沖縄で会議でした。今年は12月に沖縄で九州のPTAの大会が開催されます。通常通りの開催ができますように祈っています。懸案事項は九州各地から同じ日程で一気に数千人が動きます。飛行機輸送ができるのか。今、飛行機ってどんどん小型化しているらしく、以前のようにはいかないのだそうです。そういえば、昔は2階席があったり(妙にテンションあがりました)、列も左、真ん中、右と、一並びで10人以上座ったりしていました。今は左右、多くて6人くらいですね。

 4/16、土。アサイチ、沖縄から鹿児島に戻り、自宅でIDカードを受け取り、競技場へ。記録会が開催されています。女子男子300mをみました。女子は外部コーチを務める陸上部の子たちの走り、そして男子は次男が初めてこの種目に出場します。34秒台で走りました。組で2位、全体で3位でした。びっくり。途中で落とし過ぎで、なので、まだ記録出ます。1レーン外側を走った同じチームの1年生も速かった〜。びっくりしました。まだまだ速くなりそうです。

 

4月18日(月)

 4/12、火。午後から県P連事務局へ。期末監査の前に、わたしが全ての帳票書類に目を通します。日頃から週に一度は事務局に行って、細かい収入支出はチェックはしているのですが、改めてすべてに目を通し印鑑を押します。年に2回、中間監査と期末監査とあるのですが、なかなか気合いが要ります。終わる頃はにふう〜となります。

 4/13、水。鹿児島空港から東京へ。午後から会議のためですが、天気もよく早めに着いたので、浜松町から青山まで一直線、歩いてみました。増上寺を抜けて、東京タワーの麓をとおります。ロシア大使館の前を通ります。たくさんの警察官が警備をしていました。六本木を抜けて、東京ミッドタウン、乃木大将邸宅地跡と、なかなかな東京観光コースでした。

 乃木大将は、明治天皇ご崩御の後、殉死されており、その部屋がそのまま残っています。奥様も一緒に自刃されたということです。で、この前、自転車で甲突川を通っていたら、「乃木静子」と記された石碑があって、え?と思って、調べたら、奥様は鹿児島のご出身ということです。あの東京で見た邸宅地跡、そして、何気なくいつも通る鹿児島の地が一気に繋がって、なんだか不思議な感じがいたしました。

 

4月12日(火)

 4/11、月。例年3月は出張も少なく、のんびりな月で、この4月の新学期が始まると同時にぶわーっといろいろな予定が入り始める感じなのですが、まぁ3月忙しかったっす。なんででしょ。手帳見てもほぼ毎日何かしらの予定が入ってました。新年度、我が家は高3、中3、小4、ダブル受験です、いろいろとたいへんな1年になりそうですが、力を合わせてがんばります。夕方から眼鏡の調整にお店に伺いました。遠近両用になって、2年ほど経ちます。最初は慣れなくて、立つとフラつくような感じがありましたが、もう何も違和感ありません。レンズを交換することにしました。

 

4月11日(月)

 4/8、金。午後は県警察学校にて、トレーニング指導でした。年に2回呼んでいただいています。この春入校したばかりの生徒さんたちです。この中に、わたしが外部コーチを務める高校陸上部出身の子がいます。会えるのを楽しみにしていました。講義が始まる前に、あいさつに来てくれました。講義の中でもいろいろな動き、模範演技をしてもらいました。コロナで座学が多く、久しぶりに屋外で身体を動かしたそうです。きつい練習もみんな楽しそうでした。生徒さんの女性の割合がぐっと高くなっていて、雰囲気も全く違います。校長先生にごあいさつをして、帰宅をしました。すっかり遅くなりましたが、クラブの練習に顔をだして、帰宅をしました。

 4/9、土。午前中は、競技場で、外部コーチを務める高校陸上部のトレーニング指導。同じグラウンドに、次男の学校も練習をしていたので、そちらもチラチラ気になりながら、笑。この日は、5.6校、高校陸上部が練習に来ていて、グラウンドは賑やかでした。わたしが指導をする陸上部の子たちは、あまり、というか、全く派手な格好をすることはできず、なので、このように人で混雑している時は、グランドの中で、遠く離れた選手を見つけ出すのに苦労します。そういう意味では、息子は、赤と黄色のTシャツを着ていて、まぁどこから見てもすぐに分かりました。午後は、陸上競技協会の会議でしたが、急遽オンラインに切り替わり、事務所からアイパッドで参加をしました。 いよいよシーズンインです。

 

4月8日(金)

 4/4、月。手帳には東京出張が入っていたのですが、急遽キャンセルになりました。たまっていた業務をガッツリ進めました。

 4/5、火。当初は空港からそのまま、県P新聞の編集委員会でしたが、午後からゆっくりと現地に向かいました。新年度、委員の交代などもありました。また、急遽欠員も出て、次の委員を探さないといけないことになりましたが、わたしから適任な方いらっしゃいます!と推薦いたしました。

 4/6、水。午後から、業務マニュアル発表会、SCCのフロントスタッフは3名、理事長、事務局長、ゼネラルマネジャー、3人、もう長年この3人でやってきています。故に、業務が属人的になってしまっている部分は否めません。わたしたちもいつ何が起きるかわかりませんので、こうして年に一度業務の棚卸し、それぞれの業務をどのようにそれぞれが進めているか、それぞれ資料としてまとめ、発表をします。それを踏まえ、新年度どのように取組みたいか、計画も発表します。それを踏まえ、わたしが法人の経営計画を策定します。終了後、高校部活動のトレーニング、クラブのトレーニング。20時前帰宅。

 4/7、木。アサイチで外出。我が家がある伊敷から谷山。鹿児島市の北部から市街地を抜けて南部へ向かいます。これにかかる時間がまだまだ読めません。アサイチ等、車が少ない時は30分ほどでいきますが、渋滞が発生すると50分ほどかかることもあります。PTA会長を務める高校で入学式が開催されました。祝辞の大役でした。

 

4月6日(水)

 4/3、日。次男が宮崎の大会に出場をします。朝、6時前に家をでて、車で集合場所に送っていき、いったん帰宅。朝食をとった後、準備をして8時に妻と2人で外出をし、車で約2時間、宮崎の競技場に到着しました。この2年間、ほとんど保護者としては競技観戦ができませんでした、なので、妻は2年半ぶりの県外の競技会観戦です。天気もよく嬉しそうです。10時から女子のリレーが始まりました。外部コーチを務める高校陸上部の様子もしっかりとみました。これから高校総体に向けて、誰をリレーのメンバーに入れるのか、考えていかないといけません。その後、男子リレー、次男が2走で出場をしました。一人200mという今は珍しいリレーですので(昔、中学陸上は4×200mリレーが正式種目でした)、次男、初出場です。レース後、マネジャーが計ったLAPではなんと20秒台だったそうです(驚)。決勝は午後からだったので、昼間は、敷地内にあるトレーニングルームで筋トレ、笑。

