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 第9回 「貴乃花の優勝に想う」

 大相撲夏場所千秋楽。横綱貴乃花が前日に負傷した右膝の傷みをはねのけ、優勝決定戦で武蔵丸を破り優勝した。それを見てみんなが感動し、小泉首相も各メディアもこぞって貴乃花を褒め称えた。

 僕はその日、県高校総体陸上競技の会場にいた。若きアスリートが青春の火花を散らす舞台を見ていたのだ。

 そういった中、大会を通してあちこちでたいへん目についたことが1つあった。怪我をおして出場する選手達。脚をひきづりながらウォーミングアップをする姿、テーピングでぐるぐるに巻かれた脚。そういう場面を心苦しく見た後での貴乃花の「あの優勝」。

 日本ではそういった怪我を押してでも試合に出るということが美徳とされ過ぎていないか。

 怪我をする。痛みをおして試合に出場する。痛みを顔にださない。そして勝つ。正直、そういう勝利は大きな感動を呼ぶ。ものすごい精神力だと思う。しかし、それが中学生・高校生、ましてや小学生のスポーツの現場に持ち込まれているという現実がある。

 その子の将来のことを思えば、怪我が致命傷になる前に、選手自身が出場したいと言っても、ストップかけてあげるのが本来であろう。しかし、何故無理してでも出場させるのか。

 それは日本のスポーツシステムの根幹に問題がある。つまり、中学、高校とそれぞれ3年間という短いスパンで結果を出さなければならない。怪我を押してでも出場させる監督だけが悪いわけではない。無理をしてでも出場させ、ちょっとでも結果を残すことがその選手の将来のためだという論理も通るわけだ。

 今、必要なのは目先の勝利にこだわらなくてもよい、スポーツシステムの構築である。