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 第7回 「『学校ならでは』なもの」

 ちょっと古い話になってしまうが、五月二十二日の鹿児島新報一面に『理想の先生像は…』という記事が掲載されてあった。その中の高校三年男子のコメント。「教科書通りのことしか教えてくれず、それだったら学校は必要ない。勉強は塾で十分」。

 「おいおい…」と新聞紙面にツッコミを入れたくなったのは僕だけではないはず。学校とは教科書にあることをしっかり教える場で、それプラスさらに突っ込んだ知識、または受験用のテクニックなどを教えるのがいわゆる「塾」というところではないのか? 少なくとも僕はそう思う。

 一方「学校部活動」。文部科学省が昨年九月に策定した「スポーツ振興基本法」にて、スポーツというものを学校という単位でくくるのではなく、今後はどんどん地域と結びつけていきましょう、そして総合型地域クラブというものを作って、そこを地域スポーツの核にしましょうと謳っているわけである。

 勉強は塾ですればいい、スポーツは地域クラブがある。では、学校へは何をしにいくところなのか、ということになりやしないか。学校という場所の存在価値がどんどん薄れてきているのではないか。事実、現役高校生からこういったコメントがでてきている。

 総合型地域クラブ創設の動きも、今後どんどん追い風が吹くだろう。だがしかし、だからといって部活動が排他されるのではなく、いかに学校部活動と連携を保ちながら地域型総合クラブを発展させていくかが鍵だと僕は思う。やはりそこには「学校部活動ならでは」の何か良いものを残していくべきだということ。

 「学校ならでは」なもの。塾でも地域スポーツクラブでも代用できない何か。それを真剣に考えるべき時代だ。