 そして午後、決勝。今度は4×400mリレー(マイルリレー)です。メンバーも変わり、今度は走順アンカーです。こちらも初出場です。最後まで走り切れるのか、心配をします。ドキドキしました。チームは優勝し、次男もLAP49秒台と、これも驚きでした、がんばって走りました。表彰の様子まで見て、帰宅をしました。夜は優勝のお祝いをしようと、途中で畜産が盛んな曽於の道の駅で肉を買い込み、焼肉パーティをしました。とっても美味しくて、お酒が進みました。

 

4月4日(月)

 4/1、金。昼過ぎに県P事務局に到着し、この日から着任の事務職員の辞令交付を行いました。1日も早く仕事に慣れて、バンバン業務を進めていって欲しいと思います。そのまま副理事長を務める教育安全振興会の内部監査。各共済事業の加入手続きや支払い業務が適正に行われているか、各書類を見比べて突合します。指定された書類をぐわーっと集中してみました。終わるとふう〜と脳みそ使いました。いったん、事務所に戻り、夕方はクラブのトレーニングの様子をみました。

 

4月1日(金)

 3/29、火。今年度で解散する県コミュニティスポーツクラブ連絡協議会、わたしが会長と事務局を兼任する形で運営をしてきましたが、最後の決算を迎え、その内容をまとめ、メールと郵便で郵送をし、全ての業務が終了をしました。わたくし経理のこまごまとした処理が苦手で、ほとんどやったことありませんので、たいへん苦労をしましたが、良い経験となりました。

 3/30、水。午前中は、外部コーチを務める高校部活動のトレーニング。途中から日差しが強く、帰って鏡を見ると真っ赤に日焼けしていました。午後、デスクワークをしていると来客が1名。SCCのサッカークラブの代表コーチでした。2008年に立ち上げたジュニアサッカークラブですが、今年度をもって終了することになりました。ただ、やめまーす、という勝手な止め方ではなく、今、お預かりしている子たちは最後まで責任をもってみますということで、5.6年かけて活動休止の準備をしてきました。子どもたちのこともですが、お金のことも、綺麗に、実に見事な終わり方でした。この日が最後の練習日ということで、挨拶に来てくださり、いろいろなことをお話をしました。本当にありがとうございました。

 3/31、木。鹿児島空港へ。大学生の長男が春休みで大阪から帰省をしていましたが、お昼の便で帰っていきました。一人暮らしをはじめ、ちょうど1年が経ちますが、1年前ほどはないですけど、やはり、見送りは寂しいものです。夕方は県P連事務局へ。この日をもってご退職の職員の方へ辞令交付を行いました。長くお勤めいただいた方で、わたしも4年前、右も左も分からず会長に就任したわけですが、いろいろなことを教えていただきました。職員の皆様も涙でした。たいへん寂しい1日でした。

 

3月31日(木)

 3/25、金。午後から空港へ。長男が春休みで、大阪から帰ってきます。到着機は少し遅れました。到着ロビーで迎えて、お帰り!と声かけて、変わらず元気そうな顔を見て、ほっとして、そしてわたしは「行ってきます!」そのまま東京に向かいました。わずか10分の再会でした。東京に向かう機内で、今回の出張の目的である講習会の受講案内を再度チェックすると、実技があり、動ける服装、ジャージやシューズが必要なことがわかりました。何も準備をしておらず、汗がダーっと出始めて、幸いに機内WI-FIが使えたので、東京で暮らす妹夫婦にLINEをして、なんでもよいので、ジャージとシューズを貸して欲しいと連絡をして、なんとか揃えてもらいました。羽田から妹夫婦が住むマンションに直行し、受け取って、ホテルにチェックイン、コンビニで夕食を買い、シャワーを浴びて、かなり遅くなってしまいましたが、ほっとヒトダンラク。

 3/26、土。朝9時より、都内の某大学で2日間の講習会がスタート。久しぶりのガッツリお勉強です。日本陸連が新しい資格制度をスタートさせます。その制度を各都道府県で進めていくために一人担当が置かれ、つまり、わたしがその担当に就任をするための講習です。夕方17時に終わりました。

 3/27、日。その借りたジャージとシューズで午前中は実技。なんとかこなして、ほっ。午後は引き続き座学が続き、この日は16時半に終わりました。ほっ。鹿児島では主催事業50mダッシュ王選手権が開催され、こちらも無事終わったと連絡が入り、ほっとしました。天気が良かったようで、ほっとします。土曜日は警報級の雨でした。1日ズレていたらと思うとぞっとします。コロナの影響で飛行機が厳減便されており、つまり、この日も宿泊。お借りしていたジャージとシューズを返却しに妹夫婦のマンションへ。そのままあがりこみ、久しぶりに妹夫婦とゆっくり食事をすることができました。しかし突然に、迷惑な兄です、笑。

 

3月29日(火)

 3月23日、水曜日。午後から学校法人の理事会、評議員会、幼稚園の運営について協議をしました。 長引きました。外部コーチを務める高校陸上部の練習に行きましたが、ほぼ終盤でした。そのままクラブの練習を見て、帰宅をしました。3.23、という数字はわたしにとっては忘れられない日で、22年前のこの日、陸上部の廃部を言い渡された日です。沖縄合宿を切り上げ、さあ今から試合も少しずつ始まっていく、という時期でした。真っ暗闇に突き落とされた気持ちになり、ただただ涙に暮れていました。

 3月24日、木曜日。午前中は、育英財団の会議、いったん戻り、午後からは県P連事務局で書類に目を通したり。日本PTAの国内研修事業が、昨年、一昨年と中止になり、昨年はわたし担当の委員会だったのですが、今年はなんとオンラインで実施することになりました。

 

3月25日(金)

 3/21、月祝。午前中は陸上競技協会の理事会でした。今年度の総括、次年度に向けて。午後は前日に大会から帰ってきてこの日レストの次男、ケアに付き合いました。

 3/22、火。午前中に今週末開催、50mダッシュ王選手権、プログラム原稿を仕上げ、印刷会社の方にお渡ししました。午後は、今年度県教委内に立ち上がった、県立高等学校の今後について語る懇話会の最終とりまとめで、委員長から県教委に手交をいたしました。会議は2時間の予定で案内をいただきましたが、予定の半分にも満たない時間で終わり、時間が空いて。なので、市内某学校に向かいました。ここの校長先生が3月末でご退職です。県教委、県総合体育センター時代、たいへんお世話になりました。また、教頭先生はわたしがPTA会長を務めていた学校から異動でこの学校にお務めということもあり、絶対一度は伺いますと、お約束をしていたのに、もうこんな時期になってしまいました。校長室で一言だけご挨拶をと思っていたのですが、中に通していただき、お茶もご馳走になりました。教頭先生にもお会いできました。その後、谷山北公民館に向かい、前日にSCCで施設を利用した料金をお支払いしようと窓口に伺ったら、目の前に、館長さんがいらっしゃって、子どもたちが通った中学校の元校長先生であり、県教育界では超有名な方でして、わたしもたいへんお世話になった方です。でも、相変わらずのテンションで、笑、すぐに別室にご案内いただき、しばらくいろいろな話をいたしました。楽しい時間でした。ということで、ぽっかりできた時間はあっという間に過ぎていき、17時からPTA会長を務める高校で翌年度のPTAについて1時間半ほど打合せをしました。次男の部活の終わりを待って一緒に帰宅をしました。

 

3月23日(水)

 3/18、金。午後から月次の決算会議、2月の収入、支出をチェックしました。ほぼ今年度の決算は見えてきましたが、赤字は間違いありませんので、その傷口がどの程度広がるのか、そしてそれが損益分岐まで戻る兆しが見えてくるのか、というところです。16時から、県コミュニティスポーツクラブ連絡協議会の会計監査。先日、無事最後の支出が終わり、会計を閉じ、帳簿、通帳等を綺麗に揃えて、監査をいただきました。この結果をクラブの皆様に報告をしてわたしの役目は終わりとなります。終了後、クラブの練習を見にいきました。練習を終えた次男と帰宅。

 3/19、土。新幹線で博多へ。車内では、50mダッシュ王選手権の番組編成作業。新幹線とか飛行機の中って、純粋に業務に集中できるのではかどるんです。さっと作業が進みました。博多について、駅のワイファイで事務局長にファイルを送って完了。16時から会議に出席をしました。この日、記録会が開催されていて、次男が1年半ぶりに100mに出場しました。1年前のこの大会でアップ途中に怪我をして、それから怪我に苦しみました。因縁の大会です。今年も万全の状態ではなく、いろいろ痛みは数か所ありながらで、心配もしたのですが、会の途中で動画と結果が送られてきて、無事、完走、自己新記録で走ったとのことでした。今までは11秒4でしたが、11秒04(マイナス0.6)で走りました。ほっとしました。予定では泊りで翌日帰宅するつもりだったのですが、遅い便で鹿児島に戻りました。

 3/20、日。何故、バタバタと鹿児島に戻ったのかというと、この日も開催された記録会を見にいこうと思っていたのです。が、スタンドに保護者は入れないということがわかり、結局、留守番。午前中は外部コーチを務める高校陸上部の練習をみました。で、出場予定の200mは棄権。今回は100か200かどちらかに絞ろうということです。少しずつ、段階をあげていかないといけません。夕方の4×100mリレーに出場しました。が、タイムはあまりよくありませんでした。夕方、大会を終えた次男を迎えにいき帰宅をしました。

 

3月22日(火)

 3/14、月。5時半にホテルをチェックアウト、7:05関西空港発の飛行機で鹿児島に戻りました。午後から市のスポーツ推進審議会、2期のスポーツ推進計画について。

 3/15、火。姶良にある県の学校給食会の評議員会でした。今年度決算、来年度予算等について協議をしました。

 3/16、水。午後から県の教育安全振興会の審査会、規則の解釈で難しい議論がありました。そのまま県P事務局で来客対応。来年度の総合補償制度の新たな取組について。そのまま外部コーチを務める高校陸上部のトレーニング。からの、クラブのトレーニング。からの、練習を終えた次男を駅まで迎えにいきました。

 3/17、木。午前は運営委員会、今月末をもって当NPO法人のサッカークラブの活動を休止するのですが、担当コーチにもこの運営委員会に毎回出席をしていただいておりましたが、これが最後となり、いろいろと想いが募りました。午後は育成財団の会議、高校生や大学生を対象とした各制度について。

 

3月17日(木)

 3/13、日。空港へ。鹿児島から関西国際空港、いきなり到着便送れのため遅れて出発との表示。カクッ。大阪室内陸上に次男が出場します。次男の出番は15時頃なのですが、せっかくなら、玲美が出場する日本選手権女子60mも見たくて。関西国際空港に降り立つのは初めてで、勝手がわかりません。降り立つととにかくダッシュ。出口をでてJRの駅はどこだ〜、ないない、わかりません。再び空港ターミナルの中に戻り、その辺りにいらっしゃった係の方に、駅はどこか尋ねると、ターミナルをシャトルバスで移動しないといけないと、その方向を見ると、シャトルバスが出たばかり、5分ほど待ち、そしてシャトルバスで移動、乗る予定だったJRの便がどんどんズレこみます。そしてJRに飛び乗り、スマホで移動検索をして、大阪城ホールの到着が12時20分と出ました。女子60mは40分から、ギリギリ間に合いました。

 玲美は思いのほかスタートがスムーズで決勝に進出。フィールドでは走幅跳、川上くんが出場しています。終了後、三段跳が開始。次男、動いている様子では、助走、ホップ、けっこう遠くまで跳びます。なかなか良い感じ?跳躍順は初の1番目、そして、1本目、ホップは跳ぶのですが、ステップ、ジャンプが重たい感じ、14mを少し越えたところに着地します。その後も、もう一つ乗り切らない感じが続きます。かなり腰を気にしている様子も目につきます。最終5本目に少し記録を伸ばし、結果、6位でした。後で話すと、腰が痛くて、跳べる気がしなかったのだそうです。17時頃競技は終了しました。先生と生徒たちは20時の伊丹発の便で帰りましたが、わたしは翌朝の便でしたので、ここで別れて、わたしはホテルに1泊しました。時間が合えば、大阪で一人暮らしをする長男と一緒に食事でもしかったのですが、アルバイトが入っていて、それは叶わず。

 

3月16日(水)

 3/12、土。午前中は競技場へ。年度的には最後、の記録会ですが、試合期としては最初の記録会です。例年この時期は雨が降ったりすると急に冷え込んだりすることもあるのですが、快晴で、スタンドに座ると、日焼けを心配するくらいでした。絶好のコンディション。クラブの子たち、外部コーチを務める高校陸上部の子たち、次男の学校の子たち、それぞれの様子をスタンドから見ました。主に100mと女子幅を。女子幅では向かい風の中、ほぼ自己ベストに近い記録で跳び優勝をしました。本数を重ねていくうちに助走のスピードがあがり、はまっていく感じでした。お見事でした。

 昼からは市P連の理事会でした。たいへん丁寧に議事進行している様子がよくわかりました。事務所に戻り、確定申告!15日までですが、翌日から県外なので、なんとしてもこの日のうちに終わらせたくて、パソコン、書類と睨めっこでした。また今年もやり方が変わっていて、電子申請なのですが、まあ、今年も四苦八苦でした。今年も追徴課税、国民の義務、きっちりお支払いいたします!

 

3月15日(火)

 3/7、月。日本PTAの用務で東京へ。ロシア大使館の前、通りました。警察官たくさんいらっしゃいました。夕方には用務は終わり、宿泊施設に移動し、宿泊者専用のマッサージチェアがあって、ちょっとだけ乗ってみるつもりが、すんごく気持ちよくて、40分くらい乗ってしまったんです。そしたら翌朝、ぎっくり腰みたいになって。アタタって、1Fレストランにいって朝ごはんいただいたら、めちゃくちゃ健康的なメニューで、スムージーとか、薬膳カレーとか。その後、チェックアウトして空港に向かったのですが、食べなれないものを食べたせいか、何度トイレに駆け込んだか。どうやら健康に良いものはわたしには合わないようです。腰は痛いわ、最悪の移動日。

 3/9、水。午前中は、高校部活動のトレーニング。次男もこの日は午前練習。

 3/10、木。午後から県P事務局で各決裁関係等。

 3/11、金。午前、次男と空港へ。大阪室内陸上に出場します。空港まで送っていきました。午後は県スポーツ協会へ。県コミュニティスポーツクラブ連絡協議会、いよいよ締めの処理になりました。夕方は高校陸上部のトレーニング、メニューはセット走になっていたのですが、翌日が記録会なので、顧問の先生と話をして、今日くらい落としましょうか、という話になり、キャプテンにそのことを伝えると、ニヤリとしました、笑。終了後、競技場に移動をして、そのままクラブのトレーニング。

 

3月10日(木)

 3/4、金。午後から県P連役員会、そのまま事務局に残り来客対応でした。

 3/5、土。午前中は競技場の会議室で来年度の競技会の審判講習会、ルールの修改正について学びました。そのまま次男が競技場で練習をしていたので、練習の様子をしばらく見ました。いったん事務局に戻り、午後は再度競技場へ。たくさんのチーム、学校が練習に来ていて、相当な賑わいでした。SCCも練習している、次男も練習している、外部コーチをしている高校陸上部も練習している、で、常にキョロキョロしながら、忙しい時間を過ごしました。練習を終えた次男と帰宅しました。

 3/6、日。午前中は陸上競技協会の常務理事会、昨日に続き、競技場の会議室にて。グウランドでは昨日に引き続き、次男が練習をしていました。実は持病の腰痛が痛みがMAXで、それに伴い、腸腰筋やハムにいろいろ違和感があるとのことで、いろいろと心配しながら、練習の様子を見ていました。集中して見過ぎて、自分が発言しないといけない時に、完全に意識がグラウンドにいっていて、発言を促される場面がありました。失礼しました。午後は練習を終えた次男と帰宅し、身体のケアに付き合いました。

 

3月4日(金)

 3/1、火。県内高等学校卒業式です。礼服を引っ張り出し、着替え、内側ポケットに祝辞の紙を入れて出発をしました。卒業式で祝辞を述べるのはもう何度目でしょうか。最初は歩き方も分からなくなるくらい緊張しましたが今はそこまではありません。けれど、式典で挨拶をするというのは何度やっても緊張感高く、身が引き締まります。教育委員会式辞は県総合体育センター山口所長。所長は元陸上競技の一流選手で、わたしが実業団選手として鹿児島に来た時からのお付き合いです。このような形で来賓として並んで座るのも不思議な感じもいたしますが、感慨深くもあります。卒業生の姿に、次男の陸上部の先輩たちがいて、特に同じ種目の三段跳でお世話になった郷原くんにはとってもお世話になったなと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。夕方は、国体関係の会議、オンラインでの開催でした。

 3/2、水。午前中は銀行で、今年度でいったん解散となる県の総合型地域スポーツクラブ連絡協議会の口座の残金をすべて引き出しました。わたし、銀行口座から、ATMで2万とか3万とか札で現金を引き出すことはあっても、窓口で何十何円というお金を引き出した経験はなく、これが初めての経験でした。ドキドキしました。午後から高校部活動のトレーニング指導。夕方はクラブのトレーニング。

 3/3、木。午前中は業者さんと打合せ。午後はデスクワーク、夕方からは陸上競技協議会の専門部の会議をオンラインで開催しました。このオンラインの会議ももはや当たり前になってきましたが、ホストとして開催するのは初めての経験で、自分が設定をして、アドレスやパスワードを参加者にお知らせして、画面共有とか、ちゃんとできるのか不安でしたが、なんとか会議もスムーズにできました。ほっとしました。

 

3月3日(木)

 2/26、土。アサイチで次男、部活動、送っていきそのまま競技場で高校部活動のトレーニング指導。朝は冷え込みましたが、日差しがだいぶ暖かくなりました。ブロックを使ったスタート練習も入ってきました。事務所に戻り、次女の習い事の送り迎え、そしてこの日2度目の競技場へ、クラブのトレーニング。土曜日はこうしてウロチョロしながら1日が終わります、笑。

 2/27、日。手帳には県ジュニアプロジェクトと記載してあります。陸上競技協会の事業でわたしが担当をする小学生の選抜合宿です。ですが、中止といたしました。午前中はデスクワーク、昼に軽くトレーニングをして、練習を終えた次男を駅まで迎えにいきました。

 2/28、月。PTA会長を務める鹿児島南高校へ。この学校から昨年の東京五輪含め過去オリンピアンを8名輩出しています。同窓会がその記念碑を作成し、その除幕式に出席をしました。東京五輪水球に出場した福島選手も来ていただき、立派な式となりました。午後は九州高等学校PTAの臨時理事会、WEBで。6月に開催される九州大会の開催方法について協議をしました。

 

3月2日(水)

 2/24、木。午前中は、運営委員会、理事長を務めるNPO法人の各スポーツ事業の状況を協議しました。午後は月次決算、同じくNPO法人の財務状況のチェック、NPOを立ち上げ、当然最初の頃は規模も小さくお金もなく、でも少しずつ大きくしてきて、運営も順調になってきて、で、ここにきて、事業規模と債務状況のバランスが最も悪い状態です。この状況が2、3年続くようだと何らかの手立てを講じないとないといけません。とにかくコロナが終わらないとどうしようもありません。15時半からは来客が1名、次年度のことですが、また1つの役目を務めることになりそうです。16時半からは次週に行われるオンライン会議の接続テストでした。19時からは校区コミュニティの会議でした。用務が目白押しの1日となりました。

 2/25、金。午後から県P連の広報紙コンクールの審査でした。この日は忘れることはできません。審査とは全く関係のないことですが、2年前のコンクールの前日に政府より一斉休校の要請が出され、翌日の午後、まさに審査の最中に県や市町村教委の対応が続々と判明し、また、文科大臣の記者会見が途中で始まり、審査の場にはいたのですが、そのような状況に頭の中がパニックになっていました。夜はあまりの出来事に涙しました。あれから2年かあ、と。「この2週間!」が、2年です。何が2週間だったんですかね、今、思えば、空々しい。審査は無事に終了しました。県内各地のPTA新聞、本当に皆さんががんばっている様子が伝わってきて、心が温かくなります。

 

2月25日(金)

 2/19、土。手帳には「県PTA連合会70周年+1記念式典」と記されてありますが、中止となりました。本当に残念です。午前中は高校部活動のトレーニング。家をでる時はそうでもないなと思うのですが、グラウンドに着くと、風が冷たく、冷え込みました。もう1枚着るべきだったと後悔します。たいへん負荷の高いトレーニングでしたが、生徒たち頑張りました。練習終了後、一人残って、自分のトレーニング。30分ほど。午後もクラブのトレーニングでグラウンドへ。夕方帰宅しましたが、本来なら今頃、カンパーイの時間だったなあと、もし開催できていればを想像します。

 2/20、日。冬季特別練習で砂浜練習を実施しました。こちらも3年ぶりだそうです。参加者もそんなに多くはないだろうと見込んでいたら、40名近い参加がありました。雪もちらつく天候でぐっと冷え込みましたが、みんな、和気あいあいと楽しそうにトレーニングができていました。わたしの身体もすっかり冷え込んで、頭の中はもう「おでん」しかなく、帰りにおでんの具を買い込み、午後は時間をかけてぐつぐつ煮込んで、夜は熱々のおでんでくっと焼酎飲んで寝ました。

 2/21、月。昼から会議が1本入っていたのですが、急遽出張が入り、東京でした。

 2/22、火。本来なら午後から引き続き東京で年に一度の全国SC総会が開催予定でしたが、こちらがオンライン開催となり、朝の便で鹿児島に戻り、13時半から16時45分まで3時間のオンライン会議でした。アイパッドフル充電で臨みましたが、わずか1時間で残り20%となり、慌てて充電したりしながら、バタバタと会に参加をしました。もう5.6年使っているアイパッドですので、そろそろ替え時かなと思います。終わり次第、高校部活動のトレーニング、ウェイトトレーニングでした。次女の習い事のお迎えにいき、帰宅をしました。

 

2月24日(木)

 2/15、火。午後からの会議が1つ延期、夕方からは副理事長を務める教育安全振興会の共済事業の説明会(WEB)の担当説明係として事業の説明を行いました。皆さん、カメラはオフでまったく表情もわからず、真っ暗なシーンとしたタブレットに向かって一人喋ります。伝わっているのか伝わっていないのか、何もわからず、質問も1つもでずに終わりました。手応え一切ありません。

 2/16、水。県P連の評議員会といって、総会に次ぐ大切な議決機関です。こちらは感染対策を施した上で、市内の大手ホテルの会議場で開催をしました。次年度の予算、事業計画、県教委のへの要望事項等、大切な議案があり、緊張感をもって臨みました。すべての議案に賛成多数をいただき、たいへんほっとしました。いったん家に戻り、準備をして、空港へ。夜の便で東京に向かいました。チェックインはもう22時前、部屋で少しだけハイボールを飲んで寝ました。

 2/17、木。午前中から日本PTAの会議、午前は各委員会でわたしが担当する委員会もいよいよ議論のとりまとめに入ってきました。引き続き午後も会が続き17時に終了しました。通常ならば急げば羽田発に最終便に間に合うのですが、今は減便されていることもあり、従いまして、もう1泊しました。

 2/18、朝、チェックアウトをして羽田発、昼には帰宅できるような時間設定でした。午後から会議が1本入っていたのですが、こちらも急遽書面開催ということになりました。午後はデスクワーク、夕方はクラブのトレーニングの様子をみました。

 

2月16日(水)

 2/10、木。この日は3つの予定が入っていました。長崎に出張の予定がオンラインに切り替わりました。次男が通う高校PTAの理事会が開催予定でしたが、紙面をもっての開催、県の健康教育研究大会の開会式に出席の予定でしたが、こちらは最初から代理で副会長に出席をしてもらうことになっていましたが、こちらもオンラインに切り替わったようです。長崎で開催予定だった九州高校学校PTAの会は、6月に開催予定の九州大会の開催方法について協議がなされました。昨年6月は鹿児島大会の予定でした。前年に宮崎大会に続き、このコロナでどうする、こんなに長引くとは本当に思ってもいませんでした。もう言いますよ、緊急事態宣言だのまん延防止だの、ちょいちょい出しては、とりあえずの感染は落ち着くのですが、でも、ただ長引かせているだけのような気もいたします。で、感染が増え始めたら、「気の緩み」のせいにする。精神論か、みたいな。いったいどうしたらよいのでしょう。わかりません。

 2/11、東京から来客をお迎えする予定でしたが、急遽とりやめになりました。コロナではなく、雪、です。

 

2月15日(火)

 2/8、火。夕方から教育安全振興会の共済事業の説明会がオンラインで開催されました。毎年県を2つにわけて、役員が手分けして、県内各地に赴きます。なので、聞く側は2年に一度、説明を受けるということになります。今年は実験的にオンラインでの開催にチャレンジしています。で、わたしも本日講師役として説明をしないといけないので、まずは、ベテランの方の説明を聞かせていただきました。うまく説明できるか、不安です。

 2/9、水。午前中、県教委の会議、こちらもオンラインでの開催となりました。学校部活動の今後の大きな方向性。新聞報道等で方向性としては大きなものが示されてありますが、当然、細かいところ、ここはどうなる、あそこはどうなる、つめていくと、難しいところがまだまだたくさんあるなあと感じます。わたしもイチ外部指導者として学校部活動のお手伝いをしていますが、逆に部活動自体が学校から離れ、地域の中に融合されていく、ということです。

 

2月14日(月)

 2/7、月。この日は2つの会議が入っていましたが、1つはオンライン出席、もう1つはアーカイブ配信となりました。オンライン出席は国体に向けての競技力向上の会議、2020国体での総合優勝に向けて数年にわたりいろいろな取組をしてきたわけですが、延期でいったんリセットとなっています。また、また三重国体もなくなったことから、ここ数年の経年の比較ができず、分析が難しくなっています。アーカイブ配信のほうは、新聞等にも出ましたが、この日は北方領土の日で、4島返還に向けての記念行事に出席をする予定でした。話は変わりますが、鹿児島に三島村十島村があり、何故、「鹿児島郡」なのだろうと、役場も何故鹿児島市にあるのだろうか、ずっと疑問に思っていたのですが、こちらもアメリカ占領下にあった背景があると、知りました。

 

2月11日(金)

 2/5、土。佐賀から、新幹線で帰宅。手帳には「東京」と記されてあります。毎年のこの2月の第一週末は九州の会からそのまま東京の会議で、九州各地からそのまま東京に行くことになるのですが、オンライン会議となり、鹿児島で会議に参加をしました。全国高等学校PTA連合会が実施しているアンケート調査の分析結果が提供されました。このコロナはもちろん社会的にいろいろなダメージを与えていますが、親子の会話が増えたり、高校生と「父」との関わり合いが増えたり、そのような1面もあるということです。終わり次第、クラブの練習を見にいきました。

 2/6、日。手帳には、駅伝大会と記されてあります。主催事業でしたが、中止と判断しました。気温は冷え込みましたが、穏やかに晴れて、良いイベント日和だっただろうなあと思いました。次男が、現在、部活動は停止中ですが、個人練習をしたいということで、競技場まで送っていきました。

 

2月8日(火)

 2/3、木。昼から県教育安全振興会の理事会でした。新年度予算等について。こちらも児童生徒数の減により、なかなか予算建ても厳しくなっていますし、これはもう益々進んでいきますから、深刻な状況に陥る前に何らかの手立てが必要です。同時刻に県体力向上の委員会がオンラインで開催されましたが、こちらは出席できませんでした。

 2/4、金。佐賀で九州PTAの会議でした。佐賀の駅に到着し、ホテルまで2キロ、少し寒かったですが、天気もよく、歩いていくことにしました。両親が佐賀の出身ですが、唐津のほうで、佐賀の市街地にはあまり馴染みはありません。城下町の趣ある雰囲気に、良いところだなあって、歩いていたら、突如、見覚えのある建物が。カレー屋さんです。もう10年以上前、佐賀にめちゃくちゃ美味しいカレー屋があると妹に両親と連れてきてもらったことがあります。その値段にも驚いて、そんなカレー食べたとありませんから、ドキドキしていたら、次男が車酔いをしたらしく、おえーっとゲロ。カレー屋でゲロ。最悪。その高級カレーの味なんて覚えていません。そのこと、次男は全く覚えていません。いつか奢ってもらわなければ。

 

2月7日(月)

 1/31、月、東京へ出張でした。空港は依然ガランとしています。夜もホテルの部屋でおとなしく孤食。

 2/1、火。午前の便で鹿児島に戻り、午後は県P連の役員会でした。予算や活動計画、もう次年度の内容が盛り込まれています。細かい文言も含め役員と協議をしました。そして、19日に予定をしていた「鹿児島県PTA 連合会70周年プラスワン記念式典」 は、中止を決定しました。2回にわたり延期をして、満を持して3度目の正直のはずでしたが、2度あることは3度あるとなりました。たいへん残念です。夜は、日本PTAのオンライン会議、こちらはわたしがリーダーを務めるグループ会議でした。未だ委員の皆さんとはオンラインでしかお会いしておりません。

 2/2、水。県PTA連合会が発行する新聞の編集委員会でした。前回、前々回と他の用務と重なり出席叶いませんでした。3月号の発行内容について協議をしました。終了後、事務局で決裁を済ませ帰宅をしました。夜はクラブのトレーニング。この日までとしていた部活動中止期間が1週間延期となりました。

 

2月3日(木)

 節分です。豆を撒いたところで、鬼はまだまだ去ってくれないんでしょうね。

 1/28、金。手帳には、小学校PTAの会議の予定が組み込まれていましたが、ナシになりました。昼過ぎ、事務局内で諸々検討した結果、2/6開催の予定で準備をしていた駅伝大会を中止にすることを決めました。もちろん、楽しみにしてくださっていた参加者の皆様にも申し訳ないのですが、近くで見てきた、参加者を募ったり、当日のスタッフをお願いしたり、設えを考えたり、一生懸命準備に動いてくれてきた、事務局スタッフの気持ちを思うと、悔しい、哀しい気持ちになりました。

 1/29、土。午前中は、陸上競技協会の常務理事会でした。オンラインでの開催となりましたが、次年度の各種競技会の内容を1つ1つ検討をし、結局3時間超かかりました。くらっときます。もちろん、中にはわたしが担当をする大会もあります。午後はクラブのトレーニング。

 1/30、日。午前中は、主催イベントの様子を見にいきました。午後は事務所でデスクワーク、自主練習を終えた次男を迎えにいきました。

 

1月28日(金)

 1/27、木。午後から月次の決算会議を開催する予定でいたのですが、県P事務局からメールが1本届き(ほぼ毎日何らかのメールは届きます)、その対応で時間をとり、その後、再び、緊急の対応で時間をとり、事務局長と、決算会議は延期しようということになりました。

 

1月27日(木)

 1/26、水。アサイチ、新聞に目を通します。鹿児島でもまん延防止等重点措置が適用されますが、その内容がどのようなものか。まず、公共施設が使えるのか使えなくなるのか、日頃から多くの公共施設を利用させていただいていますし、週末は2週連続でイベントが控えています。学校施設も同様です。それぞれ対応が必要です。午後から来客、わたしが委員を務める県教委主催で開催される会議(いろいろな会議があるのですが、その1つ)について、ご説明をいただきました。PTAに関り初めてもう10年以上が経ち、新聞の教育関連記事は必ず切り抜きをしますし、日本教育新聞や日本教育会が発行する月刊誌にも目を通しますので、普通の保護者よりは教育界の諸々については詳しいはずですが、にしても、まだまだ知らないことがたくさんあるのだな、ということを痛感いたしました。これから10年、20年、教育も学校もどんどん変わっていくのだろうと思いました。なので、わたしたち保護者も積極的に研修の機会を設け、そのようなことを知っておかないといけません。

 夕方から高校部活動のトレーニング。バトンパスのトレーニングも兼ねて走練習。顧問の先生が遅れてきました。まん延防止から部活動がなんらか制限がかかることが予想されていましたが、その内容が明らかになりました。ということで、生徒の皆さん、しばらく会えませんがと別れました。競技場に向かいました。クラブのトレーニングを見て、帰宅をしました。ちょうど次男が帰宅をし、その部活停止の期間の個人でのトレーニングスケジュール、どのようにするか、話をしました。

 

1月26日(水)

 1/24、月。昼からオンラインの会議。九州ブロックの総合型地域スポーツクラブ、各県の会長や県スポーツ協会関係者の会でした。主に、4月からスタートする登録認証制度に伴う、県組織の内容等についてです。夕方は高校部活動トレーニング。学校近くの坂でダッシュでした。わたしも3本ほど走りました。翌日、ケツが筋肉痛になりました。現役時代、坂ダッシュは相当やりました。平地で走るより速いんじゃないかと、笑われてました。

 1/25、 火。午後から県教育安全振興会の会議でした。長くお務めいただいた方が昨年ご退職され、なので、細かいところ、ここはどう、あそこはどう、諸々出てきていて、昨日も規則の中の解釈、議論をしました。終了後、事務局で決裁等を済ませました。そのまま高校部活動のトレーニング。ウェイトトレーニング。現役時代、わたしの愛読書の1つが「マッスルアンドフィットネス」でした。短距離の練習は、基本はドリルをして走技術を身につけたり、走ったり跳んだりで、陸上競技の書籍にはそれらのメニューややり方について、いろいろなことが載っているのですが「必要な筋肉をつけたいところにつける」ということに関しては、あまり詳しく載りません。例えば、臀筋をアイソレイトして鍛えるには、という疑問について、そういうことはボディビルの専門書のほうが詳しく書かれてあるのです。ボディビルダーって、でっかい筋肉をただでっかくさせている人たちと言うイメージあるかもしれませんが、とんでもありません、めちゃくちゃ筋肉の細かいところ詳しいし、とってもディテールに鍛え上げている人たちです。ということで、実は走ることもですが、ウェイトトレーニングもフォームが大切で、狙った筋肉に効かせるには効果的なフォームというものがあります。今はYOUTUBEがありますから、ベンチプレス1つ検索してもマニアックな解説いろいろでてきます。

 

1月25日(火)

 1/23、日。この日と翌週日曜と2週にわたり、小学生を対象とした冬のマラソン教室を開催しております。午前中はその様子を見にいきました。最後にサーキットの強度を少し高めた、JOGと速いランニングを組み合わせたメニューが、これは、いろんなアレンジができるし、子どもたちの総合的な体力を高めるプログラムとしても良いし、大人のサーキットトレーニングとしても良いなあと感じました。午後は部活を終えた次男を迎えにいき、父マッサージでした。大相撲千秋楽を観て、三つ巴になると、面白いなあと思いましたが、本割で決まりましたね。雨は降りましたが、久しぶりに厳しい寒さが和らぎました。

 

1月24日(月)

 1/21、金。夕方から高校陸上部のトレーニング、練習をしている走路の横に鉄棒があって、練習の合間にたまにふんふん懸垂をするのですが、逆手で手の間を狭めて脚を地面と平行にしながらやる懸垂(意味、わかります?)をしていたら、3年生の子たちにイジられました。せっかく仲良くなれてきたのに、もう卒業ですね。そのまま鴨池へ、クラブのトレーニング。セット走から最後はミニハードルを使った乗り込みの技術を習得する練習ですが、なかなか。跳びたい気持ちが強すぎて、上半身を煽ってしまいます。この動きが出てしまうと、体幹がぐらつきますので、良い乗り込みができません。良い動きをするためには、1つ前の動作がポイントになりますので、良い接地をしたいのであれば、その1つ前の身体の軸や腕の準備動作が鍵になります。

 1/22、土。手帳には永年勤続者表彰とあります。県教委主催の行事で、この3月で定年を迎えられる先生方の卒業式です。教育長のご挨拶と、来賓を代表してわたしの挨拶があります。たいへん緊張をします。数日前から話す内容等いろいろ頭の中で考えていたのですが、残念ながら中止となりました。2年連続となります。ということで予定が変わり、午前中は高校部活動のトレーニング。短距離の子に接地時の逆足の位置、撮った動画を見ながら説明をしたら、理解をしてくれて、どんどん脚が回って、スピードが出てくる感じがでてきました。午後はクラブのトレーニング。帰宅して、次男がこの日の走練習の動画を見せてくれて、そうそう、この動き、何回も見ました。

 

1月21日(金)

 1/20、木。午前中は運営委員会、各事業の様子、各ヘッドコーチ陣からの報告、確認をしました。手帳には午後から県スポーツ協会の会議に出席と記されていますが、中止となりました。12月、1月と日本陸連のオンライン会議が開催されて、その内容を県陸協の会議で報告するのですが、資料として内容をまとめました。現在、公認指導者資格はジュニアコーチとコーチの2つの資格が走っているわけですが、スタートコーチという新たな資格が始まります。それに伴い、新たな職務も発生します。誰かがそれをやらないといけないけません。。長男が高校の通学で3年間使った自転車をお下がり(お上がり?)で愛用していますが、先日、パンクをしました。2kmくらい自転車を押しながら歩いて、自転車屋さんに持ち込みました。自転車のパンク修理なんて何年振り?もしかすると、高校以来かもなあなんて、ぼーっと修理の様子を見つめました。職人さんの手際のよい作業の様子は見ていて気持ちが良いです。帰りはスーッとあっという間に着きました。

 

1月20日(木)

 1/19、水。午後から県P連高校常任委員会、そのまま常任委員会、それぞれのテーマに基づき、今年度とりまとめの議論をしていただきました。この委員会活動の活性化に取組んでいて、当然皆さん真剣に議論をしていただいているのですが、なかなかわたしが思うような手応えを感じられない、まだまだわたしの伝え方、設え方が足りないんだと、もどかしさも感じました。最後に地区別に分かれていただき、それぞれの地区内での情報共有、また次年度役員選出についての方法やスケジュールについて確認をしていただきました。これもわたしが会長に就任してから始めたことです。終了は17時を回りました。クラブの練習を見て、最後の段跳びの補強、んー、と頭を悩ませます。約半分が構えから一歩目の動き、基本的なところができていません。わたし持論があり、ジュニア期に身に着けて欲しい動きの1つが、この止まった状態からの動き出しです。止まっている物体は、力を使わなくても、安定を崩せば、動き始めます。つまり、力を使わなくても、動くのです。ももをあげるとか、腕をふるとか、そんなことよりも、ここで変なクセがついてしまうと、中学高校からここを修正するのはとても難儀なのです。なので、ナチュラルな動きができるジュニア期に自然とここができるようになると、短距離のダッシュも、跳躍の助走の入りも全く違ってくるのです。

 

1月19日(水)

 1/17、月。わたしが会長を務める県の総合型地域スポーツクラブの連絡協議会が国の方針により、4月から体制を改めるのに伴い、現協議会はいったん解散という手続きをとります。来週解散式を予定していて、その出欠をそれぞれ頂いていたりしていたのですが、諸藩の事情により、関係各位と協議をした上、中止を決定しました。メールで連絡がつくクラブにはその旨一斉送信をし、メールアドレスを持たないクラブもあり、そこには別途文書を作成し、郵便局から発送をしました。午前中はそれらの対応でバタバタしました。夕方からは高校陸上部のトレーニング。怪我との付き合い方、最後のミーティングで話をしました。わたし自身も何度も怪我は繰り返しましたし、指導者としてもたくさんの選手を見てきました。

 1/18、火。午後から銀行へ。上の続きですが、解散に伴い、残余財産は、案分をして、各クラブに返金をするということが決定をしています。なので、解散式で現金を封筒に入れて、手渡しをし、渡せなかったクラブだけ振込等の手続きが必要だと思っていたのですが、急遽、全クラブに振込をしないといけなくなり、それら1つ1つ窓口もしくはATMでやるのはタイヘンだなと、何か良い方法はないか窓口の方に相談をしました。eネットは個人の口座でしか使えない、団体用のネットサービスは手続き、費用が発生する上、解散を目前にした団体にお勧めしないと。ん−、やはり、窓口orATMで1つ1つ手続きをする他、無いようです。面倒ですが、やらないといけません。来客、県P連の総合補償制度について。1時間ほど打合せをしました。夕方から高校陸上部のトレーニング、ウェイトトレーニングでした。

 

1月18日(火)

 ご多分に漏れず、直近の会議、行事が次々と中止、延期、オンラインの連絡が次々と入ります。この2年間、この繰り返しばかりです。先日の出張は、行き帰りの新幹線でコロナ関連の本を一気に読み終えました。謎だらけのコロナ対策。160万も病床がありながら、何故、医療が崩壊というのか、よく理解できました。本当に皆さん冷静にならないといけません。

 1/15、土。熊本で九州PTAの臨時理事会が開催されました。次年度のことや、今年度開催された北九州市大会の決算、来年度沖縄大会のこと等について。

 1/16、日。朝は、熊本城近くを散策。早過ぎて、お店も何もやっていなくて、笑。新幹線で鹿児島へ。帰宅後、1時間ほどトレーニング。さっと汗をふいて、午後は都道府県対抗女子駅伝を観戦、SCC所属の中学生が出場しました。あの区間、美幸(上原)の鮮烈な全国デビュー戦で、思い出します。あれから、全国トップレベルに駆け上がりました。続いて欲しいです。部活を終えた次男のケアに付き合いました。冬休みの2回の強化合宿、2部練習、すべてフルメニュー消化できました。身体も仕上がってきました。夜はチキン南蛮つくりました。前夜、ちょうど寝ようとしていたタイミングで津波の知らせがあり、ホテルの部屋でよく眠れない夜を過ごしましたが、焼酎お湯割り飲んで、身体をホカホカにして、ぐっすり眠りました。

 

1月17日(月)

 1/14、金。午前午後デスクワーク、夕方から日本陸連のオンライン会議、開始15分前には指定されたアドレス、パスワードを打ち込み、アイパッドで入室し、予定時刻通り会議が始まり、冒頭、資料の確認と言われましたが、わたしの手元には何の資料もなく、いつ、どこで配布されたのかプチパニックに陥り、メールを探すと、別フォルダに入っていて、そこから大量の紙資料を印刷し、なんとか、資料の準備できて、会に参加をしました。オンライン会議はこのようなところも事前に十分確認ができた状況で参加できるようにしないと、わたしも責任ある立場で参加をしていますので、理解ができないと県の陸上界全体にご迷惑をおかけします。会の途中で今度は県の陸協関係で連絡があり、オンライン会議終了後、急遽、作業を進めました。

 

1月14日(金)

 1/13、木。午後から県P連事務局へ。各書類に目を通したり、出張の打ち合わせ等。今週末、土曜日、出水市で開催予定だったPTA活動の研究委嘱公開が急遽、WEB配信になったとのことです。ご担当の方、たいへんだと思いますが、県P連としても補助金を調えていますので、ご活用いただければと思います。すべて終わって、コーヒーをいただいて、 ロビーに降りると、高校生の集団が。県P連事務局がある施設は宿泊施設にもなっており、ちょうどチェックインをしている様子でした。おそらく、島の子たちが土曜日からの共通テスト、明日前日は試験会場を下見して、土日本番を迎えるのでしょう。心の中で、ガンバレ!応援をしました。長男の大学受験が1年前、わたしたちも前日に下見をして、このコースで学校までいって、このあたりで降ろして。試験当日も、ああ、今頃最初の科目が始まったな、今頃終わったな、ずっと気になっていました。あれから1年が経ちました。木曜日は外部コーチを務める高校部活動もレスト、次男は完全レストではないのですが、負荷が軽めの日ということで、いつもよりは早めに帰ってきます。

 

1月13日(木)

 1/11、火。夕方から高校陸上部のトレーニング、寒風吹き荒れました。夜は大学OB会鹿児島支部の会合でした。箱根での活躍を皆さん喜んでいただきました。陸上部OBとしては、箱根だけではなく、T&Fにも関心を寄せて欲しいと、今、たいへんこちら落ち込んでいるんですと、話をしました。

 1/12、水。朝、新聞を読んで、愕然としました。訃報でした。もう10年以上、わたしがPTAに関わる前からのお付き合いで、その後、市の生涯学習課に勤務されましたので、PTAとしてまたお付き合いが深くなり、その後、校長先生としてご勤務なされていました。お嬢様をSCCでお預かりしていた時期もあり、とっても良い子で、頑張り屋さんでした。いろいろなことが思い起こされ、本当にお世話になりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 午後は県の社会教育に関する会議。途中、全国都道府県男子駅伝中止のリリースが流れてきました。SCCからも選手が選抜されていました。はあ…。終了後、高校陸上部のトレーニング。浮遊脚の使い方、良い動きになってきました。そのまま鴨池に向かいクラブのトレーニングの様子をみて帰宅、身体が冷え込みましたので、湯船が極楽でした。

 

1月12日(水)

 1/8、土。手帳には、空港と記されてあります。次男が、県の国体強化合宿で、朝、空港に送る予定でしたが、コロナで市内での合宿に急遽切り替わりました。競技場まで送り、そのまま高校陸上部のトレーニング。予報では雨は降らないはずでしたが、ずっと雨でした。昼からはクラブのトレーニング。1次加速の考え方、エネルギーを使わず、速く進む。エースようじが良い感覚をつかめたような、陸上初めて1年も経たない、らいは、は掴めてはいないのですが、それでも、恐ろしい動きを見せます。良い意味で、です。本当にすごい選手になるかもしれません。

 1/9、日。午前中は一人事務所でのんびりデスクワーク、昼からはリビングの窓磨き。窓磨きは冬がベストシーズンです。夏にやると暑くてかないません。

 1/10、月。午前中は高校陸上部、砂浜でのトレーニンングでした。天気も良くトレーニング日和でした。この日午前中で強化合宿が終わり、次男を迎えにいきました。良いトレーニングができたようです。ずっと悩まされてきた腰痛が、少し感じが良いようです。

 

1月11日(火)

 1/6、木。県P会長として年始のあいさつ周りです。知事、教育長、教育委員会各課、マスコミ、県議会、県警本部、えーと他は、、13時半にスタートして、終了は17時を回りました。終了後、翌日の役員会の打ち合わせをして、新年度予算のこともあり、なかなか終わらず、そろそろ帰りましょう、と解散しました、笑。

 1/7、金。午前中は高校部活動のトレーニング。ミニハードルを使った加速のトレーニング。午後から県P連役員会、2月に予定されている、70周年+1(プラスワン)記念式典。本来ならば、昨年度が70周年の節目の年だったのですが、1年延期を決めて、その時は、さすがに1年後はコロナも終わっているだとうと思っていたのですが、依然、状態は変わらず。最終的には何かしらの判断をしないといけないのですが、準備はしっかりと進めていきたいと思います。役員のみんながたいへんポジティブに捉えてくださっていて、心強いです。新年度予算についても、それぞれの考え方を聞かせていただき、合意形成できましたので、それを踏まえ、内容改めてまいります。役員会が終わると、いつもふ〜っと力が抜けます。夜は校区コミュニティ協議会の会議でした。

 

1月6日(木)

 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。今年の野望も目標も何もなく、ただただ、コロナが終わって欲しい、日常を取り戻したい、それしかありません。何をやるにしても、PTAもSCCも、人が集い、ごくシンプルな人間的なふれあいを大切にしている組織ですから、そこがリスクと言われてしまえば、本当に何もできない、それだけです。12月はぼちぼち人とお酒を飲む機会もありましたが、やはり大事ですね、ああでもない、こうでもない、よくわからない話をグダグダするのって、こんなに楽しいんだって思えました。

 1/4、火。午前中は、高校部活動の指導。みんなでJOGで初詣に行くということで、当然、走るスピードがまったくついていけないでしょうから、ご迷惑をおかけするので、DNS。午後は長男とお買物。大阪で屋外のアルバイトをしているので、ワークマンプラスでしっかりとした温かいインナーを買ってあげました。ちょうど、1年前、共通テストだったなあと。朝、3時に起きて勉強したり、あれからたった1年しか経っていないのか、遠い過去のように思います。テストの結果に一喜一憂して。望んでいたような結果ではありませんでしたが、でも、今は大阪で一人暮らし、しっかり炊事洗濯やっているし、友達もたくさんできて、楽しんでいるようです。で、卒業後はどう考えている?心配しているというわけではなく、昔からものすごくしっかりとした考え方を持っている子なので、今はどういう風に考えているのか、興味があります。我が子ながら、いつも関心します、そんなことを考えているのかと。夜の便で、鹿児島空港から大阪に戻りました。

 1/5、水。午前中は、高校部活動の指導。坂を使った動きづくりで、坂なので、前傾がかかり前に進むのですが、蹴り足が重心の後ろにきた時に、逆足はどのポジションにいたらいいのだろう、そんな話をしました。動き出しが滑らかにになってきました。午後はデスクワーク、夕方はクラブのトレーニングへ。エースようじが、怪我から回復し、全メニューこなせるようになってきました。

 

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